第2話『黄金の城』-その8
霧がかる暗夜。人気どころか、遺体そのものが平然と横たわる街。一頻りの休憩を終えたツルギは街の散策を再開した。
手がかりはない。されど、部屋でゆっくりしていた所で状況が好転することはない。故に、まずは足を動かす。居ても立っても居られない心境が重い足をより動かした。
幾度となく見回った廃街。壁伝いに歩き回るツルギ自身も特に意識はしていなかったが、しかしどこか未知感すら溢れる街風景に足を止めた。
「……?」
誘われるかのように道の真ん中へ立ったツルギは辺りを見回す。何が未知であり、何が既知であるのか分からない。変わった様子も感じない。しかし、確実にここが以前とは異なることをツルギは察知した。
注意深く観察した。それは今だけでなく、以前も同じ。景色も変わらない。横たわる死体の位置も同様。唯一あの頃と違うところがあるとするならば、それは自分だけ。
だとするならば──。
「ようやく本番ということか」
そこでツルギはこの街自体の本質を理解。身体は自然と臨戦の態勢へ。全身の産毛は逆立ち、四肢に激しく血流が回り出す。
この街は、最初からが幻想の街だったのだ。外部からその本性は曝け出されずに虚構だけが支配。しかもその空間は幾重にも折り重なったもの。
一番初め、調査員が見た活気のある情景を形作る一層目の空間。そしてその中に潜むのは、自身とブローディアが同じく観た現行の街と変わらない、廃街を映し出す二層目の空間。そして今、現状の三層目の空間。おそらく、ここが本拠となるであろうことはすぐ分かった。フリードリヒがここに到達できなかったのは、おそらく初めから遮断していたからなのだろう。ここはいわば、現実と空想の間に揺らぐ空間。その空間に割り込むことで初めて、その姿を現わす。
そして。
感じる。
これまで幾度となく前にしてきた力の視線。それこそが違和感の正体であり、そして以前と異なることを見抜けた理由。
ツルギは少しだけ息を吐いて、振り絞るように声を出した。
「出てこい!俺は既にここにいる!」
ツルギが言うと、あっけなく視線は消え去った。それが当初に噂された悪霊などであれば、どれだけ良いだろうか。
ツルギは唇を引き締め、そして一人でに、歩を進めた。
彼女らの根城となる、黄金の城へ。
本来ならばあり得ないが、どういうわけかツルギにはそこが分かった。
自分はミコノのように感が良く、力の流れを正しく読み取れるわけではない。フリードリヒのように明瞭な思考回路によって物事を見極められるわけではない。ましてや、刀姫のように禍や刀姫の気配を敏感に察知できるわけでも勿論ない。
今の自分には何もない。身体能力は並。五感能力も武人としては平凡。特出した能などもない。個人として誇れるような力はないが、調律師としてならば、強くなれる。強く在れる。がしかし、今はそれも不可能。『醒』は起こらない。
では、今の自分は何がそうさせているのか。
「……」
答えは出ない。もはや、それを考えるための思考容量は既になく、その代わりにクリアかつシンプルに、ツルギの脳内は現場における最適解のみを探った。それに伴い、身体はまるで機械であるかのように、着実に事を成すためだけに突き動かす。ただ真っ直ぐに、最短で距離を詰めていく。
街はかつて、城の存続ために動いていた。排他的な政治、抑圧のみによってことをなす権力。今は伸びきった蔦や雑草に覆われ、その栄華は見るまでもなく退廃。しかしこの街には確かに、多くの人が生きていた。
この城もまた、フリードリヒの城『タキオン』と同じく街の基点である。人々の生活の中心となり、生きていく上での念頭にあるもの。しかしその本質はそれとは真逆である。それは癌のようなものであった。人々の、街の、土地の心臓でありながらも、命すらも脅かす、脅威でしかなかった。そうして、腐敗した政府から侵食されるかのように街もまた腐敗。故に腐敗都市。かつては今のように人里を離れることが出来なかったが故に巻き起こった、ある種の悲劇と言えよう。
人々の精神は病み、落ち、そんな環境の中でハーネイドは生まれ育った。今では『原初の調律師』と呼ばれ親しまれる彼、ハーネイド・カストロフはしかし、その当初は酷く陰鬱とした少年であったという。誰と心を交わすわけでもなく、何かに打ち込むわけでもない。人との関わりは避け、何かの課題に対しても極力自分へと回らないよう息を潜めた。
その根底にあるのは、完全なる無。彼はひたすら何もしないことだけを望んでいた。
しかし彼が本来持つ特性を変える出来事が起こった。それがハーネイドを語る上で、必ず顔を出す『リスタンブル動乱』である。
これはレリジョンの街一帯を取り持っていたルーラーが発起した革命で、その目的は破滅へと進み、後に破滅を撒き散らすことになるであろうレリジョンの街を掃討することにあった。レリジョンの帰結は誰の目にも明らかで、掃討作戦自体の意義は充分にあった、というのが表向きな事情。しかしその本来の目的は刀姫の使用実験であると言われており、そう言われるだけの結果が記録として残っている。
たった一機の刀姫により、レリジョンは壊滅した。無害な民も、悪辣な民も分け隔てなく、一人も残らずに虐殺された。街の破壊の後に、城に住まう者たちまでも当然に処刑。
ただ、ハーネイドだけは生き残った。この街で唯一、特異的に無であった彼だけは、善悪を殺す刀姫『両断刀姫』の手から逃れた。
奇跡的な運命であったと言わざる負えない。生すらも望まない彼は、せめて生だけはと望む者たちを差し置いて生き残ったのだ。彼は誰もいない筈の城でただ一人で生き、その後に血と腐臭に塗れたレリジョンを再興した。城の主であるカイフェイン・カストロフの息子として、『超源刀姫』の空間変異によってレリジョンは生まれ変わった。
またその城を中心にして──。
だからこそ、ならばこそ。
いつだってこの街を動かすのは。変えるのは。その中心である城。物に魂が宿るのと同じく、土地には「念」が宿ると自身の祖先は言った。誰に決められる訳でもなく、誰に委ねられるわけでもない。土地の繁栄や衰退、空気の醸成、潮流はその土地の在り方により決定される。
さもすれば、やはり三度目のこれも城こそがキーとなる。思考にあるそれらは、考察や推理というよりも条理と定められた決定事項に近かった。
目的地へと着いたツルギは目の前にある廃城を眺めた。
立派である。街を眺める城は蔦に覆われ、荒みきっている。壁の所々は欠け、疲弊している。それでもタキオンとは違う方向性でこの城には力を感じる。それはまるで悪意の象徴。かつてハーネイドは何を思い、この城を立て直したのか、想像もできない。彼もまた悪意に染まったのか、はたまた別に思惑があったのか。今では分からない。しかし、知ってみたいとは思った。
視線を落とし、再び歩みを進めたツルギは城の内部へ。来た時と外観こそ変わらないが、その中にある淀み切った空気に顔をしかめた。
ツルギには明確な判別は出来ないが、その重苦しいような圧力はまさしく禍そのもの。しかもそれはツルギでさえ感じ取れるほどに大きく、膨大。調律師の呪いが身を守っていなければ、ひとたまりもなく飲み込まれていただろう。
刀姫たちの察知能力をも回避した空間変異もそうだが、その力を巧みに利用した工作能力も脅威。打ち破れたのはたまたまで、もしこれが他所で、しかも事前に推察することが出来なければ自身には到底判別できない。
ならばやはり、今ここで息の根を止めなければならない。次がないならば、今やるしかない。
ツルギは空気より淀む方へ。次第に速度が増す足で、着実に歩を進めていく。
そして。
ツルギは一つの扉の前で立ち止まった。もはやここまで来れば分かる。目に見えない空気の流れが見える。そこにはあるのは禍。暗闇の中でも見てたらるほどに濃度は高い上、扉の隙間から外は漏れ出すほどに量は多い。
この先にあるものは理解できる。そこにあるものが何なのか、そこに踏み出すことがどういうことなのかは、自分にも分かる。
もしかしたら死ぬかもしれない。たとえその企みを打破したとしても、身体は持たないかもしれない。
それを予感すると、途端に手足が震えた。
ここに来る以前よりずっと前から覚悟はしていたはずだった。死ぬのは怖くないと思っていたはずだった。
しかし、今は違う。
きっとそれはブローディアと出会い、戦い、まだ自身の命が惜しくなったから。ブローディアとともに生きたい。彼女のそばに居たい。そう感じ、思ってしまったが所以なのだろう。
自分が思っている以上に、自分が彼女に依存していることに、そこで初めて気づいた。ならば、あの時もっと彼女を優先すべきであった。しかしその時には、知る由もなく、この結果を生み出してしまった。
失ってから初めて気付くのもこれが初めてではない。ツルギはその時に一度折れてしまった。酷く後悔もしたし、その瞬間に全てがどうでも良くなった。もう二度とごめんだと思ったのに、また同じことを繰り返してしまった。それは彼女が隣に居るのが当たり前のことと錯覚してしまったからで、そこもまた同じだった。
やめよう。
そう思って気を持ち直した。考えるのも悩むのも後悔も、今ではなく後でいい。なぜなら、唯一あの時とは違うものがあるから。
まだ終わっていない。
まだ間に合うかもしれない。
ならば、今は踏み出す。自分の限界を引き出す。
ツルギは戸に手をかけた。不安も、恐怖も忘れて扉を開きかけた。
そこで。
「まあ落ち着きなよ」
ツルギの横から不意に声が発せられた。
聞き覚えのある声にツルギはその方向へと向くと、声の主は廊下の奥、その暗闇から姿を現した。
「久しぶりだね、ツルギ。……思ったよりも元気そうだ」
ツルギはその姿を見て絶句した。
彼のことを知っていた。先の幻術の中にも出てきた。
彼はジールサハト。ツルギの士官学校時代の恩師であり、彼はツルギがよく知る孤児院の院長であった。
ツルギ自身は孤児院の出自ではない。故に、サハトとの繋がりは教員と学生という間柄でしかないが、しかし彼との繋がりの間にはセリス・オリヴィエがいた。
彼女はサハトが運営する孤児院に幼少の時からおり、彼女と仲良くなった折にそのことを知った。
ツルギが士官学校に所属し間もない頃のこと。長期休みの際にも帰省はせず、学生寮でその期間をやり過ごそうとしたツルギをセリスは自身の帰る家、その孤児院へと招待。初めは身内でもない自分がその輪に入ろうとすることに遠慮したツルギも、サハトの歓迎によって、連れ出されるようにそこで過ごした。
正直なところ、後ろめたかった。彼らには無いものを持っている自分が、そこを訪れるのに強い違和感すらも感じていた。しかし、その孤児院はツルギには想像もできないほどに健やかな場所だった。どの子も親がいない事を微塵も気にすることもなく、明るく、朗らかで、素直であった。それは誰でもないサハトによって成されたものであることは言うまでもない。
だから当初の想いとは裏腹に、ツルギはその場所に、そこで暮らす子どもたちに、強い劣等感を感じたのをよく覚えている。もし、ここで育ったならば。もし、そこで彼らの輪に入ることが出来たならば。自分は違った人生を歩んだのだろうと、ありもしない自分の姿を思い描いた。
そして。
そうした背景からより仲良くなったツルギはサハトという人物のことはよく知っているし、その人柄もよく理解している。
彼は誰よりも人格者である。強き者に依らず、ただし弱き者にも依らない。人種も、過去も、人の持つ歴は彼の前では無意味。彼は完全なる平等主義者で、そして完璧に近い精神構造を持つ者である。だから、周りの教師のみならず、様々な生徒やその保護者たちからも強い信頼を得ていた。
それなのに、その彼がなぜ、今この場にいるのか。
無論、言われずとも分かる。
彼がこそが、ここの支配者。レリジョンに及ぼす害悪の根源である。
「そうか……あなただったんですね」
ツルギの声が、わずかに廊下に響いた。自分が思うよりも声が小さくなったのは、おそらく彼の存在感に気圧されたためだと、理解した。
彼は立ち止まり、ただ漫然とそこに居るのみ。しかし彼から発される威圧感は並ではなく、そして同時にツルギ自身にとっても知らないもの。かつての彼は、何を考えているのか分からない人であったが、相手を圧するような人ではなかった。
「……正直、驚いたよ。君が一番乗りしてくるとは、思ってもいなかったからね」
サハトが穏やかに微笑むのを見て、背筋が凍った。分かっていたはずなのに、急に事実を突きつけられたような感覚がそうさせた。まだ、分からない。そうじゃないかも知れないと。自分の中では、希望的な観測をしていたのだろう。
ツルギは口を引き結び、震える手を握った。
恐怖と葛藤。ツルギの心境の中でどうしようもなく、この二つが暴れ出した。
何を言うべきか。何を話すべきか。自分にも分からない。だが、一つだけ彼に言いたいことがある。
しばしの間を置いて、ツルギは意を決して口を開いた。
「ブローディアを、戻してください」
「それはできない」
ツルギの願望をサハトは間髪を入れずに拒否。そう答えることも分かっていた。だと言うのに、急に足が震え出した。
「君はここの構造を理解し、そしてここに来てしまった。ならばもう、君も帰すわけにはいかない」
サハトはゆっくりと踏み出した。
彼は武人ではない。彼は禍の専門家だ。
武人と一般人では天と地ほどの差がある。彼が相手ならば排除するには容易い。ここに自身がいる理由もは彼も承知のはず。なのになぜ、彼は無謀にもこちらへ来るのだ。
「……っ!」
ツルギはそれに対しコンマ数秒で理解、その一瞬で上体を下げた。
恐るべき奇襲。その魔の手は、背後から訪れた。
勢いの良い大振りな手刀は空を切り、そしてそのモノはその勢いまま、ツルギとサハトの間に割って入った。
「……気づく上に躱せるんですね」
ツルギはステップで後退。足がもつれそうになりながらも、二体から距離を離す。
「油断してはいけないよ、キルヒ。疲弊していても彼は一流の武人だ」
「そのようです。切られました」
キルヒと呼ばれた少女は、腕の傷をこともなさげに眺め、そして流れ出す血を舐めとった。目を細め、嫋やかに。そして心理を読み取るように、紅く染まる双眸がじっとツルギを見つめた。
ツルギは腰の短刀から手を離さないまま、彼女について観察と推察をする。
その出で立ちは。幼げだが、憂い気味な表情、短い茶髪、身体の大きさや顔の作り、声色からして齢10歳にも満たない少女。
だがその所作や存在はまるで別物。音を殺した不意の一撃。それに対し、ツルギは腕を切り落とす勢いを乗せた斬撃で応戦。しかとて、彼女の腕は薄く切れただけに留まった。
これについて、誰にも気取らせずに気配を殺して襲撃することは、現実的にはありえる。彼女が超常人類であり、それに長けていると言うのであれば、その歳でも可能だ。しかし、その硬質性は完全に異質であり得ないもの。そこから彼らの事実を考察することはできる。
禍の蔓延するこの空間でさえ、平気に立ち振る舞う者とモノ。
おそらく、少女は生まれて間もない刀姫。そしてサハトは調律師。そう判断することが合理的だが、そうなると一方で、不明な点もある。
それは刀姫と調律師の離距離。刀姫と調律師は互いに離れられない距離が存在する。見えない紐で繋がれたように、二つは互いを引き合う。これはどのような調律師であっても切り離せない問題である。
彼女は自身の背後から現れた。先ほどまでの自身とサハトとの距離はおよそ10メートル。刀姫の発現をも加味すると、その離距離は少なくとも12メートルはあるはず。二つの存在が確実に結託し、その上でそれだけの離距離を誇るであれば、アドバンテージとしては上等。
しかし、それはあまりに疑わしく思える。
ならば。そのもしくは──。
「先ほどの問いだが、確かに戻せはしない。君もここから出すわけにはいかない。そうは言ったが、しかし別の選択肢もこちらは用意できるよ」
「……?」
ツルギが黙ったままでいると、サハトは諭すかのように優しく続けた。
「抵抗しないのであればもう一度だけ元に戻してあげる。心地良かっただろう、先ほどのものは」
「……ふざけるなよ」
奥歯を噛み締め、サハトを見る目に殺意が漲る。
殺意は隠密を得意とする身として、決して表向きにしてはいけないものだが、どうしても我慢がならなかった。
自分が見たものが何なのかは分かっている。その場所に留まることが今よりもずっと幸福であることも理解できる。
しかし。
そこには何の価値もない。ただただ甘美を享受するだけの世界など、精神の毒でしかない。
しかし、彼の微笑みは変わらない昔のまま。そこに悪意が無いのは見て取れるが、ツルギにはそれが一番に腹立たしかった。
彼自身はその世界を作り上げることそのものの罪深さを理解していない。優しいだけの世界を作り上げ、魅せられることが、どれほどの苦痛であるのかを知らない。
そしてそれを拒否することがどういうことなのか、彼は知らない。
ツルギは大きく息を吸い込み、歯をより強く食いしばる。体内へと取り込まれた酸素は、まもなく熱を帯びて口から放出。剝きだした怒りは内へ。冷静になるのではなく、怒りを利用する事で奮起。全身へ喝を注入する。
「あなたの企みを、俺は看破できない。だから殺します」
「……そうか、残念だ」
ツルギの敵意に対し、サハトは肩を落とした。だが、彼は彼で覚悟をしたのだろう。サハトは笑むのを止め、無表情でツルギと視線を交わす。
「では行こうか、キルヒ。油断はせずにね」
「はい」
対峙する三者。
レリジョンの戦いの幕は遂に上がった。
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