第3話『超常の集結地』-その6

 明かりのない暗く深い地下。人気のないそこに足音が一つ。隠す気の無い堂々したソレに闇の中にいる者たちはただ静かに、その様子を眺めるのみに徹した。

「いるんだろう。声くらいかけてくれてもいいんじゃないかな」

 すると特に緊張もない軽快な声でソレは語りかけてきた。不遜ともとれるような態度である。

「まずは名乗れ」

「君たちのボスから聞いてない?」

「……」

「まあいいけど。私はクレスン。災厄の禍人だ」

 そのモノは臆することなくはっきりと答えた。

 無論その名前はここにいる誰もが知っている。暴虐の限りを尽くす災厄の禍人。先の一件にて大きく貢献したことで、正式に加盟し、そして今回の作戦にも加わることとなったモノ。二本ある内の一本が折れた角はその時に負っただが、それがより歴戦の強者であることを伺わせる。

 彼はゆっくりと視線を巡回させると、軽く笑った。

「何がおかしい」

「怖いか、私が」

 その笑いは嘲笑であった。過敏にさせていた神経を撫でるかのような声である。

「……何を言っている」

「伝わっているんだよ、君たちの感情が」

「……」

 その言葉に唇を引き裂き結んだ。

 怖い。

 確かにそうだろう。何せ相手は化け物。自分とは異なる存在だ。しかもソレは理解し得ない思想を持ち合わせている、敵と認識して差し支えない危険因子。怖いと形容せずして何と言おうか。

 こんなモノを作戦の一部に加えるなど考えもよらなかった。戦力増強のためか、それとは別か。何にせよボスに何か思惑があることは間違いがない。ただリスク面においてどれだけ計算が出来ているのかは甚だ疑問である。しかしそうは言ってもソレが重要な戦力の一つであることは言うまでもなく、無視できるだけの力を白盟は持ち合わせていない。力は充分。危険性は未知数。

 その天平が傾いた結果が先の件と現状なのだとすれば異論を挟む余地はなかった。

「怖がらなくてもいい、と言っても無駄かな」

「いや……その通りだ」

 だが、今このモノが反旗を翻すことはない。

 それだけは明確である。彼の目的は殺戮と暴虐。力で力を捻じ曲げ破壊することにある。そのお膳立てをこちらがしてやろうということなのだから、互いの利害関係は一致している。なら危険性は少ないはず。少なくとも今は。

「まあどう思ってくれてもいいさ。そちらの役割を果たしてくれさえすればね」

「無論だ」

 短い返答に対し、クレスンがニコリと笑った気がした。どこか理性的な雰囲気に嫌気が差したが、一度思考を打ち切り本題へと話を進めることにした。

「こちらの首尾は上手くいっている。予定通りに計画は行える。あとはその時が来さえすればいい。それからは君たちの次第だ」

「こちらも問題はない。今からでもいいくらいだ」

「……ならば結構」

 このモノの言葉がそれだけで一層空気をひりつかせた。「今から」とは「ここで」とも取れたからだ。

 ジョークつもりか、それとも何かの暗示か。その意図は自分たちには汲み取れはしない。

「だが果たして、本当に大丈夫なのか」

 しかしクレスンは急に弱気な言葉を出した。

「何か問題が?」

 その反応がやけに珍しく感じられて、つられるように問い返すとクレスンは少し唸る。

「相手はあのジーニアス=サー。惰性を貪るルーラーの領域とは訳が違う」

「上手く進みすぎている、と」

「そうさ。彼らが何も知らずにいる訳がない」

 憂げではない。むしろその声は、どこか上ずっているとさえ感じた。

「……もし仮にそうだとして、何か手立てがあるか。こちらはルーラーの自由を握っているんだぞ」

「ルーラーがいなくても超常人類や武人たちの自律は可能だろう」

「もちろん。だがそのための君だ」

 そう。クレスンはそのためにいる。その力を頼りにしなければ、このモノを引き入れる理由などない。いつでも切れる尻尾だからこそこうしていられる。

「不安か?超常人類たちと正面からぶつかるのは」

 こちらの挑発的な問いかけにクレスンの巨躯がぶるりと震えた。その振動の波が空気から伝わって来た。そして。

「……いいや、楽しみだ」

 一瞬の間に夥しい殺気が当たりに迸った。針を放出するかのように鋭く、気でもおかしくなるような毒々しいそれに周囲は息を呑む。

 改めて自分とモノの差を目の前で見せつけられ、より一層疑心は深まる。

 だが。

「……ならば結構」

 このモノならば、天才たる超常人類さえも抑えられる。期待は確信へと変わった。なおのこと、この状況下で切り捨てられる力ではないことを知った。

 この街の積み上げた全てが白紙へと変わる日は近い。その兆しをそのモノに見いだした。



 それからはなんだか心配していたのが嘘みたいな日常に戻っていった。毎日の訓練も順調で、体調も良好。多少あった胃の痛みも実に軽やかで模擬戦の傷もすっかり癒えた。サーリシャもよく笑うようになった。まるで気の知れた友人かのように何でもない雑談もするようになったし、当初の頃よりも明るくなった。元々が明るかっただけに、ブローディアはそれを殊更うざがっていたが、ツルギ自身は自然体になっていくサーリシャの変化は嬉しく感じた。

 また、そこからの訓練所の景色には一つの色が加えられた。この街の武人たちが訪れるようになったのである。まだ疎らではあるが、どの時間帯でも一人は必ずいるし、ガレスなどはここのところ毎日いる。

 彼に話を聞くと、人身機巧との組み合わせを広げるためであるとのこと。人身機巧は使用者の身体能力と密接に結びつくものであるからして、ごく当然の理由付けである。そしてここに来るようになった理由はシンプルで、ここにはそれをするための機材が揃えられているから。聞かずとも辿り着ける結論だが、彼はそう答えた。

 人身機巧を付けず、片足と片腕しかない彼の動きだがその動きはしなやか。ここに来ていなくとも、自主的な鍛錬は怠ってはいなかったのだろう。

 身の回りが少しずつ、明るくなっていく。だが、その一方でクーリフは面持ちは日に日に暗くなっていった。何か悩みがあるのか、それとも日々の疲れが溜まっているのか。それは聞き及ぶことはできないが、いずれにしろそれを放っておくこともできない。

 しかしどうするのが最適かはツルギにも良く分からなかった。やはり自分にはただ言われた通りに武に勤しむことしかできないのか。

「ツルギお兄様」

 その日の訓練を終えて帰路に着く途中、思いに耽るツルギを後ろからサーリシャが呼び止めた。

「ん?」

 何かと思って振り返ると、彼女が立ち止まっていたのは掲示板の目の前。手招きをする彼女に従って後へ戻ると彼女は溢れんばかりの笑顔で一枚のポスターを指差した。

「夏祭り?」

「ええ、如何でしょう」

「一緒に?」

「もちろんです」

「……」

 夏祭りの催し。日程は今から5日後。ポスターの書かれている内容からすると色々な屋台が出る上、どうやら今時珍しい花火も打ち上がるそう。

 可憐なる少女と共になら、決して悪くは無いだろう。きっと楽しいだろうし、興味もなくはない。ただ正直、今はその気は乗らない。人混みは自分はもちろん、外に出てこれないブローディアでさえ嫌がるだろう。そして何より、そんなことをしていていいとは納得が出来なかった。

「すまんが────」

「いいじゃない」

 屈託のない笑みを見せるサーリシャに罪悪感を感じつつ断ろうとすると、ブローディアがそれを静止させた。

「悪くないわ」

「ディア?」

「花火、見たことないから興味はあるわ」

「決まりですね!」

「……」

 嫌な予感を払拭させるかのようにサーリシャは即答。もはやこの状況を覆せる道理もなかった。

「分かった。だが、その日は通院の日だからその後で」

「はい!」

 溢れんばかりの笑顔。

 結局、それに応えて良かったなと思った。



 病院の待合室。

 相変わらず見知った顔ぶれが揃っていたここも今日が最後の日となった。

 それはつまり自身の傷と精神が回復したということ。それが嬉しくもあり、同時に寂しくもあった。なぜならば、ここにいられるリミットが迫っている証拠でもあったから。

 こんな風に思えるのも自分に余裕ができたからこそ。以前ならば一刻も早く治してしまいたいと思っていた。もちろんいつまでもそのままでいたかったわけでもないので、何やら複雑である。

「お待たせいたしました」

 感傷に浸りかけたツルギにそう声をかけたのは付き添いのイーリス。現在、彼女は妊娠中であったらしく、そのための定期検診を兼ねていた。

「今日で診察は終わり、でしたよね」

「ええ、おかげさまで無事終われました」

「それは良かった。今日はお祝いですね」

「……ありがとうございます」

 照れ臭くも、彼女の心遣いに感謝。しかしそれと同時に一つ気がかりがあった。

「では参りましょう。この後のご予定は何かありますか?」

「午後からサーリシャとの訓練があります。それ以外は特には」

「では少し寄り道していきませんか」

「ぜひ」

 少し話したいことがあったので、これを好機と見たツルギは即答。

 そうしてイーリスに連れ出されたのは以前エメリーと共に訪れたカフェ。個室に入るとイーリスは前と同じくケーキを二つとコーヒー、ミルクコーヒーを頼む。

 それらが運ばれてくるとまた前と同じく、カードキーを差し出した。

「お心遣い、痛み入ります」

「いえいえ」

 好意に甘えてツルギはブローディアを解放。すると彼女もまた変わりなく、影から出てきては大きく伸びをした。

「いい心がけよ」

「お礼を言えよ」

 非礼に対して、頬を抓ろうとするとブローディアはそれを回避して手で守りに入った。

「ちょっと、暴力はやめてよね野蛮人」

「……」

「これもらうわ」

 こちらの睨みにも動じず、ブローディアはケーキを一つ引き寄せて一口。続けてミルクコーヒーを飲む。

 幸せそうな彼女に頬を緩ませかけつつ、ツルギはイーリスへと向き直った。

「失礼をしました。すみません」

「いいえ、ツルギさんもぜひ召し上がってください」

「いただきます」

 イーリスは気にした様子もなく微笑むので、ツルギも絆されて愛想笑い。

 なんだか彼女たちの穏やかな表情を見ていたり声を聞いたりしていると、緊張感や怒りといった張った心が安らいでいく。彼女たちのそれは身に覚えがある。自身の旧友であるセリスと同じなのだ。彼女たちがどのような心境でその雰囲気を醸し出すのかは不明。なんとか見習ってみたいものだが、多分自分には真似できなのだろうなと思った。あまりにも人としての出来が違う。

 そんなことを考えている内にツルギもブローディアも優雅に味を楽しむ様子もなくケーキを平らげる。

 すると、機を見てかイーリスは静かに声を発した。

「最近のサーリシャはご迷惑をおかけしていませんか」

「……いえ特には」

 つい「最近は」という言葉に釣られそうになった。先の件はすでに終わっているので、それを口にするのは憚れた。

 しかし。

「そうね、最近はまだマシになったかしら」

「おい」

 座席で踏ん反り返るブローディアはえらく偉そうな態度で言った。

 いや確かに、前のサーリシャのことは自分でも良くは言えない。だが今ではそれを改めているし、何よりそのことについてはすでに謝罪をされている。だからこれ以上の言及は不必要である。

「というか、正そうともしないお前が言うなよ」

「何よ、あんただって気にしてたじゃない」

「……お前な」

 さすがに強く咎めようとすると、そこでイーリスは口を挟んだ。

「申し訳ありません」

「──いやそんな」

 凍りついたツルギであったがすぐに持ち直して声をかけた。だが少し上擦ってしまった声は自身の後ろめたい気持ちの証明であった。

「すみません」

 本当はするべきではないのであろうが、ほとんど反射的に謝った。するとやはり、彼女は手を振る。

「ツルギさんは何も悪くはありません。ですから、どうか気になさらないでください」

「そう……ですか」

「はい……」

 気まずい雰囲気が流れる。

 さすがにまずいと思ったのか、ブローディアは影へと退散。今すぐ叱りつけてやりたい気持ちだが、雰囲気がこれなだけに中々そうも出来ない。きっとイーリスもそれを望んではいない。

 息を一つ吐いてからツルギは意を決した。

「自分にとってはそれはもう過ぎたことです。なので本当に大丈夫です。それに……」

 少し言い淀ませながら、ツルギは続けた。

「気持ちは……自分にも少しは分かります」

 ツルギの返答にイーリスははっとして、より一層面持ちを暗くさせた。

 力関係をはっきりとさせられないジレンマ。立場は上であっても力関係は真逆であると、そういったことも当然起こり得る。武人同士ならばまだしも彼女たちの関係は武人とそうでない者。しかも相手がこの世における最強の一角を冠するならば、それはそう易々と覆せない壁である。家族という垣根の中であったとしても、同じ土台に立ってはいないのだから強くは出れない。

「重ね重ね申し訳ありません……こちらの都合なのに」

「いえ。それでも、推し量ることはできますから」

 コイツを除いて。

 ひとりごちて影の中のブローディアを睨みつけるが、彼女からの反応はない。

 重い空気が漂う中、口火を切るようにツルギは口を開いた。

「とは言ったものの、一つ気になる事がありまして」

「はい」

 すっかり消沈したイーリスにかける言葉もなく、そのまま続けた。

「クーリフさんのことなのですが、様子がおかしいなと思っていて……何か分かりませんか。いや!決してそれが邪魔になっているとかではないのですが、少し気になっていて」

「クーリフのことですか……」

 その反応から察するに、言い出しづらいのだろう。するとやはり聞くべきではなかったかもしれないと思った。

「すみません。分かりません。思い当たることがあるとするならば、おそらく仕事関連のことですが、私たちにそのことを知る権限がありませんから……」

 縮んでいくイーリスの肩。泣き出してしまうんじゃないかと思うほどに酷く思い詰めた顔つきに、やはりツルギは後悔した。

「だとしたら出過ぎた真似でした。こちらこそすみません」

「いえ……ただ……そのことはすぐに解決できるかもしれません」

「と言いますと」

「主人が帰ってきます」

 アカサタナ家の当主キリシャ・アカサタナ。現存する血盟の六画に深く関与一人。ルーラーの側近とし活動しており、その領分は外交。基本的に仕事は外部領域に依存しているため家を空けることが多いのだとか。すると話はすぐに見えてきた。彼はクーリフの父であり、上司にあたる人物でもあることを察すれば、イーリスが言う「すぐに解決できそう」という言葉も頷ける。クーリフの不安はキリシャであれば適切に拭うこともできるだろう。

 ただしそれを聞いて一安心、で終わる話ではなかった。ツルギの全身に緊張が走る。キリシャが身分の高い人物だからではない。当主の居ないその家に自分が居着いているからである。ひと月ほどここにいるツルギだったが面識は全くない。

 キリシャがそれを知らないわけはない。当然自身がアカサタナ家に世話になることは知っているだろうし、それを承知してもいるはずなのだ。別にやましい事はない。ならば何の問題ない。ないはずなのだが、どういうわけか不自然な緊張感が自身の身を強張らせた。

「……ツルギさん?」

 こちらの空気が伝わったのか、イーリスは不安げに小首を傾げた。

「いえ、何でもありません」

 何か凄く、嫌な予感がする。

 その予感が的中することは無いのだろうが、しかし何にしろバツは悪い。

「なるほど、ところでご主人のキリシャさんがお戻りになるのはいつ頃のお話でしょうか」

 気を取り直して質問してみる。

「五日後の……夏祭りの日です」

 見え透いた誤魔化しだが、イーリスはそこは何を言うこともなく返答。

「……夏祭り?」

「ご存知ではありませんでしたか。ハリングでお祭りがあるんです」

「あ、いやそれは知っています」

 何せ約束は昨日したばかり。頭の中には当然残っている。

「その日に主人が戻ってきますので、そこでクーリフが抱えているものも少しは和らぐかと思います。なので…………ツルギさん?」

 ツルギは心身を完全に硬直させていた。

 予期せぬ事に動揺を誘われ、不本意ながらも心中の不安を打ち明けてみた。

 家長不在の家に住まわしてもらっている事、そして夏祭りの日にサーリシャと約束をした事。

 話を終えるとするとイーリスは複雑そうな、しかしどこか嬉しそうな表情になった。

「一応、ツルギさんのことは夫に話が通っています。なのでそこは心配なさらずに……」

「そこは、ですか」

「申し訳ありません。キリシャは、サーリシャに対しては少し過保護の気が強くて……しかしそこは私たちがサポートしますから、あまり心配しないでください。大丈夫ですから」

 父誰しも娘のことは可愛い。それは例外はあっても万国共通だろう。すると嫌な予感は遠からず当たっていたのだ。

「……」

 不安しかない。

 新たな問題を胸に抱えてしまったツルギは結局、その後も晴れることはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻影刀姫ブローディア ガンセキ @anikinghm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ