8の2話  蜘蛛の糸、


◇◇◇




越名こしなくん、ちょっといいかしら?」


 パーテーションで区切られ、整然としたオフィス。

 冷房で肌寒くすらある空間で、僕を呼び出したのは、所属するチームの上司。

 社院しゃいんエリカさん。

 実際に5人のバイトで構成されるチームのリーダーで正社員なので、バイトからは「社員さん」と呼ばれている。

 ブラウスにタイトスカートを合わせ、控えめな茶髪をまとめている綺麗な女性だ。

 快活で新人の僕にもとても親しみやすい人なのだけど、


「……えっと、……ここの書式なんだけど、……どーやって変換したの?」


 周囲を見回しつつ、小声で聞いてくる社員さん。


「……新人にそれを聞くのはどうかと思いますよ?」

「ひっ!」


 隣のパーテーションから顔をのぞかせたのは、ベテランバイト、長良ながらさん。

 社員さんよりも明るめに染めたボブと、赤ぶちメガネが印象的な女性だ。


「……あ、僕は別に構わないですよ? ほら、ここはこのツールバーを参照して、この設定を一度解除してからもう一度貼り付けを……」

「……おおー。……な、なるほどー」

「教え方上手いね、新人―っ」

「いえ、その……マニュアルとヘルプ見ただけなんで、部分的にしか……」

「じゅーぶんじゅーぶんっ! だってほら、もっと理解できてない人がリーダーやってるくらいだし?」

「う、…ッ…、ちょっと長良さーん? 手元が止まってるんじゃないかなー?」


 綺麗な笑顔を作りつつ、をピクピクとひくつかせる社員さんへ、「へーい」と長良さんが気のない返事をする。

 何を隠そう社員さんは、新卒採用後初めての部署移動だったそうで。

 はたから見てもテンパってるし、ベテランさんにはからかわれるし、色々と苦労してそうだ。


「はぁ」

「……なんというか、大変ですね」


 僕が声をかけると、社員さんは何やら泣きべそになり、


「……うっ。越名くん、もしかして私をいたわってくれるのっ?」

「え、いや、まぁ……」

「なんてイイコなの! こんな疲れたОLに優しくしてくれるなんて! ねぇ、越名くん今晩ヒマ!? 彼女いる!? 年上は好きッ?」


「……さっそく手出ししようとすな!」


 社員さんの脳天に長良さんのチョップが入る。


「ち、違うわよ! ほら、歓迎会よ歓迎会! なんだかんだ忙しくてぜんぜん出来てなかったことだし!」

「さっきの発言聞いた後じゃ、まったく説得力ないと思いますけど。……まぁ、でも」


 長良さんは僕を見やり、


「今日は、ワタシもフリーだよ?」

 

 ぐっとサムズアップをしてくれる。


「あ、じゃあ、みなさんはどーですかね!? 今晩遅めの歓迎飲みなんですがー」


 社員さんの問いかけに、

 パーテーションの端から、グーサインが次々。

 なんと皆さん参加できるらしい。


「……って感じなんだけど、どうする、新人?」


 穏やかな笑顔で、長良さんが答えを促す。


 ……う、雰囲気的にもう、行くしかない空気……だけど。


「あの!! ……せっかくだけど今日ダメなんですッ、すみませんッ!!!!」


 なるべく誠意が伝わるよう、大げさに頭を下げる僕。

 社員さんはガーン、と擬音が聞こえそうなくらい全身で衝撃を受けていて、パーテーションの向こうからも、見えないながらに何やら残念オーラが漂う。


「……そっかー。……やっぱ、彼女ー??」


 ニヤリと小指を立ててくる長良さんに、


「……いえ。その、」


 僕は一瞬躊躇ちゅうちょしつつ、


「……ヨメです」


 バサバサ、と。

 社員さんの持っていた分厚い資料が、その手からこぼれ落ちる。


「……よ、よめ? ……もう、越名くんたらイケズねぇ、キミ、それじゃ既婚みたいだよー?」

「ええ……。実際そうなんですが……」

「……」

「……今、何歳?」

「……18です」


「――ヒェッ!?!?!?」


 社員さんが声にならない声を出し、凍り付く。

 

「……じゅ、18? よめ? ……寿ことぶき退社を夢見る私より、10歳若い越名くんが? ……あ、はは、……なにこの格差社会ッ」

 

 それを押しのけた長良さんが、僕の左手をとり、


「ホントじゃーんッ! すごッ! なになにー!? ってことは学生結婚!? 詳しく聞かせてー??」


 カタカタッ! カタカタカタカタタッ! タッ!!


 心なしかパーテーションの向こうのタイプ音も、いつもより響き方大きいし。

 

 チーム全体が浮足立っているのが、手に取るようにわかる。


「……し、仕事しませんか? ……みなさん」

「そんなのいいからー! ほら、社員さんもああやって惚けてることだし。それより新人! 早く馴れ初めを……」


 その時、ちょうどタイミングよく電話が鳴って、


「……はい! ○○コミュニケ―ションズ、越名がお受けいたしますッ!!」


 奪い取るようにして、受話器をとった。

 まるで天から垂れる一筋の蜘蛛の糸のようにさえ、僕には思えた。


 ……その時は。



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