1の2話  ガマンとか、


「……なんかもう、面倒くさくなっちゃったな」

「? ……何かしら?」

「いや、こっちの話。……こほん。とにかく、僕が苺途いちずを嫌いになったわけじゃないし、苺途いちず俄然がぜん僕を大好きなわけで……」

「ちょ、ちょ、そんな改めて復唱しないでっ。……恥ずかしいじゃない」

「大・好・き、なわけで、君が泣いちゃうような理由は何処にもないので……」

「ちょっと! なんで今わざわざ強調したのかしらっ!?」

「……つまりは事の発端ほったんである、君がトイレの鍵を閉め忘れた件について、互いの過失を認め合いさえすればこの件は丸く……」

「無視しないでっ! 一瑠いちるくん、もう……ストップストップっ!」


 いろいろとショートカットし、強引に解決へと持っていこうとするも、そんな僕の目論見もくろみに、苺途いちずからの横やりが入る。


「……一瑠いちるくんの気持ちはわかったわ。……それに、実は私も私なりに、一晩冷静になって考えてみたの。たしかに昨日一瑠くんがしたことは、言語道断ごんごどうだん、執行猶予ナシの現行犯逮捕モノだったけど……」

「あ、あくまで過失だよ? 故意にやったわけじゃないんだし! ……それに」

「……そう。そうね、百歩譲って、私が鍵を閉めなかったのも、確かに一因ね」

「いや、譲るも何も一番の原因だよね、この件の」

「――まぁ、でも何と言っても私たちはまだ、新婚三日目。共同生活にまだまだ慣れないのは、当然と言えば当然だし、今回に限っては、許してあげないこともないと思うの」

「はぁ、それはそれは、大変寛大かんだいなお心遣いで……」


「……でも」と、彼女はなぜか突然、視線をくっと引き締めて、心底悲しそうに。


「……『できれば一刻も早く忘れてしまいたい記憶』は、さすがに酷いじゃないっ! ……そりゃ、私の下着姿なんかじゃ見苦しくて、一瑠いちるくんは何とも思わないことなんて、自分でもわかってるけどっ。……でも、そんな……うっ……」


 不意に、彼女が泣きはじめる。


「……わざわざ言葉にしてまで、……っ、……まるで、汚物でも、……っ、見たみたいに言わなくても……う、く……いい、……じゃない……っ」


 その瞬間、冷水をバケツ一杯に浴びせられたような、衝撃と激しい後悔が僕を襲って。


「――ち、違うッ!」


 打算ださんも余裕もささやかな体裁ていさいも全て捨てて、僕は夢中で彼女の認識を否定する。


「……ったく、なんでそんな話になる! そんなわけない! そんなわけないだろ! ……キミは、何もわかってないっ!!」

「……そ、それは、そうかもだけど……でも、いくら私でも、さすがにわかるわ。……私のパンツなんて、……っ……一瑠いちるくんにとっては生理的に、一刻も早く忘れたいくらいのものだったんでしょっ?」

「そ、それは……たしかにそう、なんだけど、……でも、違うんだッ!」

「み、認めたっ!? 今、自分から認めたじゃない! ……いいのっ。一瑠いちるくんは優しいから、気を遣ってそうやって言ってくれてるんでしょ? でも、……ひっく……しょ、正直に言っていいよ? ……私なんか、気持ちは好きでも、もう生理的には受け付けな……」


「だから、違うって言ってるだろ!!」


 僕は我慢できず、気が付くと大声を出していた。


「……っ? 一瑠いちるくん?」

 

 驚く苺途いちずと共に、


「……ちょっとー、朝っぱらから何騒いでるの、勘弁してよー」


 なんて言いながら、同じ棟のおばちゃんやらリーマンやらが顔を出し始める。

 正直、もうここまで来たら包み隠さず言うしかないのだが、どんどん上がっていく環境のハードルに、僕は頭を抱えつつ。


「……だからその、……たしかに、昨日の一件は、生理的に一刻も早く忘れたい記憶なんだけど! 実際そうなんだけど! でもそれは言葉のあやというか、本当の意味は、その、――真逆まぎゃくなんだッ!!」


「……真逆? どういうこと?」

「……えと、それは、その……」

「……はっきり言ってくれなきゃ、わからないわっ」

「ああもう! わかった、わかりました! 言うよ!」


 そう言って僕は、覚悟を決めて。


「……これ以上キミの近くにいたら、もういろいろとガマンできなくなりそうだからッ!!」


「ガマン? ……ガマンって一体何……」



「――子、づくり、のッ!!!!」



「……」

「……」

「……」


「~~~~~~~っ!!!!!!!!!!」


 意味を理解したらしい苺途いちずが、途端にでだこのような顔をして、


「ばっ、ちょっ!? な、何考えてるのよ、このエロっ!! わかってるの!? 今、こ、子どもなんてできたら……」

「もちろんわかってますよ僕だって! お互い学校もあるし、何よりこの結婚生活の条件が、キミの卒業まで手を出さないってことだって! そんなの、キミにプロポーズする時から何となくわかってたし、ずっと覚悟だってしてきたさ! ……でも!!!!」


 僕はもう半分やけになって、この三日間隠し続けてきた内心を吐露する。

 もちろん、顔は苺途いちずに負けず劣らずでだこだった。


「……正直、毎日おかしくなりそうなんだ。キミが好きすぎて、触れた過ぎて! 昨日キミの、その……パンツを見た時も、内心ヤバかった!! もしもあの時、僕の尿意が限界寸前じゃなかったら僕は……」

「……な、ちょ、ちょ、ちょ!!! じゃあ、って……」

「そうだよ!! ……昨日の夜だって、キミのあのエロいパンツとか太ももとかが頭に焼き付いて、いろいろ大変だったんだからッ! 何なら、昨日だけじゃない。キミとここに越してきてからずっと、僕はキミを意識するあまり、もう全然眠れないんだ!! 要するに……」


 くっと息を吸い、僕は叫ぶ。


「――僕はキミが抱きたいッ!! 越名苺途こしないちずが抱きたい!! 僕は僕の大好きな、僕の嫁のことが抱きたくてしょうがないんだぁッ!!!!!!」



 朝日が差し込む、清々しい早朝。

 地味な賃貸アパートの踊り場で、欲望に飢えた若き野獣の声がこだまする。


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