10の1話 『模様は、



 ……最近、苺途いちずの機嫌がよくない。


義兄にいさん、どうかしら? 私の作ったラザニア」


「いちるおにーちゃん、見てください! おにーちゃんの絵を描きました!」


「…………」


 原因は明白だと思う。

 というか、彼女の顔を見ればわかる。

 なにせ、僕が家にいる間は、米華まいかちゃんと小豆あずきちゃんが貼りついてきて、苺途とはまともに会話する暇もないのだ。


「え、えーとうん。……とっても上手だね、二人とも」

「「え、ホント(ですか)ー? やったー」」

「…………」



 僕の言葉に、エプロン姿の女子中学生とパジャマ姿の幼稚園児が顔をほころばせて喜びを表現する。その奥では、ジャージ姿の女子高生が、顔を引きつらせてそっぽを向いた。表現している感情は、言うまでもないだろう。


 ……まぁでも、正直僕としては、そんな様子を眺めるのも可愛くてよしなんだけど。


 ただ、考えてみると、小豆ちゃんと米華ちゃんがやってきてからの2週間で、僕らのスキンシップは激減した。

 視線が気になるというのは言うまでもないけど、かと言って隠れてそういうことするのは少し僕の精神衛生上よくないし。

 

 それに米華ちゃんの面白がる視線よりは、小豆ちゃんの純粋な視線を向けられる方が厄介なのだ。とにかく、僕らは最近めっきり接点が減ったし、イチャイチャな空気など皆無だったわけで。


「……喜んでいいものか、悲しんでいいものか……」

「……何の話? 一瑠いちるくん」


 いつの間に接近していたのか、突然至近距離で苺途が首を傾げて、


「う、わ!」

 僕は思わず後ろに後ずさる。


「何、その反応?」

「いや、なんかこんな至近距離で生苺途を見るの、久しぶりすぎてつい……」


 笑ってごまかす僕に、苺途は「ふん」と頬を膨らませ、


「どうせ一瑠くんは、生小豆と生米華の方が嬉しいくせに」

「そ、そんなことないよ!」

「……嘘よ。顔がニヤついてるもの」


 僕は慌てて顔をごしごしとリセットし、


「どう?」

「……ちっとも変わらないわ。……ねぇ、そんなことより私、明日から放課後遅くなるの。代わりに小豆のお迎え、お願いしてもいいかしら?」

「別に構わないけど、……あ、もしかしてそろそろ学祭の?」


 去年までの記憶をたどり、たしか一月後くらいには学校祭が開かれる時期だと思いあたる。なにせ苺途は生徒会でいろいろ準備する立場なので、これから忙しくなるのは目に見えている。


「……そ。今年の実行委員会は私達二年中心だし、その……選挙のこともあるから抜けられなくて……」

「いやー大変だねー、いいよ、僕に任せて頑張っておいでー」


 何気なく笑顔で言うと、何やら苺途は気恥ずかしそうに、

 

「う……あ、ありがとう……」

「え、どしたの、急に? もしかして、久しぶりの生一瑠くんの笑顔に緊張しちゃった?」

「う、うるさいっ!」

「……あれ、図星?」


 僕が思わずまじまじと苺途を覗き込むと、


「……ッ、とにかく、明日はお願いしたからっ! 園の位置情報はラインに送るので自分で確認して、……って、視線がうるさい!! ばかっ。私もう寝るからっ!!」


 視線を合わさず、早口で言い捨てて部屋を出ていく。

 おかしいなぁ、いつものやり取りでは、この後にデレがくるんだけどなぁ。

 やはり最近は終始ちくちくと言葉の際がどこか尖っていて……、


 もしかして、生理ですか?

 女の子は大変ですね。


 バタンと扉が開き、


「今、すっごく失礼なコト考えてなかった?」

「い、いえ! 滅相もないです!」

「……ホントに?」

「本当でございます、殿下!」

「誰が殿下よ。……ああもう、言い忘れたけど、明日午後は雨だから、傘忘れずに持っていくようにっ!以上っ」

「ははー」


 再びバタンと扉が閉まる。


 やっぱり、最近の苺途は機嫌がよくない。




◇◇◇




「あ」


 ポツリ、と会社の窓に水滴がつき、次の瞬間には窓全体に無数の水滴が現れる。


 突然に振り出した雨に、日勤の会社の休憩所では、次々悲鳴が上がる。

 僕は悲鳴こそ上げなかったが、自分がついさっきまで忘れていた忠告を思い出し、同時に後悔する。


『……傘、忘れてた』


 暇ということも手伝い、一応ラインで苺途へと報告してみる。

 向こうも昼休みなのだろう、すぐさま返信がきた。


『……なんで?』

『失念しておりました』

『……私、言ったよね? 一瑠くん、聞いてなかったんでしょ?』

『たしかに聞いておりましたが、それがし、失念してしまい、誠に申し訳なくおもうそうろう

『……侍シバリやめて。イラっとする』


 苺途の冷たい返信に僕は焦り、


『すみませんでした』

『……謝ってどうにかなるの?』

『う……、次からは気を付けます』

『次もそうだけど、お迎えはどうするの?』

『どうしましょう』

『私、今日ばかりは代わりには行けないわ』

『そうだよね、なら』

『雨が弱くなるのにかけて、走る』


 既読。

 しかし、それ以降は一向に返信が来ず、


「既読スルーですか、……てか、昼休み終わりか」


 それにしても、苺途の不機嫌は今日も続いているらしい。

 僕はラインの会話をスクロールして読み返し、


「なーんか、尻に敷かれてる感すご」


 隣で僕のスマホを盗み見たらしい長良さんの言葉が響く。

 妙に、心にも響いた。


「……やっぱり、そうなんですかね?」

「こりゃー、そーとー不満溜まってるんじゃないかねー、奥さん」

「うッ! ふ、不満ですか!?」

「ダメだよ、ちゃーんと向き合ってあげなきゃー。特に話はちゃんときいてあげることー」


 人差し指で天をさし、長良さんがウンウン、と頷いて言う。

 ……確かに。

 機会が無かったから。

 そう言い訳して、苺途の話を、気持ちを、ちゃんとくみ上げて来なかったのは、紛れもない僕自身なのだ。

 こんなの、不機嫌になったりして当然だよな。

 帰ったら、ちゃんと謝ろう。


 時計を見ると休憩の終わりが近づいていた。

 窓の外からは、先ほどよりも数段しっかりと雨音が響いている。




◇◇◇



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