11の4話    兄弟』


◇◇◇



 就寝前。

 歯を磨いていると、玄関の扉が、ガチャリと扉が開く。


「……苺途いちず? どうしたの」

「少し、話したくて。……いい?」


 すぐさま洗面所へ行って歯磨きを中断し、僕らはソファに隣り合う。

 ポットから温かいハーブティーを出してきて、二人ですすりながら、


「……お義母かあさん、……相変わらずだったわね」

「うん。……ホント、ブレない人だよね。あ、今のは別に悪口を言ったわけじゃ……」

「わかってるわよそんなの。……ねぇ、一瑠いちるくん」


 苺途は、両足を抱えるようにして、


「……ずっと、このままかな?」

「……」

「このまま、何の会話もできないまま、視線も合わないまま、……仲良くできないままなのかしら? ……私達が学生結婚を選んだから?」

「……」


「僕にはさ」

「……正直、あの人の考えてること、よくわからないんだ。あれだけの仕打ちをしてくるあたり、僕たちの結婚を快く思ってないのは確かだけど。……でも」


「ならなんで、結婚に反対しなかった? 一体どうして、僕の申し出になんら反論すらせず、『そう、わかりました』とだけ言って同意書を書いてくれた? 僕の弱みを握って言うことを聞かせるため? けど、その割には結婚後、特に連絡はないし、……もう、僕にはなにがなんだか……」


 頭を抱える僕の背中に、優しい女の子の手が添えられる。


「……でも、私にもたった一つだけわかることがあるわ。……お義母さん、きっと一瑠くんのこと大好きよ?」

「ブフッ!」


 僕は思わず、ハーブティーを吐き出してしまう。


「……き、気持ち悪いこと言わないでよ。そんなことあるわけ……」


 布巾で座卓を拭きながら言う僕へ、苺途はそっと首を振る。


「……わかるの」

「なんで?」


 そして気がほぐれるような穏やかな笑みで、


「……女の勘」

「……」


「……男の勘からは、一応、否定しておくよ」


 こめかみを掻きながら僕が言うと、

 苺途は静かに立ち上がり、僕の方へと振り返って。


「……じゃあ、賭けてみない?」




◇◇◇




 数日後、僕と苺途は病院のロビーで座席に座っている。

 時刻は平日の午前十時。

 当然、学生は学校に登校しているべき時間であり、勤労学生の場合は、ちょうど日勤のバイトに勤しんでいる時間である。

 

 そんな時間に学生夫婦が揃って、病院でたむろしているのには、もちろん理由がある。

 僕は自分のスマホを見つめ、


「これ……本当にやるつもり?」

「もちろんじゃない。……そのために二人ともわざわざスケジュール調整してまで、準備してきたんでしょ?」

「う、そうだけどさ。……でも、もし失敗したら……」


 僕がしり込みするのを見て、苺途は短くため息をつき、


「……そんなの今さらよ。もともと関係は最低の状態なんだから、これ以上失うものなんて何もないじゃない? だから大丈夫っ」


 あまりに潔く言う黒髪美少女に、僕は呆気にとられ、思わずみとれる。


「……苺途さん、なんか、かっけー」

「む、無駄口叩いてないで、早く送信したらどうかしらっ。もうっ」


 赤面して急かす嫁の姿に、勇気づけられた僕は意を決し、


「じゃあ……」


 あらかじめ入力しておいたSMSの、


「送りますッ」


 ポン。

 送信ボタンをタップ。

 送信済みメッセージに表示されたのは、



『一瑠さんが事故に遭って大変です!! 中央病院に来て!!』



 なんとも姑息な、僕らの策略だった。

 わざわざ説明するのもはばかられる、ベタで幼稚な陽動作戦だ。

 そのベタさが一周まわってマジっぽい、なんて苺途は言ってたけれど。

 あの理性的な仕事人間が、本当にこんな感情的な手法で罠にかかるのだろうか。


「詳細な状況と容態について説明しなさい」みたいにして突っ込まれたら、勝てる気がしないんだけど。


「……本当に、来るのかな?」


 不安そうに尋ねる僕に、苺途は微笑み、


「来るわよ。かならず来る。……そう言う一瑠くんは、どうなの? お義母さんに、来てほしいと思う?」

「……どうかな。……よく、わからない。……あの人がこんなことに時間を割くなんて、想像もできないし、……実際来られても、正直、どんな顔をすればいいのかわからない」


 きっと僕は、今さら、と思うだろう。

 こんなところで母親らしい姿を見せられたとて、これまでの僕らに対する仕打ちが消えてなくなるわけではないのだ。

 

「まぁ、でも……」


 僕は、言う。


「……こういう賭けみたいな勝負、いつもは僕が勝つことの方が多いことだし? ……それじゃ、キミが可哀そうだから、たまには負けてあげても……」

「ぷっ」

「……何さ?」


 視線で不服を伝えるも、苺途は口元を緩ませて、


「……一瑠くんが、私みたいなこと言ってる」

「……い、言ってない」

「ほら、今のもツンデレ。くすくす……、なんか、かわいい」

「ば、ばかにしてるのッ?」

「してないわ、別に。……ただ、そういう一瑠くんも、たまにはいいな、って」

「……うるさい」


 気恥しくなり、思わず視線を逸らす。

 こういう挙動も、いつもと逆の立場になってしまっていることを自覚して、僕はさらに赤面させられる。

 

「……全部、キミのせいだから。うつっただけだから」

「ふふ、またまたー。……素直になったらどうかしらー、一瑠くん?」


 ……超絶、悔しい。

 このループに入ると中々抜け出せないことは、普段陥れる側の僕がよく知っている。

 苺途め、この借りはいつか、倍返しして差し上げることにしよう。



 プルルルルッ。



 沈黙していたスマホが、唐突に着信音を上げた。


 ……本当に、かかってきた。


 全身に緊張が走り、

 僕は思わず固まり、頭の中が真っ白になるが。


「……一瑠くん」


 苺途を見ると、手を出している。

 そうか、設定では、メッセージを送ったのは苺途だった。


 唾を飲み込んで、僕は苺途へスマホを差し出そうとし、


「あれ? ……兄貴?」

 

 ディスプレイに表示された名前が、母親の名前ではないことに気が付く。

 そのことに安堵した僕は、思わず、


「もしもし?」

「あっ」


 目の前で、苺途が、しまった、というような顔をして、

 

 ……あ、ヤバい。


 すぐさま、僕も自らの失態に気付く。

 そして、同時にやられた、と思った。何も事実確認するのは、本人である必要はなかったのだ。


 考えられる限り、最悪の事態だった。

 これで、僕らの浅はかな思惑が白昼の下にさらされ、母の本意など確認する間もなく、ただ母をたばかった、という事実だけが残る。


 当然、最低だった関係性はもはや、……終わりかもしれない。


 僕らの胸によぎった最悪の想像を、



『――一瑠ッ!! 母さんがッ!!』



 初めて聞くような真剣なトーン、兄の焦った声。

 スピーカーの奥から聞こえる救急車のサイレンの音と、緊迫した応急処置の声。




『――母さんがッッ!!』




 耳朶を打つ兄の悲壮な声が、全てかき消していった。




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