12の4話 として』
◇◇◇
辺りはすっかり夕暮れで。
薄暗くなってきた景色に隠れるようにして、病院の駐車場を横切る。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
病院着に上着だけ羽織って、私はこっそりと病室を抜け出し、
呼吸もさっきからずっと苦しくなっているし、何よりも身体にまったく力が入らない。
病人を通り越して、もはやゾンビみたいな移動速度だ。
「……大丈夫ですか、お
「……心配、むよ……ッ!?」
足元がもつれ、私は危うくバランスを崩して転倒しそうになる。
寸前で苺途さんが受け止め、体重移動をしてなんとか体勢を立て直した。
「お義母さん、……もう、これ以上は……」
自分が泣きそうになりながら、苺途さんが言う。
私はその優しさを、
「……問題、ありません。……あの子に、続けてきた仕打ちに比べたら、こんなもの、まだまだ、生ぬるいはず、です、からッ」
そっと彼女の方へ手を伸ばし、
「行きます、よ、苺途さん。……もう少し、もう少しで、私は……」
「あ」
突然、苺途さんが声を上げる。
その声に呼応するように視線を持ち上げると、
「……あ……」
駐車場を抜けた歩道。
一車線だが車の往来が多い道路を挟んで、
横断歩道の向こうに、一瑠の姿が見えた。
その瞬間、私の心は安堵と、じわじわとせり上がってくる不安な思いで満たされる。
一体、どんな顔で会えばいいのでしょう。
どんな言葉で切り出して、どうやって伝えればいいのでしょう。
愛を示す方法など、遥か昔に捨てて以来忘れてしまいました。
それでも私は、今、再び母親として息子に会おうとしている。
今まで散々傷つけてきた、息子に。
また同じことを繰り返してしまうことが、たまらなく恐ろしい。
でも。
私に肩を貸して歩く義娘が、文字通り私を支えて歩いている。息子の元へと。
「一瑠くんっ!」
通りの向こう側に、レジ袋を持った息子がいる。
今まで、私が逃げ続けてきた息子。
彼は私達を見るやいなや、
「……苺途っ? ……それに、母さんッ!? 何してるんだ、こんなところでッ!」
本当に、困惑している様子だった。
しかし同時にその顔は、私へ向けたある種の緊張感のようなものが垣間見えて。
当然の反応だ、と私は思う。
彼の警戒心は、私が作らせたもの。
無意識に抱かせるほど、私が彼の今までを踏みにじってきた証拠。
どんなにあがいても、その罪が消えることはないだろう。
……でも。
私だっていまだに自分でも信じられない。
病院を抜け出したことは言うまでもないが、一方的に避けていたはずの苺途さんと共にいることに。
そして、私という冷血な人間が、ボロボロになってまで、息子に会いに来ていることに。
「…………」
「…………一、瑠………」
その名を呼ぶだけで、思い出せた。
生まれた時のこと、初めて立った時のこと、遠くから隠れて眺めた参観日。
「……一瑠……、……一瑠っ……」
母が死んで、どう接すればいいのかわからなかった夜。
毎晩欠かすことのなかった、一方通行の様子見。
それらがとめどなく溢れてきて、止まったはずの時間が、失ったはずの自分が、
巨大な感情の本流となって私に押し寄せ、私の全てを埋め尽くす。
まっすぐに前を見ると、一瑠と目が合った。
記憶の彼とは、比べ物にならないほど精悍で、
その姿は、もうどこから見ても、一人の大人だった。
「……大きく、なりましたね、一瑠」
歩行者用信号機が、青に変わり、
「……私は、……あなたをッ……」
動き始めた感情のまま、18年分の後悔と懺悔を込めて、私は息子の元へ歩みを……、
「あい……」
「「――――危ないッ!!!!」」
鋭く重なった叫び声。
死期を察した肉体が、全てをスローモーションに見せて。
右から減速なく直進して来るトラックに、私は瞬時に理解してしまう。
ああ、届かないのだ。
きっとこれは、最愛の子の痛みに鈍くあり続けた罰で。
どんなに後悔しても、どんなに前を向こうとあがいても、
私が母であるチャンスは、もう……、
「――お義母さんっ!!!」
後頭部から、抱きしめられる。
その細い腕には想像も出来ないような強さで、私に覆いかぶさるように、
……まるで、身代わりにでもなるように。
「……ッ!!」
そんな、イヤだ。
イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだッ!!
私が叶わないのは、報いだ。
でも、この娘は違うッ。
いるべき人だッ。
大切な一瑠のそばに、
何が何でも絶対に譲れない、必要なピースでッ、
ああッ、
神様、
お願いです。
どうか、この、
かけがえのない、
私の、かぞくを……ッ、
――ドンッ!!
鈍い音がして、私の身体が硬い物体に衝突する。
慣性で身体が後ろに倒れ、私を庇った苺途さんの上に崩れ落ちる。
私達はトラックにはねられ、見るも無残な形でこの世の生涯を……、
――いや、違うッ。
ただ、後ろに倒れただけだ。
私達はきっと二人とも無傷で、
その、代わりに……、
瞬間、目が合った。
もはやトラックと、触れんばかりの距離にまで接近する、投げ出されたその身体。
18年でずいぶん大人びた顔が、忘れたことの無かったその目が、
私達をトラックの軌道から逸らすため、命を賭することもいとわなかったその目が、
最後に、少しだけ、
笑ったような気がした。
「いちッ……」
――衝突音。
私の愛しい生命体が宙を舞い、
そして、ごみのように、ぐしゃりと落ちる。
放射線状に広がる血潮だけが、唯一の生物で。
私は、嗚咽すらできず、
ただ、開いた瞳から、
18年ぶりの、涙を流していた。
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