こ─広告代理店
私はカフェが好きだ。落ち着いた空間、程よいざわめき、「個人」を大切にしてくれる空気。そのどれもが私を落ち着かせてくれる。頼む飲み物はなんでもいい。ただ、その場所にいたいだけなのだ。そう言うと私の友人は
「えー、お金の無駄じゃん。」
と笑ったが、そんなことは断じてない。いるだけで私の全てを肯定されているように感じる場所、そして唯一他人と良い距離感を保ちながら共存できる場所。それが私にとってのカフェだ。
今日も私は学校帰りにカフェに寄った。私はテーブルを挟んだ二人掛けになっている席に好んで座る。そこが一番作業をしやすい上に落ち着くからだ。だが、アイスティーを持って席に座ったものの、なんだかレポートを書く気になれなかった。だからしばらく文庫本をペラペラとめくっていたのだが、あまり集中はしていなかったから嫌でも周りの声が耳に入ってくる。
「もう全然覚えられない!」
「テストだっけ?いつ?」
「明日!これ合格点取れなかったら単位取れない。もう最悪。」
左隣の席のカップルの話し声だ。大変そうだなと思いながらつい話を聞いていた。
「問題出してあげようか?」
と男の子が言う。
「ほんと?じゃあ、このページのペンで塗ってあるとこ出して。」
女の子は彼氏に教科書を渡した。その教科書には所々濃い緑色のペンでマークがつけられていた。あの赤シートで隠すと字が見えなくなるやつだ。
「わかった。えーと、──細胞外液に比べて細胞内液で濃度が高いのは?」
「うぅ…、最初から全くわかんない。」
「カリウムだって。」
「カリウムね!なるほどなるほど。」
「血液の中で生体防御をするのは?」
「白血球。」
「健康な成人の血液中に最も多い抗体は?」
「あー、なんだっけ?わかんない。」
「IgG?っていうの?」
「IgGか!次お願い。」
「内分泌器官は?」
「えーと、たしか甲状腺。」
「正解。」
そんなやり取りが15分くらい続いたあとで女の子はもう少し自分でやってみるわと言い、赤シートで隠しながら暗記を始めた。暗記率としてはかなり悪いと思う。だいたい50問の内半分も答えられていなかった。他人の試験を気にするのはおかしいのはわかっているが、どうしても大丈夫なんだろうかと思わざるを得ない。しばらくして、もう一回やってほしいんだけどという声が聞こえた。
「いいよ。覚えられた?」
「たぶん。」
「お、まじで?じゃあ一つ目──。」
今度はスラスラと答えていっていた。ほとんど全て正解だった。
「これいけんじゃない!?」
嬉しそうにする女の子に男の子は
「いけると思う。もっかいやっとく?」
と言う。
「いや、いい。あとは明日本番で頑張る。」
「そう?頑張れよ。」
私はあと1ヶ月後に控えた試験を思った。このままだとやばいかもしれない……。そして隣の机をチラッと見る。ちょうど女の子が緑色のマーカーペンと赤シートをしまうところだった。──私にもあれがあったら勉強捗るかな。そんなことを考えながらふと時計を見ると18時を過ぎていた。18時30分には帰ると言ってあるのだった。私は急いでカフェを出た。
「ねぇ、ナオヤ。隣にいた女の子、このペン買うかな?」
カフェの一席で高校生くらいの見た目の女の子が緑色のペンをくるくると回している。
「買うだろう。だって俺たち失敗したことないだろ?」
ナオヤと呼ばれた男の子が答えた。
「だよね。」
女の子はスマホを口に近づけて言う。
「ねぇ、リーダーどう?」
「うん、今本屋さんに入っていったよ。おっ、ペンを手に持った!」
「よしっ!」
思わずハモる。
「レジへ行く!よし!買った!!」
小声で二人はいえーいと言って拳を合わせた。
「これで今日の任務は終わりだね。」
そう言いながら男女は出口に向かう。
「だな。帰ってゲームでもしよーぜ。この前サオリ結局ラスダンの直前で終わったじゃん?あの続きやろ?」
「いいね。じゃあリーダーさんおつかれ!」
「二人ともお疲れ様。次のミッションについてはまた連絡するね。」
サオリがスマホをしまったのを確認してナオヤは言う。
「次のミッションってなんなんだろうな?今回は『チェックペンを売れ』だったし、前回は『公園にブランコをつけさせろ』だったし。」
「そうね。まあなんにしても私たちみたいなのが意外に社会を動かしてんのよ。そう思えばなんか楽しくない?」
「たしかに。そうかもな。てか俺はサオリがいるだけで幸せ。」
「まーたそんなこと言って!」
サオリは照れながらもナオヤの肩を叩いた。こうして今日も夜は深まっていく……。
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