12の1話 『母親



 昔から、素直に気持ちを伝えるのが、苦手だった。



「ねぇ、越名さん、私達これからカラオケ行くんだけどー、一緒にどう?」

「……」

「ねぇ、越名さんってば……」

「……なんで」

「え?」


「なんで、あなたたちと一緒に行かなきゃいけないんですか?」



 去っていく、女子生徒の集団。

 こちらを恨めしそうに眺めながら、「なにあれー」などの悪態が、私の耳にもちゃんと届いてくる。


 その背中を見送りながら、私は「あ、間違えた」と思う。


(今のはきっと、……なんで、私なんか誘ってくれるの? っていえばよかったんです)



 そんな私に仲の良い友達などできるはずもなく、案の定、独りぼっちの学生生活を過ごし。

 その寂しさを忘れるためにたくさん勉強した。

 勉強して、勉強して。

 気付くと私は大学を卒業していて、無駄に勉強ばかりした甲斐があり、大手の企業に就職することができた。

 そこで私はまた、働いて、働いて。


「……越名さんッ」


 しかし、ひょんなことから職場の同僚と、恋をした。


 彼は、ただひたすらに、優しいひとだった。

 優しくて、自分の想いすら上手に伝えられない私ですら、彼はそのまま受け入れてくれた。

 私達はほどなくして結婚し、すぐに長男、零太れいたが生まれた。

 その時が、後にも先にも、私達夫婦にとって一番幸せな時だった。


 年々零太は成長し、その度合いに合わせて私は職場に復帰することにした。

 仕事と家庭を両立するのは大変だったけど、限られた時間の中でも、私なりに幸せを感じていた。


 ……でも、そう感じていたのは、どうやら私だけだったみたいだ。


 結婚して、ちょうど10年目。

 待望の第二子、一瑠いちるが生まれる。

 

 そんな喜びの最中、夫が失踪した。


 どれだけ待っても、産婦人科の面会室には現れず。

 もぬけの殻になっていたマンションは、勝手に売却の話がすすめられていた。


 手紙すらなかった。

 あったのは、彼の名前だけが書かれていた、離婚届。


 仕事先も連絡がつかず、不安の中、私は自らの実家に身を寄せることになった。

 

 私には、何がなんだか分からなかった。

 いったい自分の何が彼をこうまでさせたのか、全く見当がつかなかった。


 困惑の只中にいる私に、ある日、一通のメールが届く。


 差出人の特定できないフリーメールだったけど、文面ですぐに、彼だとわかった。

 そこには、謝罪と、慰謝料として一定の額を振り込んだこと、そして、早く離婚届を提出してほしい旨が書かれていた。


 急に、やり場のない怒りが、こみあげてきた。


 ただでさえ産後でしんどいのに加えてこの仕打ち、しかも彼は実際に会うことすら避けて、こんな雑なメールと金銭だけで、私と息子たちを捨てようとしているのだ。

 私は、自らの怒りと憎悪とあらゆる罵詈雑言を浴びせたい衝動を必死に堪え、かすかに残された復縁の可能性を賭け、


『ごめんなさい』


 ただ、それだけを打ってメールを返した。


 ほどなくして、返信がやってくる。


『どうして謝る? 俺はわからない。君が何を考えているのか、本当にわからない。……でも、たった一つわかったことがある』



 その言葉は。



『……君は俺を、愛していない。10年分の君の言葉が、それを教えてくれた』



 私の胸を深くえぐり、そして私は悟る。

 

 私は甘えていたのだ。

 彼は私をすべて受け入れたわけじゃなく、ただ、確かめるのを恐れていたのだ。この結末は、彼の優しさを過信して、自分の弱さと向き合ってこなかった私への、罰なのだ。


 情けない思いと、恥ずかしさで、狂ったように泣きわめき、


 そして、私は、自分を失った。


 愛する、ということを手放し、ただひたすらに、論理と効率のもとに生きることを自らの存在意義とすることを決めた。

 そうでもしなければ、立っていることすらできなかった。

 私はすぐさま仕事に復帰し、何もかもを全て捧げて仕事に没頭した。


 家族に愛情を向ける権利など、私にはないと思った。

 息子たちの世話は全て母に任せ、

 自分は彼らが金銭的に困らないように、

 働いて、働いて、働いて、働いて。


 子供たちが寝静まった頃に、その顔を遠くから眺める。

 自分には、それくらいしか許されない。


 口を開けば、きっと傷つけてしまう。

 誤解させてしまう。


 自分を愛しているかどうかわからない母親なんて。

 最初からいないと思っていた方が、きっと傷つかない。


 大切な人を愛することが許されるのは、

「愛を伝える」という、愛するための義務を果たすものだけだ。


 私には、その権利はない。


 どんなに、心で思っていたとしても。


 最愛の人を傷つけた私には、許されないことだ。





◇◇◇



「……う……」


 視界が、霞んでいる。

 目に映るものは全て白く、次第に輪郭がはっきりとしてきて、自分が見ているのが天井であることがわかる。

 耳元で、甲高い電子音が、ピ、ピ、と鳴り続け、不思議と安心するような気持になる。

 目だけを動かして、辺りを見回すと、どうやらそこは病室だった。


「……目が覚めた? 母さん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る