最終章 お隣さんの美少女が、なぜか僕に惚れている

17の1話 『お隣さんの、

 



 これは、カツオ……だし。


 目を覚ますよりも先に、鼻をくすぐる香り。

 

 焙煎された削り節の香ばしい風味が、部屋全体に広がってくるのがわかる。

 なんという贅沢な朝だろう。

 

 ……ん?

 でも。

 なんで僕の部屋でカツオだしなんか。

 

 疑問に思った僕は、まだ開かない目を無理やりこじ開ける。



「あ、おはようございます、越名こしなさん。……今日は、良く眠れましたか?」



 ああ、そうだった。

 

 三角巾で包まれた長い黒髪。

 纏われたブレザーとエプロンが、彼女の華奢な体系を彩って魅力的に見える。

 まごうことなき美少女。

 小さな顔に宝石のようなパーツが絶妙なバランスで収まった、奇跡の美少女。

 相変わらず綺麗だなぁ……、なんて呆けていると。

 

「あの……私の顔に何かついてますか?」


 僕の視線に気づいたらしい彼女が首を傾げる。


「あ、いえ。……なんでもありません」

「? もうすぐ朝食が出来上がりますから、越名さんは顔でも洗ってきてください」

「そ、そうしますッ」


 言われた通りベッドのフレームに捕まって身体を起こそうとすると、


「はい、お手伝いします」


 半ば肩を貸すような形で、美少女が僕に密着してくる。

 彼女の髪は未だ洗い立てのシャンプーの香りがして、僕は妙にドキドキしてしまう。


「せーの」


 彼女に半分体重を預け、残りの半分は手すりに力を入れてベッドから立ち上がる。

 途端によろめきそうになった僕を、すかさず美少女が支えてくれる。


「ありがとう……」

「いいんですよ、いちいちお礼言わなくて。それよりほら、洗面所、わかりますか? あの扉ですからね」

「うん。なんとなくわかるよ」


 僕は壁に身体をのしかからせ、ズルズルと擦って洗面所まで到達する。

 固定された片手に水をかけないよう気を付けながら、なんとか洗顔と歯磨きを終えて。


「……おお」


 食卓に並ぶ朝食に思わず感嘆の声が漏れる。

 焼き鮭、卵焼き、おひたしに佃煮まで。完璧な和風な朝食だ。もちろん、ご飯と味噌汁があるのは言うまでもない。


「早く座ってください。温かいうちに食べましょう」


 そうして、僕ら二人は手を合わせる。


「「いただきます」」




 食べ終わった後、僕は一応朝食の片づけを申し出たが、断られた。

 仕方なく自室に戻って悪戦苦闘してなんとか服を着替え、リビングに戻った頃には、彼女は手際よく全ての片づけを終えたところだった。


「……あの、わざわざごめんなさい。何から何まで」

「……お礼の次は謝罪ですか? 気にしなくていいのに」

「いや、それはさすがにないよ! ここまでしてもらってるのに、さすがに……」


 ありがとうも、ごめんねも禁じられた僕は、言葉に迷う。

 なんて言葉をかけたらいいものか。

 しばらく言いよどんでいた僕を見て、


「心配しなくても、大丈夫ですよ。そんな満身創痍の人からは、見返りなんて求めたりしませんからっ。……それに」


 彼女が笑う。

 時間を切り取って額縁に入れたいくらい、綺麗な笑顔。


「……いいんです。好きで、やっているのでっ」


 不思議な気持ちになる。

 ほっとするような、懐かしいような。

 まるで、昔に見た事でもあるかのように。


 それでも、僕は。


「……今日も、検査でしたよね?」

「そうだね。まぁ、内容はまたカウンセリングが主だと思うんだけど。……僕、なんかアレ苦手だなぁ……自分を無遠慮に覗き込まれる感じがして……」


 何気なく彼女を盗み見ると、


「……どうかした?」

「えっ、あ、何でもありませんっ。……その」


 彼女は、自分の鞄を拾い上げ、


「……はやく、思い出せるといいですね」


 一瞬濁りかけた表情を、慌てて取り繕う。


「……そう、だね」

「では、越名さん。夕方、また伺うのでよろしくお願いします!」


 彼女が元気に頭を下げる。

 僕は彼女の変化についていききれず、


「あ、ああ、また。行ってらっしゃい」


「……行ってきます、越名さん」



 スカートを翻し、美少女が去っていく。

 バタンと扉が閉まると、思わず僕はため息をつく。

 急に静かになったせいで、やけに音が反響してきた。

 そこで僕は、


「……あんな可愛い子が、なんで僕の介護なんか……?」


『好きで、やっているので』


 彼女の言葉を思い出す。

 それは、つまり、僕に惚れているとでも言うのだろうか。

 ……いや。

 それこそ、なんでだ?

 さすがに都合よすぎ。ないない、それはない。

 

 でも、記憶を失う前の僕に関係あるのは間違いないわけで。


 ……うっ。


 僕はますますわからなくなり、結局考えるのを止め、通院の準備を再開した。




◇◇◇

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