17の2話  理由』




 ◇◇◇



「……あの……」


 シルバーの外国産高級セダンの後部座席。

 レザーシートやウッドパネル。あまりにラグジュアリーなその空間に居心地の悪さを感じつつ、僕は運転席の、かなりパリっとしたスーツの女性に向けて声をかけた。


「……な、なにかしら?」

「……一応確認なんですけど。本当に、大丈夫なんですよね、あの子?」

「あの子、とは? 誰のことかしら」

「……その、毎日家に介護しにきてくれる、あの……」


 いくらか具体的に言うと、スーツの中年女性はミラー越しにハッとした顔をする。

 まるで傷ついたかのような反応に違和感を覚えつつ、


「……実はいかがわしいビジネスの一部とかで、あとで法外な請求が届いたり慰謝料を求められたりとか……」

「それは、ないわ」

「……で、ですよねー」

「……ない、どころか、その言い方はあんまりというものよ。苺途いちずさんは私が信頼するに足ると認めた数少ない人物。なのに貴方は、そんな子を風俗呼ばわりなんて、恥を知りなさい」

「う、で、ですよね! ……すみません!」


 語気に不満の色が混じったのを感じた僕は、反射的に謝ってしまう。

 どうにも、不思議とこの人の口調には、何かしらのプレッシャーみたいなものを感じる。

 

「本当に、すみませんでした! 以後はそんなこと絶対思わないようにしますんで! ……えっと、その……、……母さん」

「……ッ!」


 先日紹介してもらって知ったことだ。この女性は、どうやら僕の、母親なのだそうだ。

 でも、僕は全く実感がなく。

 母親なら、こうするものだろうと、誠意を見せる方法として、何気なく呼んでみることにした。

 しかし、女性は途端に動揺した様子で。


「……ごめんなさい。少し、化粧直しに寄るわ」


 急激に車を減速してコンビニに駐車し、弾かれたように店内に入っていく。


 その横顔が、銀色の眼鏡越しに泣いていたことに、


 僕はどうしても、気付いてしまっていた。




◇◇◇




 病院は今日もやたら混んでいて、ほとんどが待ち時間に消化された。

 カウンセリングも、身体の検査もまちまちで、ようやく家に帰宅した時には、くたくたになっていた。



「おかえりなさい、越名こしなさん」



 扉を開けると、今日の朝と寸分たがわぬ可愛さの笑顔で、彼女が僕を迎えてくれる。


「夕飯、出来てますから。……早く、手を洗ってきてください」


 彼女に促されるまま僕は、夕食をともにいただき。

 そして、夕食後のリビング。

 その何気ない、合間の時間に、ふと疑問に思ってきたことを尋ねてみることにした。


「あのッ」

「……なんですか?」


「どうしてキミはいつも、ここまでしてくれるの?」


 僕の質問に、彼女はゆっくりと振り返る。

 繊細な黒髪が艶やかに揺れ、


「……どうして、だと思いますか?」


「……わからないんだ。ただのお隣さんにしては、身内にも知れるほど親交があったみたいだし。……あのさ、……もしかして、僕たち」


 僕は尋ねる。

 それは、記憶が無いなりに様々な情報をつなぎ合わせた、僕なりの仮説。


「恋人同士だった、とか?」

 

「……」


 彼女の済んだ瞳が僕を見つめる。

 何かを咎めるような、傷ついたような、そんな揺れ方でゆれるその瞳。

 しかし一コンマ後には、

 


「……残念ながら、……違いますっ」



 また、いつもの綺麗な笑顔で笑う。


「……う、そ、そうですよねー! ごめん変なこと言って!! どうしても理由がわからなくて、ホントに確かめてみただけで! 他意とかは絶対ないからッ!」


 焦って早口になる僕を、彼女は「大丈夫です」となだめつつ。


「……そんなに、理由が欲しいんですか?」

「ええ、まぁ。……なんというか、得体の知れないご褒美は、かえって気持ち悪いというかなんというか。その……キミみたいな可愛い女子高生が理由もなく、こんな男の世話を焼いたりはしないというか。……とにかく、何か他に理由があるなら教えてほしく……」


「あるにはありますが、ガッカリしないでくださいね?」


 僕の言葉を遮って、彼女はまた、その国宝級の笑顔を向けて。



「……私はただ、あなたの側に居たいだけです」



「……」


 それきり、僕は何も聞けなかった。

 本当に聞きたいことは、実はもう一つあったのに。


 彼女が帰宅した後、落ち着かない僕は、改めて今の状況を言葉で確認してみる。


 彼女の回答があまりにもシンプルで、解決したかった点が逆に謎を深めて。

 むしろそっちが気になってしまうというか。

 まぁ、もう一つの疑問は、また今度聞いてみればいい。


 だって、何より。



『……あなたの側に居たいだけです』


 ぼんやりと向けられた好意らしきものに、僕は一人浮足立つ。



 

 つまり整理すると、



 ……お隣さんの美少女が、なぜか僕に惚れている??






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