さ─小波

 ふと気づいた時、私は小波の中にいた。波、潮、海。全てと一体化して私は存在していた。潮が満ちては引いていく音が聞こえる。海の生き物たちの囁き声、小さな歓声、そしてごくわずかに悲鳴。海の中はこんなにも音があったのか。ーーにも聞かせてあげたい。なんとなくそう思った。どれくらいの間そのようにしていただろう。少しだけ騒がしくなった。魚たちが急いで移動しているのが肌で感じられた。動けない生き物たちは不安げに周囲の状況を伺っている。誰かが私に「早めに移動しなさい。ここは危ない。」と言った。私はいつかまた平和な海が小波の音が戻ってくるだろうと思った。だからその場でじっとしていた。いつの間にか周りは動けない生き物だけになっていた。彼らは何かを諦めているかのように力なく揺れていた。しばらくすると海がなんとなく温かくなってきた。これはあれに似ている。……そう温泉。あの時は──もまだ生きていた。過去を思い出したからか全身が熱くなっていた。私は何かを思い出すことさえも許されないのだ……。周りでは生命の気配が徐々に失われていっていた。みんなどうしてしまったのだろうか。私がこんなに思い悩んでいるから逃げていってしまったのだろうか。……あの時のように。私は悲鳴を上げた。急に身体が焼き切られるような熱さに襲われたのだ。やっぱり私がいけないのだ。私がこんなことばかり考えているから……。

 ふと気づいた時、私は海の中を揺蕩っていた。今度は小波の音は聞こえなかった。今度は……?私は何を言っているのだろう。小波の音を聞いた覚えなどないというのに。私の中にあるのはただ遠い記憶。なにがなんだかわからないうちに追い出されてしまった痛み。それだけだ。私は今日も仲間と共にこの強大な海の中を揺蕩う。仲間の一人が「今日の波はやけに速いな」と言った。その言葉がきっかけとなったのだろうか。みんながこの場所から離れようと意思を持って泳ぎ始めた。隣にいた仲間が何者かに話しかけた。「早めに移動しなさい。ここは危ない。」誰に言ったのだろう?私には姿が見えなかった。私は自分では一生懸命泳いでいたつもりだった。しかし、いつの間にか仲間とはぐれてしまっていた。私はいつもそうだ。大事なところで失敗する。ああ、身体が熱くなってきた。みんなは今頃安全なところで穏やかに揺蕩っていることだろう。……私のことなど忘れて。

 ふと気づいた時、私は硬い物に身体を入れて海の中を移動していた。よく見てみるとその硬い物は渦を巻いている。それを知ってなぜか気分が高揚する。今日は良い日になりそうだと思った。しばらく泳いでいると海の温度がいつもより高くなったように感じた。じっとして様子を伺う。どうやらあの方向から来る潮が温かい海水を運んできているようだ。本能が「逃げろ」と言う。「今度こそ私は逃げなければならない」と。「今度こそ」の意味がわからないまま無我夢中で身体を動かし、その海域から出ようとした。途中で小さな魚の群れを追い越した。彼らは助かるだろうか。そんなことを考えていた時、急に身体が動かなくなった。岩の裂け目に挟まってしまったようだ。徐々に熱くなってくる。どうしてこんなことばかり起こるのだろう。私は何か悪いことをしただろうか?どうして、どうして……。意識が遠退いていく。

 ふと気づいた時、私は小波の中にいた。波、潮、海。全てと一体化して私は存在していた。潮が満ちては引いていく音が聞こえる。海の生き物たちの囁き声、小さな歓声、そしてごくわずかに悲鳴。海の中はこんなにも音があったのか。──にも聞かせてあげたい。なんとなくそう思った。どれくらいの間そのようにしていただろう。少しだけ騒がしくなった。魚たちが急いで移動しているのが肌で感じられた。動けない生き物たちは不安げに周囲の状況を伺っている。これは大変なことになったかもしれないと思った。こちら側に泳いできている魚たちもあそこで必死に移動しているアンモナイトもきっとこのままだと死んでしまう。どうにかできるのはきっと私だけだ。過去に何があったとしても、私は「今」を生きていて、その「今」危険に晒されている生き物がいる。私は動き出した。私の中の全ての力を出して魚を、アンモナイトを、この海域にいる全ての生き物たちを助けるために波を作った。どうにかして助かってほしい、その一心だった。

 ふと気づいた時、目の前に彼女がいた。彼女の存在を確かめるかのように私は右手を伸ばして彼女の頬に触れた。温かい液体が手に触れる。……潮。「なぜ泣いているの」そう問うた。「あなたがいなくなってしまう気がしたの」「なんでそんな気がしたの」「なんとなく」彼女の唇は小さな生き物のように震えていた。「いなくならないよ。小波の夢をみたんだ。君と出会うずっと昔の夢をね。」

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