16の5話  ……プロポーズ。』

◇◇◇





「一体どういうことだ、苺途いちずッ!?」


 すっかり日も暮れた頃。

 我妻あずま家まで苺途を送り届け、タクシーを降りた僕たちは、

 派手な服装のイカツイおじさんに、鬼のような形相で問い詰められていた。


「何の連絡もなく家を空けるとは! それに、それにその……」


 プルプルと怒りに全身を震わせた体格のいいおじさんは、僕を指さし、大声で。


「こ、こんなどこの馬の骨とも知れない男と、優雅にタクシーだとッ!? ゆ、許さんッ! 絶対許さんッ!!」 


「……誰?」

「……う、お父さんです……」


 顔を真っ赤にしながら、苺途が言う。


「お父さんッ!?」


 似てなッ!


 喉まで出かかった言葉を、僕は慌てて飲み込む。

 どうあがいても、事態を悪化させるのが目に見えている。


「あの!」

「……ッ!」


 こういう時は、きっとこうするのが筋ってものだろう。


「初めまして! 越名こしな一瑠いちるといいます! なんというか、娘さんとは学校で仲良くさせていただいていて、……その、どうしても彼女と話がしたくて、僕の勝手なんですけど、祖母の墓参りに付き合ってもらってたんです! だから、苺途さんは悪くありません! 全部僕のせいです!」


 しゃちほこ張って硬く頭を下げる僕。

 苺途のお父さんはというと、突然かしこまって謝罪をした僕に面食らったらしく、


「……そ、そうだ! 何もかも君のせいだ! 君が苺途と○○ランドになんて行ったから、そのせいでこの一週間、苺途が学校を休んで、家中のお菓子をやけ食いし……」


「おおお父さんっ!? 何馬鹿なこと言ってるのっ!? しーっ、しーっ!」


 動揺のあまり苺途に矢が飛んでいる。

 焦ってお父さんの口を塞ぐ苺途に、僕はなんとも微笑ましい気持になりつつ。

 


「第一、そのカッコはなんだっ!? 男物の服なんて着て! いかがわしいことがあったと言っているようなものだろうッ!? ……この際、はっきり言ってもらおう、君は、苺途の、何なんだッ!?!?」



 続いた言葉にぎくりとする半面、はっきりと言ってしまいたい欲求が心を支配した。


「やましいことは、何もありません。誓って手出しなんてしてません。ただ、娘さんと僕は……、僕は……」


 スッと息を吸い、



「「『彼氏彼女』『婚約者』になったんです!」」


 

 僕と、苺途の声が重なる。


 ……、


 ん?

 

 おかしい。

 揃って言った所まではいい。

 でも、言ってる内容が微妙に一致してないというか。


「「え?」」


 ……もしかして今、婚約者とか言いました、苺途さん?


 視線に困惑を乗せて見つめると、

 二人の間にあった齟齬に気が付いたらしく。

 次第に、苺途の顔が真っ赤に染まり。


「~~~~~っ!!!!」


 両手で顔を隠し、しゃがみ込んでしまう。

 呆気にとられる僕と、苺途のお父さん。


 言葉にならない言葉で悶えた苺途は、「ち、違うのっ」と、蚊の鳴くような声で。


「嫁とか、大切な人とか言うから、……わたしてっきり……、そういう意味だと……」


 覆った手の隙間から、うるうると今にも泣きそうな瞳をちらつかせ、


「……ごめんなさい……」


 彼女が心底恥ずかしそうな顔をする。

 僕は紛らわしい言い方をしてしまった謝罪をしようとして、

 

「…………」


 言葉を止めた。


 気付いたのだ。



 そうか。

 僕は、キミと。



「……謝らないで、苺途」


 膝を折り、彼女と同じ高さの目線になる。

 今にも泣きだしそうな彼女の首を、僕は気が付くと抱き寄せていた。



「……そんなに僕と、結婚したい?」



 耳元で囁くように問いかける。

 苺途は、「なっ」といつものツンデレを発動し、


「……何言ってるの一瑠くんっ、……そんなわけっ」


「僕は、したいよ」


「……っ!」


 両肩をそっと押して身体を離し、僕は苺途と向かい合う。

 鼻と鼻が触れるほど近い距離で、

 美しい彼女の瞳には、僕だけが映っている。


「最初も最後も、僕は、キミがいい。……キミだけがいい。キミだけが、ずっと欲しい」


「キミは、どう?」


「……」


「……もしキミが同じ気持ちなら、僕はどんな犠牲も、努力も惜しまない。僕の人生の全てを賭けて、僕はそれを叶える。例え何かを手放すことになっても、後悔しない。だってキミは僕の……」


「たった一人の、僕の大切な人だから」


 迷いは無かった。

 苺途は少し俯いて、


「……したい」


 次の瞬間、泣きながら微笑んで言う。



「……いちるくんと、結婚したいっ」



 その時、それがあたかも決まっていたかのように。

 僕の運命だとでも言うように。

 不思議なほどぴったりと、しっくり来ている自分がいて。


 不安も恐れも、全てが消え去った後に、ただ一つ、


 彼女を守りたいと思う気持ちだけが、僕の真ん中にあるのがわかった。


「苺途」


「結婚してください。……僕の、……僕のお嫁さんに、なってください」


 

 それは、僕の人生を決める言葉。

 苺途の人生を背負う言葉。


 世間とか常識とか、いろんなものに抗う言葉で。

 一人が二人になる、魔法の言葉だ。


「……はい」


 彼女は大きな瞳いっぱいに涙を貯めて、


「……できるだけ、はやくがいい」


 

 その純粋で、無邪気な言葉が、僕の重荷を取り払ってくれる。


「……りょうかい」


 ずっと嫌いだった世界の色が、笑ってしまうほど鮮やかに輝いて見える。

 

 固まったままのお父さんの姿も。

 いつの間にか覗いている、苺途の家族らしき女性たちも。

 道端の様子も、夜空の星も。



 全てが愛おしく、大切なものに思えた。



 これから、始めよう。


 キミと歩く、これからを精一杯生きよう。



 そして、キミを。



 ――幸せにしよう。



 僕の全てに、いのちに代えても。







 ◇◇◇




 視界が、霞んでいる。

 目に映るものは全て白く、次第に輪郭がはっきりとしてきて、自分が見ているのが天井であることがわかる。

 耳元で、甲高い電子音が、ピ、ピ、と鳴り続け、不思議と安心するような気持ちになる。


 ここ、どこだろう?


 目だけを動かして、辺りを見回すと、どうやらそこは病室……、


「……っ!!!」


 がしゃんと何かが落下した音がして、


「……いち……るくん?」


 不意に声が聞こえ、僕は声のする方へ視線をやる。

 視線の通り道で、白いシーツにくるまれた自分の身体を発見し、自分が今、手足を固定されて病室のベッドに寝ていることがわかった。

 その脇に、綺麗な長い黒髪の少女が、驚いた顔で僕を見おろしていて。


「……っ、いちるくんっ、……いち……っ……くんっ」


 僕の顔を見た途端、急に泣きはじめた。


「……よかったっ。本当に、よかった、目を……覚ましてくれてっ」


 何かに安堵したのか、僕の固定されていない方の手が彼女に握られる。

 その温かさに僕は戸惑って。


「あの……」

 

「……待ってて、今、お義母さんと越名先生を呼んで……」


「……どちら様、ですか?」



「……え……?」


 少女は、時が止まったかのように、動きを止める。

 僕は、それにすら戸惑わずを得ない。

 だって。


「……僕、……だれですか?」


 わからないのだ。

 何も。

 自分が何者で、どんな名前をしていたのかさえ。

 この場所がどこで、どういう経緯でここに来たのかさえ。


 そして、

 僕の手を握るこの少女は、一体誰なのか。


 僕には、何も。


 何一つ。



「わからない。わからない。 わからな……っ、 ……っ!」



 パニックになり、もともと白んでいた視界が、急に白くなる。

 全身の感覚が薄くなり、身体が軽くなる。



「いちるくんっ? ……いちるくんっ!」



 気を失う前に覚えていたのは、必死に呼びかけてくる少女の、泣き顔だった。

 そしてそのことも、次に目を覚ました時には、覚えていない。







 

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