第2話『黄金の城』-その11

 何が悪で何が善であるのか。

 ツルギにはその判別は難しい。

 所詮、それは人の価値観でしかなく各々の匙加減が明暗を分けるもの。しかしながら、それは人として生きていく上では確実に必要なものである。

 刀姫、災厄の禍人、人間など、様々な勢力が跋扈し、敵対関係がより複雑化する現在に至っては、なおのこと。しかしツルギにはそれがない。自身の目で見て、聞き入れ、感じることでしか推し量ることができず、ただ目の前にあるものに立ち向かうことしかできない。しかもそれも感情によるものでしかなく、明確に線引きされたものではない。助けたいという一心のみで戦ったフライタッグの一件もそれを裏付けるものである。

 これまでの道中、生きていく上で、その動機となるに相応しい出来事がツルギにはあまりにも少なすぎた。フリードリヒに応えて彼の命を遵守することも、マコトを追い彼女の企みを打ち破ることも、この世界にある救いたい命を救うことも、実のところは自身の道しるべのようなものでしかなく、結局のところはそれに依存して行動しているにすぎない。ミコノのように、拘りが無くとも生きていければ良いが、とはいえ、彼女を手本とするにも自身には圧倒的に実力が足りていない。

 武人としても、調律師としても半端者であるし、自身に課せられた限界の壁は高く厚い。自身の力の限りでは、拾える者も命も限りなく少ない。それはきっとこれからもそうなのだろう。

 まさに自分は空っぽの人間だ。マコトが転化し、後悔に打ちひしがれた時から、自分は何も変わっていない。無力で、弱くて、どうしようもなく不甲斐ないままだった。

 今の自分はブローディアという存在によってどうにか成り立っている存在でしかないのに、それが情けないとさえ思えない。否、今に至るまでは思えていなかった。

 何者でもなく、自身には拠るべきものはない。それはジールサハトもそうであったのだろう。そこにあるものもまた、自分と同じなのだと感じた。

 彼は自身の矜持を見出していた。側から見れば中身がないようにも見えるし、事実上何もないのと同義であるが、しかしそこには自身の信ずるものが確かにあった。

 そうなるとやはり、自身とは分かり合えない。根底にある想いの如何は不明だったが、同族嫌悪の類なのだと、そう結論付けをした。

 そして彼と対峙したその時には絶対に負けない、必ず打ち下してやると躍起になった。しかしその結果は惨敗。レリジョン及び黄金の城で、結局自分は何も出来なかった。完成された未完成の刀姫二体を相手に致命的な傷を受け、何とか辛勝し、自身に価値を感じたと思った矢先には、既に手遅れの状態となってしまっていた。本当はあの時、死ぬはずだった。

 やはり自分は無力。

 此度の件は、それを実感するに相応しい事柄であった。

 ミコノやフリードリヒの助力が無ければ、死んでいた。ブローディアが居なければ、自身はただの一介の武人でしかなかった。結果として自分は囮の役目しか出来ていなかったのだから、それは疑いようのない事実で、誰に言われるまでもない。

 しかしそれを嘆く暇は無い。これから今までよりももっと死に物狂いで食らいつき、必死になって打ち込むしか無い。

 自分はまだ生きており、そして自分は戦うことしか出来ないのだから。

「ツルギ、眠れないの?」

「ん……ああ……少しな」

 フリードリヒの庇護の元、静寂と安寧が暮らす夜。ベッドの上で横たわりながら、窓の外を眺めていたツルギはブローディアの声に対してぎこちなく答えた。

「……寝たほうがいいわ」

「そうだな。それはそうだ」

 あの時を境に。あの地から助け出され、ここ至ってからというもの、寝るという行為が怖くなった。あの光景の続きを見てしまうような気がして、いつのまにか寝付くのを待つしか出来なくなっていた。

 精神医によれば、自身はストレス障害に陥っているのだとか。先の幻術がそうさせたのは間違いがなく、回復には相応に時間がかかるとも言われた。

 その折に聞かれた幻術の内容は誰にも打ち明けられなかった。

 打ち明けられるわけがない。

 あんなものを口に出すことなどできない。

 誰にも共感してもらう必要もない。

 あるのは、ただ一刻も早く忘れたいという一心のみ。自身だけがそれを知る人物ならば、掘り出されることなく、眠らせておけば良い。

 しかしどうしても、忘れることは出来なかった。あれから一月は経とうとしているのに。身体の傷は既に癒えているというのに。

 埋められないものや忘れられない過去の記憶はどうしたら良いのか。

 それを分かっているようで、全く理解していなかったこともまた露呈した。そこでこの休養期間で改めて考えてみたが、結局は答えは出てこなかった。

「明日、ここを立とうと思う」

 ツルギが話を切り出すと、ブローディアが影から顔を出した。

「もっと休んだ方がいいわ。……なんだか死にそうな顔をしている」

 心配そうに見つめるブローディアだったが、視線を交わすことなく、外を見つめたままツルギは受け答える。

「……多分、このままじっとしていても仕方ないんだと思う」

「まあ……あんたがそう言うなら、そうなのかもね」

「ああ……」

 これからはどうすべきなのだろうか。

 その答えは既に出ていたはずなのに、何故だかそう思ってしまった。きっとそれは、自分には何もできないのではないか、という悲嘆が込められている。そしてそう思い込むほどに、これまでの休養期間中で幾度となく頭に浮かんだ嫌悪感に苛まれた。

「……」

「……」

「なあ、ディア」

「なに?」

 また呼びかけられたブローディアは、何かを察したのか、今度は影から身を出して横たわるツルギの隣に座った。それに対し、背を向けるように寝返りをうってから、話を続けた。

「お前は、俺でいいのか」

「…………どういう意味かしら」

 聞き辛さのあまり、不足したその言葉をブローディアは間を置いて聞き返した。

「あれから色々考えてみた。考えてみたんだが、やっぱり聞かなくちゃ分からなかった。……俺はお前に相応しいと思うか?」

「……何よ、それ」

 ハッキリしない物言いにブローディアは少しだけ笑った。何か可笑しかったのだろう。

「相応しくなかったら、ダメなの?」

「そうだろ……俺は調律師なんだから」

「……そうね。……なら私も聞くけど、私はあんたに相応しい刀姫?」

「…………」

 逆に問われたツルギは、その答えに迷った。

「私も同じよ。分からないわ、相応しいかなんて」

 言わずとも知れられていたようで、沈黙の中、ブローディアはそう口にした。

「私は今回……いえ、フライタッグの時もツルギのこと、守れなかった。本当は私がしっかりしなきゃならなかったのに、私は結局、幻術から出ることが出来なかった。あんたに一人で戦わせてしまった。だから…………捨てても、いいのよ」

 彼女にだって、今回に関して想うところはある。それは当たり前のことだった。

 続けて言い積もらせた声の末尾は、震えていた。彼女は意を決して打ち明けたのだろう。そうして紡ぎ出した言葉は、自分なんかよりもはるかに具体性を持った言葉だった。

「私のせいで、ツルギは危険な地に送り込まれたのに。期待させておいて、私は何もしてない。完全に、お荷物よね。ごめんね。ごめんなさい、ツルギ──」

 それはブローディアの本心であり、件における正論であった。だから、そこを否定することはツルギには出来なかった。

 しかし。

「違う、違うんだ。俺が言いたいのはそんなことじゃない」

 このままでは、彼女すらも遠くへ行ってしまうような気がして、身体は反射的に彼女を抱き止めた。その体温を感じられるように、自身の体温が感じられるように、強く抱き寄せた。

「俺はお前といたい。そばに居てくれれば、本当はそれだけでいいんだ」

「ツルギ……?」

「俺は、弱い。今回の件でそれを死ぬほど痛感した。だから、捨てられるなら、それは俺の方だ」

「……」

「だが、俺はお前のそばにいたい。たったそれだけの理由で、お前の隣にいていいのか、ずっと疑問だった。不安だった」

 ようやく、そこで自身の内心を打ち明けた。それはブローディアの弱みを見てから決心した、卑怯者のやり方だと自分でも分かっている。それでも、どうしても。どうしても。どうしても。こちらの心情を打ち明けるのが怖かった。

 こんなにも自分が弱かったなど、思いもしなかった。だからまた、それに酷く絶望した。

「……いいわ。それで、いい」

 そこで安堵したツルギはしがみつくブローディアへ、ポケットからあるものを取り出した。

「そうか……なら」

 それは彼女から拒否された指輪。ずっとポケットに入れたままのそれは血に濡れたせいか、一寸の光も持たず、なんだか酷く粗末なものに見えた。磨いても、本来持っていた光は取り戻せなかった。

「……これ」

「汚れてしまったんだが、俺はこれのおかげで思い出せた。この指輪がお前のことを思わせてくれた。……きっとこの指輪に意味がある。だからもう一度、受け取ってはくれないか」

「…………」

 押し黙ったブローディアに、一抹の不安を覚えた。嫌だと言われても仕方ない。それだけの背景はあるし、何よりそれはあまりに汚らしかった。

「……ありがとう、ツルギ」

「……」

 しかし彼女はそれを受け取り、自身の右手の薬指にはめた。

 暗がりの中、外からの光に照らされても指輪は光らない。それでもブローディアは俯きながら、じっと見つめた。

 彼女は今どんな表情をしているのだろうか。どんな心境になっているのだろうか。

「汚れてしまったんだが、買い直すか?」

 不満もあるだろうと、思ったが、ブローディアは首を振った。

「いい。これがいい」

 声はまた震えていた。身体もそれに伴い、震え出した。そしてついに、胸で手を抱きながら、彼女は泣き出してしまった。

 それを見て、先ほどの不安も無くなり、ツルギはもう一度、ブローディアを強く抱きしめた。



 レリジョンの顛末。それは結果を見れば、ジールサハトが運営していた施設の少年少女の死によって成り立った。彼らは全て忌肉となり駆除され、彼女たちはプロトタイプとなり掃討された。

 助かったのは、一体の刀姫となった幼女のみ。しかし粗悪なプロト計画の犠牲となった彼女自身の命もまた永くはない。精神面に多大に疲弊した彼女は意識の混濁が酷く、もはや食事などの栄養補給もできず、ただ眠り続けている。

 そして件の先導者、ジールサハト・マクィンはというと、その身は確保され、現在はミクロン地下深くにある収容所にて収容されている。そこで行われるのは尋問。ただし、彼自身に抵抗の意思がないことから、それは円滑に進んでいるのだとか。ツルギもまた彼に聞きたいこと、言いたいことが沢山あったが、彼自身の希望とフリードリヒの意向によって面会は叶わなかった。

 しかし件の解決における人物の一人として、ツルギはそこの情景は語られた。

 まず黄金の城において、忌肉となった総数15体の少年たちは互いを組み合わされ、三体の忌肉となり、作り出された。この忌肉は刀姫の製造から派生した、人工忌肉。当然、それの開発や作製は禁じられている。人類にとって害でしかないそれを生み出すなど以ての外だが、しかしその有用性は高い。何故ならば、これは刀姫と同様に特殊な能力を備えることができる、とされているからだ。

 そしてそれは現実のものとなった。この人工忌肉が生む能力こそが、空間変異である。

 無論、ツルギにとってもそれ自体が衝撃を生むものだったが、しかしそれよりも、事の重大性はその先にある人工忌肉への能力の付与が実戦として登用され、実績を残してしまったことがより大きな波紋を呼んだ。意図的に組み上げられた人工忌肉が刀姫と同様の能力秘めることができる事実は、机上の空論であるが確かにありえた。ただし、それが実用化されたのは今回が初。これはフリードリヒを含め、人類にとって頭を抱えるもの。外部へ通達されると反響が大きかったようで、今はその対応に追われており、フリードリヒも忙しなく会談を続けている。

 そして総数26体の刀姫たち。その能力は『共有共鳴』。これは対象と「五感や能力を共有し、その力を伸ばす」というもの。空間変異という途方も無い力を忌肉たちは持ったが、しかしその力は微々たるもの。維持は出来てもそれ自体は決して脅威とはならないが、それを支える存在として大量のプロトタイプが置かれたことで、空間変異は成立し、3層もの空間を作り出すことに成功した。一つ目は何事もない街として。二層目は、自分たちがだけが存在しない現今のレリジョンを映し出した。三層目にして自身たちが身を置く現今かつ幻想のレリジョン。

 何層にも連なるこの空間変異は長年は持たずとも、しかし先の数年までは持つとされる環境が出来上がっていた。

 これについても、やはり周囲の反応は凄まじかった。既に再現は不可能だとされた空間変異をここまで組み上げ、作り出されたのだから、それも当然であろう。

 ただし、フリードリヒの口からはこれはごく希少な事例であると解説された。その理由は、今回のそれだけの人員を集めることが困難であること、そしてそれだけの人員が互いを認識し、連携することが不可能であることが挙げられた。

 忌肉たちの合体も互いが少しでも拒否反応を起これば、それは成立せず、また複数の共有共鳴の能力もまたよほどの思考の統率が取れた者たちでなければ、それを成立させることが不可能である。故に、今回それをまとめ上げたのが他の誰でもないジールサハトという人物であり、そしてそれに従うのが、彼によって育まれた少年少女たちであることが重要な要因であるとフリードリヒは語った。

 つまり、ジールサハトという打ってつけの存在とそこに至るための打ってつけの環境があり、初めてこれが成り立つのであって、普通ならばどこかに歪みが生じて破綻する。

 件においてはそれを付け狙われ、利用されたに過ぎないとフリードリヒは話を展開。また状況もさることながら、これを執り行った技術は、かなり綿密かつ高度なものであるからして、一個人ができる範囲を大きく逸脱しているとも話した。

 だが、しかしそれが可能となったこともまた事実。これからプロトタイプの開発も規制を一途を辿るが、それがどこまでできるかも保証はない。今でこそ、刀姫開発は完全に閉鎖されていない。組織ぐるみの犯行であることは間違いなく、今回のことはここだけに留まらないと、彼は言い締めた。

 まだ続く。まだ終わらない。

 真相を知ったツルギは、そのことを誰に言われるまでもなく認識した。ここからは更に、酷く苦しい事態ににも見舞われることだろう。

 だが、自分にはブローディアがいる。

 今しなければならないこと、次のステップへと上がるためにやらなければならないことが自身にはある。悔恨も、恐怖も、今の自分には必要がない。

 傷を抱えながらも、新たな決意を胸に。

 そしてツルギはまた歩き出す。



「出るのか、ツルギ」

「……はい。お世話になりました」

 少し居どころが悪そうにツルギが頭を下げると、フリードリヒは「良い」と言って手を差し向けた。

 翌朝、玉座で資料を読み返していたフリードリヒの元へツルギは訪れた。荘厳な空気を漂わせる室内に違わず、フリードリヒもまた普段とは違う空気を纏わせる。

 それは彼の本来の有り様である。他で接する際には決して威光を見せることはしないが、しかとて彼はルーラーという現代における王の一人。この場においてその立ち振る舞いは、やはりそれに適ったものでなければならない。

 決して崩さない端整な表情に尊大な雰囲気。音を立てない仕草、落ち着き払う声色。

 相応しく場に倣った彼ではあったが、しかしそうであったとしても、見た目そのものだけは変えられず、彼の右頬には以前からある腫れ跡が痛々しく残されていた。

 それはレリジョンより生還した時より付けられたもので、彼が怪我をしている様を初めて見たツルギはそれに対して多大に心配をした。

 その身に何か起きたことは間違いがないが、ただしそれはレリジョンの件とは少しだけかけ離れた別件によるもの。それはミコノにぶん殴られたことによる傷であることを彼は話した。

 この件について、こちら側の内情はこうだ。

 まず、その地へ訪れたフリードリヒは初めからその時点でそこで起こっているのが、空間変異であると見抜いた。無論、その詳細までは知れていないにせよ、しかしある程度の見識を持ったフリードリヒはそこで、体良くその担当者をツルギに抜擢した。

 当然、それはツルギの能力と成長を見込んでのもの。納得をしないミコノの承認を無理やり得て、ツルギを斥候兼処理担当として送り込んだ。

 そこまでは良かったが、しかしその身は意に反して幻術によって絡め取られた。

 紛うことなく窮地に陥ったことは、実の所、フリードリヒやミコノにとっては予想外なものであった。ツルギならばとフリードリヒは選び、そしてミコノはそれを了承したのだが、こうなって仕舞えばもはやどうしようもない。

 ツルギの後を追い、現場付近で待機していたミコノは急行。自ら空間変異が反映された領域に入り込み、幻術を突破し、ツルギの元へと辿り着いた。

 ここまでが此度の真相。

 そしてツルギを連れ帰ったその折に、ミコノはフリードリヒを殴ったのだそう。

 当初の腫れは元の輪郭を留めないほどのもので、しかも屈強なフリードリヒの頬と顎の骨が砕けていたらしい。骨だけはフーリアの力でどうにかしたが、しかしその腫れは力によって治すことをミコノによって咎められた。フリードリヒの責任をその身で償えと言い放ったミコノは、今までにないほどに激昂していたのだとか。

 彼女が激昂していたという事実を、想像が出来なかったが、しかし結果が濃く残っているので、多分間違いはないのだろう。

 それも含めて今回の件につき、ミコノには聞きたいことや言いたいことが山ほどあった。

 しかし彼女はその後すぐに帰っていった。それは何かの予感をしていたからなのか、あるいは流石に罪悪感を感じでもしたのか。おそらく後者の可能性無いのだろうが、しかしともあれ、ツルギと話すこともなく彼女は去っていった。

 彼女に対し何を言うことも出来なかったツルギは任務の失敗のことと合わせ、ミコノの代わりに謝罪したが、フリードリヒには自身の判断ミスであったと逆に謝られ、そのことに関しては片がついてしまったのが、その怪我の結論。やりきれない様々な気持ちがあったが、しかしそれはともかくとして。

 未だ腫れは完全な回復をしないままのフリードリヒは、ふと息をつき、手で頬杖をつきかけ、それを止めて居どころ悪く口を開いた。

「それは良い。唐突な出立も、治療も半端なままなのも、まあ良い。しかし、そのワケは聴かせろ。お前は何をするため、何を成すためにここを去るのか」

「強くなるためです」

 フリードリヒの問いにツルギは考えるまでもなく答えた。

 すると、それに得心はいかなかったようで眉をひそめた。

「ほう。して、行き先は?山籠りをしようなどとは言うまいな」

「……次の任務をこなします」

「それで強くなれるのか」

「なります」

「不可能だ」

 その受け答えにフリードリヒはピシャリと否定。それに思わず背筋が凍った。

「お前の精神は蝕まれている。故に、まずそこを正さねば次はない。半端なままで出られるほどに軽い任務を遂行し、それで強くなれるのか」

「……」

「無論、お前の身体はお前のもの、刀姫のものだ。しかし、お前が俺の管理下にいるならば、話は違う。お前の出立は許可できない。お前には任務を受ける資格がない」

「しかし!」

「引け、ツルギ」

 ツルギの叫びにも、フリードリヒは聞く耳を持たずに言った。その冷たく見据えた眼に、俯くしかなかった。

「焦りは分かる。お前はあの時、死んだも同然だった。その命は拾ったにすぎない。……お前の過去はよく知っている。だが、それだけはまかり通せん」

「……」

 ツルギは素直に「はい」とは言えなかった。彼の言葉こそが正しいとしても、どうしても現状をどうにかしたかった。

 やはり自分は子ども。思慮も何もない。彼によって命を救われ、彼によって命をどうにか繋ぎ止めている。それもまた以前と変わらないのだ。

 強くなりたい。今を変えたい。

 ならば強くなるにはどうしたらいいのか。焦らず、機が来るのを待つのか。危険を承知で自ら行動すればいいのか。

 多分そのどちらでもない。ツルギはそう感じ取った。だが、今の自分には具体性がない。その先行きは不可視で不安なもの。これからどうなるのか、自分では分からない。

「俺は……どうしたらいいですか」

 泣き出しそうな顔でツルギは呟いた。

 必死に自身にできることを探った。しかし、どうしても分からない。見えない。

「……それが答えだろう」

「……?」

 するとフリードリヒは一息ついて言った。その意味を捉えきれず、顔を向けると、彼はもう一息ついた。

「どうすれば良いのか分からなくなったなら、聞けばいい。教えを乞えばいい。それだけのことだ」

「……!」

 フリードリヒはそう言ってぎこちなく笑った。先ほどまでの圧を解き、頬杖をつき、そして痛みで思い出し悶えた。

「……相変わらず、自分一人で抱え込む癖は治らんな」

「面目もありません」

「治せよ、それはな。さて」

 フリードリヒは傍らに立つ従者を呼びかけ、合図を送る。それに従い、彼女は奥の部屋へと消えていった。

「では、どうしたらいいのか。……お前がどうしたいのかは俺は既に知っている。故にその覚悟を聞こうか」

「覚悟……?」

 ツルギの反芻にフリードリヒは首を縦に振った。

「左様。ツルギ、お前は強くなりたいのだな」

「……はい」

「ならば、そのために捨てなければならないものもある。それは分かっているな」

「はい」

「辛く苦しい目に遭うだろう。今までの比ではない。何せ今のお前は以前よりもずっと高い所にいる。ならばこそ、より高い所に登ることは相応に困難を極める。それでもいいのだな」

「はい」

 徐々にツルギの返事は強くなった。それは高揚する自身の想いを抑えきれていないから。彼の発する言葉たちにツルギは失いかけた力が溢れ出した。

「では、お前の相棒にも聞こう。ブローディア、お前はツルギのために全てを理解し、耐え忍ぶことは出来るか。あらゆる不自由を痛みを苦しみを受容し、困難に立ち向かえるか」

「無論。私はツルギの刀姫よ」

 ブローディアは重苦しい言葉に単として応えた。その声にも強き意思を伴う。フリードリヒにもそれが感じ取れたようで、彼は朗らかに笑った。

「──良い答えだ。また強くなったようだな、も。ならば指し示してやろう。お前たちの先行きを」

 奥から戻ってきた従者はその言葉を聞き、フリードリヒへと一通の封筒を手渡す。彼はそれを受け取ると悠然と立ち上がり、歩み寄り、それをツルギへと手渡した。

「次の所への切符だ。受け取れ」

「……!中を見ても?」

「ああ。確認しろ」

 フリードリヒが頷いたのを見て、ツルギは急ぎで封を切り、中にある紙を取り出す。そこにあった内容は、とある都市へ立ち入るための許可証であった。

 そこはツルギが知りうる限りで最も安全の地。各方面における天才たちが集い、切磋琢磨する場。そして人類存続という大業の責を担う都市。

 天才たちの聖域、学園都市ジーニアス=サー。それはそこに入るために必要な書類だった。

「これ……本当ですか」

 まさかの展開ではあった。調律師となった自分にこんな機会が巡って来るだなんて、想像することも出来ない。何せそこは禍に関連するものの出入りを禁止した都市である。それには刀姫も当然含まれるし、更に言えば、落ちこぼれや権力のない者が入ることも許さない。

 ならば、自分が入れる道理はなく、そうするべきではない。

 しかし紙面にはしっかりと許諾印と自身の名前が書かれている。何度見ても、それが本物であるものとは思えない。

「疑う気持ちも分かるが、それは紛うことなく本物の許可証だ。お前のために取っておいたが、不要か」

「とんでもない」

 笑いかけるフリードリヒにツルギは大きく首を振った。

 それは恐らく、今の自分にとって一番に必要なものだった。そこで教えを受け、自身を研究することが出来たならば、間違いなく、自身のステップアップに繋がる。それは確信ではなく、確定した未来。それだけ、その都市の持つ力は申し分がない。誰もが憧れるその地には、それだけの価値がある。

「手引きの代わりに、といっては何だが……お前に一つ条件を付するとしよう」

「……?」

 しげしげと紙を眺めたツルギは言われて、その視線をフリードリヒへと戻した。

「しばらくの間は、実戦を禁止とする。何があろうともだ」

「……え?」

 それを聞き、ツルギは口を開けたまま放心した。フリードリヒはそれを見返す。

「理由は分からんか」

「……いえ、分かります」

「しかし納得はできない、か」

「……」

 プロとして実戦に赴くことを禁ずる。それは武人であるならば、誰しもが納得は出来ないだろう。プライドからではなく、それは拭い去れない事実であったからこそ受け止めきれないもの。

 自ら降りるのとは違う。一人前だと思っていた自身を、これまでの全てを、否定されるのと同じである。

 ツルギは俯き、紙へと視線を落とした。

 喜び、高ぶったが、しかし周到に用意されたこれもその証拠であろう。未だ自分は認められてはいないことへの。

「変な誤解はするな。今のお前には休息が必要だと、そう思っただけだ。お前の精神は回復していないし、先ほどの言葉を聞いて確信した。お前は結果を急ぎすぎる。少し休め、ツルギ」

「……はい」

 そこに吹き溜まる感情は不安。ツルギは学校を卒業してからはいつだって実戦の場にいた。そうであったからこそ、そこから離れることに強い拒否反応を起こした。

 消沈したツルギの肩を叩いた重い手が、その時、少しだけ遠いものであるように感じられた。

「周りを気にせず、まずはひたすらに打ち込んでみろ。また必ず、時を言い渡す」

 しかし今は彼の判断を信じるしかないのだろう。強く目を瞑り、そしてゆっくりを開く。答えは先ほどの問答の時点で出ている。

「分かりました」

「よし」

 フリードリヒは短く言い、そして玉座へと戻った。

「では行け、ツルギ。送迎する者も既に手配済みだ」

「ありがとうございました。行ってきます」

 強く頷きつつも、何やら嫌らしくニヤけていたフリードリヒに大きく頭を下げ、ツルギはその場を後にした。



 いつ来ても変わらない城の内部。きっとそれはいつまでも変わらないものなのだろう。変わらないことが良いことも世の中にはある。そんなことを考え、そこを立つとこが名残惜しいような、そうで無いような不思議な気持ちで従者に連れられたツルギは、城壁の外で一台の車とその傍に立つ人の姿に気づいた。

「では、よろしくお願いいたします。アイリーン様」

「ええ、ご苦労様です」

 深々と頭を下げた従者は言って去っていく。

 取り残されてしまったツルギは思わず唖然とし、背後の城を見返した。

 ここに来てからというもの、今の今まで彼女と顔を合わせることがなかった。故にその存在を忘れてさえいた。

 だからこそ、彼女とここで対面しなければならない事実が、気持ちを殊更に動揺させた。

 まるでこの時のために期されていたかのような状況。ミクロンでのその最期は、恐怖と後悔によって締めくくられた。

「ツルギ……?いつまでそこで立っているつもり?」

「あ、いや……」

「乗りなさい」

「……はい、よろしくお願いします」

 落ち込んでいる暇などない。

 恐らくはそう言った意味合いがあるのだろう。

 心の中でフリードリヒへの少しだけ文句を言いながら、ツルギはアイリーンに続いた。



 第2話『黄金の城』完

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