16の2話  ホームポジション。



◇◇◇




「……どうしよう……」



 平日の昼下がり。

 本来なら、家にいることのない時間に、あろうことかパジャマ姿のままひきこもり。

 軽い罪悪感と、それでもすぐさま甦る胸の痛みと。


「……先輩……」


 この一週間、ずっと彼の顔が頭から離れない。

 あんな風に言ってしまった手前、自分から話しかけるなんて以ての外だし。

 何よりも、先輩に拒絶されることが、私は怖かった。

 そんな状態で、完璧少女なんて演じられるわけもなく。


「……それでサボりとか、本当サイテーね、私……」


 誰もいない家の中、一人膝を抱えてうずくまる私。

 

 もう、このまま、ずっとひきこもってればいいのかしら。


 すっかり思考が自暴自棄になり果てたくらいだった。



 ――ピンポーン。



 鳴り響く電子音に私は、のそのそと身体を動かし、扉に向かう。

 

 これは、宅配だ。


 たしか、米華がネットションピングでコスメを注文したとかなんとか。

 今日届く予定みたいだから、受け取っておくよう言われてたんだった。


 私は何の疑いもなく、カメラを確認することなく鍵を開け、


 ガラガラとスライドドアを開け放ち、


「はー……」



 この一週間、心に描き続けた人物と、対面する。



「……い?」


 え?

 思考が停止して、状況が上手く理解できない。

 でも。


 そこにいたのは、どこからどう見ても、制服姿の越名こしな先輩で。


 走ってきたのか、肩で息をする彼と、


 さっきまで寝てた感満載のパジャマ姿を披露する私……って!


「はっ、はわああああっ!? せせ、先輩っ!? どうしてここにっ!?」


 慌てて扉の陰に身体を隠す。

 

 見られた?


 もこもこでふわふわで猫耳の、私お気に入りのぐーたらパジャマをっ!?


 頭のてっぺんからつま先まで、熱い血液が即座に循環するのを感じる。

 先輩の反応はというと……、


我妻あずまさんッ」

「ふぇっ!?」


 不意に伸ばされた手が、私の手を捕える。

 私に負けず劣らず、熱い感触がした。



「……キミに、来てほしいところがある」




◇◇◇




 バタンと扉が閉まり、タクシーが走り出す。

 タバコの匂いを、消臭剤で中和したような独特なにおいが、鼻につく。


 ……え?


 隣に座る先輩の姿を横目で見ながら、私は密かにパニックになる。


 いやいや!


 何コレ!?


 勢い余ってついてきてしまったけど、どこ連れてく気なの?


 私、まだパジャマなんですけど!


 スッピンなんですけど!?


 等の先輩はというと、さっきからずっと窓の外見てるし。

 

 ……まさかこのまま、人気のないところへ連れていかれて破廉恥なことをっ!?



 などと、もやもやと色々なことを考えていると、

 タクシーが停車し。


「来て」


 言われるがまま降車すると、そこはごくごく何の変哲ものない一般的なアパートがあり。


「どこですか?」

「僕の家」

「ああ、先輩の……って!?」


 いきなり家っ!?


「入って」

「なっ! せ、先輩! 私にも心の準備というものがっ」

「いいから、ほら」


 再び手と手が接し、私は先輩に手を引かれて開錠された入口をくぐる。

 良く言ってとても整理された、悪く言って物が少ない部屋の中は、なんだか先輩の匂いがして、不覚にもドキドキしてしまう。

 先輩はそんな私の様子を気にも留めず、


「じゃあ、脱いで」


「――っ!?!?」


 とっても真面目な顔で、信じられないようなことを言ってきた。

 私は頭が真っ白になり、顔は真っ赤に染まって、


「な、なな何言ってるの先輩っ! そんなことできるわけない、早すぎるでしょっ!? こ、こういうのにはちゃんと順序というものがっ……!!!」


 すっかり動揺した私は、よくわけのわからないことを口走る。

 そんな私へ、


 とん、と。

 手渡されたのは、パーカーとジョガーパンツと帽子?



「着て。……その服じゃ、ちょっと不安」

「え?」

「そこの洗面所使って着替えて、ほら」


 想像とのギャップに拍子抜けし、言われるがまま着替えてしまう私。

 

 び、びっくりしたー!!

 何よ、先輩のばか、言い方が紛らわしいじゃないっ。


 安心とよくわからない苛立ちに気持ちをかき乱されつつ、


 でも、なんで改めて着替えなんか?

 

 「あの、着ましたけど……」困惑したまま彼に声をかけると、


 シュー、シュー。


 間髪入れずに何かをスプレーされる。

 

「え、……えっ?」


 一層混乱の渦に落ちていく私に、


「これでよし」


 虫除けスプレー片手に先輩は、ようやく少し満足そうな顔を見せた。




◇◇◇




 私と先輩を乗せたタクシーが再び走り出してから、もう30分は経過している。

 いつしか周囲の景色からは建物が減り、今ではもうすっかり森だ。

 そう思っていたところで、車が止まる。


「え、ここ?」

「まだ。でも車で来れるのは、ここまで。……降りて」


 先輩の言葉に、タクシーを降車する。

 改めて足を踏み下ろしたその場所は、なんというか、めっちゃ森だ。


「では、また30分後に……」

 

 タクシー運転手といくつか会話を終えたらしい。先輩がタクシーから私の元へ近づき。


「行こう」


 手を差し伸べて私に呼びかける。

 私は少し迷ってから、その手を取った。

 優しい彼の印象とは違った、力強い手だった。


 木々がうっそうと茂った獣道を、ひたすら歩く。

 路面はもちろんガタガタだし、傾斜もある。ほどほどに手入れされていない雑草が時々足首をかすめて、先輩の言う通り、着替えておいてよかったと思う。

 彼の後ろを、手をつないだまま、ずっと歩いて。

 その間、先輩は何も言わず、しかし触れる手の暖かさや気にかけられた歩くペースが、なんとも彼らしいと、私の胸が温かくなる。


「見て」


 先輩の声に顔を上げると、


「わあ……」


 そこは小高い山の頂上で、私たちの住んでいる街が一望できた。

 昼下がりの日がキラキラと輝き、照らされた灰色の街並みも反射して綺麗にすら見える。

 心地よい風が私たちの間を通り抜け、


「あそこ」


 彼がある場所を指さす。

 今いる場所から少し下に降ったところに、墓石が棚状に整備された空間があって。


「……お墓?」


「そう。祖母のお墓なんだ、……僕の」


 先輩が笑う、少し悲し気に。



「話、してもいい? 僕の祖母と、母親について」









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