18の2話  ありませんか?』




◇◇◇




 目を覚ます。

 見慣れた病室の淡白な天井が相変わらずそこにあって。


「……あ、目が覚めましたね、越名こしなさん?」


 カウンセリングでお世話になっている担当医が、僕を迎える。


「……先生、僕……?」

「そのままでいいですよ。気分はどうですか?」

「ええと、多分大丈夫だと思います……あれ?」



 次に目に入ったのは、なぜか僕に好意を寄せてくれる、お隣の美少女。



「……どうしてキミが、ここに?」

「越名さんが心配なので、来てしまいました」


 いつも通り穏やかに微笑みながら、彼女が言う。

 彼女の後ろには、母さんや兄さん、友人だという二人がいて。


 ……あれ、この光景、どこかで見たような。

 いや、気のせいか。


「……みなさん、どうしたんですかこんなに。えっと……」


「私が呼んだんです、越名さん。あなたといくつか確認したいことがあったので」


 担当医はそう切り出すと、


「……気を失う前のことを、覚えていますか?」

「前……、ですか?」

「ええ。直前まであなたが何をしていたか、思い出してみてください」

「そうですね……」

 

 僕は靄のかかったような記憶を探り、

 

「……大学に行ってました。……カケルさんと、さゆさんと、……レンタカーで大学に……」


「……ッ!」


 僕とお隣さんの美少女を除いて、その場にいる全員が息をのむのが伝わってくる。

 事態を飲み込めない僕に、担当医は、


「……思い出せるのは、それだけですか?」

「……はい」


「そんなッ」

 

 漏れてきた母さんの声は、今にも……、いや。

 言いながら、気付いてしまった。

 お隣の美少女を除いた全員の様子。

 みんな赤い目をして、


 ……今まで、泣いていた?


「……ではよく思い出してください。大学で、あなたはカケルさんに何かを尋ねませんでしたか?」

「ええ、はい……」

「どんなことを尋ねたんですか?」

「……その、僕が、夜間を選んだ理由を……」

「その問いに対する、カケルさんの回答は?」

「ええと……」


 僕はあらかた記憶に検索をかけ、


「……覚えていません」


「……くッ」


 先ほどと同じだ。

 驚きと、痛み。

 理由がわからないけど、

 その場にいた人達が、僕の発言に傷ついている。


「すみません、どういうことなのか説明を……」


 困惑した僕の問いからは、

 誰も目を合わせてくれなくて。

 誰もが俯いている。

 

 ……彼女以外は。


「繰り返しになりますが、先に謝らせてください。実は、今、越名さんにはある仮説の検証にお付き合いいただいていたのです。そして、おそらく、それはたった今観測されました」

「……仮説? どういう、ことですか?」


 僕の問いに、担当医はなぜかお隣の美少女へ向き直り、


「……今、本人へお伝えしてもよろしいですか?」

「……はい。よろしくお願いします」


 彼女は、困ったように笑う。

 僕にはその意味が全く理解できない。

 担当医は姿勢を正して向き直り、


「……越名さん、次の質問、聞き覚えありますよね? 『何か思い出せたこと、ありませんか?』」

「ええ。もちろん……」


 それは、幾度となく繰り返されてきて、まったく成果を見いだせなかった質問。

でも、なぜ今さら?

 僕が疑問に思っていると、


「実は、この質問の前には、多かれ少なかれ、必ずある事柄についてあなたに伝えていたんです。しかし、あなたは決まって聞いた内容を覚えていない。……お気付きですか? あなたには、記憶を失ってから記憶できない、いや、脳が記憶を拒んでいる事柄があることを……」


「……え?」


 何を言っているのか、わからない。


「大方見当はついていたのですが、今回の一件で、ようやく確認できました。事実あなたは、今、検証についての記憶が全くない。みなさんにも見ていただきましたが、それが、何よりの証明です」


 担当医は、淡々と述べる。


 再度僕を「越名さん」と呼び、


「気絶したのは、今回が初めてではありません。そしてなにより……、たった今、あなたは気絶したばかりなんです」


「……それは、どういう?」


「これ、3回目なんです」


「……え?」


 僕は言葉を失う。


「大学で気絶して病室で目を覚ました後、私は意図的にある事柄についてあなたに質問したり、伝えたりしてきました。もちろんあなた自身から了承をいただいています。これがその同意書です」


 掲げられるA4の1枚の紙。

 そこにはたくさんの文字の下に、僕の署名が書かれていた。


「あなたはその事柄について話題が出ると、決まって瞬間的に記憶が飛んでいました。そして無理に続けようとすると、気を失う。そして、ヒドイときは出来事そのものを忘れているんです。それが、2回繰り返されました。ですから、今は3度目なんです。……つまり」


「おそらく、思い出すことを拒んでいるのは、あなた自身なんです」


「……僕、自身? どうして?」


「それがきっと、命の危険をいとわないほど、大切なものだったからです。身体は、あなたが記憶を取り戻したらまた同じようにするだろうことを、わかっている。だから潜在的に避けているのかもしれません、あなたの意志とは無関係に……」


 胸が痛い。

 まるで、自分のことじゃないみたいな話だ。

 でも。


「……あの」


 尋ねる声が、無意識に震えている。

 それでも僕は、どうしても、確かめてみないといけなかった。


「ある事柄って、何ですか?」


 担当医が、初めて目を逸らす。


「……今、私の口からは、お答えできかねます。これまでの説明も全て、忘れてしまう可能性もありますし。……それに」


 ちらり、と彼は後ろを見やり、


「これ以上は、もうよしましょう。傷つく人も出てきますし。……あなたの身体も、きっと疲れているはずです。……苺途いちずさん」


 そこで彼は、なぜか彼女の名前を呼び、


「1週間、間をおいてみましょう。……時間がたったら、あなたの口から直接伝えてみてください」


「……わかりました」


 彼女は僕へ振り向き、


「……少しだけ、お預けということですねっ?」



 沈んだ病室の空気の中で、

 彼女だけが。

 心許ない僕の心を見抜いたかのように、微笑みかけてくれた。



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