1の3話 夫婦の朝』
「――僕はキミが抱きたいッ!!
朝日が差し込む、清々しい早朝。
地味な賃貸アパートの踊り場で、欲望に飢えた若き野獣の声がこだまする。
「……」
「……」
「あ」
そこでようやく、僕はその場にいるのが僕らだけではないことを思い出し、
見回すと、おばさんやサラリーマンの生暖かい視線が僕に突き刺さる。
途端に僕の
「ばかばかばかっ!! なに朝っぱらから堂々と
……するより前に、
わなわなと全身を震わせて、もはや一周まわって赤くないと言えるくらい、顔のみならず全身を真っ赤に染めた僕の嫁が、全力で僕の脳をシェイクしてくる。
「あ……の……やめ……」
「うるさいうるさいうるさいわっ!! 人前でよくもあんな
「そ……それ……は、……そ……だけど……ッ」
未だ勢いの衰えない揺さぶりに、僕の
「ごめん……でも……、……僕、それくら……
言い切ると同時に、僕は前後運動から解放される。
未だ揺れる視界とその気分の悪さへ、必死に
当の
「ふ、ふーん」と何やら視線を逸らし。
「ま、まぁ?
なぜかたどたどしく言う彼女の言葉に僕は、
「――ぜひともよろしくお願いいたしますッ!!」
それはお礼ではなく謝罪のお辞儀です、と指摘されても仕方ないくらい頭を下げ、その提案を快諾する。
「じゃあ、その、……おばあちゃんには私から連絡しておくから」
そう言いつつ
「……もしもし?」
さっそく通話を始める
そんな彼女へ、ツッコミ入れてやりたい欲求をどうにかこらえた僕は、
ここ数日悩まされてきた、僕たちの
胸を撫でおろし、ほっと息をつく。
……まぁ、まさかここまで自分の恥ずかしい
「……でもこれでちょっとは色々マシに……」
「はい、これ」
と、不意にスマホが手渡される。
「どうだった?」
「大丈夫だったわ。でもさすがは私のおばあちゃん、
「……う、そ、そうですよね。きっちりしてるなぁ……」
「あと一応、他の入居者の
「ごめん、ありがとう。用意しとくよ。……じゃあ、そろそろ僕は、戻って朝の支度を……」
そう言って僕は部屋に戻ろうとする……が。
僕に連れ立って同じ扉に手をかける、僕の
その違和感に、僕は
「? どうしたの? 早くうちに入りましょ?」
「いや、ちょっと待って。……えと、荷物とかかな?」
「荷物? ……別に違うけど?」
「……じゃあ、何?」
僕の問いに、
「? 何って、朝ごはん作らなきゃでしょっ? 私、今日はフレンチトースト作ろうって決めてたのっ。……あ、でも、
「ストップストップーッ!! あの、別居はっ!?」
こらえきれずにそう持ちかけると、
「えっ! ……まさか、――一緒に朝ごはんもダメなのっ!?」
「キミは一体、何を言っているの……?」
「……そんなっ! そんなのあんまりだわ! 私の朝のささやかな楽しみだったのにっ! そこまでする必要あるかしらっ!?」
「だって、一応、別居生活ですし……」
「……そ、それは、そう……だけど……」
「……あ、じゃあじゃあ、おはようとっ、いってらっしゃいのチューはっ!? えっ、これもダメっ!? ……新婚なのに!?」
「……」
……この人、本当に別居の理由、わかってんのかな。……いや、わかってないな、絶対。
うるうると、再び、いや、三たび瞳に水分たっぷりとたたえ、男心が理解できない僕の嫁が、心底悲しそうな顔を見せている。
……まぁ、でも。
僕は、はぁ、と軽いため息をつき。
「……今日だけだよ?」
「……ほんとっ!?」
まるで拾われた子犬みたいな表情で、制服姿の
やれやれ。
……ホント、キミの『ツン』は最近一体どこに行ったのやら。
「……そういえば、まだ今日は、おはようのチュー、してなかったかしら」
「そう? あ、でも、チューならついさっき……」
「すればいいってものじゃないのっ!! 込める気持ちが大事なのっ!」
僕らはそっと、唇を重ねる。
鼻孔をくすぐる微かなシャンプーの香りが、近づいて、離れ。
「……おはよう、……いちるくん」
そう言った
超近距離な、僕と
そんなことはつゆ知らず、世界の朝はいつもと変わらずに動き出していて。
でも、それでも僕は、
やっぱり僕の嫁は、世界一可愛い、と。
今だけはバイトも、講義も、義父との約束も忘れ、
……ただひたすらに、心の底からそう思った。
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