第2話『黄金の城』-その6

 昔の自分がではなく、自分ならばどうするかがとにかく寛容である。

 自分の中ではそう完結したはいいものの、結局今も個室のトイレから出ることは叶わずにいた。

「……」

 昨晩から一睡もできないまま思い悩んだが、その結果がこれでは、実のところ解決していない。

 そのことに気づくと、途端に居ても立っても居られず、面会の直前にまでトイレに篭った。整えてもらった髪を掻き回し、薄く化粧されていることも構わず、額や頬に手を当て、ひたすらに悩んだ。

 だがしかし。

 何を思い、どう考えようとも、より良い未来は見えてこなかった。それどころか、考えれば考えるほどに、思考はより悪い方向へと向かっていく。

「ツルギ、いつまでそうしているのだ。お前の両親……と恋人はもうお前を待っているぞ」

「…………もう少し待ってもらえませんか」

 急かす言葉に、意味のない間を置いてから応えると、フリードリヒは大きなため息をついた。

「小心者め。たかが恋人に遅れるな」

「それはそうなのですが……」

 何故自分が恋人というものに対し、ここまで気後れしてしまうのかは分からないが、それは多分、以前の自分が関係しているのだろうとは思った。きっとその恋人は、自分にとって最愛の人だった。だからこそ、彼女に嫌われてしまうのが、これほどに怖いのだ。

 それもまた、昨夜から今日までで完結したものだが、しかしやはり、その答えを導き出せたとしても何の解決もしなかった。

「ええい、まどろっこしい!」

 フリードリヒが叫ぶと、鉄製の扉を支えていた金具が嘘みたいな音を立てて吹き飛んだ。

「とにかくまず会え、悩むのはその後だ」

 力ずくで外した扉を放ったフリードリヒは便座の上で膝を抱えたツルギを見下ろした。

 その眼は真っ直ぐに、迷うことなく、ツルギを映す。

「……はい」

 さすがに観念して頷くと、フリードリヒに掴まれて便所をあとにした。それはいわゆる「捕らえられた犯人」であるかのようで、とてつもなく惨めだったが、それはともかくとして。

 ツルギが連れていかれた先は来客時に使用される、円卓が部屋の中央を占有された堂。

 なんだか懐かしいようなそこには、既に四人が鎮座。その部屋に入ったツルギを見るや否や、皆が一斉に立ち上がった。

「ツルギ……!」

 一番初めに声を挙げたのは金髪の麗人。その人が誰なのか、自身との立ち位置などはすぐに察しがついた。

「……セリス」

 彼女はセリス・オリヴイエ。自分の幼なじみであり、最愛の恋人だ。

 誰よりも早くセリスは駆け寄り、そしてツルギの身へしがみつく様に寄り添った。

「……ツルギ」

 駆け寄るの姿も、涙ぐむその顔も、その全てが愛おしく、自身の胸で静かに泣く彼女を見て、激しい情欲と例えようもない恐怖に駆られた。

 それは言うまでもなく、葛藤の感情である。震えた手が、足が。どうしても言うことを聞かない。どうすれば良いのか分からず、思考が暴れる。

「ツルギ、落ち着け」

 すると、背後からフリードリヒが言った。短い彼の言葉は、ツルギの心を落ち着かせるのに充分であった。

 ツルギは我に帰り、そして息をつく。

「すまない」

 彼女を知っていても、顔を見てもなお、彼女とのことは思い出されなかったが、何故か謝罪の言葉を口にした。それは彼女が引き出させたものなのか、自身に眠る思いがそうさせたのかは分からない。しかし、そうするのが一番自然だと思った。

「ツルギ」

 いつの間にやら側に来ていた二人の老夫婦。想像していたよりも皺の濃いが、面影はツルギの記憶にある顔。彼らは自身の両親だ。

「ご心配おかけしました」

 ツルギは二人から視線を外しつつ話すと、母のハナヨは泣き出した。

「良かった……本当に……」

 今にも崩れそうな母の肩を抱きとめ、父のミツトはツルギを見る。

「よく……よくやってくれた。本当に」

 ミツトの賞賛する声にツルギは作り笑いで答えるしかなかった。

 何故だか、彼らの言葉を素直に応じることができない。その心情もまた、かつての自分がそうさせているのか。

 そして次にツルギは両親の背後に立つ者へと視線を向けた。彼もまた、見知った男である。

「思ったよりも元気そうだね、ツルギ」

「……お久しぶりです、サハトさん」

 ツルギのはっきりとした受け答えに、彼はニコリと笑みを見せた。

「立ち話も何だ。とりあえず座ろう。ちょうど昼時でもあるし、昼食でも囲もう」

 フリードリヒの号令に来客である4人は頭を下げ、ツルギもそれに従った。



 やはり記憶喪失であるためか昼食の間に交わされた会話は思い出話であった。

 幼少の頃、マコトと二人で施設に預けられたツルギはそこでセリスと出会ったこと。ツルギは施設を出てから士官学校へ進んだこと。追う様にして、セリスとマコトもそこへと進んだこと。士官学校でのこと、卒業後のこと。

 それを語るセリスは穏やかな表情で、和やかに笑った。

 その彼女の顔を見るほどに、どこか信じられない気持ちになる。

 なぜ彼女は自分などを好きになったのか。頼りないこの身に惹かれたのか。

 心境とのダブルパンチで、なお苛まれたが、それもどこか楽しそうな彼女を見て吹き飛んだ。喉を通らない食事も、不思議とそれほど苦でなくなった。

 両親も微笑み、フリードリヒも満足そうに笑う。

 豊かな食事の場。しかし彼らとは違う者がこの中に一人だけいた。

「それで……ツルギはこれからどうするんだい?」

 所々でセリスの話に相槌を打っていたサハトは、急にそう話を切り出した。

 唐突なその言葉にセリスは心配げな顔をした。

「先生、目を覚ましたばかりですから今はまだ……」

「いや、そうもいかないだろう。これからのことはきちんと考えたほうが良い」

 言われて、ツルギはフォークを置いた。

 これからのこと。

「……俺は、何をすべきですか」

 ツルギが問い返すと、サハトは首を振った。

「それは君自身が考えなければならない」

 ピシャリと言った言葉を境に、そこで会話は途切れ、辺りは静まった。

 広く、堅牢な作りの堂が外界の音を遮断している故か、静寂はより一層強くなった。

 これまでのことを聞けば彼の言っていることは分かる。自分の成すべきことは一区切りついた。ならば、その先のことも当然考えておくべきなのだろう。しかし何をすれば良いのか、何がしたいのか、ツルギの中に答えはなかった。

「君の周りにはセリスやフリードリヒ公、友人たち、家族たち、様々な人がいる。支えてくれる人がいる。ならば、君もその支えに答えなければならないんじゃないか」

「……そう、ですね」

 引き結んだ唇をぎこちなく動かした。

 それは現実を向き直らせる言葉だった。昨日より誰も言及しなかったそれは、厳しくもあり、しかし優しさを交えたもの。そのことはよく分かっていても、答えは出せない。その言葉に応えられることが出来ない。

「今すぐではなくていい。だが、それも考えおくべきだ。今までの君は、マコトという原動力が突き動かしてきた。だけど、これからは違う。今の君は燃え尽きたも同然だ」

 思い返せば、彼の言葉はその通りだと思った。マコトを追い、ここまで来た。マコトの背を見て、そこに手を伸ばすように生きてきた。

 そこに微塵の違和感はなく、ツルギは思い込んだ。



 その日の夜、ツルギは部屋のベッドの上でで思いを積もらせた。

 これからの自分のこと。

 思い描けることはない。しかとて、そこから逃げることも出来ない。いつかは自分も一人で、立って歩かなければならない。

 悩むツルギは机に置かれたままの装備をふと見た。

 自分の生業は戦うこと。ならばまた、自分は戦わなければならないのだろうか。

 漠然と思い、天井を見上げた。

 しかし、一体何と戦えばいい?戦うべき敵は?

 冷静にそれを考えると、サハトの言葉は実に的を射た言葉であることが分かった。たしかに自分はマコトのことを追い進み過ぎていた。今の状況を見れば、自分が如何に先のことを考えていなかったのかは明白である。

 これからは平和に暮らすことも考えた。すると平和に暮らすにはどうすれば良いのか、自分に何ができるかが分からない。それこそ、到底思いも寄らないことだ。しかし今一度、戦さ場へと出て行くことも考えられない。既にそのことへの執着も完全に消え失せていたからだ。

 一人思い悩むツルギにその時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 時間を確認すると、時刻は22時。この夜更けに訪れる者。唯一思い当たるのはフリードリヒだったが、しかし彼はこんなノックはしない。

「はい」

「ごめんなさい、ツルギ。まだ起きてる?」

 ツルギがノックに応じると、扉からはセリスの声。

 飛び上がり、部屋の扉を開くとそこにいたのは寝衣装に身を包んだセリスであった。

「こんな夜更けにごめんなさい」

 胸に手を当て、頭を下げるセリスに驚きつつも中へと招き入れる。

「……どうかしたのか」

 どちらかと言えば、「どうしてここに来れたのか」の方が気になるところではある。何せミクロンの地は外部の人間を泊め置かない。それはこの地を守るためのフリードリヒの策である。

 そうであれば、ここに来るのに相応に手間をかけたはずである。

 しかし敢えてそこは聞かずに、何となく予想もつくことを聞いてみた。

「院長先生言われて、悩んでたから……その……」

「……」

 まさしく、ではある。

 それについて先ほども悩んでいたし、セリスもそのことを話に来てくれたことも分かった。

「先生は、自分の孤児院の出自として厳しく言ったけれど、でもあなたを苦しめようとして言ったわけじゃないと思うの……だから──」

「それは、分かってるよ」

 無用な心配だと言うかのように、ツルギはセリスの言葉を遮った。

「……そ、そう?」

 その答えに対し、何故だかセリスは忙しなく目を左右へと動かした。

 それを見て、今度は彼女にはそれとは別に思惑があるのだろうと感じ取った。でなければ、わざわざこんな時間に来ることもなかろう。

 しかし、そうであれば何故こんな夜更けにここへ訪れたのだろうか。それに対し何と言えばいいのだろうか。

 遠くを見つめ、しばし言葉を選んでいると、セリスは再開の時と同じく張り付くようにツルギにしがみついた。

「セリス……?」

 抱きとめた身体は、震えていた。何かを堪えるように、掴むその手に力が籠る。

「と、とにかく座ろう」

 何がなんだか分からないが、とりあえず、彼女の肩を持ち、ツルギはベッドへと座らせた。その間もセリスは決して手は離さず、俯く。

「……どうした?何かあったのか」

「……」

 背中を軽く叩きながら、問うがセリスは答えず、ツルギの感触を確かめるように、より身を寄せる。

「………………」

 セリスの沈黙に合わせ、ツルギも沈黙。じっと彼女を待った。

 空間に座する間。側から見れば、それは恋人同士の甘い一時とも見えるが、ツルギの心境からしてそういった事実は一切なく、その場にあるのは不安でしかなかった。

 しばらくの間口を閉ざした両者。甘美とも緊迫とも取れない空気が漂う。

「………………」

「……セリス」

「……ごめんなさい」

 ようやく口を開いたセリスは、身を引き、上目遣いでツルギを見つめた。

 どう表情を作っても愛らしい顔つき、水分を多く含んだ瞳を見て思わずツルギは顔を逸らした。

「……悪いが、俺には以前の記憶はない。だから君の思っていることは俺には分からない」

 言葉選びが下手であることは自分でも分かるが、しかしそれよりも浮かぶ言葉が見つからず、ツルギは単刀直入にそう言った。

 怒るだろうかと横目で様子を伺うとセリスは、目を丸くし、そして笑った。

「……何か変なことを言ったか?」

 口をへの字にしたツルギがそっぽを向くと、セリスは首を左右へと揺らした。

「いいえ、変なことは何も言ってない」

「そうか」

「ええ」

 セリスは答え、そしてツルギの腕に身を絡ませる。その柔らかな感触に飛び退きかけた。

「セリス……?」

「嫌だった?」

「いや、そうではないんだが……」

 彼女を、どう受け止めたらいいのか分からず、狼狽えると、セリスはまた静かに笑った。

「恋人と久々の再会だもん。これくらいは許してくれてもいいじゃない?」

「うん……まあ、それはそうだ」

 ツルギもそれは同意。しかしどうしても気恥ずかしさが堪えられず、誤魔化すように明後日の方向を見た。

「あのね、ツルギ」

「うん」

 状況はそのまま、セリスは話を差し戻した。

「私、ずっと不安だった」

「…………何が?」

「あなたがその内、どこかに行ってしまうんじゃないかって」

「どこかって……どこにだ?」

 思いもよらない言葉だった。なぜなら、今の今まで自分が居るべき場所、進むべきものが見つからなかったから。

 だからツルギには彼女の言わんとしていることが分からなかった。

「それは分からないけど……あなたがずっと遠い目をしてたから」

「…………」

「死んじゃうんじゃないかって思った。いつか姿を消してしまうんじゃないかって思った」

 静かに語られる彼女の気持ち。何故だかそれはよく理解できた。

 きっとそれは、残された者にとってはひどく残酷な結末である。

「……悪かったよ」

 だから、以前の自分の代わりに謝った。

 それは取り繕うための言葉ではなく、本心の一言だ。

「私、ツルギのことが好き」

「…………」

「最初は一目惚れだったけど、ずっとずっと好きだったし、あなたのこと知るたびにどんどん好きになった」

「……今の俺が、前とは違っていてもか」

 ツルギは自身の不安を体良く打ち明けた。すると、セリスは変わらず穏やかに問うた。

「違うって何が違うの?」

「性格とか気性とか──」

 身体が震える。

「全然変わってないと思うけど?」

 クスクスと笑うセリスは、その不安を一言で一蹴した。

「それは、まだ分からないだろ」

「そうかもね。でも私はあなたのこと、もっともっと好きになったよ」

「俺にはお前との思い出もない」

「なら、これから作ればいいし、思い出していけばいい」

 彼女の言葉は、自然と全身の緊張と解きほぐした。こう言われて仕舞えば、自分にはもう何も疑おうする余地は無い。

「ねえ、ツルギ?」

「なんだ」

「もう、どこにも行かないで」

 セリスの腕を引き寄せる身体に力が籠る。彼女の声はそれに伴い、震える。

 ツルギは俯き気味にセリスの方を向いた。

 涙を留める瞳が、どうしようもなく愛おしく感じた。だからツルギは一つ、心に決めた。

「いかないよ。どこにも」

「これからはずっと一緒に居てくれる?」

「お前がそう望むなら……そうだな、分かった」

 ツルギはセリスに向かい、そして肩を抱いた。不安はなく、ツルギは今に立ち返る。

「好き、ツルギ」

 セリスの最後の言葉にツルギは微笑み、深く強く、口づけた。

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