第3話『超常の集結地』-その5
「模擬戦、ですか」
「うん。そろそろだと思ってね」
14日目、朝食後。
呼び止められたツルギは問い、クーリフは相変わらず色のない瞳のまま、少し微笑んでみせた。
「どうだろうか。やれそうかな」
「……そう、ですね」
彼のその申し出はツルギとしてもやぶさかではない。この街の武人と手合わせ出来るという話であるし、その分得られるものは大きいだろう。
しかし。
ツルギはクーリフの後ろで苛立たしげなサーリシャを横目で見る。明後日の方向を見ながら腕を組む彼女は指を頻りに動かしていた。
その態度が示すのは、なんだろうか。
単純に模擬戦が気に食わないのか、それとも別に理由があるのか。
「そろそろって、何がそろそろなのかしら」
返答に困ったツルギだったが、一方でブローディアは少し興奮気味に声を出した。彼女も彼女で苛立ちを隠すこともない様子を見れば、どっちもどっちか。
「ツルギの精神面の話だ。回復していると僕は感じているが。その点についてどうだ」
「それは────」
分からない。
そうとは思いつつ、これまでの事を思い返してみた。
まず睡眠について。こちらは現在は良好だ。ここに来てからしばらくは緊張もあり中々寝付けなかったが、しかし今においては安定した入眠は可能。これは回復という意味ではかなり大きい。以前では想像も出来ないものだ。
そして食事について。こちらも良好。当初は喉を通りにくさを感じていたが、食自体の品質の高さからか以前にも増して旺盛になりつつある。つまり美味しくてついつい食べ過ぎてしまう程度には向上している。
ならば。
精神面に関しては、全く問題ないのではないか。
レリジョンでの一件から負ったものはすでに回復していることにそこでようやく気づいた。たった二週間でここまでの回復は予期していなかったために少し動揺したが、それは紛うことなき事実。だとするならば、今まで感じていた精神的な不安はなんだったのか。仮病にも等しい、言いようのない感情、その正体とその初源は────。
それはおそらく、彼らだ。
そうではないと思いながら、しかしそれ以外に何があろうかと自問する。
彼らから伝わってくる陰気は、以前エメリーと話をした通りで、ブローディアが言っていたことは正論そのもの。冷ややかな彼らとそこから来る自身の焦燥は対極にありながら、しかし密接に関わり合っている。
師弟などの関係を結ぶ時、そこに温度差があってはならない。互いの熱を分け合い、差を限りなくゼロしなければ、関係や均衡は保てず、摩擦を生じさせる。それはミコノが言っていたことで、今ほどその言葉が身に染みたことはない。ならばやはり、そういうことなのだろう。
「分かりました。こちらも準備を進めます」
意を決してツルギは自身の意思を示した。今までの自分を反省し、そしてここから、もう一度歩き出すことを決めた。
これから更に成長をしようとするならば、彼らの助力は不可欠。ならば彼らとの温度差を埋めなければならない。今まではそれに目を背けてきたが、しかし立ち向かわなければならない。これは誰でもない自身たちの問題だ。本来ならば、直接その不満を打ち明ければ良いのだが、しかし自分としては行動で示したいと思った。その行動の結果で好転しなければ、違う方法を取れば良い。ただ今はとにかく、自身の熱を彼らに伝えたい。その一心で進む。その決断を、今した。
サーリシャはツルギの言葉を聞くと、実に不満げな態度でその場から去っていった。もはや何を言うこともない、と言うことなのだろう。
「ありがとう。では、二日後に設定するからそのつもりで調整してくれ。サーリシャからは僕から言っておく」
「承知いたしました。よろしくお願いします」
ツルギは背を向けて去っていくクーリフを見送りながら、喝を入れ込むように胸を拳で叩いた。
「では、ここまでにしましょう。明後日のこともありますしね」
「ありがとうございました」
その日の午後。
言葉には直接出さないが、サーリシャは不貞腐れた態度なのに対し、ツルギは真摯に礼した。
はっきり言って、何の身にもならない訓練だった。流す汗も無いほどの手抜き加減で、ツルギも内心苦笑した。
確かに目の前にいる彼女は、戦闘面の技能は卓越している。自分などでは太刀打ち出来ないほどに身体能力も高い。しかしその様子はまさに少女そのもので、年相応に神経を尖らせ、腹を立て、それを隠すこともなくいる。つまり全てが整っていて完璧な訳ではないのだ。
今更そんなことを意識できるようになったのは、これまで自分がサーリシャという超常人類に引け目を感じていたから。彼女という個人を見ていなかったからに他ならず、そこは自分の悪いところでもあった。
「サーリシャ」
早々に踵を返した彼女にツルギが呼びかけると、眉間に皺を寄せて返事もせずに声に振り返った。
「明後日、頑張るから」
「はあ」
「明後日、俺の全てを出す」
「ええ、そうしてください。それで?」
素っ気ない態度の問いにツルギは不器用な笑みを見せた。
「よく見ていてほしい。何の期待にも応えられないかもしれないが、それでも必ず死力は尽くす。今までが無駄だったなんて、思わせない」
「………………分かりました」
沈黙を置いて彼女はそれに応じ、そしてまた元に戻り去っていく。
何を思ったのかは分からない。分からないがしかし、それを考えるよりも今は自分の事だ。
「良いの。あんなこと言って」
「ああ、大丈夫だよ」
先ほどからずっとそのままであったのだろう。ブローディアの声にも熱が篭る。
「根拠はあるの」
「ないよ」
「はあ?」
ブローディアは思いきり感情を剥き出しにした。鬱憤が溜まりすぎているのだろう。
「今度はあたしから言わせてよ、もう我慢は出来ない」
「ああ。だがその時は一緒に、な」
「………………」
それからはブローディアは何も言わなくなった。やはり考えていることは分からない。だが、今はそれでも良い。
全ては明後日の模擬戦で決する。その時までは、考えなくても良い。
ツルギは立ち尽くすのをやめ、その場を後にした。
クーリフから模擬戦に関する続報を受けたのは、その日の夜。
彼も彼で相変わらず忙しなく動き回っているようで、その日の夜はいつもに増して疲れた様子だった。声をかけようにも、それは叶わない。自分の方が年上だというのに何の言葉も出なかった事に少しの後悔もあったが、しかしそれはそれとして自身の立場に帰ることにした。
自身の相手になるのは、ガレス・アスピレスという武人。年齢は三十二歳で性別は男性。身長は自身よりもわずかに高い一七八センチメートルで、体重は平均的。経歴や素性についても特に特出したものはなく、かつては特殊警護の職についていた。その職務の中に手足を一本ずつ失ったことで退職。現在はこの都市における研究生として従事している。その領分は『機巧人身』。
機巧人身とは、身体の一部もしくは全部を機械に置き換える技術である。人体の部位はもちろんのこと、現在であれば心臓や腎臓などの内臓ですらも代替させることができる。また精密な技巧を持つ機械として換装することで人体機能の補填や上昇などを行えるため、汎用性は高く刀姫技術に並ぶ人類の主産業の一つである。彼はこの街の機巧人身技術のテストプレイヤーであり、既に第一線からは退いた人物である。
「……」
いかに武人と称されても、現役とは程遠い。自分に充てがえるのはその程度の人物でしかないと、言われているような気にもなる。
しかし、彼はこの都市で根をはる者の一人。武人として名を残していなくとも、決して普通でないことは明白である。
「……」
思考は深くへと進行する。
何をすべきか、どうすべきか。
見えているのは勝ちをもぎ取るという結果だけで、具体的な策は思いつかなかった。ブローディアの力があれば、こうはならない。彼女の力を考慮すれば、過程を組み立てることは造作もない。
この現状が指すのは、つまり自分は自分で思っているよりもずっと低レベルで、何も持ち合わせていないことへの証明で、そして本当は自分を信じていないことの証拠である。
しかも火器の類も使用を禁じられている事も、それに拍車をかけた。機巧人身は隠し武器を備えていることが多いがそれを禁じられているということは、アドバンテージは圧倒的にこちらにある。だというのに、自身の手持ちが減ると途端に戦術は減り、余計に戦況の悪化した。
引き出しの少なさもそこで判明。
考えるほどに悪循環が自信を取り巻いていく。
そして足早に日は流れ、模擬戦当日。
2日間という時間の中で最後に総括されたのは直球勝負。自身の四肢と勘を駆使して戦うという実に心許ないもの。作戦というのもおこがましいが、ここまで考えて何もないのでは、意味がない。その結果、戦いの中で迷いを生じさせるならば、稚拙であろうと終着点は定めなければならない。故に、そこに至った。
装備は専用のものを身に付けることが許可されているため、いつもの戦武衣装を控え室で着用。この街で新品のように整備されたそれらに感謝し、緊張した面持ちで会場へと入場。
普段は殆ど居ない利用者もこの時ばかりは少し違った。
大掛かりな装置を持ち寄り絶えず調整を行う相手陣営。怪我にした者へと即座に治療をするため準備する医療班。間近で観戦しようと知らない人たちが数組。会場を見下ろす観覧席にも数組、その中にはクーリフとサーリシャが含まれる。
実に三十名ほどが集まっていたそこは決して多い人数ではないが普段からすれば、少しだけ異様でアウェー感が漂っていた。
こんな緊張感と高ぶりはいつぶりであろうか。学生時代にはこんな催しはよくあったが、武人となってからはこんな事はなかったなと、今の空気に懐かしさを感じた。
生死をかける戦いと優劣を決するための戦い。無論前者こそが重要なものだと知っているが、しかしこの戦いはツルギにとっては様々な面で大きな結果を生み出す。
とにかく、勝つことは必須。そしてその過程も重要。ここでやってきたことを一つ一つ思い出し、しっかりとそれを示す。そうしてサーリシャの心を少しでも繋ぎ止め、自分に向かせるのだ。
そう意気込みながら扱う短刀の確認を速やかに済ませて、相手よりも一足早く舞台へ。その中心にて正座し、ツルギは心身の集中に努める。
足の指先から髪の一本までに神経を行き渡らせる。呼吸は静かに、一定に保つ。
そしてその内に、相手もまた舞台へ。相対する二人。言葉を交わすまでもなく、戦いの火蓋は主審により、今、切られた。
「始め!」
静かな会場に声が響いた。
朝から何も会話していなかった二人はそこでようやく、言葉を交わした。
「ツルギは、勝てるか」
「無理でしょう」
クーリフの問いかけにサーリシャは舞台の二人から目を逸らさないまま、即座に答えた。
「……彼が最高のパフォーマンスを見せたとしても?」
「無理です。武人としての格が違います」
なおも問い返されたが、やはりキッパリとそう答えた。
無表情にも見えるその横顔。しかしクーリフにはその目に僅な熱を感じとった。
彼女もまた期待をしているのだろう。ツルギという未知の武人に対し、未だ情熱を捨てきれていない。
何か起きる、何かが起きる。そう予感している。
クーリフは戦闘する二人へと目を向けた。
ツルギの手は速攻。手数を繰り出して相手に隙を与えない作戦。そこから見えてくるのは、相手の癖。身を守る行為は本能から来るもので、そこに少しの癖を見出せれば、勝機を手繰り寄せることができる。
一方、相手のガレスは完全なる受けに徹した。まるで自身の調子を今ここで確かめるかのように、そして自身の癖を出さぬよう動きは短切かつ単調。しかし確実にツルギの動きに対応する。
実に場慣れした様子の二人の技量には均衡が発生している。しかしその手綱を握っているのはガレス。彼の判断次第で試合は急転する。
「…………」
目前にし、クーリフは改めて思う。
ツルギという武人の力量は決して低くはない。ただここの武人たちの平均が高いだけで、外から見ればその平均を下回ってはいない。機巧人身という難しい相手ではあるが、彼の読みや対策は良いし、工夫や技巧も駆使しているし、何より武人としての感覚能力に長けている。
ガレスも少しの手合わせでもそれを感じたようで、故に慎重にならざるを得ず、機を測りかねている。
しかし。
やはり、彼は普通だ。能力などは一切なく、特別なものは持ち合わせていない。初めて彼の戦闘を目の当たりにしたが、その予想からは一つも外れていない。
しばらく様相を見ていたクーリフは冷静にそう読み取った。隠し持っている可能性も視野に入れながら静かに思考を続ける。
そうならば、人選は良好。お互いにとって良い手合いになるだろうと、判断もできる。だが本当に見たいのはそうではない。これでは、何の意味もない。
二つの攻防のみが響かせる中、先に動き出したのはやはりガレス。
ガレスは攻撃の合間を縫い、踏み込みを強くし強襲。距離はそれで一気に縮まった。
「──っ!」
声を発するツルギ。
無論ツルギとてそうなることは織り込み済みであったのだろう。彼に合わせて半歩後へ。彼との間合いを測りつつ、自身も短刀を繰り出す。距離を詰めさせないための牽制の一手である。
満を持したガレスの強襲は身を結ばなかった。
そう思われた。しかし。
ガレスはツルギの行動にも臆することなく前へ。すると、戦況は当然に変わった。
二つの刃は互いへ襲う。
ガレスは自身の腕を盾に、ツルギは体制を大きく変えることでそれに対応。
双方の対応は対極。片や防御、片や回避。それが戦いにおいて明暗を分けた。
強い金属音がこだまする。それは人身機巧の腕とツルギの短刀とが響かせるもの。
音もなく、肩を切り裂いた。飛ぶ鮮血はツルギのもの。
だがそれだけでは済まず、体制を崩したツルギへとガレスは前蹴りを見舞った。すかさず腕を盾にするも、機巧の足は筋肉を超え骨にまで威力を届かせる。
衝撃で横っ飛びになったツルギは一度のバウンドの後、即座に体制を整えた。
それの傷口からはその威力を物語るように肩の肉が飛び出し、更なる血が溢れ出た。
この結果が意味するのは、ツルギの敗北。
結果として身を守る一手が悪手となった。力量を見誤ったことが起因するのか、はたまた単純な経験値の差か。いずれにしてもやはり、サーリシャの言っていた通りである。
これはただの模擬戦。ならば続行は不可能だ。
クーリフは一連を眺め終えると、すぐに席を立った。
「病院は手配しておく。応急処置が終わった後の回収は頼むよ」
「分かりました」
その場を後にするクーリフに、サーリシャは目もくれず、その意識は完全にツルギだけに向いていた。
こんなものだろう。
ガレスはそこで完全に意欲を失った。
試作機の調子は上々。自身の相性とも噛み合い及ぼした結果もまた上等。今ひとつ性能を出し切れなかったのは残念ではあるが、しかしそれでも最低限のものは出せた。
ならばここまでで良い。これ以上は不要だ。
主審へと目を配らせると、そこで彼は旗を振った。
「そこまで!」
足早く終了を告げる言葉が辺りに響くと、そこで観覧者たちは皆席を立った。背後にいる研究者たちもそこで安堵とも歓喜とも取れないような言葉を交わし始める。
「……待って、ください」
しかしそこに一言を投げかける者がいた。
敗北を宣告されたツルギ・クレミヤである。
「まだ、俺は戦えます」
呼吸を乱しながら彼は言う。すると周囲に奇妙な空気が流れた。主審は何を言っているのかと怪訝な顔をし、足を止めた人々は眉を顰める。
自身もまた、その総意に賛成である。彼の意図は分からない。しかし、くだらない意地を張っているのだろうとは察せる。すると酷く子供染みた主張に多少の怒りも覚えた。
「終わりさ。その状態で戦う意味がない。これは模擬戦だ」
「ルール上は問題ないはずです」
「……」
だが、その意見は正当なものだ。この模擬戦のルールにおいて、その勝敗は場外になることか、どちらかの戦意喪失もしくは意識喪失をすること。
彼はすぐに体制を立て直したが故、まだステージの外には出ていない。意識は正常だし、戦意も喪失していない。では、自分はどうか。
無論、続けたいと言うならば構いはしない。この状況下でその意思を持って続行し、それが大怪我に繋がったとしても、誰も非難はしないだろう。それは対戦者のツルギ・クレミヤがつまらない意地を張った帰結だからだ。
「……いいだろう。だが、何が起こっても俺は知らない。ここからは君の命も保証はできない」
「最初から俺はそのつもりです」
そう言った彼の鬼気迫る顔は以前の自分を想起させた。
若くて、勢いだけで生きていた頃の自分。何でもでき、何にでもなれると思っていたあの頃は意地の一つも持ち合わせていた。
だが、現実はそう上手くはいかない。人にはそれぞれ限界があり、それを脱することはできない。皆いつしか歩みを止め、丁度良い席に座るしかない。ひたすらに頂点を目指せるのは限られた者のみなのだ。
それを自身が知ったのは、手足を失ってからだった。
あまりに愚昧。しかし今更後悔をしても、取り戻せはしない。
「…………」
それを分からせてやるのも、先輩の務めか。
内心、そう笑い構える。
「…………始め!」
困惑する主審だったが、二人が続行する気が明確に見えたか、言われるまでもなく、翻って今一度声をあげる。
圧倒的な優勢。されど油断などしない。
先ほどまでの手合いで戦闘スタイルは分かりきっている。彼は搦め手を得意とするタイプの武人。虚を突き、相手を出し抜くことに長けている。そう言った武人と立ち会う時に寛容なのは、とにかく一糸すら乱さないこと。常に彼の動きを読み取り堅実に戦うのだ。集中力を過敏に持続させなければならないのは厄介、だがそれさえ出来れば問題はない。負けることは絶対的にあり得ない。
ジリジリと間合いを詰めていく。ステージは有限。端へ追い詰めれば、彼に打つ手はなくなる。
それを知ってか、ツルギはその場から動くことはなかった。やがて二人はガレスの間合いの中へ。しかしそれでも、彼は一歩も引かない。脚も意思も。
「本当に」
「…………」
「本当に勝てると思っているのか。ここから」
あまりの蛮勇ぶりに、ガレスは思わず声を発した。
その度胸は買ってやれる。肩の痛みにも、こんな状況にさえも、弱腰になることなく立ち向かっていけることは賞賛できる。だが所詮、これは模擬戦なのだ。怪我を重ねるだけ無意味な「遊び」の範疇と言っても差し支えない。その程度のことになぜ躍起になるのか。なぜ必至になれるのか。
阿呆なのだと片付けてしまうにはあまりに惜しい真っ直ぐな目が、そこにはあった。
「何か秘策があるのか」
「……」
その答えは沈黙。
まるでこれが実戦であるかのような立ち振る舞い。しかし実戦ではない。実戦ならば自分は彼の持つ刀姫によって殺されているだろう。如何に技量が上であっても調律師に勝つ術を自分は持ち合わせていない。ここがジーニアス=サーという街で、かつ模擬戦という前提があるからこそ自分は生きていられるのだ。
なのに。
不退転の決意を、死の覚悟を彼は固めてしまっている。
「…………」
それに気づくと、なぜか手が震えた。詰めた足が、気が、少しずつ後退へと向かおうとした。
怖いのか、生死を争うのが。いや違う。
心臓の音が聞こえる。自身の息遣いが浅くなる。研ぎ澄まされているのではない。徐々に自分自身の体が変化しているのだ。
気圧されている。追い詰めているはずの自分が。
自分で自分を境地に追いやるなど、本来あってはならない。だが、言うことはきかない。生身の手足は震え、機巧の手足はやけに重くなっていく。
張り詰めていく空気。
それを共有するのは、戦武者たる二人のみ。
まるで世から切り抜かれたように二名の間に流れる空間が形成され、やがて寒気がするほどの冷たさが肌をひりつかせる。
「やあーーーー!」
思わずガレスは気勢を発した。
周囲はそれに驚いたが、ツルギは微動だにもせず、変わらず構え続ける。
そこで人々は気づいた。二人に流れる異様な空気を。
そして。
「────、」
音にならないガレスの声とともに、双刃の影が重なった。
何を言えばいいのか。
サーリシャにはそれが見つからなかった。
元気づければいいのか、励ませばいいのか、それとも賞賛をすればいいのか。
結果として、ツルギは負けた。完敗である。初手の判断ミスは頂けない。しかし、その後は目を見張るものがあった。こういう強さもあるのかと、感心すらもした。それは自分には無いもので、彼自身がこれまでに培ってきた力で、そしてまさに自分が当初期待していたものであった。
「はあ……」
思わずため息が漏れた。
まずはどんな顔を見せればいいのだろうかと、ツルギを迎えにいく道中に悩まされた。
先刻と同様にむっつりとしていれば、気は楽なのだろうが、きっとそうはいかない。
なぜなら期待や思慕が、思い出したかように溢れ、遂にそれは以前よりもずっと大きくなってしまったから。やつれた声やしらけた顔を演技するなど、やったことがない。おそらく、声は知らずのうちに高くなってしまうだろう。思わず笑みがこぼれるだろう。
足取りは重いのに、こんなにも進みたがる気持ちも初めてだった。すぐにでも会いたい。彼の安否を確かめ、手を握り、彼の言葉を聞きたい。そう思った。
後悔など、今更しても遅いのにそうせざるを得ない。ならばいっその事、都合よく掌を返してしまえば良い。きっとブローディアは怒るだろうが、素直に自分の行いを認め、謝ればそれで済む。
「さもしい女ですね、私は」
しかし、それもまた今更か。
ついに医務室の扉にまで差し掛かり、サーリシャはその前で立ち尽くした。
彼の身に大した怪我はない。ここの技術であれば、ちゃんと回復する。過度な心配は不要。それ知ってなお、心配したフリなどできようもない。ならば第一声はこうだ。
「お邪魔します。手応えはいかがでしたか」
扉にノックをし、返事を待たずして中に入ると、ぎょっとした医師と看護師の顔があった。
「はあ……?」
とびきりの笑顔を見せたサーリシャだったが、部屋を見渡して我に帰った。
「……あの、ツルギ・クレミヤはどちらに」
負けた彼は怪我の手当てもそこそこに、医療班にどこかへと連れ出された。無論、行くあては決まっていた。
その問いに二人は互いの顔を見合わせてから、今一度サーリシャを見る。
「模擬戦の戦武者の方は、まだ来ておりませんが……?」
「来ていない?」
「ええ、連絡があったので準備はしていましたが」
「…………?」
入れ違いになったか。いやそんな筈はない。
如何に広い施設と言えども、道は限られる。遠回りをする必要もなければ、尚のことである。
だとすれば。
誘拐、されたか。
「失礼しました……!」
浮かんだ思考がサーリシャは部屋を飛び出させた。来た道を戻り疾走。気を集中させ、僅かな血の匂いを嗅ぎ取る。
彼はこの都市の瘤だ。本来ならば招かれざる客で、ジーニアス=フォースやイーノスが良く思っていないことはクーリフからも当然聞き及んでいる。そのための自分なのだ。機を伺い排除をすることは可能性としては十分である上、今であればなおのこと都合は良い。
なぜ、こんなことに。
それは自分のせいだ。
もっと早く彼の回収に向かっていれば、こうはならなかった。自分の感情のために間を置いていたせいでこんなことになった。保身のために身のフリなど考えていたからこそ、思いも寄らなかった。全部全部、自分のせいだ。
「ツルギお兄様!」
サーリシャは走りながらに声一杯に叫んだ。音は屋内の空気を駆け巡り、振動。施設どころか屋外にまで及ぶ声量が辺りに木霊する。
一瞬でも気を逸らせられればいい。血の臭いは遠くない。必死に手繰り、行き当たったのは施設の中庭。ガラス張りのそこは、人があまり立ち入らない景観のために作られた場所である。
人影は四つ。その一つがツルギであることだけを確認すると、思考と全身とが一つに。サーリシャは蹴りでガラスを突き破る。
「全員投降しなさい!斬りますよ!」
腰の得物を抜き去り、構える。
まさしく一瞬の間。飛び散るガラスの破片がスローモーションにも見えるほどの彼女の動き。音が伝わるのと共に、彼女は颯爽とツルギの前へと割り込んだ。
「ちょっと……なんなの!」
初めに声を上げたのはブローディア。突如として現れた剣鬼の風態に呆然とした四者の中で唯一、焦りを見せた。
そこで他方を観察する。この場にいるのはツルギを含めて医療班の二人、対戦相手のガレス。唯一の戦闘員であるガレスは腕の機巧を外しており、戦いに講ずるような意識は見て取れない。医療班もまた別段おかしな点は見受けられない。
すると自分が場違いなことをしたのだとと察した。
「…………ツルギお兄様!ご無事でしたか!?」
なので突き通すことにした。バカを演じておこうということだ。
それに自分で気がつき、言い訳をすることのなんと恥ずかしいことか。それを見極めるのもまた容易であった。
「はあ!?なんなのよ、あんた」
ブローディアの悲鳴が虚しく辺りに響く。
そんなこんなで一悶着の後、サーリシャはツルギを連れて医務室へ。手早く処置をされ、すぐさま病院へと赴き本格的な治療を始めた。怪我の程度はそれなりだったが、三日もすれば、元通り動かせるようにもなるとのことだった。
思っていたよりも怪我の治りが早そうなのでそこに関しては一安心。ただし管理者たるサーリシャとしてはツルギがいち早く医務室へと行かなかったことに少しだけ腹も立った。それを差し置いて、あんなところで何をしていたのか。
帰路につく間にそれを問うてみると、隣を歩くツルギは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「何か掴めそうだったから、少し反省をしたかったんだが……やっぱり不味かったか」
「……」
当たり前ですと、そう言いたかった。しかし反面でサーリシャはやはり違うと思った。良い意味でも悪い意味でもある。合理的でも論理的でもない。ただ、それはこの街にないもので、サーリシャには知り得ないもの。だからこそ、そんな彼の言葉に言いようのない感情が芽生えた。
「あとでみっちりしごいて差し上げますから。少しの間だけでもゆっくりしてはいかがですか」
「うん、まあそうなんだけどさ……」
ごくごく普通の提案にもやはり、どうしても煮え切らない態度。
こういう時どうしてやったらいいのか、自分には分からない。一から説明して詰め切ればいいのか、それともその気持ちを汲み取ってやればいいのか、別の選択肢があるのか。
何も知らない自分に気がつき、これまでのことを思い返した。サーリシャという武人は酷く偉そうであったと思った。サーリシャという人物は稚拙な人間だと改めて感じた。そしておそらく、サーリシャは自身の責務を果たせていなかった。
「……」
先ほども感じていた不安が勢いを増して押し寄せる。
このまま彼の教育者としていていいのだろうか。しかし途中で投げ出していいわけがない。
もはやその判断は自分にはできないもの。クーリフにそれを仰ぐしかないし、ツルギの感情にも委ねられるだろう。
相応しいのか、そうでないのか。
そしてその結果に後悔だけがひしめいた。
「サーリシャ、すまん」
「……?」
不意に決したような声をかけられて振り返ると、彼は立ち止まり俯いていた。
「あんなことを言った手前、やっぱりダメだった。……俺は────」
「そんなことありません」
覇気のない声でそれを即座に否定。すると顔を少し上げたツルギはぎょっとした。
「ツルギお兄様は調子を取り戻していますし、着実に成長しています。その差はほんの少しかもしれませんけど、私には分かりました」
そう。ツルギは変わっている。
劇的な変化では決してないが、それでも当初見ていた頃よりもずっと良くなっている。
身体能力もそうであるし、手足の使い方などの技術面もそう。教えてきたことを試していたのも気づいていたし、その延長となることも自発的に進めていた。
つまり彼は言ったことを違わず、実践していた。それでもこうして暗い面持ちをしているのは、おそらく自分のせいだ。必要以上に求め、追い詰めているのは自分だ。
「ツルギお兄様」
サーリシャは向き直り、頭を深く下げた。
「サーリシャ?」
「これまでのこと、謝らせてください」
「……」
頭は下げたままサーリシャは続けた。
「私が、全て悪かったのです。ツルギお兄様に非はありません。本当に………本当にすみませんでした」
声を振り絞ったが、感情を制御できず最後の言葉は消え入りそうだった。
超常人類などと呼ばれ、持て囃されていてこの様。何を言われたわけでもないのに、劣等感と罪悪感に押しつぶされそうになった。
「サーリシャ、顔を上げてくれ」
ツルギの焦る声。
無論気はすまなかったが、しかしここは往来の真ん中。いやに目立つことも考え、仕方なくゆっくりと頭を上げた。
彼はまだ覚束ない表情だったが、それでもはっきりと言葉を出した。
「───それでも。まだ俺はここで出来る事があるって思っている。だから…………もう少し付き合ってもらうことはできるだろうか」
「……!もちろんです!」
その言葉が蒼白になっていた顔色に血を巡らせた。どうしようもない心境を一転させた。
こんなにも救われた気持ちになるのも初めてで、思わず顔を綻ばせてしまった。
本当はもっと反省すべきなのにツルギはそれを咎めることもなく一笑し、共に帰路についた。
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