3の1話 『証明、


「……はい」


 至近距離しきんきょり

 目を閉じ、その可愛くて小さな口を開け、僕の嫁、苺途いちずが何かを待っている。


「……あの、苺途いちずさん?」

「何かしら、一瑠いちるくん?」

「……えと、何ですか、これ」


 僕の問いに、彼女は未だ目を閉じたまま。


「見てわからないの? ……あ、あーんを要求しているのよ」


「……」


 数日前。

 僕が毎日のハードスケジュールの埋め合わせにと、ささやかなお土産を買って帰った夜。

 正直、ただの気まぐれみたいなものだったのだけど、苺途いちずさんにはたいそうお気に召したらしく。

 

 ……その夜から、何やら苺途いちずの様子がおかしい。


「な、何よ、早くしなさいよ、ほら」


 あの日から、なし崩し的に夕飯後には、夫婦での甘味タイムが続いているのだけど、……それにしても、何か妙に甘々すぎませんか、この雰囲気ッ!?


「……ちるくん?」

「……ッ」


 至近距離しきんきょりが、いつの間にか超至近距離ちょうしきんきょりになっていて。

 息のかかるような近くに、美少女が甘えた声で、


「……ほらー、あー……」

「――ちょっと待とうか苺途いちずサンッ?」


 僕の端的な物言いに苺途いちずは、


「……なに?」

「唐突で悪いけど、――どうしたっ!?」

「どうした、って何が?」

「いや……それは、……なんというか」


 びっ、と苺途いちずの鼻先を指さし、


「……その、ツンデレはどうしたッ!?」

「ツンデレ? ……何の話?」

「何の話もなにも……、最近の苺途いちずはらしくないというか、つまり……、デレのリミッターはどうしたッ!?」

「ごめん……私、一瑠いちるくんが何を言いたいのか、本当にわからないわ」


 首を傾げる苺途いちずと、せっかく自分の心の内を吐露したのに、伝わらなかった恥ずかしさに思わず身もだえする僕。


 そんな様子の僕へ、苺途いちずサンは何やら業を煮やしたのか、


「……言いたいことがないなら、ほら、」


 再び目を瞑り、


「……続き、……しよ?」


「イヤイヤイヤイヤーッ!? ちょ、ちょっと待ったぁーッ!! 苺途、やっぱおかしいよッ!? 何その、常に意味深な言葉の言い回しッ!? わかってやってんの、ソレッ!?」

「……もう、さっきから何よ。一瑠いちるくんこそ、わざとなの?」


 さすがにしつこいと思ったのか、苺途いちずが顔をしかめて抗議してくる。

 その抗議ですら、何やらいつもの40パーセント程度の迫力しかない。


「……あのさ、もしかしてどっか悪いとか? それとも、何らかの心理的ストレスが……」

「あるわけないわ、そんなもの」


「じゃあ、……ホント、どうしたの?」 


 困惑と、心配と、よくわからないものが胸の中を駆け巡り、僕は苺途いちずに問いかける。

 苺途いちずはそんな僕の様子を見、


「なんて顔してるの、まったく」


 そして僕の胸に、そっと額を押し付ける。


「……何もないよ? ……ただ、改めて一瑠いちるくんに、惚れ直してるだけ」


「……」


 そんな彼女へ、僕は。



「あ、アウトぉ―――ッ!!!」



 思わず、叫んでいた。


「えっ、なになに、どうしたのっ!?」

「やっぱダメだッ! その仕様の苺途いちずは、僕にとって刺激が強すぎるッ!」

「……仕様? 刺激? どういうこと?」

「……そういう無自覚なとこも、含めてッ!」

「……もうっ、だから、さっきから何について話してるのよ!」

「察してくださいッ!」

「…………何を?」

「このくだり、また繰り返すんですかッ!!」

「……っ!」


 苺途いちずの顔が、途端にかああ、と赤くなる。


「……そ、そういう?」

「ええ、そういうことです! もう最初から、全部ッ」


 何やら僕も恥ずかしくなり、目を合わせずに言い、


「……」

「……」


 そのまましばらくの間、僕と苺途いちずはただひたすらに、もじもじすることしかできなくなってしまう。

 未だ切れない緊張の糸が、彼女の衣擦れや吐息によって、かすかに震えるように、僕らは互いの存在を意識するためだけに、その時間を浪費していく。


 散々、時間を無駄にした後、


「……でも、……不公平だわっ」


 苺途いちずが不意に口を開いた。

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