第2話『黄金の城』-その9
武人としてミコノに鍛えられる前の自分には、今の自分のことなど想像も出来なかっただろう。マコトを追う自分、様々な人たちに囲まれ支えられてきた自分、様々な人たちの期待を背負う自分。
死んだ目をして、ただ生き続けていたかつての自分には到底思いもよらない姿である。何もかもを諦めていたはずなのに、何もかもが嫌だったはずなのに、自分はそれを手にし、そして知ってしまったのだ。
力の意味、自身の存在価値、周囲の求められることへの喜び。言葉では伝えきれない感情の数々は、ツルギを前に前にと進ませた。ただ、得られるものを好きなだけ得ようとした。
だが、進むその一方では失ってきたものも多かった。そうなってしまう理由は簡単で、自分には持てるものの総量は決まっており、得る毎に落としていってしまうから。大事なものを選択してこなかったツケが回ってきたに過ぎず、失ったものの大半はかつての自分が知り得えず、しかし知ったもの。
後悔を繰り返し続けてしまうのも、同じ失敗をしてしまうのも、それが原因であった。
しかし失ったとしても、忘れてしまったとしても自身に刻まれたものはその身体に、しかと残っている。忘れられない過去のトラウマも、かつての思い出も、その教えも。
今のツルギには刻まれたものが多くある。
狭い廊下での攻防。掠りでもすれば、怪我は免れられず、そして些細な隙を見せればそれだけで殺されるであろう。狭い場というのは、相対する敵との距離は短くなる故に、それだけ個人の実力差、能力差は顕著になる。
ツルギとキルヒとの実力差は申し分なくツルギの圧勝。彼女の戦闘能力は攻撃の所作、その軌道までかつぶさに感じ取れてしまう程度のもの。当然、付け入る隙は幾らでもある。しかしこと能力差に関しては別格。彼女は刀姫であり、特殊能力も備えている。ただし、その内容は一切が不明のまま。彼女自身にもそれを発揮する振る舞いはなく、その片鱗すらも感じ取れない。また身体能力も未知数である。彼女の動きは素人そのもの。動きは体重を乗せるわけでもなく、しかもそれ自体が大振りで短慮なもの。壁に手を打ち付けることもあり、その度に彼女は苦悶の表情を見せる。それが素人に見せかけた演技でないとは言えないが、しかしツルギからすれば紛うことなく、子どもの動き。小さな身体を活用しているわけでもない、まさしく能力にかまけたものであることは間違いがなかった。
だがそれ故に、彼女の底知れない力が気にかかる。身体能力自体は上である彼女が、もし何かの気まぐれでその力を発揮したならば、その先どうなるかは容易に想像できる。つまり自身の力量と彼女の力量の差であれば、ラッキーパンチはあり得てしまう。
「くそっ……!」
思うように身体が動かないのか、攻め立てるキルヒは憎々しげな表情で呟いた。ツルギはまず守りに徹し、彼女の動きを観察。彼女の動きを適切に見極め、躱し、弾く。ただしそれだけではなく、随所でそれに迎撃する形で切りつける。
「そんなもの!」
こちらからの動きにもキルヒは即座に反応。触れかかるのが切っ先である事も構わず、勢いよく払う。
キルヒの身体は分不相応に硬い。その理由は彼女自身の肉体が刀姫として順応していないから。刀姫はその身体になってからすぐは身体の硬質化が著しく、それは歳を重ねるごとに徐々に軟化していくもの。硬化したことによる恩恵もあるが、しかしそのせいで身体が思うように動かせず、鈍くもなる。
それが分かっているならば、わざわざそこに注力する必要もない。ツルギも彼女の行動に対応し、皮を撫でるように薄く切りつける。すると、彼女の皮は木屑かのように飛んだ。
「どうした、来ないの?」
「……」
自らを律してはいるが、しかし内に秘める猛りは隠せてはいない。声を発するキルヒに対し、沈黙を貫くツルギは現状況のみを鑑みる。彼女の顔に疲労も表れ始め、その精神にも逸る気持ちが芽生え始めるのも見て取れる。
この均衡はすぐにも崩せるだろう。こちらから大きく働きかけることなく、ことが進むのであれば、リスクを引き受ける必要はなくなる。しかも刀姫自身の精神面の弱点も考慮せずともよくなるのも、藪をつつく必要がなくなるので都合は良い。
すると今度は均衡が破れた際、サハトがどのように動き出すのかが気になった。依然として彼からの動きはない。ただ、少しずつ遠ざかっていくツルギたちに合わせて、彼は前進する。それは刀姫との離距離を広げないための処置であろう。彼もまたこちらの出かたを伺っているのか。はたまた、次の策へと思考を巡らせているのか。
しかしどちらにせよ、彼への対応についてはこちらから動く必要がある。ここが彼の拠点とする場であるならば、なおのこと後手を打つのは良くない。そのための策はこちらにもある。貧相な装備しかないが、この相手であれば効果は充分期待できる。
目の前の敵から目を晒すことなく、ツルギは自身の装備を今一度確認。
閃光玉が3つ、拳銃が一丁、そして短刀が一本。ここで大きな切り札となるのは相手からは見えていない武器である閃光玉。奇襲性も高いそれは、今においてうってつけのものである。
ツルギは注意深く観察し、機を待つ。奇襲によってこの場を制するのであれば、最善のタイミングであることが絶対である。一瞬たりとも気取られてはならない。
「キルヒ」
入念に場を整えつつあったツルギに水を差すかのように、サハトは声を発した。
すると立ち止まったキルヒはその声に振り返る。
敵を前にして振り返るその様はやはり、子どものそれ。無謀かつ思慮の浅い行動だが、しかしツルギ自身も思わず、その声に動きを止めてしまった。
「出方を変えよう。最悪の場合、私たちはここを死守できさえすれば良いのだ」
「なるほど……。ではどうしますか」
その言葉が嘘か真か。その真意は何か。考えるべくもなく、ツルギの首筋に嫌な汗が染み出す。
このままではまずいと直感した。それはサハトのペースに飲まれるのだけはどうしても避けたい一心であった。彼はこの場における支配者であり、先の折り重なる空間変異を作り上げた者。もしも次があれば、今の自分に抗うための術は残されていない。
急に込み上げた焦りが、ツルギを速攻させた。声を殺した一刀。それに対し、サハトはニコリと笑った。
「こういうことだ」
「なるほど」
「──っ!」
こちらの動きを図ったように、ツルギに合わせて振り返るキルヒ。口元には笑みをこぼしながらも、その眼は戦意に揺れる。
ツルギはそこで初めて彼女の能力を感じとった。
踏み出す足をその場に留め、予期せぬままに短刀を振るう。短刀の軌道は彼女の鼻先を掠め切ったが、しかし、それではどう考えても足りない。
それは恐ろしいほどに大胆な手口であった。
サハトの言葉はただの囮。心理を見透かしたように言葉をかけ、殊更に隙を見せ、そして炙り出す。至極単純なものではあるが、しかしツルギ自身は複雑怪奇な状況から脱したばかりで、それを考える思慮は残されていなかった。つまり心理的な優位に立っているのは、圧倒的にサハト側。彼はこれを読みそして利用する一手を打ったのだ。
まんまとそれに引っかかったツルギはそこで、自身が傷つくのにも臆することもなく、踏み込みつつ右拳を放ったキルヒの残酷な笑みを見た。
すぐそこに迫る脅威を前にツルギの脳裏には一つの事を閃めく。
自身の領域において心理的にも、戦況的にも圧倒的な優勢な立場。それは当然、現実的に勝敗を決する要素となり、逆転は困難を極め、やがて死闘は一方的な蹂躙へと置き換わる。しかし同時に、そこから生まれる負け筋もを発生させる事は現実にはある。武人ならばそれを理解し、ケアをしつつ確実に勝利をもぎ取るが、しかとて彼らは武人ではない完全な素人。その表情を見ればよく分かる。まさに今彼らは勝利に近づいたと安心した。あるいは勝利を確信し、安堵した。
ならば、ここしかない。この状況こそが最適だ。
油断した隙を突く。その策もまた至ってシンプル。しかし、現状況における最適解をそこに見出したツルギは、その一瞬の閃きを即断即決。上体を逸らしつつ、外皮に包まれた腰にへと手を伸ばす。
その間にキルヒの拳はツルギの左腕へと直撃。盾になった腕どころか肋骨ごと木の枝であるかのように派手に折り砕き、間髪入れずにその衝撃は内臓にまで到達。一点から間もなく、全身へと伝わる衝動。自動車にでも轢かれたかのような、抗えない威力。痛みなど感じるより先に、ツルギの身体は力の作用によって吹き飛んだ。硬い地面を数回バウンドした後、長い廊下の真ん中で止まった身体は遅れて激痛の嵐に見舞われる。折れた腕はだらしなく垂れ下がり、肋骨は有り余った衝撃からか、砕け散り、内臓を損傷。口からは胃液混じりの血が溢れ出た。床に打ち付けられた頭からも血が流れ出す。
しかし。
ツルギはその痛みに、恐怖に、声は発しない。歯を食いしばり前を、それらの位置を見定める。
「後悔しても遅いぞ!」
キルヒはトドメを刺すべく前進。今において自身の身の上など顧みず、全てを捨て追い打ちを仕掛けることは当然の判断だと、ツルギも思う。
だが、それこそが思惑通りのもの。キルヒは、自身がサハトの刀姫であるという体を忘れている。すでに保っていた離距離は並外れており、それは当初予測した『キルヒはサハトの手持ちの刀姫ではなく、本物の契約した刀姫は別にいる』ことを示唆する。
思考を整理するまでもなく、次へと行動を移す。ツルギは邪魔にならないよう折れた自身の腕を噛みついて固定。そして、その場より後方へと蹴りによって後退。その間に腰から拳銃を引き抜く。
「はっ!そんなもの!」
それを見てキルヒは動じることなく前へ。ツルギは発砲。弾はキルヒの後方にいるサハトを目がける。
「あっ──」
不意を突かれ、キルヒは脇を逸れた弾丸を目視。そして背後を確認。しかしその弾丸がサハトに届かないことは承知の上。なぜならば、別の刀姫が付いている。故にそれはその刀姫を炙り出すための仕込みでしかなく、ツルギ自身はその確認するまでもなく、次へと行動を移す。
「キルヒ!目を──」
先ほど吹き飛ばされた際に落としておいた閃光玉。ピンは引き抜かないまま、暗闇に紛れたそれこそが、逆転への最後のピース。サハトが言い終えるよりも先に照準、閉眼、その閃光玉へ向けて拳銃を発射。着弾と同時に閃光玉は点火、発光。暗い闇から一転し、膨大な光が辺りを潰す。
「なっ──」
「──!」
彼らの目には追えなかったであろう閃光を発する玉。どうやらサハトだけはそれを読んでいたが、しかしその反応は遅かった。
そして。
目視など出来るわけもない光の中。しかし目算で彼らの位置は把握済みであり、ツルギにはそれだけ充分な情報である。
閃光に当てられたまま、音もなく疾走。辻斬りの要領で棒立ちとなったキルヒへと素早く短刀を振り抜き、首を搔き切る。硬い肌もただつっ立っているだけならば、さしたる障害はない。激しく吹き付けた血液が壁に当たる音を確認し、まずは一つ。
光が弱まってきた中でツルギは薄目を開き、なおも疾走。まともに光を受け、今だ目を覆う刀姫には勢いと体重を乗せて短刀を喉へと突き刺す。短刀は引き抜く必要もなく、その傍をすり抜ける。これで二つ目の刀姫も制圧。
残るサハトは手負いであっても容易に打倒できる。彼らの後方へと回り込んだツルギは完全に開眼。
まだ空間には光が残るが、時期にそれも消失。そこで既にツルギの視界は回復。距離を置きつつ、サハトへと拳銃を向けた。
「終わりだ、サハト」
閃光から一変。目を開けた時には既に崩れ落ちた二つの刀姫。
まさしく刹那の決着。
ツルギは今にして、自身の武人としての存在意義を強く感じた。単騎では上位層には敵わぬまでも、しかしそれでもまだこの身体は戦える。強くなれる。
思えば、ブローディアと出会ってからは住む世界が一層広がった。そこでは、自分などよりも強く、名高く、高次元の者たちとも交流があった。セブンスターズもその一つ。だからこそ上を見上げ、彼らと今ある自身の姿とを比較して卑下した。自分は弱いと思い込んでいた。ブローディアが居なくては何もできないのだと思っていた。
だが、違う。一流ではなく、高尚でもないがされど自分は武人。それは上でも下でもない自身の本質。自分には戦うことが出来る、守ることが出来る。
自身に足りないものが分かった気がした。これからの課題、その先にあるあるべき姿をそこに見た。
「……上手いことやられたよ。拳銃の得手に関しては天賦の才を持ってるとは聞いていたが、ここまでとは。さすがに思わなかった」
まだ視力が回復していないながらも、サハトは振り返り両目を開いた。
状況に対し、まるで困惑の様子がないのは、何かの策略なのか。
「実戦経験もないとはいえ、刀姫を一度に二人も……。学園No.2の実力は伊達ではないね」
サハトは両手を挙げ、降参を示したが、ツルギは構わず、足へと銃弾を浴びせた。
苦悶の声とともに、膝をついたその姿を見下ろしたツルギは再度頭部へと照準切り替える。
「戯言はいい。ブローディアを解放しろ」
ツルギは冷たく突き放した。かつて教えを受けた相手は敵。彼がどのような者であろうと、その行いを見過ごすことはできない。
ツルギの言葉に、サハトは乾いた笑いを発する。依然として余裕。諦めによる反応だとも思えるが、しかし油断は禁物。ツルギは気をサハトへと向けたまま、視線を刀姫たちへと移す。当然、これだけでは彼女たちは死に至らない。しかし声を発することのできない苦痛に、彼女たちは満身創痍。ツルギとてそれは同じだが、異なるのは精神構造が故。彼女たちと自分のバックグラウンドの差は、全くの別物である。彼女たちは死の恐怖に対面し、動けなくなっているのだ。
「……やはり、それは出来ない」
薄ら笑いを浮かべるサハトに再度視線を向き直り、その額へとツルギは銃口を近づける。
「ならばこのまま死ぬか?」
「結果は変わらない」
「そうか」
「そうだ。私たちはまだ負けていない」
「……」
ツルギが引き金を引くその間際、力の視線が大挙した。
それは後方から、前方から。ツルギの全身を包み込み、射抜くように見つめるモノたちは誰に言われるでもなく動き出した。
セリス・オリヴイエはおそらく、彼のことが好きだった。
出産の負担に耐えきれなかった母の命と入れ替わるようにこの世に生を受けた彼女は、その後に実の父に捨てられた。だからこそなのか、初めから感じたことのなかった母性ではなく、彼女は父性を求めた。あるいは憧れの延長だったのかもしれない。
彼女は信頼していた。頼りきっていた。サハトと話すその横顔が赤く染まっていたのを、ツルギはよく覚えている。
セリスは彼の隣に並び立とうとしていたが、遂にそれは叶わなかった。
おそらく、その所以は自分のせいなのだろう。自身が弱り果てたあの時、彼女の優しさに甘えてしまった。そして彼女もまたそれを受け入れた。彼女は慈愛から、彼ではなく、自身を選んでしまった。初めては、友人の自分に差し出してしまった。
当の本人と言えば、そのことに目を背けて彼女を頼り、そしてやがてその手を離れていった。
自分勝手だった。子どもだった。
友人であるはずの彼女に愛情を求めてしまったのだから、本当にどうしようもない人間だと自分でも思う。いつか謝りたいとも思う。
だが、それはいつなのかは今でも定かではない。タイミングを見計らうも、しかしその勇気がなかった。ブローディアと生きていくことを選んでしまってからは、それはより一層、希薄になっていった。
責任など、もはや取れもしないのだろう。何を犠牲にすることも出来ないのだろう。
しかし彼女はただ優しく、自身の行く末を見守ってくれている。
そう、きっと今でさえも。
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