み─水の音
※この作品は若干グロテスクさを含んでいます。
私はその時水が滴る音を聞いた。ぽたん…ぽたん…と落ちていく音だ。しかし、回りを見渡しても水が落ちている様子はない。会場の中には円形のテーブルが12個並んでいて、その間を着飾った人々とスタッフが行き来している。どこのテーブルを見ても水が滴っている様子はない。本当にどこから聞こえているのだろう。
「あ、池田先輩!」
突然名前を呼ばれて一気に現実に引き戻される。その声の方向を見ると神田が手を振っていた。私は水の音を頭の中から閉め出し、にこやかな笑みを浮かべて新郎の方へ寄っていった。
「神田、おめでとう。まさかお前に先越されるとはなぁ。」
「へへっ、でも池田先輩だってもうそろそろじゃね?って皆に噂されてるじゃないですか。」
「あー、まあ、な。」
思わず返事を濁してしまった。周囲が思っているほど私と柚は上手くはいっていない。
「そういえば、今度飲みに連れてってくれるって言ってたじゃないですか?」
「ああ、あったな。じゃあ今日か明日LINEする。」
「わかりました。その時は柚さん連れてきてくださいね!俺も風花連れてくんで!」
ああ、と言って頷いて私は自分の席に戻った。席を離れている間に何品か運ばれていたようで、テーブルの上は料理でいっぱいだった。そして空席になっている隣の席を見てため息をついた。
朝私が起きた時、柚はまだ隣で寝ていた。長く多い睫毛が涙で湿っているのを見て、今日の披露宴には行けないかもしれないと思った。柚が睡眠中に泣く日の朝は大抵体調が良くない。掛け布団から出た首から肩にかけての白い肌を見ながら、とりとめもなく昨夜の柚の喘ぎ声やら表情やらを思い出していた。柚は私の方を向いていたが残念ながら乳房は腕に隠されていて見えなかった。
私は柚を起こさないようにそっと布団から出て部屋着を着てキッチンに立った。パンを焼き目玉焼きを作って、さて野菜はどうしようと考えていたとき柚が起きてきた。おはようと声をかけると、
「今日披露宴行かない」
という返事が返ってきた。
「わかった。じゃあ家でゆっくり休んでて。後輩の披露宴だから僕は流石に休めない。ごめん。」
「いいよ、別に。いってらっしゃい。」
柚はそう言って寝室に引き返そうとした。
「朝ごはん一緒に食べない?」
「あとで気が向いたら食べる。」
そのまま寝室に歩き出した柚を見て思わず後ろから抱き締めた。今日はもう起きている柚に会えないかもしれないと思ったのだ。
「…ごめん。一緒に家にいれなくてごめん。」
「そんなこと頼んでない。」
どれくらい抱いていただろうか。
「…何?やりたいの?」
しばらくして柚にそう訊かれた。…やりたい?どういうことだろう。すぐには理解できなかった。やりたい、殺りたい、ヤりたい。…何?ヤりたいの?その言葉の意味に思い当たって、呆然と立ち尽くした。柚はその間に私の腕を振り払って行ってしまった。
「そういうことじゃない。」
弱々しく言った私の声は柚には届かなかった。
披露宴が無事に終わりホテルから出ると、さっきの水の音がより鮮明に聞こえるようになった。このくらいの大きさなら音が聞こえる方へと歩くことができるかもしれない。時計は15時30分頃を差していた。帰るのが少し遅れるが、それよりも音の正体の方が気になった。
音はなぜか私の家に近づくに連れて大きくなっていった。ぽたん、ぽたんとはっきりと聞こえる。そして今では水の音だけではなく、たすけてと言うとても小さな声が聞こえていた。胸騒ぎがした私は走って家に帰り、ドアを開けた。鍵はかかっていなかった。
「柚、柚、柚!」
寝室、トイレ、リビング、キッチン…全ての扉を開けて見てみたが誰もいなかった。あと見ていないのは浴室だけだ。恐怖で震える手で浴室のドアを開けるとそこには真っ赤なお湯に浸かった男女がいた。訳がわからないまま男と女の顔を代わる代わる凝視してどちらも知っている顔だということを頭のどこかで理解していた。
「柚…?」
名前を呼んでも返事はない。そんなはずはないと思って柚の身体を抱き上げた。それはとてもぐったりとしていた。今朝は見ることができなかった乳房が今は隠されることもなくそこにあった。
「どうして神田と…?」
パトカーのサイレンが遠くの方で聞こえた。
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