8の3話  友人、

◇◇◇




「……ハァァァ」


 学生たちがひしめく大講堂にて。

 大きくため息をつき、僕は固い机へと突っ伏す。

 全身にまとわりつくような疲労感が充満し、もはや指先すらも動かすのが億劫だ。


「……とるんじゃなかった、あの電話……」


 思わず口をついて出た恨み節に、僕は先ほどまでのことを想起してしまう。


 救いの手だと思って掴んだ手は、とんでもない地雷案件だったのだ。

 電話の相手先は最初から怒っていたし、冷静に説明すればするほど、相手はイライラしてらちがあかず、結局何度もかけ直して謝罪する羽目になった。

 おかげで休憩時間もほぼ取れず、その残務処理で残業も余儀なくされた。


「確かに僕の説明も悪かったんだけど……あそこまで……」


「……アソコ? 下ネタか?」


 頭上から声がして、僕は顔を上げる。

 前の席から振り返っているのは、


「よう。おはよーございます、いっち」

「……カケル。おつかれ」


 目を引くほどブリーチのかかった金髪。

 カラーコンタクトの入った青い目は、さながら外国の美少年のよう。

 全身真っ白な服が、その儚さをさらに彩っていて。


「……で、アソコがなんだって? 性病にでもなったのか?」


 透き通るようなテナーボイスで、彼、鈴木カケルがめちゃくちゃ濁ったことを言ってくる。


「……違うよ。カケルこそどうなのさ? ……その、職場で……」


 言い返しながら言いよどむ僕に、


「お前、ホストを何だと思ってんだよ。……言っとくけどオレは、枕なんかしなくても稼げるし、上位だってすぐそこだぜ?」

「……儲かってるんだ?」

「ああ。……そこらの新人よりもよっぽどな」

「……前から思ってたんだけど、未成年なのにどうやってホストやってんの?」

「? ただツテがあっただけだが?」

「そうじゃなく、……その、お酒とか」

 

 正直本当に、理解できない。

 そもそもホストという仕事自体、勤労学生のバイトとしていいのか、と思うけれど。

 でも本人は特に気にしていないみたいで、


「ふふーん。そこは企業秘密ってことで!」


 あっけからんとしているので、僕もなんだかいいと思えてしまう。

 これでいて、家が超貧乏で毎月家に仕送りをしてるというのだから、人間わからないものだ。


「……それで、この通りッ!!」


「なに、人を神棚みたいに拝んで。 ……なんか嫌な予感がするんだけど」


「……今晩ヘルプに入ってくれッ!! 人助けだと思ってッ!!」


「断るッ!!」


 両手を頭上に掲げて腰を九十度曲げたカケルに、僕は非常な言葉をかける。


「な、なんでだよいっち!! 今日になって急に一人連絡つかなくなって、どうしても厨房が一人足りないだぜッ!? 店のピンチなんだぜッ!?」

「……申し訳ないけど他をあたってよ。……助けたい気持ちは山々だけど……今日は……、」 


「――給料、弾むからッ!!」


「うぐッ! ……いやでも、今日はホントに……」


「なんでも言うこと聞くからッ!! なんなら身体で払ってもいいからッ!!」



「……な、なにしてんの二人とも」


 隣をみると、三人掛けのテーブルの向こう端で女子が引いている。

 ハニーブラウンの髪をくるくるに巻いて、フリル付きのスカートや小物の全てが白と薄ピンクで統一されている、場所にそぐわないほどお姫様なその容姿。


「……もしかして、ついに目覚めちゃった? 禁断の愛」


「「違うわッ!!」」

「ええー、さゆ、応援するよー? ステキだと思うけどなぁー」


「さゆ。……お前こそ、そういう発想が出てくるってことは……」

「いやー、特に好きじゃないけどねーBL。……たださゆは、純愛だったらなんでもいいと思うんだよー!」


 さゆ、こと三ノ原さんのはらさゆが目をキラキラさせて言う。


「その点ステキだよねー。いちるんの学生結婚って……」

「そうか? 俺だったら、結婚したのにヤれないなんて、そんな生殺しみたいなの死んでもごめんだけどな」

「かけるんは夢がないからダメなんだよー。そんなのでよく女のコ達に夢を見させられるねー」

「ふっ、じゃあさゆ、見せてやろうか? ……俺の本気」


 金髪を撫でつけるカケル。

 しかしさゆは、


「……間に合ってまーすッ。……それより二人とも、もう終わった?」

「……終わったって何……がッ!!!」


 

 ――か、課題!!


 忙しさのあまり頭からぬけていた事実に、僕は愕然とする。


 やばい。これはかなりマズい事態では!?


 血の気を失う僕。

 その横でカケルは、


「あー、あれな。めっちゃかったるかったよなー特に終盤。前半のテーマとかマジ楽勝って油断させといて、ホント趣味わるいよなー、あの教授」


 嘘だろ? 僕はまだ前半しか終わってなくて、なのにこれから難易度が上がる!?


 つ、詰みじゃないか!


「……だよねー、わかる。……いちるんは後半どう……っていちるん大丈夫ッ!? 汗が洪水みたいになってるよッ!?」

「いっち!! 落ち着け!! まずはほら、ゴボウ茶!! これで水分補給してから……しっかりしろッ」


 慌てふためく友人二人。

 そのはるか後ろでガラリと扉が開き、講義を始めようとした教授が、不審そうにこちらを眺めていた。





◇◇◇




「……で、できた」


 パソコン室。

 デスクトップを前にして僕は、ひたすらに脱力する。

 時刻は午後10時半。


「ま、間に合っ……」

「おつかれいちるんー! さすが、どうにかなったねー」

「さゆのおかけだよ、本当に助かった」


 僕の礼にさゆは「えへへ」と笑い、


「後でちゃーんとカケルにも言っとくんだよ? ……おかげでさゆたちは講義サボタージュして、課題に集中できたんだから」


 本当にさゆの言う通りだった。

 事情を話した時、すぐさまカケルはこの妙案を思いついたらしく、「仕方ねーなー」なんて言いながら、僕らをここへ送り出し、しっかりノートだけとって、もう出勤してしまった。

 こういうところ、機転が利くというか何というか。

 事実、僕はそれに救われたのだ。


「……そうだよね。……じゃあ、僕、行ってくる!」

「え! ちょっとッ!? 行くってどこにッ!?」


 僕は大急ぎで荷物をまとめ、


「カケルのとこッ!! 30分だけでも店手伝ってくるッ!」

 

「え! いいの!? 用事あったんじゃ?!」


「アイツが困っている時、僕は渋ったけど。僕が困っているとき、カケルは一切の迷いもなく助けてくれた。……そんなの、なんか気に入らないからッ!」


 リュックを肩に引っかけて僕は歩き出す。

 背中ごしに、


「……と、尊いッ、何コレ、純愛ッ!?」


 興奮したさゆの声が聞こえるが、もう構っている暇はない。

 

 ……大丈夫。30分。30分だけちょっと手伝うだけ。


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