第4章

 ありすが電車を降りた後、僕はぼーっとしながら窓の外を眺めていた。もう外は真っ暗になっていて、窓ガラスには間の抜けたような僕の顔が映りこんでいる。そんな自分を見るのが嫌になって、僕はブラインドを下げた。

 ありすが僕のことを思い出したいと言った時、僕は心を決めた。僕はあの事件の時、体を動かすことができなかった。やっと動かせても、大切なありすの人形めいた顔に恐怖し、逃げ出してしまった。僕はその罪に向き合うことを決めた。ありすが事件のことを思い出したら、僕はあの時のことを謝ろう。そうして初めて、僕はありすの隣に晴れやかな気持ちでいられることができる。けれど、現実はそううまくはいかなかった。結局、夕日を見てもありすは何も思い出すことがなく、そんなありすに僕は何も言えなかった。何を言っても、気休めにしかならない。そんな気がした。

 あの悪夢はまだ続いている。でも、一番の救いは、人形めいた顔が、僕を詰らなくなったことだろう。きっとこの夢も、僕がありすに謝罪し、罪をそそぐことで、終わりを告げる。それは予感だった。

 駅に着いて、自宅に着くまで、僕はずっとそんなことを考えていた。


 翌日。僕は中学三年生のフロアで、ありすの姿を見かけなかった。れいに聞いてみると、ありすは今日の朝から、学校に来ていないらしい。

 僕は不安を抱えたまま、放課後までを過ごした。ありすが休んでいるのは、昨日のことが原因だろうか。あの後、帰宅してから、もしかして何かあったのだろうか。事件当時のことを思い出して、あのショッキングな出来事に、震えているのだろうか。

 ありす、ありす、とどこにも届かない呼びかけを心の中でしながら、僕の目は黒板の上を滑っていた。


 放課後、僕は暗い気持ちのまま部室に行った。幸い、部室に部員はいない。

 僕はブラックコーヒーを淹れて、それをちびちびと飲んでいた。

 ガチャ、と音を立てて、ドアノブが開く。

「こんにちは」

「こん……え?あ、ありす?」

「こんにちは、るい

 あまりにも慌てたものだから、カップからコーヒーが飛び出して机の上に広がった。僕は急いでそれを拭き取る。

「ありす、今日休みじゃなかったの?」

「午前は大事を取って休んでいたの。昼休みが終わる前に来て、午後の授業は全部出たわよ」

「大事を取って……って、まさか」

「そのまさかよ。私、あなたのことを思い出したの。もちろん、あなただけじゃないわ。レイや、他の部員のことも。私がこの部活に入って、わずかな間だけど活動していたことも。それに……あの事件のことも」

 ありすはそこで言葉を切った。部屋を沈黙が満たす。

 不思議なことに、僕は落ち着いていた。来るべき時が来た。そう思った。

「類、私と大事な話をしましょう」

「そうだね。場所を変えよう。どこがいい?」

「庭園はどうかしら。あそこならあまり人は来ないと思うの」

「じゃあ、そこにしよう」

 僕は努めて平静を装った。変な気分だった。まるで、これから戦いに赴くような感じだ。

 部室を出る。カウンター周辺に部員はいない。もしかすると、零が気を使って根回しをしたのかもしれない。本当に、零にはお世話になってばかりだ。

 扉を開けて、僕とありすは図書館の外に出た。

 バタン、と重い音を立てて、背中で扉が閉まった。

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