8の1話 『約束、

 僕、越名一瑠こしないちるの朝は早い。


「ふわああ」


 アラームを止め、

 時刻は午前4時半。

 寝ぼけ眼を擦りながら顔を洗い、最低限の身だしなみだけ整えて家を出る。

 隣室の苺途いちずを起こしてしまわないように、そっと扉を閉める。


「いらっしゃいませー、○○へようこそー」


 午前5時。

 自宅近くのコンビニで朝のバイト。

 この時間は、ほぼワンオペで仕事をまわす。

 通勤ラッシュ前は、弁当を廃棄したり、フライヤーを準備したり、店内を清掃したりなどしておく。スイーツコーナーを見ながら、「これ苺途いちず好きそー」とか考えている。


「……円お返しいたしますーありがとうございましたー次のお客様―」


 午前6時半、ラッシュ真っ最中。

 缶コーヒーやたばこ、朝食を買う客の長蛇の列。

 僕は脳をフル回転させて、段取りよく客をさばいていく。

 スピード命だ。


「……お願いしまーす」


 う、お、出たよ、これ! この忙しいラッシュ時にあえての宅急便! しかも送り状書いてきてないパターンだ!


「こちらでご記入おねがいしま……次のお客様こちらどうぞー!」

 

 宅急便の客を横へ誘導しつつ、片手間にどんどん客をさばいていく。

 

「ありがとうございましたー」「ありがとうございましたー」「ありがとうーございましたあー!」




「ありが……おはようございます」

「おはよ、越名こしなさん。……いやはやー、今日も機敏だねぇ。さすが若者ッ」


 やっとラッシュが落ち着いた頃、パートの山田さんが出勤してくる。

 中年を超えたくらいの、体格のいい女性だ。


「今日の客入り、いそがしかったかい?」

「なんか平日にしてはやけ混んでましたね。……なので今のうちにトイレ清掃やっちゃいたいんですけど、レジ任せても?」

「いいよ、いっといでっ! もう時間でしょ? 終わったらそのまま上がっちゃいなよ、後はこのおばちゃんに任せてさッ」


 バシっと豪快に自身の胸を叩き、山田さんが銀歯をキラリと光らせる。


「じゃあ、お言葉に甘えて……トイレ掃除行ってきますっ」

「ああ、そうだ、越名こしなさんッ」


 呼ばれて振り返ると、


「はい、これ」

「なんですか?」

「ウチで作ったブロッコリーとモロヘイヤ、よかったら持っていきな」

「え! いいんですか! 最近、野菜高いから嬉しいです」

「こういう緑黄色野菜はね、葉酸ようさんだかなんだかいろいろ入ってて。……だから、越名こしなさんとこのお嫁さんに食べさせれば、すーぐ妊娠……」

「なッ!?」


 唐突に放り込まれた際どい話題に、僕は面食らい、


「……し、しませんッ!」

「あら? そうなのかい? もしかして、レスってやつなのかい? ……新婚なのに」

「……ち、違いますッ……」

「近頃の若い人は、あっさりしてるんだねぇ。……おばちゃんが新婚の頃なんて、毎晩旦那と猿みたいに……」

「聞きたくないですそんな情報! ったく、朝から何言ってるんですかッ!」


 耐え切れなくなった僕は、再び山田さんに背を向けて、


「清掃行ってきますッ」

「がんばるんだよ、越名こしなさん、……いろいろとね」



 振り返って睨み付けると、


 山田さんがニヤニヤと笑い、親指をぐっと立てている。



 ……はぁ。



 ため息をつきつつ、僕はコンビニのトイレに手をかけた。




◇◇◇






「待って一瑠いちるくん、話があるの」



 早朝のバイトを終えて朝食を済ませ、データ入力の会社へ行こうとする僕を、苺途いちずが呼び止める。


「今日、何の日かわかるかしらっ?」


「……その質問、今じゃなきゃダメ?」


 目を輝かせて尋ねる苺途いちず

 しかし僕にはそんな余裕はない。

 ただでさえ、ぎりぎりまで大学の課題をやってて、遅刻しそうだっていうのに。


「む、なにそのそっけない反応。……そんな様子じゃどうせ今日のことだって忘れちゃってるんだわ……」

「……そんなあからさまにむくれなくても。……えーと、」


 誕生日は違うし、付き合った記念日も違う。

 となると後は……、


「あのさ、もしかしてだけど」

「うんうん?」

「……結婚してから、一カ月記念日とかっていう?」

「さすが一瑠いちるくんっ、……覚えててくれたんだっ?」


 嬉しさあまってか、ツンを放棄して抱きついてこようとする苺途いちず

 僕は慌てて制し、


「……まさかとは思うけど、毎月やるのッ!?」

「当然じゃないっ! ……え、もしかして、……しないの?」


 途端にしゅんとした様子で、苺途いちずが意気消沈する。

 本当に楽しみにしてた感が半端なく、僕の良心にグサリと突き刺さり。


「や、やらないとは言ってないよッ! 一応同じ気持ちかどうか確認しただけだから! よし! じゃあ、今晩お祝いねッ!」

「……ほんとっ! 嬉しいっ! じゃあ私、腕によりをかけて準備するから! 今日は早く帰ってきてねっ!」

「うん、た、楽しみだなぁー!」


 僕は笑顔を作りつつ、内心はすごく焦っている。

 こんな時に限って、今日提出しなければいけない課題が終わっていないのだ。幸い提出はウェブ上で日付が変わるまでだから、少し大学に残って終わらせてやろうと思っていたのだけど、

 ……仕方ない。キツイけど、合間の時間で内容まとめてなんとかするか。


 脳内であーだこーだ考えながら、予定を入れ替える。

 そんな僕とは対照的に、苺途いちずは心底嬉しそうな顔で。


「じゃあ、……約束ねっ?」


 可愛く首を傾げるしぐさで、

 その細くて綺麗な指を、僕へと差し出した。

 


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