12の2話  として、

◇◇◇



「……う……」


 視界が、霞んでいる。

 目に映るものは全て白く、次第に輪郭がはっきりとしてきて、自分が見ているのが天井であることがわかる。

 耳元で、甲高い電子音が、ピ、ピ、と鳴り続け、不思議と安心するような気持になる。

 目だけを動かして、辺りを見回すと、どうやらそこは病室だった。


「……目が覚めた? 母さん」


 不意に声が聞こえ、私は声のする方へ視線をやる。

 視線の通り道で、白いシーツにくるまれた自分の身体を発見し、自分が今、病室のベッドに寝ていることがわかった。


「……急に倒れたっていうから、びっくりしたぞ、本当に。……でも目が覚めて本当によかった」

「……零、太?」


 ベッドサイドに立っている長男、零太れいたが私を見下ろしている。

 心なしか、その顔には安堵の色が見えた。


 そこで私は、ああ、そうか、と事態を理解する。


 前々から、産業医には注意するように言われていたんだった。三大疾病のうちの一つの疑いが、晴れて疑いではなくなったということか。

 自分で思うのもなんだが、無理もない。

 老体に鞭を打って無理に無理をかさねてきた結果、今の地位と財産がある。

 これはその代償であり、そして報いなのだ。


「……無用な、心配、を……ッ?」


 零太から目を逸らそうと、彼の立つ反対側へと目をやり、私は、思わず驚愕する。


「……な」


 そこにいたのは、

 私を最も恨んでいるはずの息子と、私が最も嫌われているはずの義娘で。


「……これは、……一体……?」


 二人は並んで私の身体に寄り添うようにして、すやすやと寝息を立てている。

 その手は、しっかりと私の手を握っていて。

 実際に見てからやっと、私の左手はその温もりを自覚する。


「……母さんが倒れてから、丸二日、ずっとつきっきりで、夜も起きたままだったんだ。……許してやんなよ」

「……二日……も、眠っていたのですか……」


 握られた自分の手と、久しぶりに近くで見る息子の姿を眺め、


「……」


私はなぜか気恥しくなり、そっと二人分の手を剥がそうとするが……、



「ん……んん、あれ、しまった! 僕ッ……」



 目を覚ましたらしい息子の声が聞こえ、すぐさま目を瞑る。


「ねぇ、兄貴、気のせいかな? ……今、母さんの声がしたような気が……?」


 うぐッ! 

 聞かれていた!?


 この状況で、私、この子と何を話せばッ!?


 私は内心冷や汗をかいて焦るが、


「……気のせいだな、気のせい。……まぁ、つってもそうだな、一時間前くらいに目は覚ましたよ。……まだ覚醒しきってないみたいで、すぐにまた眠りに入ったみたいだけどな」

「……そう、だったんだ」


 な、ナイス零太ッ! さすがは長男というものです!

 そしらぬ様子でしれっと嘘をついてくれる息子へ、私は密かに最大限の賛辞を贈る。

 思えばこの子は昔から、妙なところで気が利くところがある。


「なぁ、一瑠いちる。ちょっとさ、コーヒー買ってきてくれないか? 自販機の缶のヤツじゃなくて、コンビニにあるカップで出てくるやつ。……釣りは使っていいから」


 何かが私の足元に落ちて、一瑠らしき人物がそれを拾い上げる。


「……まぁ、いいけど……その……」

「なに警戒してんだよ、何もしねぇよ、我妻さんには。……お前、変なところでヤキモチ妬くよなー」

「……な、そういうのじゃないからッ! ああもう、行ってくるよっ」


 バンと、スライドドアがもう片方の緩衝材に跳ね返る音がして、足音が遠ざかる。

 私はそっと、目を開けて。


「……助かりました」

「いいえ? 別にいつも通り、だろ?」


 肩をすくめて笑う三十路の息子に、


「……前から聞きたいとおもっていたのですが」


「……貴方はなぜ、そんなにも私に協力的なのですか?」


 それは、彼がまだ10歳の頃から。

 祖母の元で暮らすように言った私に、零太は一切の反抗もせず。

 祖母が亡くなった際も、何の不満も漏らさず、弟の面倒を引き受けて。

 

 一瑠の結婚の話が出た時もそうだ。

 情報収集、情報操作、挙句にはわざわざ学校を転勤してまで、本人たちにバレないように一連の裏工作を行う始末だ。


 正直、私にはまったく理解できない。


 物心つく前の一瑠とは違い、零太には少なくとも、私が子どもを捨てる様が見えていたはず。

 それなのに、なぜ?


「……ふっ」


 零太は、そんな私を鼻で笑って、


「……なんでだと思う? ……母さん」


 すがるような少し悲しそうな瞳を、私へと向けてくる。


「……わかりません」

「そう言うと思ってたぜ、……そしてそれこそが、母さんを手伝う、俺の理由だよ」

「………」


 私は彼から顔を逸らし、


「……わかりかねます……」


 計り知れない息子の真意に気付けないことに、いや、気付けないふりを装ったことに自らを嫌悪する。

 相変わらず、私は最低の母親だ。



「……ん、んん……」



 くぐもった可愛らしい声がする。

 握られ続けていた左手に、微かな力が加わり、彼女が覚醒しようとしている。


「……あれ……? ……越名先生……?」


 先ほどと同じように、

 私は今一度、瞳を閉じてその場を乗り切ろうとする。


 が、


「……おはよー越名さん。……一瑠はお使い行ってるよ? でさ、俺も今、少しナースさんと話してこなきゃいけなくなったんだよな。……だから、ここ、任せていいかい?」



 ……な、何を言っているのですかッ! あなたはッ!?



 大声で息子を罵倒しかける私だったが、

 もちろんそんなことを実行できるわけもなく。


「……はい、任されました」


「じゃあ、よろしくなー」



 去り際に薄眼で見た零太は、ニヤニヤとウインクをして、私の退路を盛大に塞いでいった。



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