2の1話 『私の夫は、

 

 午後十時。

 ただいまー、と悪びれなく帰宅した一瑠いちるくん。

 そんな彼に、私は。



「ちょっと一瑠いちるくん、そこに座ってくれるかしらっ」



「……苺途いちず? どうしたの、こんな遅くに?」

「大事な話があるの。いいでしょ? それとも何か都合の悪いことでもあるのかしら?」

「いや、都合というか……できれば早く夕飯を……」

「すごーく、大事な話なのっ。……すぐに終わるから、それくらい待って」

「……あ、わかった、もしかして、太ったとかでしょ! 最近、何気に甘いもの、たくさん食べて……」

 

 バシッ、と私は、手にしたフリーペーパー(スイーツ特集)の強力な一撃を、ちゃぶ台へと見舞う。


「ち、が、い、ま、すっ!」

「えー、んー。……あっ、」


 彼は何か思いついた顔で、


「うんうん! よく似合ってるよね、その新しい髪型っ」


 バシッ。


「一ミリたりとも切ってない、普段の髪型よっ! ……なにその、テキトー発言!」

「いや、だって苺途いちずの大事なハナシっていつも……」

「……いつも、何よ?」

「いえ、その、……何でもないです」


 ふっと視線を逸らした一瑠いちるくん。

 私はどうにもそのことが面白くなく、


「し、失礼ねっ!? 私だって、たまには真剣な話くらいするわっ」

「ごめんごめん、そうだよね。……で? その真剣な話って?」


 一瑠いちるくんの問いに、私はこほん、と咳払いをし、


「……私たち、別居を始めてから、どれくらいたったと思う?」


「んー? どれくらいも何も、まだ一週間って、ってとこだよね?」


 あまりに平然と言う一瑠いちるくんの様子に、


「……っ」

「……?」


 私は身体をふるふると震わせ、


「い、一週間よ、一週間っ! ……一瑠いちるくんっ、その間、私たち夫婦が一体どれくらいの時間を、二人で過ごしてきたと思うっ!?」

「え、いや、数えたわけでもないから、そんな詳しくは……」

「私は数えたわっ!」

「数えたの!?」

「その上で一瑠いちるくんに尋ねているのよッ! ……さぁ、おおざっぱでいいからとにかく時間を言ってみてっ!」

「んー」と、一瑠いちるくんは少し考える素振りを見せて。


「え、と、4日分……96時間くらい?」

「ふふふふ、あはははっ」

「ちょっと? 苺途いちず、大丈……」


「甘いっ!! 甘すぎるわ一瑠いちるくんっ!! ……96時間? 笑わせるじゃない。 実際は、平日朝20分、夜70分、5日で7時間30分っ。それに土日は1日3時間だから、合わせると13時間30分っ。……つまり、半日ちょい! ――半日よっ!? 1週間もあったのに実質の接点は1日にも満たないってどうゆうことかしらっ!? ……さすがにこれって夫婦としてどうなのっ!?」


 私のまくし立てるような指摘に、一瑠いちるくんは眉をひそめ、


「う、まぁ、言われてみれば、たしかに一緒にいる時間は減ったよね」

「その通りよっ。だって考えてみて? ……一瑠いちるくん、今朝は何してた?」

「……バイトしてたね、コンビニで」

「日中は?」

「バイトしてたね、データ入力の」

「夕方は?」

「大学いってますね」

「夜は?」

「同じく、大学いって……」


 バシッ、と私は三度目の、ちゃぶ台フリぺ攻撃を繰り出し、


「――多忙たぼうかッ!!」


「……いや、まぁ、事実そうなんですけどね」

「なるわよそりゃ! そんな多忙きわまりない一瑠いちるくんが別居なんてしたら、……一週間で半日なんか余裕よっ! このままじゃ、全く一瑠いちるくんと接点のない日が訪れるのも時間の問題だわっ」

「それは、……そうならないように、とは思ってるんだけど……」


 心底申し訳なさそうな顔をする、一瑠いちるくん。

 その様子を見て、私は若干の罪悪感にさいなまれ、


「そ、そりゃあ、私だってわかってるわよ? ぜんぶ一瑠いちるくんが家計を支えるためにしてることなんだって。……それに、その……、例のガマンの件だって、維持するためには多少の距離感も必要だって。私だってちゃんとわかってるんだけど………でも」


「これはさすがにどうなのかしら! 新婚なのよ!? いくらなんでも距離開けすぎなんじゃないかしらっ!? このままじゃ結婚したイミある!?」

「そ、そうですね……すいません」


 またしても、一瑠いちるくんが、しゅんとした顔で素直に謝ってくる。

 もちろん彼に現状の問題点を、客観的に自覚してもらいたくて言ったことなのだけど、彼に悲しい表情をさせてしまったという事実に、私はいてもたってもいられなくなり……、


「べ、別に、謝ってほしいわけじゃないわっ。……なんというか、ほら、ただでさえ最近は結婚以外の選択肢が強調される時代だし? そんな中で早期に結婚を選んだ身としては、あんまり夫婦生活が機能してないとか思われるの、何だかしゃくじゃない。……だからその……」


「あ」


 突然、一瑠いちるくんは何か思い当たったように声をあげる。

 そして次の瞬間には、先ほどの憂いが嘘だったかのような、ニマニマとした温かい笑顔になり、


「……何よ?」

「いやいや、ふんふん、なるほど、そういうことね」

「嫌な予感がするわ。勝手に納得してないで、今思ったことを正直に言いなさい」

「え、いいの本当に? 正直に言っちゃって」


 彼のニュアンスに私は若干警戒しつつ、


「は、早くしたら?」

「へいへい。……いやね、僕、この話の着地点が見えちゃったというか。……つまり」



「……苺途いちずさん、さみしい、って言いにきたんでしょ?」



「……………」


 私は思わず言葉を失って。

 そして、自覚すらできていなかった、自分の心理を言い当てられたことに、途端に全身が真っ赤に染まる。


 ……どうして、この人は。

 ……いつも私の考えていることを、私よりずっと上手に、表現することが出来るんだろう。それにただ賢いだけじゃなく、そこには素直で直球だけど、必ず優しさもあって。そういう彼の人柄が感じられるその表現が、私は、他の誰よりも好きなのだ。


 ……まぁ、でも。 


「……図星……?」



 その後、面白がってからかってくるところには、時々少しだけ腹が立つのだけど。……あくまでも、ほんの、少しだけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る