第3話『超常の集結地』-その2


 関所の建物を出て終始無言のまま、初めに連れてこられたのは、あまりこの街には似つかない古い建物の一室。広めワンルームの四方は本棚に囲まれ、中央には応接用の椅子と机、その奥には事務机が置かれている。そしてそこへ入るとまず出迎えたのは、一人の美女。

「あら、おかえりなさい」

「うん、ただいま。お客さんがいるから何か飲みものを出してもらえるか」

「……失礼します」

 恐縮するツルギを横目にみた彼女は「はーい」と気の抜けた返事をして、ケトルでお湯を沸かし始めた。

「悪いが、そこで座って待っていてもらえるかな」

「はい」

 ツルギは緊張した面持ちのまま、応接用の椅子の一つに腰掛ける。

 ここは一体どこなのだろう。

 ツルギは首を動かすことなく、辺りを見回した。

 事務所ということだけは分かる。しかし実に質素な部屋であり、どういった趣旨があるのかはよく分からない。雑用スペースとでも言えば良いのか、よもやここが本拠地であるとは言うまい。ただし不思議と居心地は悪くない。その随所が可愛らしく彩られているせいか、気持ちが落ち着いていくのを感じた。

 彼を信じて行くままについて来たが、とはいえ何せ先ほどのことがあった後である。簡単に絆されることは絶対にあってはならないと、心中で自分に喝を入れた。

「コーヒー、インスタントしか無いのか」

「一応あるにはあるけれど」

「お客だから、そっちを使って欲しい」

「あらごめんなさい。うっかりしてた」

「いや捨てなくていい。それは僕が飲むから……」

「そう?」

「うん……あとカップが三つあるけど来客は一人だけだが」

「私の分だけど」

「……なるほどね。けれど良いやつは一つだけでいいよ」

「せっかくだから私もこっちを飲みたいの」

「…………なら僕もそっちにしてくれ」

 すると耳に入ったのは彼らの会話。ワンルームなので、当然彼らの声は耳に届いていたが、ツルギは聞こえていないフリをして虚空を見つめた。和やかな雰囲気に負けないよう、必死に気を強く持つことに専念する。

「……ん?これよく見たらライヒさんのカップじゃないか」

「いいじゃない、別に」

「おいおい……来客用のカップがあるだろう」

「埃被ってるけど」

「洗って、そっちを使って欲しい」

「細かいなぁ……」

「…………」

 最後にはクーリフのため息が聞こえて来た。

 何度か吹き出しそうになるも、なんとか堪えて窓の外なんかを眺めてみた。しかし見つめるのはやはり虚空。集中などできるわけもなかった。

「すまない、お待たせした」

 クーリフはそばの本棚からファイルを二つとって登場。ツルギは表情を固く作ったまま深く頭を下げた。油断すると笑いそうになってしまう。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。君のことはライプツィヒ公より伺っている」

「……はい」

 本当は緊張どころではないのだが、ツルギは口には出さずに応える。

「では改めて。僕はライプツィヒ公の助手をしているクーリフ・アカサタナだ。これから君のお世話をさせてもらう。よろしく」

 そんなことなど露知らず、クーリフは少し畏まって自己紹介を始めた。

「クーリフ・アカサタナ……?」

 ツルギは聴いたことがあったその名前を思わずその名前を反芻した。

「超常人類の一人の、ですか」

「聞いたことがあったか」

「勿論です」

 そこで立ち上がり、彼から差し出された手を両手で握った。

 クーリフ・アカサタナ。

 約5億ほどいる全人類の内、11人しかいない「超常」を認められし一人。彼らは人類の希望と歴史を背負って立つ者の代表的な存在である。

 ならば、先ほど感じ取った彼の異様さも納得がいく。彼の見せつける存在性は超常人類であることが裏付けされていたのだ。

「光栄だね。高名な調律師に名前を覚えられているならば、少しは名前も売れてきたか」

「おそらく、もぐりでなければ皆知っているかと」

 先ほどまでの雰囲気とは打って変わり、彼は陽気に笑む。ツルギもそれに応えて、遠慮気味に笑みを返した。

 彼とならば良好な関係も築けるだろうと、ツルギ自身も予感。緊張を緩ます。

「さて、では話を進めよう。先ほどのことも含めて説明もさせてくれ」

「はい。よろしくお願いします」

 手を離し、お互い席に居直した所で、傍らに立つ美女はツルギへとコーヒーを差し出した。

「それと、彼女はここの事務所のスタッフのスミラスだ。ここに来ることがあれば彼女を頼るといい」

「よろしくね」

「ど、どうも……」

 ツルギは少しどもりながら愛想笑いをしつつ会釈。スミラスを上目で見た。

 しかし、本当に美人だ。鼻は高く、澄んだ瞳に澄ました顔色をしており、大層目を引く。その雰囲気も知的かつ清涼で、透明感を持つ。魅力的というよりも、魔性を秘めているとでも言えばいいのか。とにかく、自身の周りにはあまりいないタイプの女性である。

「デレデレするな」

 そこで声を挙げたのは、影のブローディア。なんだか憎々しげな彼女は、和やかな空間に槍でも突き立てるが如く、そう言った。

「してない。妙なことを言うな」

「……」

 ツルギは咳払いをしつつ、反論。しかしそれにブローディアは応えることはなかった。

「すみません。こいつ変なことを……」

 慌てて取り繕ったが、スミラスはそれに一切表情を変えることなく、ぼんやりとしたまま投げかけるような言葉を発した。

「仕方ないと思う。私、かなり美人だから」

「……」

「……」

 あっけらかんとしてそう言われ、固まったクーリフとツルギに更に付け加えた。

「けど、クーリフと婚約をしているの。……ごめんなさいね」

「……」

「……凄いね、君は本当に」

 クーリフは間をおいてから呆れた声をようやく出した。一方で絶句をしたままのツルギは何故か強いショックを覚えた。

 そんなつもりは微塵も感じていない、いないはずなのに。この気持ちはなんなのだろうか。とにかく、物凄く切ない気持ちになった。

「どうぞ、飲んで。いいコーヒーだから」

「ええ……い、いただきます」

 促されたのは水滴が付いたままの洗い立てカップ。

 何か言いたげなクーリフをよそに、ツルギは味のしない苦いコーヒーを啜った。


 静寂に包まれた部屋。

 クーリフは咳払いを一つ置き、そして本題となる話を始めた。その内容とはツルギ・クレミヤの処遇について。

 これからツルギはアカサタナ家で保護される手筈となっており、その衣食住を担当。起床から就寝までの日時設定をきっちりと管理される。またこれに加えて、心身の調整から練成までもを一手に担うとのこと。通う精神科の受診も既に手配済み。武具の整備も同様。休日は週末の二日で、外出は自由だがその際には必ずアカサタナ家の者が同伴となる。

 一から十までを聞き及んだツルギはその詳細に士官学生時代を思い起こさせた。学校は学費と引き換えに福利厚生は手厚くもてなされたが、しかしここでは一切の金銭処理はなく、ロイヤル1の対応として、外食や、サービスの享受、通院までもが全て無料。

 その待遇に半信半疑となったツルギだったが、それも致し方ないことである。そこまでされるものとは露知らなかったし、監禁されそうになった背景からすれば、疑いたくもなる。

 しかし、クーリフは実に真剣な表情で話すのでその疑念を口に出すことは出来なかった。そして何より、これからはアカサタナ家の者の同伴が付いて回る要項を聞いてからはその不信感は拭われた。それが指すのはとどのつまり、自身の身分を証明するに等しい。ルーラーの守護家であるアカサタナはこの街にとって、最たる力場といっても過言ではない。故に少なくとも彼はその権限置いて、本格的にツルギをもてなそうとしてくれていることは明白であった。

「何か質問は」

 一通りを話し終えたクーリフは開いていたファイルを閉じてスミラスへと手渡した。

「よろしいですか」

「いいよ」

 控えめに手を挙げたツルギはまず初めに、先より気になって仕方がなかったことを口にした。

「この領域のルーラー……ライプツィヒ公が逮捕されたのは本当のことですか」

 おそるおそるクーリフを覗き見ると、彼はそれを毅然として見返した。

「本当だ。彼の身はこの街の実権を握る老公たちによって確保されている」

「……」

 自分たちのせいだ。

 口には出さずにツルギは下を向いた。

 ライプツィヒとフリードリヒとの間にどのような交渉があったのかは分からない。しかし先ほどアデルが言っていたように、自身の入所がキッカケであることは間違いがないだろう。

 彼は、ライプツィヒはこの結果を知り得ていたのだろうか。覚悟を決め、罪人と落ちることを想定していただろうか。

 分からない。

 ルーラーたる彼の心中を図ることなどおこがましいことだが、しかしどちらにしろ罪悪感は芽生える。

「気にしなくてもいい。この結果はおそらくだが、彼も認識していた。そのリスクを受けだった上で、君をこの街に招待したんだ」

「そうなのでしょうか」

「……いまいち彼は掴み所がないから確信はない。だが君がそこに責任を感じる必要はない」

「はい」

「しかしまあ……それを考えてしまう心境は理解できる。ならば、君がすべき事はこの街で武業に打ち込み、成果を上げる事だ。罪悪感や彼のことは忘れてね」

「……肝に命じます。ありがとうございました」

 ツルギは少しだけ肩の荷を降ろして頭を下げるとクーリフは優しく微笑んだ。

「他には何かあるかい」

「……もう一つ、よろしいですか」

「勿論だ」

「……ブローディアは、外に出してやれる機会はありませんか」

 後ろめたいというよりかは、聞くに憚れる。そういった内容をツルギは口にした。無論、無理だと言われても諦めはつくが、しかしどうにか糸口は欲しい。

 彼女にストレスをかけ続けてしまう状況はどうにも心苦しかった。

「悪いのだけれど、それだけは出来ない」

 するとクーリフはきっぱりと言った。

「そう……ですよね」

 ツルギはその言葉に肩を落とす。

 ワガママを言っているのは自分。それは理解している。この結果になることも無論。そうしてようやく、フリードリヒが言っていた言葉の意味を理解した。彼の言葉、その中でもブローディアに投げかけた言葉は現状を指していたのだ。

「しかし、そう悪いものだろうか」

 クーリフは消沈するツルギを見て首を傾けると、足元を見て語りかける。

「ブローディア、窮屈かい」

「……まあ、多少はね。でも思っていたほどではない」

「そうなのか」

 ブローディアの受け答えにツルギは目を丸くした。彼女ならば本音で嫌がるのだろうと、そう思っていた。

「全く身体が動かないわけではない。自分から圧縮しているわけではないから少し不思議な気分だけど、窮屈というほどではない。寝ろと言われれば寝れるし、その内慣れるわ。多分」

 ツルギはブローディアの解説に驚きつつ、クーリフを見る。すると、彼もそれに朗らかに笑った。

「急造ではあるが、それは特注品だ。それもブローディア専用のね。おそらくだが、アデル卿はそれについて何も解説しなかったのだろう」

「ええ、何も……」

「彼は面倒くさがりで尊大だから少し勘違いされがちだが、職務は真っ当にこなす男だ。君を監禁しようとしたのも、勿論彼自身の意思ではない。彼の身からすれば、仕方のないことなのさ。所謂、管理職だからね」

「……」

「君もフリードリヒ公に指図されたら、中々断りにくいだろう。……まあ今は分からずとも、彼の心境はいずれ分かる」

 ツルギの面持ちを見てか、付け加えて言った。クーリフがそう言うならば、自分とて疑う余地もない。疑心を深めることもない。

 ただし。

「ですが……意外ではあります。ブローディア専用に作られたと言うのもなんだか……」

 当初から感じていたものとは、その内情はそのあまりにかけ離れていた。

 その初源には、調律師を優遇するという想定はないに等しかった。そして先ほどのアデルとの問答でそれは現実として結論が成された。

 だが今は違う。それは自分がこの街のことを知らなかったからこそ、認識の差異が生じている。そこに間違いはない。しかしそう結論付けるには、あまりに情報が少なすぎた。

「そうだね。しかし正直な所、僕にもそれついて明確な理由は分からない。まあだが、一つだけ思い当たることもある。憶測だけどね」

「お聞かせいただけますか」

「…………その話の前に少しこの都市のことを解説しよう。ついでに街の案内もね」

 クーリフはそこで言い淀んだ。それは結論を先延ばしにするものであるが、ツルギは素直に頷くと、席を立ち外へと促した。



 まだ「国」という枠組みが存在していた頃の話。かつて、この地は世界的大都市として君臨していた。無限と思われるほどに膨大なエネルギーを所有したそこは、禍の災厄を真っ先に受けて壊滅した都市の一つであった。人々が多くいた場所であるかして、禍人のエネルギーもまた超広大。当然その影響と規模も甚大で、破壊のエネルギーは周辺へと波及し、その全てをなぎ倒し、殺戮し、破壊し尽くした。

 突如として顔を出した未知なる特大の脅威。そこの再興のために割けるエネルギーを国は持ち合わせてはおらず、見殺しにせざるを得なかった。

 軍は撤退。州兵はほぼ壊滅。

 あっという間に陸の孤島と化したそこは、絶望の中で死に絶える土地と成り果てようとした。なんとか生き延びた人々も、既に生きる道を諦めようとした。一縷の望みすらもないそんな状況であった。

 しかし、そこには後に世界初のルーラーとして君臨する「アーケロン」がいた。

 その当時、彼が従事していたのは学校の教師。武力を持たず、一市民に紛れていた。逃げ場はなく、災厄により妻と一人の子を亡くした。誰が見ても絶望的な状況の中であった。愛する者を失い、無残な死を見せつけられ、そしてこれから今一度それは訪れようとしている。しかし彼は絶望はしなかった。唯一、生き残った子どもが一人いたのだ。その子どもはエイツィヒの次男坊「サイファ・アーケロン」。乳離れをして間もない、小さくか弱い命であった。

 エイツィヒは生き残った者たちを集めようと奔走した。それは自身の子どもを守る活路を開くためであるが、同時にこの街を、人を、ゆくゆくは壊れゆく世界を立て直すためでもあった。

 その時の彼には既に、ルーラーとしての自意識が芽生えていた。彼のそれは類稀なる終世が生んだ、稀代のヒーローとなるための種子だった。

 だが。

 彼の努力はその最期まで身を結ばなかった。

 彼の言葉は届かなかった。

 誰しもが彼を疎み、恐れた。絶望が蔓延した街で彼の決起に賛同する者は一人として居なかった。時には強い拒否反応を起こす者たちに命を奪われかけた。禍人の手によるものではなく、同じ人間の手から。それほどまでに彼らに余裕がなかったのは言うまでもなく、無謀な彼の話に怒りすら覚えた者も少なからずいた。

 ただそれでも、彼は絶え間なく接触を続けた。彼は武力に対して反発はせず、言葉による対話だけを求め続けた。折れそうな心は帰りを待つサイファの顔を見て、今一度、そして何度でも再起させ、その決心を固めた。

 バラバラになった人々の和。その架け橋となるべく渡り歩く内に、彼らの中にエイツィヒを知らない者は居なくなった。

 初めは狂人として認識していた。

 しかし時が経つにつれて、彼がそれを試みるにつれて、その認識は変わっていった。

 少しずつではあったが、確かに彼は人々を変えつつあった。

 だが、やはり彼の命は長くはもたなかった。

 不運にも禍人たちの群れに遭遇した一家を助け出すために、彼は死んだ。誰にも見守られることなく、抵抗も虚しく、ズタズタに引き裂かれた彼の身は禍人たちによって食い荒らされた。

 その非業の最期は、彼を知る全ての人に大きなショックを与えた。彼には守るべき子どもがいたのに。彼にはやるべき事があり、それを成すための力があったのに。

 なぜ死んでしまったのか。

 ───それは言わずとして知れている。

「彼がそのエイツィヒ・アーケロン。この街の根源となる人だ」

 クーリフは語りながら、ツルギをある所へと連れ出した。

 そこは公園である。都市の中心部に位置する最も広大に置かれたそこは、敷かれる芝生も、備え付けられた公園ベンチも、生い茂る木々もが完璧な状態を貫く由緒正しき場所。

 そして。

 都市の中心部に位置する公園の更に中心。そこには微塵の綻びもない像があった。表情すらも読み取れるほどに精巧に象られたそれは、険しい表情で駆け、どこでもない一方を指差す。

 それを見て、思わず唾を飲み込んだ。

「彼のその姿は人の感情を揺るがし、そして遂に動かした。その最期は酷く残酷なものだったが、それ故に誰もが彼を想い、決心させた」

「…………」

 解説した彼に、言葉を返すことが出来なかった。それほどまでに当時を彷彿させ、豊かな想像を駆り立てる像に魅了された。

「さて。話の導入はここまでにして、本題へと移ろう。ところでパスタは好きか」

「はい」

 やっとの思いで短く答えたツルギに、クーリフは微笑んだ。

「では少し腹を満たしていこう。いい店を知っているんだ」

「是非」

 クーリフが歩き出すのに従い、ツルギは続いた。腹の虫は鳴き出すのを忘れて、その神経は彼の次の言葉へと向いた。


 人々はエイツィヒの死をキッカケに一つになった。その意思は生き残るために。その行動は彼のために。

 そうして立ち上がった一万超もの人々をまとめ上げたのは、エイツィヒの子でありアーケロン家初代ルーラーとなるサイファ。その傍らに立つのは『血盟の六画』と呼ばれる六つの名家たちである。

 ホワイト、アカサタナ、ヴァービス、センタナル、クリント、そしてイーノス。

 彼らは領域を守護するルーラーの剣であり盾、手であり足、六臓であり六腑。ありとあらゆる力の要素を集結させ、それを一点に束ねる。そしてサイファの武略、軍略、智略はその期待に上乗せされる形で結果を残した。

 禍人の撃退から街の再興までの全てを刀姫の力を借りることなく成し遂げた。

 サイファはその後、街を改変しそして名付けた。都市ジーニアス=サー。自身を支えた六家が持つ確かな才覚を見出し、それを上位者に捧げる様に敬意を表したことが由来する。

 単独での発展を遂げたジーニアス=サー。人々の目には活気が満ち、かつてのエイツィヒの生き様を真似るかの如く自己犠牲の精神が絶えることはなかった。そしてまた、そこの人々は繁栄の道を築き始めた。

 何もかもが順調である様にも見えた。しかし全てが上手くいったわけではなかった。ジーニアス=サーにとっての痛手は、世界が彼らの様になれたわけではなかったこと。人類という枠組みにおいて、瞬く間に疲弊した世界。その都市は完全自律をするものではあったが、しかしとて圧倒的なエネルギー不足は免れず、その外的な要因により停滞を余儀なくされた。

 そこで登場したのが『刀姫計画』の首謀者、ダン=スリーランである。彼が発した刀姫はまさしく、世界が求めるものの全てであった。

 膨大なエネルギーを持つ禍人と対抗し得る力。

 それは紛れもなく、現状を覆すために必要な一手。後にルーラーとなる者たちはそれを支持し、その計画の着手に勤しんだ。時代に大きな潮流が巻き起こる予感に、誰もが目を輝かせた。

 ただしかし、ジーニアス=サーだけは違った。そこに住まう人々が着目したのは、力ではなく、その工程。人の命と尊厳を軽んじたそれに彼らは強い拒否反応を起こした。

 それは自身らの心の余裕が生んだ傾向である。周囲よりも良い環境であること故に、彼らはそう言ってしまえる。その選択を出来る。それを驕りと言ってしまうには短慮であるが、しかしより世界の情勢を知り尽くしたサイファや血盟の六画の党首らは、彼らの思想に同調することは出来なかったし、更に言うならば、その計画に乗ることが出来なければ間違いなく、ジーニアス=サーという都市は遅れをとる。そうなれば、先行きは怪しくなり得る。だが、民を置き去りにその計画を推進することもままならなかった。その計画にサイファたちが乗り出せば一つになった人々の意欲を妨げてしまう懸念がある。

 そこで、サイファは一大決心をした。

 それがジーニアス=サーが打ち出す、刀姫計画の裏にあった『二画計画』である。ジーニアス=サーにおいて、自警組織を担うセンタナルと医療組織を担うホワイトにその監督と着手を託すことでノウハウを掴み、いずれ必要となるであろうその筋道を立てるという計画。

「待って下さい。では、ジーニアス=サーは初めは刀姫開発に乗り出すつもりだったのですか」

「そういうこと」

 愕然としたツルギは食事の手を止めてその顔を見ると、クーリフはワインを揺らしながらそれを肯定した。

 ツルギは気取られないよう周囲を伺う。

 昼時は既に過ぎており、他の客は疎ら。しかしそこにいるのだから、その声は間違いなく届いていることだろう。

 ならば、それを口外しても大丈夫なのか。少なくとも、それは公にされていない事実ではないのか。

「大丈夫だよ。それはみんな知っている。ここでは初等教育で既に学ばされる過去の事実だ」

 しかしクーリフは余裕で言った。

 まあ、そう言うならば問題ないのか。

 この場合、都市に精通する彼の言葉を疑うことそのものが無意味であった。

「机上論だが、この計画に失敗はあり得なかった。何故ならばそもそも二画計画は禍の知識を蓄え、いつかに備えることを目的としていたからね。もし不足の事態に陥っても撤退することも出来たし、事実としてサイファ様や他の四画もそのための道は幾つも用意していた。住民たちの承認が無くとも、結果はいずれも変わりはしない」

「……でも実際は失敗をした」

 ツルギが察して相槌を打つと、クーリフは飲もうとしたワインを置き、憂げに目を細めた。

「刀姫の叛逆が想定外だった。……いや、それそのものは想定していたが、技術革新があまりにも早すぎたし、何より彼女たちの力があまりにも強くなりすぎていた。それを認識してからでは、何もかもが遅かった。既に手の打ちようもなかった。……言い訳だけどね」

 そう言ってクーリフは口角を少しだけ上げると、憂いを飲み干すが如く、ワインを一挙に飲んだ。

「それで、ホワイトとセンタナルは……?」

「計画の一旦を握っていたホワイトは命からがら逃げ延びた一人を残して全員処刑された。センタナルはホワイトとの裏を取られて、組織を乗っ取られた。本家は離散して行方不明のまま。今でもその消息は掴めていない」

「……」

 消された、のか。

 そう解釈して差し支えないし、彼の表情からもそれを汲み取ることは容易だった。

「刀姫の叛逆、英雄である一族の処刑、そして災厄の禍人の登場。それがこの都市が禍そのものを忌避する理由だ。それは手に余る。人々の感情を大きく揺さぶり、そして思想を支配する。そういった力だ、禍は」

「……」

 ツルギは彼の言葉に頷いた。

 その力がどんな類のものであっても、しかし人はそれを求めてしまう。だが甘美なる力であってもそれが破滅を指し示してしまうのならば、避けるしかない。

「……話が途中になった。続きはここを出てからにしよう。食事が冷めてしまう」

「そうですね」

 無料とはいえ、折角の食事だ。美味しく食べられないのは勿体ない。

 しかしツルギはパスタを食べながらにしてその話の先、現状の根底を考えずにはいられなかった。



 刀姫計画の末路。それは人類史における失敗の歴史である。

 刀姫の叛逆を皮切りに混乱を始める群衆は刀姫製造の前線にいた研究者とその関係者たちを処刑。そしてその代替となるプロト計画が発足すると、刀姫開発の全てを破棄し、禁止とした。

 だが、全てが遅かった。誰にも止められない破壊潮流は既に勢力を増していき、人類は再び破滅への道を歩んでいった。

 刀姫たちは人間を虐殺。災厄の禍人は緻密に計画した破滅工作を実行。それに伴うかのように禍人の大挙。

 禍による被害は急増。凄惨すぎる現状に誰しもが、末期世界を彷彿とさせた。

 しかしその中において、生まれた最後の希望『調律師』。彼のことは皆が知っている。ハーネイド・カストロフ。彼は刀姫との架け橋を築き上げ、そして災厄の禍人を撃退した。

 だがそれだけではない。その正史においては影で活躍し始めた者が現れていた。

 現在の武人と呼ばれる者たちの始祖とされる『超常人類』である。『武人始祖』アイビス・スタイザー。彼の出自は、都市ジーニアス=サー。産まれてからすぐには彼の異質性に答えはなかった。サンプルも何もない状況からして、正確に測ることは不可能であった。超常と認めるに足りる能力が、これまでの世界背景からすると地味であったことも要素として含まれるだろう。

 しかし歳を重ねる毎にそれは判明していった。彼の五感は常人のそれではない。生まれ持った筋肉繊維も普通とは大きくかけ離れている。そして何より、纏う雰囲気はまるで別物。物静かな彼ではあったが、その所作や振る舞いは人々の注目を集めた。

 武と礼節を重んじた彼は、やがて都市の武人たちへと教えを説く。一個人の力が大きくなっていったのはここが始まり。半信半疑だった彼の存在だが、彼の教えを受けた「人間の範疇でしかなかった者」が『醒』を獲得し、禍人どころか刀姫や災厄の禍人とも渡り合えるようになったのを契機にその評価は一変した。

 禍とは関連しない、純粋なる人間。正当なる進化。彼の存在はジーニアス=サーにとって、新たなる希望となった。暗く淀んだ空気が一変し、開かれた窓からは光と清涼な空気が入れ替わった。

 より世界を知る者たちならば理解するであろう。真に世界を救う結果をもたらしたのは、調律師ではなく超常人類だと。

 するとその反面ではジーニアス=サーにある禍への憎悪がより顕著なものとなった。どこまで行っても世界を破壊せざるを得ないそれを、人々は蔑み、嫌った。

 そうした世論が生み出したのが、今のジーニアス=サーの形である。禍に頼らずとも生きていける土壌を作り出す、そのことを見出し禍と決別を固めた。かつて、刀姫の開発を支持した者たちも手を平を返すようにそれに賛同。次々と都市へと出資し始めた。

 その結果の先で出来たのが、選ばれた者と必要な人間だけがそこで暮らすことが出来る楽園。醸成した都市は次第に、その和を固めるが如く、教育機関としての権能をも持ち始めた。

 学園都市ジーニアス=サー。

 当初、エイツィヒが思い描いたものとは別物の世界がそこには切り開かれていた。

 そしてそれを示唆するかのように、その元にはルーラーとはまた別の勢力が顔を出した。ヴァービスを筆頭とする学園統括院『ジーニアス=フォース』である。

 かつて血盟を誓った六画は、ホワイトの壊滅とセンタナルの損失からパワーバランスを崩し始めた。諜報を統括するヴァービスは既にルーラーの手を超え、センタナルと肩を並べて自警を統括していたイーノスはその権力に追従。彼らの圧力に負けた法治を統括するクリントは、ジーニアス=サーを離れ領域内の別の場所に転拠。外交を統括していたアカサタナは彼らの動きによらず、ルーラーの下に留まった。

 この頃にジーニアス=サーを含む領域を守護していたのは、サイファの後継であるサリエリ・アーケロン。散り散りになった四画たちを再び取り戻そうと彼は駆け巡った。しかし、彼にはどうすることも出来なかった。世界はその地盤をすでに固め、それを解きほぐすこともままならない状況。学園都市ジーニアス=サーにおいては、都市の出資者たちがヴァービスと結託してその意向を操作した。更にルーラーとしての権威を失い始めた頃合いであったこともあり、その地にサリエリの居場所は無くなっていた。

「とまあ、こんなところだ。ジーニアス=サーという場所がどういうところか理解出来たかな」

「理解しました」

 クーリフの問いにツルギは真っ直ぐに応える。

 広く整った庭を備えた古い木造建築の平屋。廊下は木目だが、部屋は畳。かつて暮らした実家を想起させるアカサタナ家の一室に通されたツルギは肩肘を張った様子だったのに対して、クーリフは微笑んだ。

「そんなに畏まらなくてもいいよ。ここを自宅だと思って伸び伸びとしてくれ。まあ気持ちは分かるけどね」

「ど、努力します。それで……?」

「うん。長々と話したがここからが本題の本題だ。なぜ君たちを優遇するのか、だったね。それは──」

 ツルギは遠慮がちに頷く。

 何かを言いかける彼の言葉を待つと、そこに別の声が一つ。

「クーリフ?」

「……おや?」

 声に対して眉を上げたクーリフが立ち上がりそこを開け広げると、そこにいたのは気品溢れる着物姿の女性であった。和を連想させる美しく穏やかな面持ちで、かつ長い黒髪を揺らしたまさしく絵に描いたような令嬢。

「帰っていらっしゃったのですね」

「ええ、先ほど。そちらの方は?」

「お邪魔しています……!」

 会話からして、彼女がアカサタナ家の者であることを察したツルギは立ち上がり、頭を下げる。彼の姉だろうかと、思考は巡らせる。

「先日お話していた外部からの客人です」

「まあまあ。ではこの方がツルギ・クレミヤさんなのね」

 足早に進められた会話から、その女性はその脇を抜けてツルギの前へ。言わずして、下ろしていたその手を握った。

「お話は予々聞いております。これからよろしくお願いいたします」

「え、ええ……どうも」

 こうも積極的に接触をされると、無論照れる。相手が美人ならば尚更だ。

「……ちょっと!」

 ブローディアがそこで口を挟む。

「……?…………あっ!もしかして幻影刀姫さん?」

 彼女は少しの間をおいて、声の所在を認識した。

「はい、調律師なので。今は出てこれず正式にご挨拶はできませんが、刀姫ブローディアがここに」

 ツルギは彼女の合点を肯定して自身の影を見ると、彼女はそれに倣うようにそこを見た。

「私、刀姫の方とお話しするのは初めてです。ブローディアさん、よろしくお願いいたします」

「いいから、手を離して。金輪際ツルギに触るのは控えなさい」

「……あら、ごめんなさい」

「ブローディア!」

 さっと手を引いてシュンとする彼女を見て、ツルギは思わず声を荒げる。何より、邪魔をされたのも許せなかった。

「……すみません、気を悪くさせました」

 ブローディアの気性によるものだから、仕方ない。ならば、もはや言い訳は不要。代わって謝罪するしかない。

 ツルギは深々と頭を下げると、それに彼女は手を小さく振った。

「いえ、こちらこそ……。ブローディアさんもすみません」

「……気をつけなさい」

 身を正し、深くお詫びする彼女に流石のブローディアも消沈。なんだか、嫌な空気が漂ってしまう。

 するとクーリフはそれを見てか、その間に割って入った。

「ツルギへの女性の接触はブローディアが嫌がる。それは情報共有しておくよ。とはいえこれから先それを保証するのは中々難しくはあるが……さて、一先ずは紹介させてくれ。彼女は母のイーリスだ。君の世話に協力をしてくれる一人だ」

「よろしくお願いいたします」

 所作の動静を短切に、イーリスは今一度一礼。先ほどもそうだが、見事な作法である。

「母……?」

 しかしツルギはそれよりも気になったことを口にした。

 その風貌にはあまりに似つかわしくないその総称。一瞬冗談を言っているのかと思ったが、しかしよく見ればクーリフとの顔立ちも似ているし、そもそもそれを偽る理由もない。

 思わず目眩がした。

 不思議な感性を持つ超美人の妻に、優しく丁寧な超美人の母。彼は一体どれだけ手に入れれば気が済むのだろうか。更に言うならば、彼は超常人類。誰しもが認める力をも備えている。ならば、この場合呪うべきは天であろう。神は何物を彼に持たせるつもりなのだ。たかが人間一人にこんなにも差を生んでいいのか。いや良くない。絶対に良くない。

 しかし。

 恨み言も言うことは流石に出来ない。恨めしげに見ることも同上。

 ツルギはそれをひた隠し、「よろしくお願いします」と愛想笑いで彼らに応じた。

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