第3話『超常の集結地』-その1
エレベーターが上がっていく先。そこは狭く、圧迫感のある壁に左右を取り囲んだ一本道であった。しかしそれに反して、天井は高くガラス張り。穏やかな日差しがそこから差し込んではいるが、自身らの地点までにはその光は弱まり、薄暗くなる。そこはまるで割れた大地の間隙のようで、自身が地の底にいるような感覚さえ覚える。
少々くたびれたスーツ姿の男は促されて前へ。その後に、促した男が追従する。
二人は無言のまま長い通路を進み、その先で行き当たったのはそれまでの景色から一転する自動ドア。そこでようやく文明らしいものを見て安堵させる。
ここはそういった作りになっている。誰が考えたのかは知らないが、とにかく悪趣味であることは言うまでもない。
しかしそれは、彼らにとっては好ましいデザインであるのだろう。
ドアに手をかざし、しばらく待つとそのドアは甲高い信号音を上げて開かれた。
そこは、開け広がる空間。
先ほどまでとは打って変わり、天井の光は底にも届き、床や壁の面々をこれでもかと照らす。白い大理石はそれを受け、互いを照らし合う。その場を想起させるのは、天上の世界。いつの間にやら地の底から天へと登っていたらしい。何とも間抜けで滑稽な演出だと、ついにライプツィヒは思った。
「来たか」
声をかけられて、その空間の上に座する者たちを見上げる。
「ご機嫌麗しゅう、御老公方。呼ばれて参上いたしました、ライプツィヒ・アーケロンです」
笑みを浮かべて一礼。すると背後の従者もそれに伴い、静かに片膝をつき頭を垂れた。
「世辞はいい。心にもないのだろう」
「まさか」
御老公と呼ばれるその一人が語気を強めて言うと、ライプツィヒは笑みは崩さないまま、顔を上げた。媚びるような様相だが、しかし本懐は別物。その食えない様子が気に入らなかったのか、顔をしかめたがそれ以上は言わずに押し黙った。
「我々も忙しい身である。なので早速だが、本題に移らせてもらおう」
五人いる内の一人。その中で中心に座した男はそのやりとりに気にした様子もなく、淡々として話を切り出した。
「ええどうぞ、アセフ議長」
彼らが自分をここに呼び出した理由も、その目的も本当は分かっている。故にこれは形式だけでしかない。それは彼らもまた同じなのだろう。
「なぜツルギ・クレミヤに許可証を出した」
アセフが発したのは遊びのない単刀直入な言葉だった。
何も本当に忙しいわけでもあるまい。彼らはただ、そこにいるだけの者たちなのだから。
ならば、なぜこのような物言いをしたのか。
それは彼らが苛立っているからだ。
彼らは不測を好まない。例外を嫌う。ほんのひと隙間さえも、綻ぶことが許せない。
ただ恐ろしいのだろう。自身の身を脅かすかもしれないそれが。
「最大勢力を持つルーラーの一人、フリードリヒ公の頼みです。無下には出来ないでしょう」
「田舎の公爵如きがなんだと言うのだ!」
こちらの返答に、先ほどまで押し黙った者は爆発させた感情をぶつけてきた。こういった者が相手ならば、その扱いは容易いが、しかしそうはいかない。
アセフはそれを手で制止させ、なおも淡々とした。
「フリードリヒ公の依頼。それを受け入れるのは構わない。しかし、君が許可した者がどんな人物か知っているのか」
「勿論です。彼は幻影刀姫の調律師。現在はフリードリヒ公の守護の元、禍を専門とする戦闘屋を営んでいる一介の武人。そして……災厄の禍人マコト・クレミヤの実兄、といったところでしょうか」
「……私の認識とも相違はない。するとつまり、君は知っていてこの街の法を犯したのか」
「彼はフリードリヒ公の配下。故に彼であれば問題ないと判断しました。ただし法を犯した、と言う点は間違いありませんね」
ライプツィヒが濁すことなくそう言うと、空気は一変。針を刺すかのような静けさは、周囲のざわつきによって塗り変わった。
姿は見えないが、最初からそこにいたこの街を支配する20もの柱たち。
この街に出資する、かの大組織のトップたちはまるで群衆の一人であるかのように口々に意見を交わす。
「お静かに願います。議題はこれに留まりません」
アセフは騒々しくなった空間に一言を加えると、付き従うかのようにピタリと声を止ませた。
立場的には上であるはずの者たちだが、彼の言葉にだけは、決して逆らうことはしない。
静けさが戻る空間をその中あっても変わることなく、彼は話を続けた。
「釈明はない、ということか」
発せられた威厳を持たせる声。まるで自分こそが偉いとでも言いたげなである。
「そういうことです」
ライプツィヒは爽やかに肯定。降参をするかのように、両手を挙げてみせる。
「その男を捕えろ」
「……!待ってください!」
アセフの冷たい言葉にそう声を上げたのは、先ほどまで膝をついていた従者。ライプツィヒの前へと割り込む彼は、必死の形相で老公たちを見上げる。
「彼はこの領域を守護するルーラーです!彼にそんな──」
「誰がお前に発言を許した!弁えろクーリフ・アカサタナ!」
クーリフの叫びは他の老公の叫びにかき消された。しかしそれでも一歩も引く気はなく、クーリフは踏み出した。
「いいえ言わせてもらいます!彼を捕らえるということの意味、今一度ご考慮下さい」
「既に決定していることだ。再考の余地はない」
「……」
「捕らえろ」
老公たちの側から開く扉から、四人の武人たちが現れる。その顔ぶれはいずれもこの街における実力者たち。これを力で突破しようとするのは困難を極めることはクーリフにもすぐに分かった。
つまり彼らは自身の存在を認識し、抵抗もあるだろうと予見していたのだろう。だが詰めは甘い。自分であれば、彼を逃がすことは出来る。そう、ただ難しいだけに過ぎない。
「ライヒさん、逃げてください。彼らは強行するつもりだ。階段から、早く」
矢継ぎ早に背後のライプツィヒへと語りかける。しかし彼はこんな時にでも相変わらず、笑っていた。
「……いや、無理でしょう」
「時間は稼げます」
「抵抗はしなくていい。君が怪我をするだけだ」
「そんなことは──」
ない。そう言おうとしたその時。
頭上から降り立つ者。それは自身もよく知る人物。
よく知っているが故、ライプツィヒが言っていることの意味を直ぐに理解した。
登場した武人は四人ではなく、五人。そしてその五人目は既にこの場で待機していた。
「ヴァン……!」
「……投降してください、ライプツィヒ公。大人しくしていただければ、力で押さえつけることはしません」
高貴さすら感じられる金髪。整った精悍な顔つき。常に敵と見定めるような冷たく澄んだ瞳。
彼はこの都市において、最高の権力と最強の力を携える武人。同じ『超常人類』であっても、彼と自身とでは格が違う。一太刀を浴びせることもなく、一方的に怪我をするのはクーリフ自身であると認識するのに思考は要らない。
「そのつもりだ、ヴァン。痛いのは嫌いだからね」
ライプツィヒはそれに笑みで答えた。
そこにある感情は、誰にも掴めない。
クーリフは、いきり立つ四肢を脱力させた。無駄なのだと、分かった途端に自動的に腕を下ろす。ライプツィヒの顔を見て、冷静に現在に立ち返ったクーリフはしかし、その拳だけは握りしめたままだった。
「連れていけ」
ヴァンが冷たく言い放つのと同じく、背後の武人たちは障害もなくライプツィヒへと近づき、そして手錠をかけた。
「……逮捕されるのはいいですが、その代わりに条件があります」
自身の手を拘束した手錠を確認した後、ライプツィヒは老公たちを見上げる。
「そんなものを出せる立場か?お前は罪人だ!聞く価値も無い!」
「まあまあ、そう言わずに」
老公の一人がそう言うも、ライプツィヒは依然として変わらず、穏やかに立ち振る舞う。
「ツルギ・クレミヤはロイヤル1として向かい入れて下さい。彼はもう既にここに向かっていますので」
「何を……!」
その言葉に悲鳴をあげるかのような反応を示す。それは怒りの顕著であり、そうなるのは当たり前であった。彼はそもそもここに入れるような者ではないのだから。
「フリードリヒ公とは既にそれを締結している。今更翻すことは出来ません」
「ふざけるな!貴様、この街を混乱させるつもりか!」
老公たちは既に怒り心頭。このままでは埒が明かない。
そう判断したのか、ライプツィヒはヴァンを見た。
「ヴァン、君の見解も聴きたい。彼は、フリードリヒ公は信用するに足りない人物か」
「……」
問われたヴァンは言葉を発しないまま、虚空を見つめる。答えは沈黙かとも思われたが、しかしその後、意外にも彼は口を開いた。
「フリードリヒ公は信用出来ます。しかし、ツルギ・クレミヤは別だ」
「ふむ……つまり君も彼はここに入れるべきでは無いと」
ライプツィヒがそう相槌を打つと、ヴァンはしばしの間をおいて言葉を紡いだ。
「……しかしフリードリヒ公との約束を違えるのは危険です。彼はテンカクとも関わりのある、現今における最有力人物ですから」
「そうか。ならば、ツルギを向かい入れるリスクとフリードリヒ公と対立するリスクを天平にかければいいね。どうですか、アセフ議長」
ライプツィヒが呼び止めるとアセフは目を細めた。
「……最初からこれが狙いだったのだろう」
「それはどうでしょうか」
両者とも表情を変えないまま見つめ合う。しかしその先はお互いに別のものを見ている。二人のその思惑は重なることはなかったが、その一方で同じ一つの帰結へと至った。
「……調律師ツルギの入所を認める。ロイヤル1。ただし、特別措置は設ける。彼の責任はアカサタナ、ホワイトの両名に付す」
その最終決定は、誰の目から見ても妥当であった。ただし、およそライプツィヒの筋書き通りに行ったことは間違いは無く、その事実は老公や柱たちにとっては煮え湯を飲まされたことに相違ない。これによって老公とルーラーの対立はより一層深まることは明白である。
調律師ツルギ・クレミヤ。彼にその不利益やリスクを負うだけの価値があるのか、クーリフには分からない。
しかし。
「クーリフ。ツルギのことを頼むよ」
「……承知いたしました」
連行される間際に語りかけたライプツィヒの笑みは少しだけ、穏やかになったように見えた。
目にしたものが嘘であって欲しくはない。彼の思惑がどうであれ、その期待に恥じることはしたくはない。
クーリフは彼を信じることにした。ツルギを向かい入れ、そしてこの先にある彼の筋書きを自分が通す。
その意思を強固するとともに、そしてクーリフはもう一つの問題へと立ち返った。
「ヴァン、君はこれで良いんだな」
「……」
クーリフの問いかけには答えず、連れていかれるライプツィヒに続いて姿を消した。
聡明な彼の心情は読み取ることは出来なかったが、しかしその背中に感じたのは迷いであった。
学園都市ジーニアス=サー。
そこは各分野における天才たちが集う、人類の要と言うべき場所であり、その名の通り教育、学業を主軸として経済を回す都市である。
駅の路線が線引きするように都市ハリングと分かたれる50万平方メートルにも及ぶ敷地には、美しく整った自然と先端建築技術の粋を極める建物たちが見事に調和。訪れる者全てを魅了する。そんな魔力を持つ景色は、雑誌などによくある『世界100景』において大抵の場合、その半数を占める。つまり、天才たちが集う場所であると同時に、そこそのものの価値を相当に高い。格式が高い、とでも言えば良いのだろうか。
またその地に住む人々には民族の隔たりはなく、色とりどりに様々。彼らは世界的に認められた価値ある人間であり、そしてその人間を支え、遺伝子を受け継ぐ家族。その殆どは金持ちであることは言うまでもないが、金を持っていること自体はそこではステータスにはならない。故に、住民自体の背格好も様々。しかしやはり、共通した選民意識のようなものは当然に持っているだろう。
認められない者はそこに入ることすらも許されない。それだけ厳粛な都市であり、価値のある都市。そこの移住に権利を必要とするのであるなら、それも致し方のないこと。同様に、特別な権利を有しなければそこに移住されることが許されないミクロンの町とは真逆の性質と言える。ただしこの場合、そういう場所に住んでいること自体がステータスなのだから、ミクロンこそが異質と言うべきなのであろう。ジーニアス=サーに限らず、そういう都市に住んでいる人々は皆が選民意識に駆られるのが普通だ。
そしてその意識を
そんな場所に自分が入ろうと言うのだから、とんでもないことだ。
ツルギは緊張した面持ちで申請の列に交ざりながら、周囲を伺う。
季節は夏。窓から照りつける日差しが眩しい屋内の関所ではしかし、肌寒さすら感じるほどに空調が効いていた。そうであるためか、人々は一様に重ね着をしていた。その例に漏れず、ツルギも普段着のシャツに一枚羽織って、自身の順番が来るのを待つ。
雑誌でか、テレビでかは不明だが、しかしどこかしかで見たことのある顔の人々の列。彼らは恐らく、何かの分野で精通する人。
それだけで何故か落ち着かない気持ちになるが、厳正な都市に入るための身辺、荷物調査となれば、更に緊張はする。
こんな時、ミコノならば悠然として自身の順番を待っていたりするのだろうが、自身は彼女とは違う。取り乱しはするし、何より本来ならば、凡人たる自身が入れるわけがない場所なのだ。
それだけに緊張は増した。
そのせいか、もしダメだったならばと、あらぬ事さえ考えてしまう。元々、調律師として刀姫と共にある自分が入れること自体がおかしい。断じて、決して、フリードリヒを信用していないわけではないが、だが不安は当然あってしかるもの。そしてその時になってから考えたのではどうしようもない。
だからまず、ツルギは最悪の事態を想定して身の振り方を考えてみた。
両手を挙げて降参を示すのは前提として、それからどうするべきか。膝をつくのも良いだろう。動かない、抗さないことへのポーズとしは申し分ない。あとは、自身の身の内を素早く明かすことも肝要であろう。セブンスターズの一員であり、フリードリヒから遣わされたことを証明できれば、話はスムーズにいく。
そのためには、証書を予め用意しておかなければならない。動かないことを証明しながら、それを取り出すことは矛盾となる。そうなったら有無を言わさずに取り押さえられることになり、話がややこしくなる。
ツルギは背のバックを下ろし、中から一枚の封を取り出した。中身が入っていることも確認。
これで一先ずは安心。自身の身の確保は取れるはず。
息を吐き、自身の前の列を眺めていると、そこで背後からポンと肩を叩かれた。
ビクリと身体を震わせ、そこを振り向くとそこにいたのは一人の好青年。齢20にも満たないであろう彼はツルギに爽やかに笑いかける。
「よろしいでしょうか」
「は、はい……?」
「今取り出しのは?」
「え、え……?」
問われて、自身の手に持つ封筒と青年を交互に見る。すると、青年は手を差し出した。それを寄越せということなのだろう。
身を小さくして、ツルギが素直に応じると、彼は封の中身を遠目から見て確認。中に入っていたのが、一枚の紙であると分かるとそれを取り出した。
検査列で一人、査官に呼び止められるという事態に周りの人たちは注目。その事情もあり、居心地の悪い気持ちで、下を向いたツルギはまだかまだかと反応を待つ。
すると。
「ツルギ・クレミヤ様、ですか」
「……そうです」
俯きつつ頷き、相手の様子を伺うと、その青年は証書を折りたたんでから、深々と頭を下げた。
「大変失礼いたしました」
ぎょっとして彼を見つめる。
頭を下げた彼はすぐに姿勢を直し、証書を封筒に戻す。そしてツルギへそれを返して、ツルギの荷物を持ちだした。
「……?」
「お通しいたします。こちらへどうぞ」
「……どういうことでしょうか」
訳が分からず困惑したツルギを見て、青年はまた爽やかに微笑んだ。
「あなたがご来場いただいた折には、通せと、仰せつかっています」
「なるほど……」
そう言われれば、一応は理解できる。統治するルーラー間の話、つまり自身らの頭の上で扱われるものであるからして、それに対して厚遇されることは当たり前であろう。
しかし、理解をしたところで緊張の糸は解れない。いやむしろ、それに慣れていないツルギは尚更にその表情を固くした。
「こちらへどうぞ」
「はい」
なんだかやけに視線を集めてしまったことを思うと、そもそも列に並んだことそのものが失敗であったと思える。
だが、それは自分にとっては仕方のないことなのだ。何故ならば、本当の本当に、自分はここに入るべき人間ではないからだ。
通された先は、別の一室。建物の外にも地下廊を経由していないので、同じ建物の中であることは間違いがない。その部屋へと通されたツルギは、そこでしばらく待つよう言われ、荷物を持ち出されたまま待ちぼうけを食わされていた。
室内の時計を確認すると、既に15分を経過。しかし何もないところであるからして、体感では既にその時間すら超えていた。
広い部屋の中央で座して待っていると、ブローディアは影から出てきて大きく伸びをした。
「いつまで待たせるつもりなのかしら。私たちって言わばビップなはずでしょ」
「……どうだかな」
確かに、先ほどのことを思えば、自身がそのような立ち位置にあると感じてしまうのもやぶさかでは無い。
ただし、そう思わせたのは束の間であるとも考えられる。食客としてここを訪れているわけではないし、何より、自身そのものは何も持たない一人の武人でしかない。
「もっと堂々としてよ。なんだか私まで心配になってきたわ」
「……すまん」
そうは言われてもな、などと内心呟きつつ、天井を見上げていると、扉が開く音を耳にし、思わず姿勢を正した。
室内へと入ってきたのは、数名の警備員。そしてその前を歩くのは勲章を身につける体躯の良い集団のトップと思しき男。若干下っ腹が出ている様子を見ると、既に現場から離れたそれなりの地位を持つ者であることは伺える。仰々しい彼らの姿を見てまず感じたのは、嫌な予感。凄まじく拗らせてしまう予感がツルギの首筋から伝わってきた。
一団がツルギへと近づいてくるのと同じく、ブローディアは警戒する野良猫のように影の中へと素早く引っ込んでいった。
「こんにちは、ツルギ君。私はジーニアス=サーで警備・警護の取締役をさせていただいている、アデル・イーノスだ。遠方遥々ご苦労様」
アデル・イーノス。
『イーノス』というの名自体は聞いたことがある。
世界の終末期においてとあるルーラーの元、世界の守護という大役を担った一族の姓である。時間の経過、そしてその出で立ちからするであるならば、彼は3世ほどにあたるだろう。
「い、いえ。こちらこそ、お招きいただきありがとうございました」
ツルギは立ち上がり頭を下げると、彼は「良い」とでも言いたげに手のひらを仰いだ。
その仕草に、偉そうだと感じたが、何も言わずに作り笑いだけをしておいた。
すると、男はニヒルに笑い背後の一人を人差し指で呼びつけた。
「さて、では早速だが、これを」
前に出てきた一人が持っていたアタッシュケース。その中にあったのは、四つの機械ベルトだった。
「これは……?」
「身につけてくれ」
「……これは何ですか」
漫然とした態度をするアデルに、ツルギは口を引き結ぶ。
「……これは禍の力を抑制するための装置。つまり、君の持つ刀姫の力を無力化する為の物だ」
「力を、無力化……?」
ツルギはその言葉を聞いて、目を丸くした。そんなことが可能なのかという疑問もさることながら、それがどのような影響を及ぼすのかが気になった。
「内約は語る気はない。こちらの要求には、速やかに応じてくれ」
不躾な物言いだがそれはともかくとして、ツルギとしてはおいそれと応じる気にはなれなかった。内約を語る気がない、というのも気がかりである。
「詳細は要りません。しかし、これによってブローディアがどんな不利益を被るのかは聞かせてほしいです」
するとアデルは嫌そうな、面倒くさそうな、とにかく顔を顰め、不満を吐露するようにため息をつく。
「君の刀姫は特殊能力は使えなくなる。それから、その身は外に『現出』出来なくなる。幻影刀姫ならば、影から出られなくなる、といえばいいかな」
「……」
いや確かに、その対処には理解はできる。禍禁制の都市において、彼女たちが自由に現出できる状態であるのは良し悪しでいえば限りなく悪いと言うしかない。そこに関して異論の余地はなく、ならばこちらも譲歩はしなくてはならない。
「なるほど、分かりました。それで彼女たちはどのような時に解放して良いのかも教えてください」
自室にいる時のみか、はたまたそのための場を設けてくれるのか。それを身につけるよりも先に、その確認はしておきたい。
ツルギが問うと、アデルは「は?」とあからさまな表情を返した。
「できるわけがないだろ、そんなこと」
「……出来ないのですか」
「冗談も程々にしたまえ。ここは禍禁制の都市ジーニアス=サーだぞ?ここにいる限り……いやここに所属を置く限りそんなことを許されるわけがないだろう」
彼の返答に唖然とした。
そんな馬鹿なことがあるか。
能力はともかく影から出られなくなるなど、彼女が耐えられるわけがない。
どんな生物であれ、その不自由に耐えられる者は居ない。
契約をした刀姫は、調律師たる者の所有となる。それは比喩などではなく、現実として彼女たちの精神と身体は調律師へと結びつく。肉体と魂は圧縮され、彼女たちが記す刻印へと格納される。それは禍の持つ『所蔵能力』と言われる力の一端。その圧縮した肉体と魂はいつでも『現出』することができ、自身の身を隠す、守るという点においてはうってつけの力である。しかしこの『所蔵能力』により圧縮される状態はそれなりに不快な状態であるという。聞けば、それは狭い箱の中に閉じ込められているようなものであるのだとか。
そんな状態を1日どころではなく、押し付けるつもりか。
「都市の外に出れば、それで良いのではないのですか」
「それも駄目だ。そもそも、自由にここから出入りしようという発想そのものが変だ。君は客人のつもりでここに来たのか」
「……いえ、そんなつもりはありません」
口調を強めたアデルの言葉は、ツルギにとって痛い懐である。
自身は決して、もてなされる様な人間ではない。そんな資格を持つ人間ではない。そして世界にとって重要な拠点であるここで教えを受けられることそのものが、最大の幸福であることは間違いがない。
だが例えそうだとしても、その代償をブローディアに背負わせることを決められるかと言えば、それは出来ない。
ツルギが逡巡していると、アデルは表情を強張らせたまま口を開いた。
「いやそもそも、君に選択肢があると思っているのか」
「どういうことですか」
見つめ合う両者。思想のぶつかり合い。
局面は個人対集団であるからすると、ツルギに利はないことは明白である。
「……察しが悪いな。ここは既に、ジーニアス=サーの敷地内なのだと言っているのだ」
その言葉が周囲の空気を凍りつかせた。アデルを含め、その背後の者たちは臨戦態勢を取る。
いや、とうにその心構えはしていたのだろう。この部屋に入るよりも前から、彼らは戦闘の準備はしていた。だからこそ、背後の彼らは装備を潤沢に揃えてここにいる。着目すれば、彼らは警備員というよりも彼らは戦闘員と呼ぶに相応しいと分かる。
調律師となり、ブローディアと生活を共にする内に忘れていたことだが、刀姫との接触は、本来それだけの警戒強めるべき事柄である。それは自身もまた改めて認識しておくべきだった。期せずして窮地に陥り、ようやくそれに気づいたが、しかしどうしようもない。折らざるを得ない。
「いいわ、ツルギ」
その時、声を挙げたのは、誰でもない話の中心人物たるブローディア。尖る雰囲気を撫でるが如く、彼女は落ち着いた声を発した。
「私が我慢すればいいだけ。そうでしょう」
「……」
「調律師よりも懸命な判断だな」
せせら笑うアデルは、それを聞いて態度を軟化。それに伴い、嵐でも吹き荒れそうな空気は正常へと戻っていった。
「けれど、約束して。私が出てこれない間はあんたたちがツルギを守るのよ」
ブローディアの力の籠る声に、今度は高笑い。彼女の願いを馬鹿馬鹿しいとでも言いたげな、嘲る笑い声がこだました。
「もちろんだ。言われずとも、ここの警備は常に万全を期している。君が守るよりもずっと安全に過ごせる事を約束するよ」
「……」
ツルギは口を噤み、冷静になることを心がけた。彼女のその切実な願いは、自分にだけ分かる。自分だけが理解し得る。ならば例えその態度が神経を逆撫でするものであっても、怒るべきではない。それをしてしまうのは、彼女の譲歩を無駄にすることにもなりかねない。
葛藤の中、要領に従ってツルギは四つの器具をそれぞれ手足首に装着。重さや鬱陶しさは無く、それだけで技巧の凝らされた物だと分かる。
「ブローディア、どうだ」
「……うん、出られないわ」
「すまない」
「いい。仕方のないことだわ」
しおらしくなった二人にアデルは鼻を鳴らした。
「仲睦まじくて結構なことだ。では、次へ行こうか」
「次……?」
「君を拘束させてもらう」
「……!」
言われて、身体を一歩引いて身構えるとその様子を見てアデルは笑った。
「おっと、拘束させてもらうとは言ったが別に牢屋に入れてやろうという訳でない。部屋から出ずに、しばらく大人しくしてくれればいいだけだ。無論、衣食住は完璧に支給する。ロイヤル1の来賓としてな」
「謀ったのか」
ツルギの憎々しげな表情に、彼はそれを意に介することなく続ける。
「元々その気などなかった、それだけの事だ。現に私は君に言ったはずだ。ここから自由に出入りできると思っているのかとな」
そう言った彼の顔は実に嬉々としていた。
これほどまでに簡単に事が済んだのなら、それ以上も無い。その意中は手を取るように分かった。
「私たちはここ一帯の領域を守護するルーラーに許可されたのよ。あんたがそんな事をしていいわけ?」
するとブローディアが反論。それはそうだとツルギも頷くと、アデルは高笑いを上げた。
「そんなものは所詮お飾りに過ぎない。この街を実質的に支配しているのは、ルーラーでは無い」
「……どういうことよ」
「君たちにも分かるように言うのならば、ライプツィヒはこの街の支配権は持っていないのだ。現にその男は捕らえられている。君たちの入所を許可した罪人としてな」
「……」
ブローディアは絶句した。
まさかではある。
フリードリヒの進言を聞き入れた先にあるのがこの結果なのだから、ツルギ自身も動揺した。
こうなることは最悪の想定として頭にあった。しかし現実として起こりえないと思っていた。それは他の誰でも無いフリードリヒの薦めであったからだ。つまり、自分は油断していたのだ。フリードリヒから遣わされたのだと、心底では安心してしまっていた。
「ふざけないで、そんなこと、絶対に許されないわ!」
ブローディアの当然の激昂はツルギの刻印からその熱を感じ取れた。しかしこうなってしまったらもはやどうしようもない。
ツルギは彼女の心境に反して、状況を静かに探る。
手足の制御器を掴み、外そうとするも、それは叶わない。自分から外すことができない作りになっていることは、すでに理解していた。
そしてこの場を制し、逃げ出せるかを思案。しかしそれも無理という結論に達した。アデルはともかく、背後の彼らはこちらの動揺に微動だもしない。それは圧倒的な優位性から来るもの。自身が感じていたように、彼らもまた武人としての優劣は理解している。つまり、今の自分に彼らを抗する力は持っていない。故に現状、打てる手は皆無。抗する事さえも無駄である。
ツルギが肩を下げると、満足そうにアデルは頷いた。
「それが賢い選択だ、ツルギ・クレミヤ。最高級のもてなしを黙って享受し、そして何事もなくここを去れば、それで事態は収束する」
ほくそ笑むその面を殴り飛ばしたい気すらも起きなかった。この不甲斐なさは全て、自分の責任だ。
程なくして、戦闘員たちに囲まれたツルギは部屋の出口へと誘導される。
これから一体どうなるのだろうか。
与えられたチャンスは潰され、何も出来ないまま無為に時間を過ごすしかないのか。
不安と不満に満ちる中、ツルギはそこで部屋の戸が開けられるのに気づいた。
それについて特に何の期待もしていなかった。受け渡しの人員が来たのだろうと、完全に諦めモード。しかしそこに立っていた男から、ツルギは目が離せなくなった。
「アデル卿、これは何でしょうか」
整った赤毛の髪と眼鏡をかけた聡明さが際立つ好青年は、明らかな異質であった。姿形は人間。災厄の禍人のような禍々しい妖気を放つわけでもなく、刀姫のような他を圧迫するような殺気を放つわけでもない。
ただ、そこに立っているだけ。
だというのに、彼は全く違う。人であるかすら疑わしいほどに、彼は強い存在感を携えていた。
「……これはこれは。クーリフ殿、何用かな」
同時に、アデルこ声からは血気が失われていくのを感じ取った。まるで同僚に不正を見られた者かのように、彼はあからさまに取り繕った。
「私はツルギ・クレミヤを回収しに来ました。それで、この状況は何ですか」
それとは対照的に彼は端としていた。
淡々として場を見据え、言葉を発する。
「その必要はありませんよ。彼は私たちが受け持つ」
「いえ、彼の責任は私たちが持ちますので。アカサタナで保護いたします」
クーリフと呼ばれる男が言うと、アデルは唇を上下させて言葉を探る。
彼らの権力は拮抗している。ただし、この局面において優勢はクーリフである。
ツルギは会話からしてそう読んだ。
もし彼の側に付いて自身にどのような利をもたらすかは不明だったが、何か加勢出来ることはないかを思慮する。
「この男、私たちを拘束しようとしたわ」
「拘束……?」
するとそこに、同じく何かを察したブローディアが言葉を挟んだ。子供の告げ口のような物言いだが、しかしそれはかなり有効。
クーリフは彼女の言葉を反芻し、小首を傾げてアデルを見つめた。
「それは言葉の綾さ。私は部屋で大人しくしていて欲しいと要請したまでだ」
「だとしても。それはいけませんね、アデル卿。私たちが要請されたのは彼の身を置くことだけに留まらない。軟禁をしてしまっては完遂は不可能。本末転倒です」
「本来ならばここは禍禁制の地。ならば好き勝手に動かすわけにはいかない」
「そうですとも。しかし、それを決める権限は貴方にはない。……それかもしくは、御老公のいずれかにその指図を受けましたか」
クーリフはそこで目を細めた。その見透かすような目から逃れるかのようにしばし目を背けたアデルだったが、観念したのか手を挙げて背後の戦闘員たちに合図を送る。それを受け戦闘員たちは何を言わずにツルギから身を引く。その隙間からおそるおそる抜け出てクーリフの背後へと回ると、そこでようやく安堵した。
「責任は、取るのだな」
「初めからそう言っています。では、ツルギさんはこちらへ。お荷物も既に確保済みです」
肩を震わせて睨みつけるアデルのことなど気にもかけずに、その場を離れるクーリフにツルギは続いた。
しかしそれにしても、鮮やかな手際である。ツルギはその背を横目に、舌を巻いた。
その言葉から汲み取るならば、彼はここに来る前から状況の把握をしていた。事実上、没収されたはずの荷物を既に掌握していることがそれを裏付けている。
一先ずの危難は去った。しかしこの先にあるもの、この都市が孕む現状を垣間見たツルギはやはり不安でしかなかった。
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