海辺の図書館①

播磨光海

プロローグ

 下校時刻の過ぎた学校に、静謐な空気が漂っている。その中でも図書館は、まるで夜の湖のようだった。カウンターの奥にある小部屋のドアに取り付けられた小窓から、光が漏れ出している。

 その部屋の中で、上道じょうとうつづりは日誌をつけていた。後ろで一つに束ねた髪は墨を流したように美しく、鳶色の瞳は長いまつ毛に縁どられている。流麗な文字が、彼女の手によって紙面に綴られていく。

 突然、ノックの音が小部屋に響いた。

「どうぞ」

 綴は手を止め、呼びかける。

「失礼します」

 入ってきたのは、一人の男性だった。名前を里庄さとしょう誠太せいたという。二十代後半の国語教師であり、図書部の顧問を務めている。

「こんばんは、里庄先生。どうされましたか?」

「いえ、大した用ではないのですが、その。お願いがありまして」

「お願い?」

「はい。僕は今年ここに赴任したばかりで、その上に図書部の顧問という立場に就きました。しかし、情けないことに、ここがいったいどういった部活なのか、どんな歴史を積み重ねてきたのか、僕には全く分からないのです。そこに、上道先生がここの卒業生で、元図書部員だったという話を耳に挟みまして……」

「なるほど、そういうことならば手をお貸ししましょう」

 綴は快く答えると、日誌を閉じた。そして、紅茶の用意をする。マイセンのティーポットから、白い湯気が立ちのぼる。アールグレイの香りが、小部屋に広がった。

「どうぞ」

 里庄は前に置かれた紅茶を一口飲み、息をついた。

「……おいしい」

「イギリス生まれの後輩が、教えてくれたのです。いい思い出でした」

 綴は懐かしむようにティーポットを撫でた。その優しげな眼差しは、里庄に羨望と好奇心を湧き起らせる。

「図書部って不思議な部活でしょう?毎日のように本を棚に返したり、レビューを書いたり、おススメ本の紹介企画をしたり……私も、入部した当初は、それが何の意味をもつのか、分からなかったのです」

 綴はそう言うと、一度目を閉じた。

「里庄先生。たった一年間だけを、切り取ってお話しても、よろしいでしょうか」

「ええ、構いませんが……。でも、なぜ一年間?」

 不思議そうな顔をする里庄に、綴は微笑んだ。

「活動内容だけを話しても意味がない、と思ったのです。私は部員としてかつてここに図書部に籍を置いていましたが、その六年間で様々なドラマがありました。その人間模様も含めて、図書部なのだと思うのです。もちろん、今の図書部とは違う人間模様ですが。ですので、六年間のうち、最も私の印象に残っている一年間を取り出して、お話しすることにしましょう」

「そうですか。それはとても楽しみですね」

 期待を隠し切れない里庄に向かって綴は深く頷き、右手でそっと使い古された腕時計に触れた。

 

 そして図書館の司書は語りだす。

 十年前の、彼らの物語を……。

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