13の2話  私の終わり』

 

◇◇◇


「あ」


 バイト終わり。

 腹を空かせて目的もなく街を歩いていると。


「……ここ?」


 意に反して、見つけてしまった。

 僕のすぐ目の前に、さゆの言っていたケーキ屋が、繁盛店よろしく忙しそうに営業している。

 正直な感想は、めんどくさい、なのだけど。


 ぐー、とお腹が鳴る。

 昼食の弁当を食べてから結構な時間が経っているので、甘いものの誘惑に身体が勝てず。


「……よし。一人で買って食べてる画像を、さゆに送り付けてやろう、……ヒマだし」


 実利と暇つぶしを兼ねて、僕はケーキ屋に入店した。


 えーと、チーズスフレ、チーズスフレ、……発見。


 しっとりとした触感がウリらしい、二口くらいのサイズの美味しそうなスフレ。


 なんと後一個しか残ってないじゃないですか、これはすごくラッキー。運が良かったとしか言いようがないな。


 僕は最後のチーズスフレを手に取る。


 するとすかさず背後から、



「……あっ」



 焦ったような、困ったような可愛らしい声が聞こえた。

 振り向くと、そこにいたのは昼間の、


「……我妻あずま苺途いちず?」

「……っ! ち、違います、人違いです……っ」


 ウインドブレーカーのフードを深々と被り、怪しいいで立ちの完璧美少女さんが慌てて声を上げる。

 しかし、その美少女感はフードくらいじゃ隠し切れず、


「……いや、我妻さんでしょ? 何そのカッコ。減量中のボクサーか何か?」

「そ、そんなわけないじゃないですかっ! ……あ」


 そこでようやく彼女は、僕の顔に見覚えがあることに気付いたらしかった。

 彼女の表情が、一気に青ざめる。

 どうやら、僕というか、学校の人物には、この様子は見られたくなかったらしく。


「…………帰ります」


 そそくさと帰路に就こうとする我妻さん。

 そんな彼女に、僕はなぜだか無性にからかってやりたい衝動にかられ、


「……お、こっちのシュークリームのが美味しそうじゃん。……あー、でも甘いもの二つはいらないなー。……仕方ないから、どっちかは買わないで戻そうかなー?」


 視界の端で、ピク、と我妻さんの動きが止まる。

 

 ……かかった。


 僕はあえて大げさにわざとらしい様子で、


「んー、スフレか? ……やっぱシューか? いやー、どっちを戻そうか迷っちゃうなー」


 チーズスフレとシュークリームを交互に手に取りつつ、様子を伺う。


 僕がスフレを取ると、


「……っ!」


 我妻さんは、ぱああ、と霧が晴れるみたいに目をキラキラさせ、


 シュークリームを取ると、


「………」


 まるで受験失敗した学生さながらに暗い表情になる。


 ころころ変わる彼女の表情は、暇を持て余す僕には格好の遊び道具と化し、


「スフレ、シュー、スフレ、スフレ、からのシュ―!」


 高まりかけた喜びから突き落とされ、その端麗な顔を絶望の色に染める我妻さん。


「シュー、シュー、スフレ、シュー、からのスフレ!」


 絶望の淵から湧き上がる微かな希望にすがり、一瞬のおあずけからの至福の時に喜びむせぶ我妻さん。

 そのあまりにも幸せそうな表情に、僕は密かに笑いをこらえきれなくなり、


「うん。……やっぱ両方買おう」


「……なっ!」


 僕の用意したオチに、心底ショックを受けたらしく、思わず立ち尽くす我妻さん。さっき帰るって言ってたの、どこのどいつでしたっけ。


 本当、どんだけスフレ食べたいんだ、この人。


「ありがとーございましたー」


 会計を終え、僕は未だ売り場に貼りついて悲しんでいる美少女に、


「……はい、あげる」


 僕は買ったばかりのチーズスフレを、一つ差し出す。


「え……これ、なんで? いいんですか?」

「うん。これがお目当てだったんでしょ? ……あと、ちょっとしたイジワルのお詫びに」


 それは、僕にとっては特に理由もない、気まぐれの行動で。

 特別な意味も、感情も込められていない、いわばヒマ潰しの一種で。

 そういう、……はずだった。

 受け取った彼女の、表情を見るまでは。



「あの……ありがとう、ごさいますっ」



 僕の目を見て、心底嬉しそうな顔で。

 彼女は、目を線にして笑う。


 こんなに綺麗に笑える人を、僕は初めて見た。

 そして、見ながらにして僕は自分を疑う。


 笑った?

 あの、いつも仏頂面で、素っ気ないはずの我妻苺途が?

 完璧美少女と呼ばれ、手の届かない存在のように扱われている彼女が?

 初対面の人にぶつかっても、ちゃんとお詫びの言葉も言えない愛想のないやつが?

 本当に、同一人物なのだろうか。


 ……いや、と僕は気付く。


 きっと、この笑顔の女の子こそが、チーズスフレに一喜一憂し、甘いスイーツを自分のイメージと比較して恥じてしまうような、小心者で等身大な女の子こそが、彼女の姿そのものなのだ。


「……あの、私の顔に何かついてますか?」


 気が付くと、我妻さんがその無垢な瞳を至近距離で向けて来ていて。

 その可憐さに胸がどきりとする。


「……え! あ、……なんでもないよ。じゃあ、僕はこれで……」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」


 両手を広げ、僕を通せんぼする我妻さん。

 その行動の意味がよくわからない僕へ、彼女は、


「……わ、私だけ名前が知られているのは、なんだか気分が良くないわ。……えと、もしよかっ、……じゃなくて、……ここは当然、先輩のお名前を、教えてもらうのが筋だと思うんですけどっ?」


 片目を瞑りながら見上げてくる我妻さんは、いつの間にかまた完璧美少女のそれで、僕はなんだかとても残念な気分になった。


「そうだね。キミの言ってることはもっともだ」

「なら、先輩の名前を……」

「だが、僕は、」


「特に理由もなく、断る!!」


 踵を返し、早歩きで立ち去る僕。

 背中越しに遠ざかる彼女の声が、


「え、……あの! 先輩っ!? ちょっと!」


 焦ったような困惑したような色をしていて、僕は思わずにやついてしまう。


 ……もっと、彼女をからかってみたい。


 そうしたら、また、本物の我妻苺途に出会えるかもしれない。


 とりあえず、彼女に会ったら何とかしてデレさせてみよう。


 うん。なんか、とっても面白そうですね。


 ……などと、趣味の悪いことを考えつつ。


 僕は手に持ったシュークリームの包みを、そっと開けた。








◇◇◇




「……というわけで、あの完璧美少女の化けの皮を剥がすことに、今、僕は興味深々ってわけ。……だから、特に関係性とかないよ。きっとまた、そのうち飽きちゃう一過性のブームみたいなものだから」

「そう。まぁいちるんのことだから、そういう趣味わるいことだと思ってたけど」

「んー、まぁ否定できないね、それは。……あ」


 言葉を切った彼の視線を追うと、その先にいたのは、くだん我妻苺途あずまいちず

 いちるんが急に悪い顔をして、


「……ということで、僕、完璧美少女をからかってくる」


 嬉々として席を立つ背中を、私は見送る。


 きっと彼は、気付いていないのだろう。


 あんな活き活きとしたいちるんの顔、比較的長い付き合いの私でも、見たことがないということを。


 そして、はたから見て明らかな芽吹きの予感に、自称腐れ縁の女友達が感じる、今さら遅すぎる後悔の念。


 ……彼にだけは、知られたくない、私の密かな純愛を。


 彼にとっての春の始まりに、私、三ノ原さゆは、

 私にとっての春の終わりについて、そんな、とりとめのないことを、ひたすら考えていた。

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