15の3話  気持ち』




「……ねー、君、女子高生―? めっちゃ可愛いねーっ! 奢ってあげるから、俺達と遊ぼーよ?」




 彼女を取り囲むようにして、背の高くてチャラい四人の男たちが、声をかけている。

「や、めてください、私には……」と彼女は小さな反論。しかし、


「いーじゃん細かいとこ気にしなーい。……ほら、あっちに完全予約制のレストラン確保してるからさ、君もよかったら一緒に……」



「――行くわけないだろ?」



 一瞬で、僕は沸騰した。

 無理やり肩を抱いて、強引に連れていこうとする筋肉質な腕。

 彼女の震えた手。

 それらすべてが、一切の迷いを断ち切るのに充分すぎるほど、腹が立った。


「あ? 誰?」

「――先輩っ!!」


 すかさず我妻あずまさんが男たちの間をかいくぐり、僕の背中に抱き着くようにして隠れる。


「あっ、なんだお前ッ! ……彼氏ッ!?」


 男たちが、顔にショックの色を隠さずに聞いている。

 ちゃんと冷静に考えると、彼らの反応からは、そこまでの悪意は感じられないのかもしれないが。


 でも悪いけど、今の僕はぜんぜん冷静じゃない。

 

「……いいえ?」


「ならいーじゃんか! 彼氏じゃないなら少しくらい話したって……」


「嫁」


「え?」


 ポカンと、間抜けな顔をする四人のチャラ男。

 その眉間に、特上のストレートをかますようにして。



「――僕の、嫁ですがッ、……何かッ!?!?」



 衝動的に、壮大で尚早で、最低な嘘をつく。


「なっ……、嫁……? 既婚……? うそ……」

「本当ですが。……なんなら、住民票でも取ってきますか?」

「いいいやいい! いいです! さ、さーせんでしたああああっ!!」


 そそくさと退散していく男たちの背中。

 自信満々なチャラ男たちを蹴散らしてやった爽快感に、僕はふっと一息をつき。


 ……。


 自分のやってしまったことの意味に、ようやく気が付く。

 僕はバッと音がするほど、慌てて後ろを振り返り、


「これはそのッ!! 筋力で劣る相手に勝つ方法は、相手の想像力を上回ることだって、何かの小説で読んだことあってそれでッ!! ……それ……で……」



 嘘をついた言い訳を、わめくようにまき散らす。

 言い終えるよりも前に、僕は気付いてしまった。


「……ッ!」


 我妻さんが、泣いている?


 両手で顔を覆い、俯いて隠すようにして。

 とてもとても、傷ついた声で。


「……せん、ぱい……っ?」


「……なん、で、あんな、こと、……言った、んですかっ?」

「……あ、我妻さんッ……、……ごめん、僕はッ、君を助けたくッ……」

「……だからって、あん、な、…………っ」


 我妻苺途あずまいちずが、その綺麗な顔をぐしゃぐしゃにして。


「……勝手なこと、言わないでっ!」


 大きな瞳から、無数の涙を重力の法則にまかせ、

 その芸術品のような顔を怒りで染める。


「……私の気持ちは、私だけのものっ! あんな人たちに安売りするために、悩んで苦しんで、想ってきたわけじゃないわっ!! ……もう、最低っ。 ……二度と話しかけてこないでっ!」 


「我妻さんッ!!」


 走り去る彼女、僕は追いかける。


 逃げ込むように人ごみへ入った彼女を、見失う。


 途中で落とし、踏みつけられたカチューシャが、罪の王冠のようだ。

 僕の罪深さを、淡々と強調し、



「……我妻さんッ!!!」



 夕暮れの夢の国。

 手のひらから目の前で零れていった幸せに、僕は。



 夢なら、早く覚めてくれればいいのに、と。

 世界の終りのような心境で、願うことしかできなかった。



 ◇◇◇




「はぁ、はぁ、はっ、ごほっごほっ……」


 走りすぎて焼ききれそうな喉が、気管が、肺が、私の抑えきれない感情の全てを代弁して、悲鳴を上げる。

 彼から離れたくて逃げ込んだ植え込みの陰で、私は先輩の言葉を反芻する。



『――僕の、嫁――』



 今ならわかる。

 痛いほど、わかる。


 それは、ずっと聞きたかった言葉。


 心が、望んでいた言葉。



 だって、


 ……きっと私は、先輩のことが好きだから。



 しかるべき時に、しかるべき場所で、


 ちゃんと順序を踏んで、大事に聞きたかった、宝物のような言葉。



 ……それなのに。



「……な、……んで? ……っ、なんでなの、せん、ぱい……?」


 とめどなく流れ出てくる涙に、私は悲しさや悔しさで感情がごちゃごちゃになる。

 ただ一つわかっているのは、切り刻まれたような心の痛みだけで。


「……うっ、……ばか、ばかぁ……うう……」


 流れる涙が、愛と憎しみの味がすることを、私は初めて知る。


「……わたしの、ばかぁ……っ……」


 『我妻さん』と。

 先輩の戯言に、ただつき合うだけの心地よい関係が、ずっと続けばよかった。

 『嫁なんて、何気持ち悪いこと、言ってるんですか』と。


 ああやっていつまでも、軽口を叩いていられればよかった。


 ……でも。



 こんな気持ち、知らなければよかった。

 気付かなければ、よかった。


 

 自分自身にまざまざと見せられた、先輩を想う気持ちの重さに。


 私はまだ、ちゃんと向き合えそうにない。








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