ま─微睡みの中の地獄
眠い。とても眠い。昼なのになぜこんなにも眠いのだろう。最近はずっとこうだ。おかげで学校にもバイトにも行けていない。4畳半の部屋の中で仰向けで横たわっていた。
最近全てが上手くいっていない。こんなに上手くいかないことがあるんだととても驚いているほど上手くいっていない。元々の間違いはたぶんこのことだと思う。バイトの上司から来たLINEに返信したら実はそれがグループLINEだったのだ。その時の文面がこれだ。
「お疲れ様です。来週はアメリカに旅行に行くのでシフト入れないです。ごめんなさい。再来週は沢山入ります。よろしくお願い致します。」
今思い出すだけでもとてもつらい。私はすぐにメッセージの送信を取り消そうとした。しかし、あまりにも焦っていたのでメッセージ自体を削除してしまったのだ。こうなると送信を取り消すことはもうできない。私はとても悲しい気持ちになりながらスマホを床に投げた。
これ以降、私の身には不幸なことばかりが降りかかってきている。まず一つは彼氏との別れだ。なぜだかわからないが、付き合っていた彼が突然「別れよう」と言ってきたのだ。なんで、と何回訊いても答えてくれない。帰ってくる返事は「お前が一番わかってるだろ」だった。だが、私には全く身に覚えがない。結局よくわからないまま彼にはブロックされてしまった。もう一つは友人との絶交だ。これについては理由がよくわかっている。私が彼氏と別れた次の日のことだった。
「美鶴、田中君と別れたんだって?」
奈緒は会った途端すぐに訊いてきた。
「うん、なんかよくわからないけど別れた。」
「そうなんだ……。」
しばらく奈緒は黙ったまま何かを考えていた。奈緒に別れたことを伝えた場合、慰めるような言葉はかけてもらえないだろうと思っていたが、やはりそれは当たっていたようだ。奈緒は『「起こったことは起こったこと」であり、それ以上でもそれ以下でもなく、その状況をどうにかできるのは自分自身でしかない』とよく言っていた。それは他人には当然適用されるが、奈緒自身にも適用されていた。私は客観的な立場からそんな奈緒を見ていたが、少しばかり生きにくそうだなと感じたものだ。しばらくしてから奈緒は口を開いた。
「あのね、私も田中君が好きだったの。」
「え……。」
私は言葉が出てこなかった。
「中3の春、美鶴が私に田中君が好きになったって言ったよね?あの時は私は彼のことは何とも思ってなかったの。でも、その時から田中君のことを観察するようになった。私の親友である美鶴に釣り合うのかどうかって考えながらずっと彼の行動を見てた。私はあなたには何の助言もしなかった。あなたはたぶんそれがいつもの私の考え方によるものだと思っていたでしょうね。でもね、そうじゃなかったの。もし、本当に彼があなたに相応しくなかったらどうにかしてても止めたと思う。大事な友達だったから。でも、私は彼を好きになってしまった。だから認めざるを得なかったのよ。あなたに相応しい人だって。夏になってそんな私を余所にあなたたちは付き合い始めた。私は自分の気持ちを封印しようとして躍起になっていた。秋になって志望校を決める時、私が南高行くことにしたのは美鶴が行くからじゃなかったのよ。知ってた?田中君が行くから南高にしたの。高校に上がってからも私はずっとあなたたちの隣で感情と戦いながら笑ってた。ずっと苦しかった。でも、あなたと彼が別れたって聞いて私のこの戦いも終わりを迎えたの。私、すごく嫌な女よね。自覚あるわ。だけどこの気持ちはもうどうにもできない。美鶴、私はあなたのことがすごく好きだった。でもあの田中のせいでここまで来ちゃった。本当にごめんなさい。」
奈緒はここまで言うと口を閉じた。沈黙が落ちる。
「奈緒、謝るのは私の方よ。でもあなたは私に何も話してくれなかった。そのことにはすごくむかつくの。だから謝りたくない。あなたの謝罪と私の謝罪でおあいこってことで謝るのはやめましょう。」
奈緒は黙っている。
「ねえ、私も奈緒が好きだったわ。田中は私たちにとっては疫病神だったのかもしれないわね。私たちの間にこんな深い溝があるなんて思いもしなかった。奈緒、元親友として一つお願いするわ。あなたもっと他人を頼りなさいよ。あなたのあの考え方、今ここで捨ててきなさい。」
「そうね……。こんな最後までそういうことを言ってくれるって本当に良い親友だったわ。美鶴と親友になれてよかった。今までありがとう。」
「ええ、こちらこそありがとう。さよなら。」
このようにして私は奈緒と絶交した。
そして、3つ目の不幸な出来事は両親の離婚だ。奈緒と絶交した日の晩、私が帰宅したときのことだった。
「美鶴、よく聞きなさい。私はお父さんと離婚することにしたの。」
一人でキッチンにいた母に突然そう言われた。とても疲れていた私は率直に勘弁してほしいと思った。だが、理由だけでも聞いておこうと思って質問した。それが間違いだったのだ。
「なんで?」
「お父さん、奈緒ちゃんのお母さんと不倫してたの。」
私は最初なんのことかわからなかった。「お父さん」、「奈緒」、「お母さん」、「不倫」。これらの単語が結び付くのにかなり時間がかかった。
「え、何?奈緒のお母さんとうちのお父さんがふりんしてたの?ふりんってあの不倫?」
「そうよ。あの不倫。」
私はたぶんこの時感情を閉ざしたのだと思う。
「なぜだか知らないけど、昨日奈緒ちゃん突然家を出ていったそうよ。それが夜中の11時ね。心配はしたけど、まあさすがに20歳だし探しに行くことはないかって思ってLINEを送っただけだったらしいのね。でも12時になっても帰ってこない、1時になっても帰ってこないっていうんで奈緒ちゃんのお母さんがあの人にLINEしたらしいのよ。『そっちに行ってませんか?』って。で、奈緒ちゃんを心配するあまり気が立っていた奈緒ちゃんのお父さんはスマホを弄っている奈緒ちゃんのお母さんを見て『こんな時に誰と連絡取ってんだ!』って怒ってスマホを取り上げたんだって。そこで奈緒ちゃんのお母さんとあの人のLINEのトーク履歴見ちゃったらしいの。『愛してる』だの『好き』だの書かれてたらしいわ。今日の朝奈緒ちゃんのお父さんから電話でそれを伝えられた。もう誰かを憎む気も起きない。私は明後日にはここの家出てくけど美鶴はどうしたい?」
そう言う母はとても疲れているように見えた。
「私は一人暮らしする。明日には不動産屋さん行ってくる。」
このようにして今私は四畳半の部屋に寝転がっている。
……それにしても、眠すぎる。
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