16の1話 『友達と、
翌週まるまる、
完璧美少女の突然の沈黙に、校内では病気だの、短期留学だの、勝手な憶測が飛び交って。
僕はそれを横目で眺めながら、そっと耳を塞ぐ。
聞きたくない。
僕だって詳しくはわからない。
でも、これだけはわかる。
僕は、我妻さんを傷つけた。
僕が、我妻さんを傷つけた。
本当は、心のどこかで安心しているのかもしれない。
今の僕は、どんな顔で彼女に会えばいいのか、どんな言葉をかけたらいいのか、全く見当もつかない。
だから、少しでも会う時間が伸びてしまった方が……。
「ねぇ、……ねぇ、ってばっ! 聞いてる、いちるん??」
我に返ると、隣にはいつの間にかさゆがいて。
「……大丈夫? 顔色真っ青だよ? ……保健室、一緒にいこうか?」
短い眉をハの字にして、心配そうに僕を覗き込む。
「大丈夫。……ちょっと考え事してただけだよ。……ああ、もう休み時間終わりだな。そろそろ教室に……」
「待って」
踵を返そうとした僕の袖が、控えめにつままれる。
「じつのとこ、行き先は保健室でもどこでもいいんだ。……ね、現国、サボっちゃおうよ? そこで、そんな表情してる理由のほんの少しでも、さゆに教えて? ……だって、……私たち……」
「友達でしょ?」
言ったさゆは笑っていた。
でもどうしてだろう。満面の笑みで笑っているのに、その笑顔はどこか悲し気で。
それはまるで、今の僕の心情に似ていた。
◇◇◇
「……聞くんじゃなかった」
場所を屋上に移動して。
我妻さんとの一件をあらかた伝え終えて、さゆが開口一番に苦言を漏らす。
「……ごめん。自分でもしょうもないことだってわかってるんだけど……」
「そういう意味じゃなくて。……なんだかなぁ。死人に追い打ちをかけるような真似、さゆはどうかと思う、って……ごめん、今のはあくまでも個人的な独り言。……なので忘れて?」
「……? ああ、うん。わかった」
「絶対ね? 絶対思い出しちゃだめよ?」
さゆは何故か強く念押しした。
その表情に込められた必死さに、どんな意味があるのか気になったけど。
彼女の目が、それをゆるしてくれない。
「……で、今の話。整理すると、我妻さんに誘われた先で、いちるんは我妻さんを傷つけることを言ってしまって。……でも、いちるんには、何が泣くほどまでに我妻さんを傷つけたのか、わからない。……そういう話だね?」
「うん。……確かに無神経なこと言ったとは思う。……でも泣かれるほど嫌だったなんて、理由が全然わからないんだ。……唯一考えられるのは、我妻さんには結婚を望むほど好きな人がいて、……その人への想いを、せいぜい友達以下の僕が汚してしまったから、くらいで……」
「ぷっ」
ふいに漏れた吹き出し音に、僕はさゆが笑いを堪えていることに気付く。
「え、何笑い? ちょっとさゆ、さすがに僕だって今回ばかりは怒るよ? 本気で悩んでるんだから!」
「本気で悩んでるから、可笑しいんだよ? ……あー、もう。……やっぱりいちるんは、どこまで行ってもいちるんなんだね。……なんか、安心した」
さゆが微笑む。
その笑みは、何年か前、初めて僕に話しかけてきてくれた時と同じで。
とても人懐っこくて、どこか僕を安心させてくれる。
さゆは僕の両肩に手を置き、
「……いい、いちるん、これから私が言うことをよく聞いて?」
困惑しながらも僕は頷く。
さゆは満足気にもう一度微笑んで、
その小さな唇から。
「……好きだよ」
「え?」
「いちるんは、ちゃんと我妻さんのこと、……好きだよ?」
「…………」
彼女を見つけるたび踊る心も、交わす他愛のない言葉も。
初めて彼女の笑顔を見た、あの瞬間から。
何もかも、僕の全てを、変えていく。
それが恐ろしくて。
ただの執着なら失礼だと。
恋である確証なんてどこにもなくて。
そのくせ一人前に、嫉妬だけはできてしまう自分の中途半端さが。
出会うたび魅力的になる、我妻さんの一挙手一投足が。
どうしようもないほど、僕を狂わせていて。
どうしようもないほど、僕を突き動かす。
今、やっとわかった。
いや、本当はもっとずっと前からわかっていて、見ないふりをしてきただけだ。
認めたら、僕は僕でなくなるから。
何にもこだわらない、何も求めないぬるま湯の自分を、否定しなければいけなくなるから。
でも、今、僕は選んだ。
僕は変わる。いや、もう変わってしまった。
だって。
これが、きっと、恋というものだから。
「……我妻さんに、伝えたくないの? わかってほしいと思わない? 茶化したみたいな言葉じゃなくて、ちゃんと等身大の、いちるん自身の言葉で……?」
僕は何も答えなかった。
答える必要すらなかった。
さゆは僕の顔をじっと見て。
「……もう、決まったの?」
「うん。……僕、我妻さんに会いに行ってくる」
「そっか。……なら、ハイ」
手渡されたのは、一枚のメモ。
「これは?」
「さゆは、こんなこともあろうかと、完璧美少女の個人情報を入手してみたりっ」
「何でっ!?」
あまりの準備の良さに、僕はさゆの将来が若干不安になるが。
「行ってらっしゃい、いちるん。……撃沈しても、骨なんか拾ってあげないから、ちゃんと燃え尽きてくるんだよ?」
そっと僕の背中を押し、手を振る彼女に。
「さゆ。……ありがとうっ」
◇◇◇
あっという間に小さくなる彼の背中に、私は緊張の糸が切れ、その場に崩れ落ちる。
「あれっ?」
気が付くと頬を涙が伝っている。
なんだこれ。
なんだこの、胸の痛み。
先ほど自分の言った言葉が、反射的によみがえる。
『……好きだよ』
『……伝えたくないの? わかってほしいと思わない? 茶化したみたいな言葉じゃなくて、ちゃんと等身大の……』
あ、そっか。
これが、巷でウワサの、特大ブーメランってやつなんだ。
刺さるなー、これ。めっちゃ痛いよー。
いちるんめ、いつか倍返しにしてやろうかー、なんて。
次々と溢れる出る涙やら鼻水に、私の顔はあっという間にぐちゃぐちゃになり、
「……いち、るん……いち、るんッ……いちるんッ」
大好きだった。
言えなかった。
あんなに近くにいたのに。
ずっと側にいたかった。
……でも。
「……がん……ばれ」
それでも私は、一人残された屋上で、彼の味方であることを選ぶ。
彼の、友人であることを選ぶ。
「……いちるん、がんばれ……っ」
たくさん、たくさん泣いて涙して。
いろんなもの、洗い流してしまえばいい。
それでも冷めぬ失恋の苦しみは、シュガーとミルクで誤魔化して、飲み干してしまえばいい。
彼が変わったように、私も変わるのだ。
だって私は、いちるんの味方だから。
これまでも、これからも。
◇◇◇
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