18の1話 『思い出せたことは、




「何か、思い出せたことはありませんか?」


「……いえ」


 病院の一室。

 僕の目の前には、白衣を着た壮年の医者だけがいて。

 いくつかの問診を受けた後に、聞かれる質問。


 でも、そんな定期カウンセリングのやりとりも、どこかすっかり定型化してしまっていた。

 担当医もどうやら僕のマンネリに気付いたのか、


「……越名こしなさん」


 今日は珍しく、別の質問が投げかけられる。


「正直な気持ちで構いません。事故以前のこと、思い出したいと思いますか?」

「それは、もちろんです。きっと周りの人達もそれを望んでいますし……」

「なるほど、周りの人はあなたに思い出してほしいと思っていると。……でも、ここで聞きたいのは、他者を挟まない純粋なあなたの気持ちなんです。そういうのを抜きにして、あなたは記憶を取り戻したいと思いますか?」


 担当医の重ねた質問に、僕はしばらく考え、


「……思い、出さなきゃいけないんです……」

「しなければいけない、ですか。どうしてそのようにお考えを?」

「…………」


 しばらく言葉に迷ってから、


「……僕を知ってたっていう周りの人、みんな誰かしら、僕と会うと泣いてるんです。泣いてない人の方が少ないくらいで……、だから、きっと、思い出す方がいいと思うので」

「そうでしたか。その人たちを泣かせなくない……それが、あなたの気持ちですか?」

「……はい。……そうだと思いますけど……」


 僕が言いよどむのを確認して、担当医は、


「そうでしたか。ありがとうございます、率直な気持ちを分かち合ってくれて。今日はこの辺にしましょう。あまり根詰めてもいいことはないですからね」


 肩をすくめていう担当医に、僕はほっと胸を撫でおろし、


「越名さん」


 続いて呼ばれた声に、顔を上げる。


「無理はしないでくださいね」


 僕はただ、会釈をするだけで、病室を後にした。



◇◇◇




 だだっ広いロビーを横切ろうとすると、


「あ、おーい! いちるん、こっちこっちー!」


 病院中に聞こえるんじゃないかと思うくらい、甲高い声が響く。

 なかなかに恥ずかしさを感じつつも、僕は声の主である派手なフリフリの格好をした女性と、声の主に負けず劣らず華やかな外見の金髪イケメンの元へ行く。


「……すみません、呼び出したのに遅れてしまって。……ええと」


 僕が名前を思い出そうとしていることに気付いたのか、


「……カケルだぜ? 気にすんなよいっち、こちとら待ち合わせくらいで、どうにかなる付き合いじゃねーからさ! な、さゆ?」

「そうそう。むしろ何度いちるんにすっぽかされたことが、わかんないくらいだよ? まぁその後必ずいちるんは埋め合わせしてくれたけどね」

「……え、じゃあ僕もなにか……」


 僕が焦って言うと、


「気にすんなって言ったろ、辛気くせーな。今日はいいんだよ、それよか、荷物持つぜ?」


 僕の肩掛け鞄を奪い、彼が歩き出す。

 あの……ちょっと松葉づえでは、そのペースつらいんですけど。

 僕が困っていると、


「許してあげてね? あれはあれで、だいぶ気を遣ってるんだよー?」


 いつの間にか、隣には彼女がいて。


「いちるんが事故に遭ってから、ずーっと、何かできることはないかって、カケル言い続けてたんだ。……だから今日は、傍から見てすごい嬉しそう。いやー純愛だねー」


 隣で彼女が笑って言う。

 その親し気な笑顔なら、きっと誰とでもすぐに友達になれそうだ。


「……そう、だったんですか。……さゆさんも、ありがとうございます、急なお願いだったのに、すぐに対応していただいて……」


 僕の言葉に、さゆさんは「なに、改まって?」と不思議そうな顔をして。


「いちるんの頼みだもん。優先するに決まってるでしょ、さゆもカケルも」


 再び、に、と笑う彼女に、僕はなんとなく思う。


 仲のいい友達、だったんだろうな。


 あくまでも、前の自分には。




◇◇◇




 さゆさんの運転するレンタカーで、僕らは街並みを見て周る。

 何かしらゆかりのある場所を探しては、記憶を確認して周っているのだが。


「あそこは? どうしても授業中にステーキが食べたいって言ったカケルに付き合って、講義ボイコットして、三人で入ったことあるよ? お店も料理も、さゆとは違う世界のものだったけど」

「……そうなんだ。……ごめん、覚えて、ないです」


 今さらながら、この案は失敗だったと思う。


 傷口を自ら広げるようなものだった。覚えていない、僕が言う度に、二人の表情が見るからに曇っていくのは、もっと早く想定すべきことだったのだ。

 このアイデア自体は担当医の入れ知恵だったが、正直ナンセンスだったと思う。


「……大丈夫だ、またきっと思い出せる」


 窓の外を見ながら、ぶっきらぼうにカケルさんが言う。

 声が震えて鼻にかかっているのは、最近の経験上、きっと気のせいとかではない。


「……本当に、すみません……」


 僕の沈んだ声に、さゆさんが慌てて、


「いちるんが謝ることないよ! ……だって何の責任もないことだし! それよりもほら、もう着くよ?」


 広大な駐車場におおざっぱにレンタカーが止まり、さゆさんが振り返る。


「……ここが、通ってる大学だよ、いちるん」


 窓越しに眺めた歴史ありそうなキャンパス。


 しかしそれは今まで見てきた街並みとは一線を画し、


「あッ……」


 僕は、思わず扉を開け、ドアに体重をかけながら身を乗り出した。


「……知ってる。……ここ、どこかで見たことあるかもしれません……」


「え!!」

「本当かッ!?」

「…はい。……よくわからないけど、見た事あります。夕暮れ時に、何度も、僕はこの景色を……」


 途端に二人とも破顔し、


「すごいすごい! これって、だんだん思い出してきたってことだよね?」

「きっとそうだ! 夜間部の俺達にとっては、夕方こそがキャンパスライフの始まりの時間だからな!」


 興奮した様子のさゆさんとカケルさんが言う。

 しかし、僕はカケルさんの言葉の端が妙に気になって。


「……あの、カケルさん、一つ聞いてもいいですか?」


 切り出すと、カケルさんはとても嬉しそうな顔で、


「なんだよいっち、もうこの際、何でも聞け! 貯金残高でもなんでも教えてやるから!」


「……じゃあ、その」

「おうよ!」


「……どうして、僕は夜間の教育課程を選んだんでしょう?」


「……ッ」


 言葉に詰まるカケルさんに、しかし僕は続ける。


「前々から、疑問に思っていたんです。どうして記憶を失う前の僕は、こんなにも予定をぎゅうぎゅうにしてまでバイトをしていたのか。貯金残高と母さんの経済状況を考えると、そこまでの必要はなかったはずなのに。……まるで、子ども、とか、絶対に誰かを養う義務を負っていたみたいな……」


 僕が「おかしいと思うかもしれないですけど」と付け加えると。


「……ぜんぜん、おかしくねーよ、そんなん」


 おもむろに、カケルさんが苦い顔をして、


「ちょっとカケル! 何考えてッ!?」


 焦ったように彼を止めに掛かるさゆさん。

 しかし。


「…俺、話すわ、いっちに。……だってこんなの、やっぱりおかしいじゃねぇかよ! アイツが一番大切にしてたものを、一番本人から遠ざけるなんてさ!」


 吐き出すようにして言ったカケルさんは、


「いいか、いっち。よく聞け。……お前がここを選んだのは、全部……」


「カケルやめてッ!!」


 悲鳴に似た一喝も、彼には届かず。



「……お前が学生結婚することを、選んだからだッ!」



 ……え?


「……がくせい、けっこん……?」


 意外な言葉に、僕はまるで外国語のように片言で呟く。

 続けてカケルさんは、


「そうだ! そしてお前は、その結婚相手のことを誰よりもッ……!」

 

「――ッ!?」


 その刹那。


 僕は、耐えがたい頭痛に襲われて。

 次の瞬間には、自分の身体の制御を失う。


 ガクッ。


「……」

「……え?」


 次第に薄れていく意識の中。



「……いち、……るん?」

「……いっちッ? ――いッちィィィィィッ!!!!」



 友人だという人たちが、悲痛な声を上げた。

 僕はなぜか妙に冷静で、

 また、周りの誰かが泣いてしまった、と。


 ただひたすらに後悔だけを抱いていた。




 ◇◇◇

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