第3話『超常の集結地』-その3
互いの紹介もそこそこに、クーリフはツルギを先導して次へと行動を移した。
まずは屋敷構造の解説から始まり、そしてツルギの自室となる部屋を案内。すでにそこには持ってきた荷物が置かれており、中身の確認と整理を促す。特に問題がないことをツルギが確認すると、次にはトレーニングクロスを支給された。随分と上質なそれはジーニアス=サーでの訓練の際に着用するものであると解説され、早速着用を勧められた。それに対して直ぐに訓練が始まるのかと思い、少し緊張したが、いの一番に連れ出されたのは病院であった。
ホワイトが没落した現在において、それを取り仕切る者はいないが、しかし当然医療機器や技術は健在。世界有数の最先端医療がツルギの状態を綿密に測定する。
まずは身体の異常。こちらは多少の痩せ気味以外は健康そのものであった。しかしその次に掛かった精神科では強迫性ストレス障害であると診断された。トラウマによる過度な恐怖が絶えず心身の休息を妨げ、いつまでもそれが残り続ける状態。無論それは身体にも影響し、現状だと武人として従事できる状態ではないとまで言われてしまった。
するとやはり、落胆は隠せない。何もかもがフリードリヒの言う通りであった。滲み出る焦燥感と無気力感、怒り、悲しみ。その時には目が泳ぐのすら、自分でも感じられた。
怖い。
その感情は学生時代をも彷彿とさせた。かつてはその心中の不安を打ち明けることが出来たが、しかしそれはあまりにも、誰かに話すことさえも憚れる。
気が狂っているとしか言いようがない。なぜ、あの時自分がその行動に出たのかすらも分からない。何かを成し遂げるために、愛する者に躊躇いもなく手をかけたなど、自分には考えられない。
今でも、彼女の顔を思い出す。
目を覆っても、耳を塞いでも。脳裏にある情景が、音が。どうしても離れない。
考えてしまったなら、思い出してしまったならばそれが最後である。複数の薬を処方され帰路につくツルギの目は完全に死んでいた。
「ツルギ、夕食だ」
アカサタナ家。時刻は夕方。
縁側で一人夕陽を眺めていると、クーリフがやって来て声をかけた。そこでやっと虚げな瞳に少しだけ色が戻る。
「すみません、用意を手伝うべきでした」
焦ったツルギが頭を下げると、クーリフは「いやそれはいいんだが」と手を振った。
「やはりショックは大きいか」
「……すみません」
「構わない。それも含めて任されているのは承知の上だ」
立ち上がったツルギだったが、先ほど見ていた夕陽をクーリフが眺めるので思わず立ち竦んだ。
情けない。申し訳ない。
彼らに自身の精神の重荷を背負わせてしまっている。それは「任されている」とは言って貰えたとしても辛い。
しかし、それこそ自分にはどうする事も出来ない。ただ時間が忘れさせるのを待つしかない。
下を見つめるツルギ。
そんな様子を見かねたのか「そういえば」とクーリフは話を切り出した。
「先ほどの話、途中で止まっていたな」
「……?」
「なぜ君たちを招き入れ、優遇するかの話だ」
「……そうでした、ね」
完全に興味が失せた様子のツルギだったが、どういうわけかクーリフはそれを見て笑みを作った。
「興は失せたかな」
「……すみません」
「いや、いい。そういうものだろう」
「はい」
以前として弱々しかったが、クーリフはそれに何も言わなかった。ミコノならば、叱咤しているところ。だからこそ、彼の優しさがより身にしみた。
「行こう。歓迎会も含めているから今日の飯は豪勢だぞ」
「楽しみです」
ツルギは精一杯の笑みで応え、去る彼の後に続いた。
アカサタナ家。
かつて血盟の六画に組し、ジーニアス=サーを守り支えた名家。その規模は現存する他四画と比べて最小。本家や宗家といった枠組みは存在せず、一家としてしか存在しない。
そして現在この家に住まうのは4人。祖母と母、長男、そして長女。党首のキリシャは交易を担う家であることから、頻繁に世界を飛び回っており、滅多に帰っては来ないのだという。
少し緊張したツルギが居間へ通されると、それと同時に甲高い炸裂音が部屋にこだました。クラッカーの音である。
「アカサタナ家へようこそ!ツルギお兄様」
そして初めにツルギを出迎えたのは、ツルギの胸ほどしか身長がない一人の少女。少し癖のある赤毛と整った顔立ち。小さい身体に反して、とにかくハツラツとした様相。彼女のことをツルギは知っている。サーリシャ・アカサタナ。クーリフと並ぶ超常人類の一人である。
「よ、よろしくお願いします」
「ささ、入ってください。今日はツルギお兄様の歓迎会パーティですから」
その温度感に気圧されたツルギだったが、気にも留めずに、サーリシャはその背中を押す。その時ブローディアが反応しなかったのは、関わりたくないという意思表示か。とにかく彼女は息を潜めた。
部屋でツルギを待つのは、クーリフの祖母、母イーリス、長女サーリシャとクーリフの婚約者スミラス。部屋は簡素に飾り付けられており、机には豪勢な料理たちが並ぶ。
その風景にツルギは少しだけ、引け目を感じた。
それは自身がこういった家庭の温かさを感じたことがなかったからが所以。違和感すらも感じられるほどの非現実感に、とにかくツルギは萎縮した。
そんなことは知る由もなく、サーリシャはツルギを席へと促す。その場に対して会釈をして正座するととその隣にはサーリシャが座る。クーリフは上座にいる祖母とスミラスの間に座り、そこで慎ましくも華のある催しは始められた。
「では、これからしばらく衣食を共にするツルギ・クレミヤの歓迎会を始める。まずはツルギから一言貰おうか」
クーリフに呼ばれて、ツルギは立ち上がる。
「……自分のためにこのような催しをしていただき、大変光栄に思います。これから様々な迷惑をおかけするかと思いますが、何卒、よろしくお願いします」
酷く面白味のない言葉だったが、一同は笑顔で拍手。気恥ずかしく思いながら、居直すと今度はクーリフは祖母を見る。
「では、最後に一言お願いします」
「はい。ツルギさん遠路はるばるご苦労様です。クーリフの祖母のエメリーです。私もこれからお世話をさせていただきます。何かとご不便をおかけするかと思いますが、その時は遠慮なく言ってくださいね」
彼女の言葉に、ツルギは姿勢を正して深く頭を下げ、周囲は拍手。
ツルギはこの場にいて、改めて疑問を感じた。
何故この人たちは謙るのだろうか。本来ならば、立場が下なのは自分なのに。彼女たちは育ちが良く穏やかであるから、というのは当然に理解できるが、それにしても、だ。
そして。
何故こんなにも綺麗なのだろうか。それが一番に感じた。見てすぐに彼女がクーリフの祖母であることが推察できたのは、母のイーリスと面持ちがよく似ており彼女よりも皺が多いため。しかし決して、ツルギの知る「老人らしい風貌」ではない。40代か、見ようによっては30代でも押し通せる。そういった姿をしている。
無論それを口にすることは失礼に当たるため、聞くことはできないが、一体彼女はいつくなのだ。それがとても、とても疑問だ。
「はい、ありがとうございます。……じゃあ堅苦しいのはここまでにして、食事にしよう。冷めてしまうからね。では。」
クーリフが手を合わせるのに従い、一同はそれに倣う。ツルギも慌ててそれに合わせると、「いただきます」と皆で合唱。食事へとありつく。
「ツルギお兄様」
周囲が手をつけ始めるのを確認した後にツルギも遠慮気味に手を伸ばすと、そこで隣に座るサーリシャが声をかけてきた。
手を止めてその方を見ると、彼女はその一瞬の間に手早く周辺の料理を一皿に盛り付けてツルギへと手渡した。
「あ……ありがとうございます」
「どういたしまして。私の紹介がまだなので、少しよいでしょうか」
「……知っています。アカサタナ家の超常人類。クーリフさんの妹のサーリシャ・アカサタナさんですよね」
アカサタナ家で世話になるならばと多少の期待を抱いていたが、しかし、二人目の超常人類とこのような形で対面するとは思ってもいなかった。しかも、自分がイメージしていた彼女よりもずっと可憐な少女である。
「あら、光栄です。私の名前を知っていらっしゃったのですね」
「もちろんです。超常人類の一人ですから」
しかしそうは言ったが、彼女にそのような力が本当にあるのかすら疑わしく感じていた。彼女が自分よりも強く高い存在であるとは、その見た目だけでは到底見抜けない。それは彼女の見た目がという問題ではなく、一切の気迫を感じなかったから。先ほどの所作を見るからに只者ではないことは察せるにしても、しかとてクーリフのような荘厳な空気は全くと言っていいほどに感じ取れない。
故に、正直なところ今目の前にいる少女をどう捉えていいのか、ツルギには分かりかねた。だがこの場で一つ言えることもある。それは幼い彼女もまたこの場にいる女性陣に負けないくらいの気品は感じさせられる、ということだ。
「私もツルギお兄様のこと、知っていますよ。幻影の刀姫を仕わせる調律師様、ですよね」
ツルギの心情など露知らず、サーリシャは嬉しげに表情を軟化させると、更にずいと身を寄せた。
「え、ええ……ブローディアは人見知りが激しいのであまり反応を見せませんが、今の自分の影に潜めています」
「そうなのですね、ですが挨拶くらいはさせてください。ブローディアさん、こんばんわ。これからよろしくお願いしますね」
「……」
ブローディアは当たり前の如く無視。
まあそうなることは想像できた。はっきり言って、ブローディアはサーリシャのことをあまり良く思っていないだろうとツルギは予感した。彼女はあまりに気さく。陰鬱としたブローディアの気性では、水と油そのものである。
「すみません。あとで言っておきます」
お決まりの謝罪をすると、サーリシャは笑顔でそれに答えた。
「いいえ構いません。……ところでツルギお兄様はおいくつですか」
「…………?」
「年齢のお話です」
「…………いくつに見えますか」
唐突な質問に戸惑いつつも、彼女の意図を探った。しかし答えは出ず、その代わりに冗句を口にした。
なぜそんなことを言ってしまったのか、自分でも分からない。
「私よりは年上であるように見えます。それで?」
「24です……」
しかし幸か不幸か。それは考慮されるまでもなく軽く流されてしまったので、大人しく答えると彼女は表情を変えずにこやかなまま頷いた。
「私は今年で16になります。ともすれば、私が年下ですから、敬語を止めてみてはいかがでしょうか」
なるほど、とツルギは内心で思った。
出会ってから間もない間柄ではあるが、彼女の人柄を考慮するとそういった言葉が出ることも不思議ではない。とにかく彼女は人懐っこい性格なので、しっかりと距離を置こうとするのを嫌ったのだろう。しかしツルギとしてはそれはあまり許容できなかった。彼女は超常人類。武人として自身とでは圧倒的に格が違う。それを知っているならば、フレンドリーに接するというのには些か抵抗がある。
「うーん……それはどうなのでしょう」
なので否定的な見解をそれとなく示した。ツルギからすれば、別に丁寧な言葉を使うこと自体は決して駄目なことでは無い。それが例え、自身の方が立場が上であったとしても変わらない。
「私と親しくするのは嫌、でしょうか」
しかしながらサーリシャはそれに難色を示した。先ほどまでとは打って変わりトーンは低く、俯きながら呟くようにそう言った。
「いや、そうわけではなくて……」
「サシャ、そこまでにしておきなさい」
困り果てたツルギが言葉を探すと、そこにクーリフは助け舟を渡す。しかし彼もまた、少し困っているような表情だったのがなんとも頼りない。
「だって折角こうしてツルギお兄様に出会えたのに……私悲しいです」
すると彼女は瞳を潤まさせながらツルギの手を両手で取り、上目遣いで見つめる。
「おい」
そうして声を出したのはブローディア。先ほどまでは平気な顔で無視していたくせにこうなると敏感になる。
「私、ツルギお兄様とは親しくさせていただきたいのです。それは……いけないことでしょうか」
「ツルギ。私この女嫌い。手を離して」
「……」
「やはり、駄目でしょうか」
「いやあ……そう言われると弱いな」
「おい」
ツルギは乾いた笑いをすると、イーリスとエメリーはそれに追従するように朗らかに笑い上げる。
気恥ずかしさから顔がほのかに熱くなるのを感じながら、ツルギはそっと手を離した。
「そう……だね。じゃあ、よろしく」
「はい!是非とも!」
同意を得られたのを見て彼女は花をパッと咲かせるように満足げに笑う。
なんだか凄く良い。
心が安らいでいくのを感じた。
それはきっと家庭の温かさを感じたからで、嫉妬すら湧かないのはおそらく、彼女たちの人柄があるから。
ずっとこの中で生きていきたい。慎ましく、優しいこの和に居着きたい。それは現実的に叶わないことは知っていても、やはりそう思わずにはいられなかった。
夕食と歓迎会をそこそこに終えると、サーリシャと共にクーリフに連れ出された。
そこはジーニアス・サーが運営する公式のトレーニング施設。トレーニング機材や訓練場、更にはプールまでを完備するそこは当たり前のように設備は潤沢。しかも新品かのようにそのどれも綺麗そのもの。時刻は既に20時を回っていたためか利用者は疎らだったが、しかし快適さは約束されている場所である。
ここがツルギの主な修練場となることを説明するクーリフは建物の中心地となる訓練場へと案内。天井は高くガラス張りで床は土場から大理石、芝生に畳までのステージが用意されている。
ただのトレーニング施設でさえもあまりの厚遇っぷり。今まで経験からしてもここに勝るものはない。
呻きでも上げてしまいそうなツルギに、クーリフは笑いかけながらサーリシャとを交互に見た。
「さて、とりあえず今日の案内はここまでにしよう。これからはサーリシャとここを訪れることになるから後は彼女に案内してもらってくれ」
「?」
意味がよく分からず、ツルギが首を傾げると付け加えるように言った。
「君の武練の指導は全てサーリシャに一任している」
「はい、これからよろしくお願いしますね」
「……なるほど」
当初困惑したが、しかしそれはそうだろうとは思った。彼はライプツィヒ公の助手。しかも今は彼に代わって業務をこなしていかなければならない事を考えると忙しい身であることは明白。そこに更に手をかけることは叶わない。だからこそ、彼ではなく彼の家族全員がツルギという身を支援する形となっているのだ。
とはいえ、それについては多少の不安はある。先の歓迎会で打ち解けたとはいえ、少女たる彼女にそれだけの素養があるのかは依然として読み取れない。
「不安かな」
「いえまさか。そんなことはありません」
その面持ちを見て察したのか、クーリフがそう言うとサーリシャはそれに少しムッとしてその顔を見た。
「私、これでも武に関してはお兄様よりも上ですよ。きっと力になれます」
「するのと教えるのとでは訳が違うけどね」
「そ、そうかもしれませんけども!」
「いや、自分からしたらどちらにせよ光栄なことに変わりませんから……」
ヒートアップしそうなサーリシャにフォローを入れたが、それでもなんだか不満げで、彼女はツンとしてツルギを見る。
「しかし何にせよ、もう決まったことです。……ビシバシ行きますから覚悟してくださいね」
「……お手柔らかに」
鬼気迫る彼女の表情に悪寒を感じざるを得ずそう口にしたが、それに応えることはなく彼女はそっぽを向いた。
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