5の1話 『秘密と、


我妻あずまさんが危ない』



 昼休み。

 突然、スマホに届いたメッセージ。

 僕はチャリで全力疾走して母校へ向かい、見知った母校職員室の扉を叩き開ける。



「――兄貴ッ!!」


「……うおっ、さすがに早いな、一瑠いちる


 ごちゃごちゃと整理されていないデスクから、七三分けの誠実そうな若手教師が振り返る。

 この春、僕の卒業と同時に、この高校へ赴任したアラサー教師。

 越名零太こしなれいた、僕の実兄だ。

 


「そんなことより苺途いちずはっ!? 苺途いちずは大丈夫なのかっ!?」


「え? あー、すまんすまん、言い忘れてたけど、まだ大丈夫なんだわ、まだ」

「は? 意味が分からないっ! とにかく早く、苺途いちずのところへっ!!」

「そーだなあ、うん。そろそろちょうどいい時間かな。……じゃあ、いくか。……屋上に」

「屋上? なんでそんなところに?」

「いいからいいからー」




 ◇◇◇



 

「……俺っち、前から我妻あずまさんのこと、いいと思ってたんだッ!」


「……」

 

 向かい合う制服姿の男女。

 多少告白するヤツがキャラ濃い気もするけれど。

 男子生徒が女子生徒への愛を叫ぶ、そんな学校ではとりわけ特別でもない、ありふれた光景。

 ……その告白相手が、超絶美少女の僕の嫁だってことを除いては。


「……なに、この状況?」

「何って? 見たらわからないか?」

「わからないよッ! 何が悲しくて、嫁が他の男に告白される現場を、わざわざ隠れてまで覗き見しなきゃならないんだよッ!?」

「声が大きいッ! 見つかったらどうすんだ、静かにしろッ」


 兄貴の鋭い指摘に、僕は仕方なく声のトーンを落とし、


「……第一、なんで兄貴が、こんなプライベートな予定知ってるんだよ?」

「ふ、担任教師たるものな、自分の生徒の情報くらい、常に把握してるものなんだよ」

「マジか!? すごいな担任ッ!」

「……特に、可愛い義妹いもうとちゃんのことなら、なおさらだ。学校生活のことなら、ほとんど分単位で把握してるぜッ!」

「いやストーカーかッ!!」

「何を言うッ!? 教師としての、れっきとした見守りだッ!!」 


 純粋な熱血漢ねっけつかんの瞳で兄が言う。

 思い返してみると、うちの兄貴はいつも熱心で、勤勉で、……そしてどこかずれている。


「……心配して損した」


 つい口をついて出た言葉に、兄貴がくってかかってきた。


「ずいぶん余裕だな? ヨメが告られてるってのに」

「信頼してるから。……これでも既婚なんで」

「……なるほどなー。まぁ、でもそう思ってるのは、我妻あずまさんだけだな。……少なくとも、この学校では」

「……ッ」


 その言葉に、僕は心をえぐられた様な感覚になる。

 

「確かに戸籍こせき上は既婚だけど、学籍がくせき上は旧姓のままなんだから、意味ないんだよ。……少なくともこの学校にいる間、お前のヨメは、越名こしなじゃなくて我妻あずまなんだ。……それが、周りへの影響も考えて管理職が下した判断で、加えて結婚のことを口外しない、って約束も、忘れたわけじゃないよな?」

「……それは、そう、だったね」


 僕は思わず、自分の左薬指にある指輪に触れる。

 その同じ指輪が、告白されている苺途の指にないことに、異常なほど心が痛んだ。


「覚えているならいいんだ。……変に余裕ぶっこいてたら、ガチで殴ってやろうかと思ってたんだが」

「……う、そりゃ、ご親切にどうも……」


 指をぽきぽき鳴らす兄貴に、僕は苦笑いをする。

 兄貴は「まぁ、ただ……」と切り出し、


「……お前が思ってるよりずっと、事態は我妻あずまさんにとって過酷だぞ?」

「……どういうこと?」

「こういう類の呼び出しな、もう三度目なんだ。……今週だけでも」

「ッ! そんなにッ!?」

「それも毎週だ。担任の俺が言うから間違いないが、少なくとも週に3、4回は告られてるんじゃないか? ライトなのからガチなのまで」

「……」


 ……つまりそれは、同じ数の相手に、嘘をつく必要がある、ということで。


「……それだけのことをさせてるって自覚、お前にあるのか?」


 あくまでも優しく諭すように、兄貴が言う。

 でも、それは逆に僕へ自責の念を駆り立てて……、



「――ごめんなさいっ!」



 不意に響いた苺途いちずの声に、僕は心を奪われる。


「……私、好きな人がいるの。その人に、私の生涯をすべて捧げてもいい。心の底からそう思えるくらい、本当に、本当に大好きな人なの。……その人と一緒に過ごす時間が、いつも泣きそうになるくらい、優しくて、暖かくて、幸せなの。……なのに、」

「私はそのことをいつも上手く言えなくて、伝えられなくて、彼の苦悩とかも察してあげられない。……かえってツラい思いをさせたり、気を遣わせたりすることしかできないの。……でも、でもね、そんな私をその人は、それでも好きだと言ってくれるのっ! 優しく好きだと言ってくれるのっ。……私は、そんな彼に、私の全てで報いたいわっ……」


「だから」と苺途いちずは言った。


「――他の人のこと、考えられません。……ごめんなさいっ」


 頭を下げた彼女の黒髪が揺れる。

 不安と自虐じぎゃくに固まった僕の心が、ほぐされるように暖かく熱を帯びていく。

 

 僕は、思い違いをしていた。


 告白を断るのが負担だと、秘密にするのが申し訳ないと、そんなことばかり考えていた。

 でも、そこにいた苺途は、

 まるで、そうすることが特権であるかのように。

 初めてプレゼントをもらった少女のように。

 嘘も、けがれも一切なく、

 ただひたすらに、うれしそうに、

 彼女は。



 ……恋を、していた。



「……」


 愛しさがこみあげて、胸がしめつけられる。

 隣にいた兄貴が、ばつの悪そうな顔をして、そっぽを向いている。


「……兄貴」

「……ん?」

「……僕、少し反省するよ」

「……おう。……そだな」

「あと……」

「……ん?」


「……僕の嫁って、やっぱり、……世界一可愛い」


「……うるせー」


 兄貴が僕を小突いてくる。

 僕はそれに甘んじて、そろそろ戻ろうかときびすを返し……、



「……わかった俺っち諦める!! でもその代わり……!」


 ……その代わり?


 思わず足を止めた僕らの耳に、


「――どうしても、壁ドンをさせておくれッ!!」


 斜め上の交換条件が飛びこんできた。


「……は? か、壁ドンですか?」

「むふふ、実は俺っち、自称、壁ドンコレクターとして、いろーんな美少女に壁ドンするのが夢だったんだぁ。……とくに我妻あずまさん、君にはねぇ? ハアハア」


 ……へ、変態だーッ!?


「お、お断わりしますっ」

「出来ると思うかい? ……だって今ここ、二人きりだ、よッ!!」

「……っ!」


 グイ、と男子生徒が苺途いちずの手を掴み、


「痛っ! 離してっ!」

「無理だねぇ! ほらこっち、はやく壁側にくるんだッ!!」


 強引に壁際へ引きずっていく。

 そんな光景を目の当たりにした僕は……。



「なんだアイツ!? 今回はずいぶん変なのにからまれたなぁー。……よし。こういう時こそ、担任の出番……って、一瑠いちる!? ちょっと!? おいッ!!」






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