第2話 エピローグ
それから。
ツルギはセリスの情報屋としての仕事を手伝う形で社会復帰をした。彼女の扱うものは個人的なものから一団体、国際権力を相手取ったものまで様々。地に足をつけ、そして立ち回る彼女の様を見て、自身と彼女との間に凄まじくギャップを感じた。
恋人として寄り添う傍で、仕事上では上司と部下という関係にあったことに対し、少しだけ後ろめたさはあった。彼女はそれに何の疑いや不満もなかったが、やはりツルギとしては情けなかった。
故に、ツルギは自身が独自にできることを必死に探った。
しかしどうしても自身の居場所は見つかることはなく、彼女に背負われながら、時は過ぎていった。
彼女を愛していた。彼女を愛した。
出来ることはやった。自身の役割を理解し、それを担った。
時折その内捨てられるのではないか、という不安も、彼女は全て退け、そして関係は深まっていった。そうしていく中で、やがて不安や不満は芽生えることもなくなり、ツルギは環境に適応した。
更にセリスはそれだけでなく、ツルギとマコトの間をも取り持った。物腰柔らかな彼女に、ツルギは絆されて歩み寄り、マコトもまた彼女の存在に感謝し、恐る恐るながらも、その関係を回復させた。
両親とマコトがいて、恩師のジールサハトやフリードリヒ、ミコノが見守ってくれていて、これまでの関わってきた全ての人たちが気遣ってくれた。
幸せだった。敵はいない、様々な人に囲まれている喜びが。支え、支えられる穏やかな輪に入ることができる嬉しさが。
病める時も、健やかなる時も、彼女はそこにいてくれることがツルギの当たり前の日常になっていった。
仕事も順調。人間関係も良好。
平凡ではあるが、これ以上はなく、それ以下もない。そこから先に、変化は必要なかった。ただずっと同じ世界が、平凡な幸せがずっと続けばいいと思った。
そして。
二人は結婚という一つの区切りを迎えた。
それに二人を囲む全ての人たちが祝福した。妬みや嫌悪はない。完全なる世界。
それを噛み締め、そしてもう一度ツルギとセリスは神父が目の前に立つ場所で出会った。
「緊張してる?」
「……そりゃまあな。お前はそうでもなさそうだな」
「そんなことない。私も凄くドキドキしてる」
「……なんで今更ドキドキしてるんだ」
「だって……ずっと貴方のことが好きだったから。こうしていれること、とっても幸せだから。変なことかな?」
ツルギは紅潮させたセリスの顔を見て、気恥ずかしそうに笑った。
神父の言葉に答え、そして誓い合う。
病める時も、健やかなる時も、共に支え合い生きていくことを。
そして指輪の交換。セリスの左手の薬指へ指輪を着けてやる。
するとそこで、彼女は感極まり、泣き出した。
この日をずっと夢見ていた。彼と一緒になりたいとずっと想い続けてきた。
それはもはやツルギでさえ、知っている。そしてこれまで、彼女に様々なことを背負わせてしまっていたことを思い返した。
「ありがとう、セリス」
泣くセリスに、自然とそう言った。
何を語るまでもなく、セリスは頷き、潤む瞳でツルギを見つめ返した。
このままキスがしたい。そう思ったが、しかし今は式中。ツルギは堪えて、自身の左手を差し出した。
そうして気がついた。
そこには、指輪がはめられていた。
まだ、彼女からは着けられていないはずの指輪。
細やかな粒子は光を帯び、そして光を鮮やかに照らし出す。
それについて見た覚えはあり、身に覚えはない。不思議であるようで、必然的なもの。幻であるかのようで、しかし普遍的なもの。
それはずっとツルギに着けられていた。いや、自身が自ら着け直したものである。
それは誓いであった。
誰と?
なぜ?
いつ?
脳はそこで全てを塗り替えるが如く、変わった。
五感は閉じ、そして新たに開ける。
見ているものは変わらない。聞こえているものも変わらない。穏やかな日差しも僅かに乾く舌もそのまま。
では、何が変わったのか。
それは自分である。
それを理解し、そして今を思い出した。
セリスが何かを呟く。
分からない。
何を言っているのか、理解ができない。
唐突に世界から切り離されたような感覚。それはツルギを動揺させるのではなく、深く静かに思考させた。
ここはどこか。
ここは現実ではない世界である。
何故ここにいるのか。
幻術に飲み込まれたからだ。
ブローディアはどこにいるのか。
幸せなこの世界ではない、素晴らしく残酷な本当の世界。
では。
本当の世界に戻るには、どうしたらいいのか。
分からない。
分からないが、しかし恐らく。この世界はあってはならない。
誰のためでもない、自身のため、ブローディアのために。
ならば、どうしたらいいのか。
決まっている─────────。
「ツルギ……?」
異変にいち早く気付いたのは、目の前のセリスであった。彼女はツルギを知り、細やかに理解し、そしてよく尽くした。だからこそ、姿形は変わらないツルギの変化に気がついた。
無の表情が貼り付けられた顔。そこにあるのは、喜びでも怒りでも悲しみでもなかった。
そこにあるのは、無である。
突如として、悲鳴が上がった。
幸せの絶頂にいたはずなのに、誰もが祝福してくれていたのに、なぜ?
その理由を確認するよりも早く、途端にセリスの意識は虚ろいだ。
後から押し寄せたのは、首の辺りから何かが抜け出るような感覚。最後に見たのは、涙し、下手な笑みを浮かべた彼の顔。
最愛の人の、苦しくて仕方ないといったような表情がたまらなく苦しくて、しかしそのままセリスは意識を閉じた。
「兄様……?」
「待っていたよ」
式の来場に唯一遅れたマコトは、その光景に目を見開いた。
「何故、だ?」
「……俺はここにいてはならないからだ」
空間変異。それは現実へと虚構を反映する力。では、虚構中にある虚構はどうなるのか。それもまた反映するのか。虚構の中の今日は虚構のままで終わるのか。
違う。おそらく、そのどちらでもない。
虚構の虚構は分岐する。違う世界へと連なる。
そうでなければならない。
そうでなければどうして───自分の意識はまだここにあるのか。
世界は壊れた。否、壊した。
幸せは潰れた。否、潰した。
最愛の人は、見守ってくれていた大事な人たちは死んだ。否、殺した。
世界に釘打ちされたならば、釘を破壊すれば良い。もし釘がこの世界にないならば、自身を繋ぎとめている世界を破壊すればいい。
幸せな世界も、平穏な日常も、変わらない未来をも。
これできっと、意識は本当の世界へと繋がっていくはず。そうでなければ。
そうでなければ、更に壊すしかない。
涙を流したツルギは、独り笑いを込み上げさせた。後悔も絶望も、もう遅い。もう後戻りは、できない。
「兄様、どうして──!」
「すまない、マコト」
叫び出したマコトを押しとどめるように、静かに呟いた。
いずれは殺さなければならないのならば、今ここで慣れておくが良いだろう。
前向きに、そう考えるしかない。
やがて青白く変色した顔から、血に濡れきった四肢から、ツルギの全身から、漆黒の物質がゆるりと現れ出でる。
「あ、あ、あ……あああああああああ!」
抑えていたものを、吐き出すように叫ぶ。
初めから暗く染まりきったオーラが吹き出す。かつていた世界で、力の根源であったモノ。
それは禍であった。
時を同じくして額に現出。
それは角であった。
「兄様!」
「マコト。どうか、どうか俺を───」
続きは言わなかった。
きっと彼女ならば、成し遂げられる。
この世界で初めて生まれた異物を、除去できる。
崩れ去った世界の理。
そしてそこで、ツルギ自身の意識は霧散した。
第2話 エピローグ 終わり
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