第2話『黄金の城』-その2
世界は壊れ、そして国という枠組みは取り払われた。枠組みが無くなった結果生まれたのは、隙間が生じた世界。
国家が解体されると、そこに所属する軍人も傭兵もいつの間にやら居なくなっていた。後ろ盾が無くなった彼らが選んだのは、自分が一番に大切にする者たちだけを守ることだった。
それを境に、寄る辺なき人々は淘汰されていく。力がないのが悪いと言わんばかりに、殺され、奪われ、踏みにじられる。
そのことを自然淘汰だと言い一蹴する者もいた。しかし、それは違う。人の社会において、自然淘汰という言葉は存在しない。人間は明確に意思を疎通し、高度な社会を形成する。純粋な力のみだけではなく、権力や財力といった力が認められるのが何よりの証拠だ。
それは多分、皆分かっていた。どう言い繕っても、彼らの惨状を見聞きして、世界の現状を知って、軽々しい発言ができる者は間もなくいなくなった。
しかし全てはそうであるはず、そうであるべきとされたまま。誰もがそれを覆さなかった。
否、覆せなかったのだ。
その隙間を生み出した禍人という異形の存在は強力にして無比。ソレらに立ち向かうのに、当時の人類の土台はあまりにもひ弱過ぎた。
しかしやがて、異形の力に立ち向かい、世界を取り持った者たちが現れた。それは後にルーラーと呼ばれる者たちの原初。それは名のある財閥の新なる形。財力、権力を駆使し、武力を集結させ、多くの犠牲を踏み越え、そして弱き人類を守り抜いた。
人々をまとめ上げ、率いるその姿はまさに英雄。全ての人たちがルーラーを持て囃し、崇め、そして奉った。
それから約百年後の現在。刀姫の登場から一転し、満ち足り始めた現今の世界。彼らの存在は形骸の一途を辿るが、しかしその功績はあまりに多大。故に、かつての力を無くした今、その存在は人類に守られる側となっている。
今の彼らは先祖の威光によって生かされる者でしかない、と誰かが言った。ルーラーたちはもはや用済みで、その功労は歴史の教科書だけで称えられれば良いと、誰もが思った。
しかしそうならないのは、今においてもその力、受け継がれる意志が失われず、かつての威光を利用して活躍する者たちがいるから。その一人がフリードリヒ・バルバロスである。
彼は役目を終えたはずのルーラーとして、武を追求する一人の武人として、人類のために奔走する。
災厄の禍人、現体制を脅かす強硬派宗教団体、災厄の禍人に憧れてそれに伴おうとする狂人、凶悪犯、巨悪組織。
時には危険を顧みずに自分の身さえも戦場へと赴かせるその姿もまた、英雄。彼の姿は人々の心を打たせ、少年も老人も、女性も男性も、老若男女問わず皆が奮起。彼の背中を見た者たちは須らく、大小に関わらず武の道を志した。
彼はきっとルーラーの中でも無二の存在として後世に名を残すだろう。並み居る偉人の名に一際の異彩を放ちながら、そこに並び立つのだろう。
そういった類の歴史人が今、目の前にいる。
ツルギが通されたのは壁や床の一面が白く、一切の綻びのない広めの部屋。そこはフリードリヒの待つトレーニングルーム。しかしそこには機材といった物は一切なく、脇に机と椅子が用意されているだけのシンプルな部屋。
身体を鍛えるためではなく、模擬戦を行うための場であることは、訪れればすぐに分かる。そして同時に、そこで待つ理由も容易に想像できた。
「長旅ご苦労。久々かな、ツルギ」
緊張した面持ちで入室したツルギの存在を認識し、そして彼は気さくに話しかけた。
「はい。お久しぶりです、フリードリヒ公」
ツルギは精一杯姿勢を正して一礼。堅苦しさが満載のその姿に、フリードリヒは笑顔で応えた。
「畏まらんでいい。フライタッグの件は本当に良くやったな。俺も鼻が高いぞ」
「恐縮です。……いえ、むしろ自分はあなたにお礼を言わなければなりません」
「まあ、座れ。色々話も聞きたい。すまんがツルギに飲み物を出してやってくれるか」
「かしこまりました。何をお飲みになりますか?」
「では、コーヒーを」
「承知いたしました。すぐに用意いたします」
申しつけられた使用人は一礼して、退出。それを見送った二人は改めて、向き直った。
「お話しなければならないこと、たくさんありますが、まずはお礼をさせて下さい。イヴィリアの件、本当にありがとうございました」
「マコトの策略から生還できた者は貴重だ。礼を言われるまでもないさ」
頭を下げるツルギを見て、フリードリヒは事もなくそう言い、コーヒーを一口。それから少し身を乗り出して続けて言う。
「それよりもお前だ。普通に考えて、一ヶ月も寝ているのは異常だ。ということは、お前の身に何かあったのだろう」
少年のように彼は目を輝かせた。彼の武への執念や興味は何も、自分のものだけではない。いやむしろ、どちらかと言えば彼は様々な人の武勇を聴くの方が好きな質である。
「……そうですね、お話しします」
彼の期待に添えられるかは分からないが、促されてツルギはフライタッグでのことを語った。サキュリスの交戦、刀姫覚醒を用いての攻防、四体の禍人たち、そしてマコトとの最終決戦。その末でツルギは極地に立った。「
ただし、最後の一コマだけは記憶がない。目を覚ましたその後、結果だけを聞けば、自分はたしかにアリストの忌肉を斬ったのかもしれない。だが、それをどのようにして、成らせたのは分からない。
当時のことをできる範囲で話すと、フリードリヒは腕を組み、そして唸った。
「目醒めたのか、お前が……?」
彼が聴き、示した反応は難色であった。
「はい。その時は必死だったので自覚はありませんでしたが、おそらくはそうなのだろうと思います」
それを聞いてなおも唸り続けたフリードリヒだが、しばらくして膝に手を置いて悩むのを止めた。
「……うん、なるほどな。ではまず、『醒』とは何か、おさらいしようか」
「……?その者の持つ本来の力、それを覚醒させることでしょう?」
フリードリヒの口調に、ツルギは違和感を感じた。『醒』が何なのかは知っているし、何よりそれは武人ならば、共通認識として知っている事柄である。
「そうなのだが、少し違うな。『醒』とは、人の進化の形なのだ」
しかし、フリードリヒはツルギの見解を否定。既視感のある、その単語に思わず反芻した。
「進化? 」
それを聴いて思い出したのは先の一件。フライタッグで刀姫開発……ではなく、禍人の進化を求めた災厄の禍人アリストであった。
「そう、進化だ。それは本来の力ではあっても、眠っているような力ではない。『醒』は研鑽を重ね続け、その中で限界を超えることによって発生する、必然と言っても差し支えないものだ」
「……すみません、あまりイメージが湧きにくいです。それって成長するとは何か違うんですか?」
ツルギが正直にそう言うと、フリードリヒは人差し指を伸ばして見せた。
「『醒』は今まで積み重ねたことがそのままの形で反映され、維持される。数字で表してみようか。まず、成長の場合だ。元々が100の力を150になるよう鍛錬を続けるとする。成長の場合、当然ながら150の形にはならない。どれほど要領が良くても精々は110にまで成長するくらい。成長の過程では、110程度に留まり、しかもそこから数値は日によって前後する。基準値である100より下回ることはないが、しかし場合によっては100に戻ってしまうこともあり得る。それが調子の良し悪しと認識されるものだ」
「なるほど。この場合、成長に成長を重ねるとどうなるんです?」
気になったので、成長の延長線上を質問してみると、フリードリヒは難しそうにすることなく、それに答えた。
「無理矢理110から200まで引き上げようとして、ようやく120に成長する、くらいで効率としては低下していく。成長には限度があるからだ。……こう表現すると酷く感じるが、元々、人の身体ではこれが普通だ」
「……」
ツルギは数字化された力をイメージしてみた。彼の言う通り、毎日限界まで鍛錬し順当に伸びていたとしても、以前とかけ離れた感覚になることはない。武道などでも、同じくらいの実力者が同じ鍛錬をしても、優劣がハッキリするのはしばらく先の話。それは先ほど言っていた「要領」の違いでしかないからなのだろう。人々の間で優劣がつくのは、元々の数値という要素と「要領」という要素が掛け合わされたものなのだ。
今までのバックボーンもあり、その「成長による数値の変化」には理解を出来た。
「なるほど。では、目醒めた場合にはどうなるんですか」
ツルギが次を求めると、フリードリヒは頷いて続けた。
「俺たちが話す『醒』という進化の過程を説明しよう。まず、先ほどの例を取ると、100の数字は目醒めることで150にまで飛び越えることができる。しかも一時的にではなく、永久にその力は継続する。ここでの味噌は継続、つまり『醒』では元々の基準値が150で固定化することにある。150で固定化されると、成長の限界もまた次のステップに上がることが出来る。100だった時と同じように成長し、数字を高めることもできるわけだ」
「……なるほど」
眉唾な話。しかしそれを否定することは出来なかった。それはツルギもまた、『醒』を体感したことがあるから。学生の頃の話だが、その時のことは今でも覚えている。目醒めてからの身体の変化、そしてそこからの成長力の上昇はこれが裏付けられていたのだと、実感できる。
「しかし目醒めるには……いや、進化であれば本来はどんなものでもそうであるか。とにかく、生物が進化をするには条件が付される」
「条件……?」
首を傾げたツルギにフリードリヒは例え話をした。
「例えば、俺からするとお前はもう目醒めることはないと思っていた。それはなぜだと思う?」
フリードリヒの口から容赦ない告白が飛び出した。そのことについてまず驚いたが、ツルギはそれについて冷静に考えてみた。今までのこと、今までの自分。
そこでふと思い出したのは、以前告げられたセリスの言葉だった。
「……進化は高度な状態を維持しなければならないから、とか?」
以前解説されたことをそのままの形で言ってみると、フリードリヒはそれに驚いた様子を示した。
「分かっているじゃないか。誰かに入れ知恵されたか?」
「……友人から聞いたことがありました」
正直に話すと合点がいったのか、フリードリヒは大仰に頷いた。
「なるほど。その友人は実に博識だ。これはまだ最近判明したばかりの理論だから、知らなくても当然だと思ったが、少し驚いたぞ」
流石は一流、というべきか。よく分からないからと上辺でしか聞いていなかったそれは、大変貴重な情報であるらしい。一瞬、フリードリヒが舌を巻いたのを見れば、その有意義性は一目瞭然だ。
セリスへの依頼料はもう一段階ほど上げるべきなのだろう、としみじみと感じた。すると、友人割引と言う彼女の優しさに甘えてきた自分が急に恥ずかしくも思える。
「それを知っているのであれば話は早いな。つまりこの理論からいくと、既に状態の維持をしていなかったツルギはその進化を停滞させたはず、であるわけだ」
「……」
確かに、そう言われれば自分には、自身を「停滞させた」と見られるような機会が二度もある。
一度目はクレミヤ家の虐殺後。二度目はマコトが災厄の禍人へと転化した後。それは誰がどう見たとしても「停滞」である。あの日あの時、自分は全てを諦めてしまっていた。
命も、人生も、何もかもをだ。
フリードリヒ公がそれを思うのも無理からぬこと。であれば、自分はもう武人としては終わってしまったのだろうか。
意気消沈したツルギに、「しかし、だ」と付け加えるようにフリードリヒが話した。
「お前が感じたそれを聴く限りでは、その認識も改める必要がありそうだ。此度の戦いで、マコトを出し抜いた結果を見れば言うまでない。……するともしかしたら、ブローディアとの二身一体が関係するのかもしれんな」
「二身一体が……」
ツルギが顔を上げると、フリードリヒは頷く。
「二身一体とは刀姫と調律師、二つの心身を一つに重ね合わせること。つまりその精神性や存在性は大きく変わる。ともすれば、そう考えることも理論的には可能だ。だが何しろ、前例がまずない」
「……そうですね」
前例がない。その言葉にとっかかりを覚えた。それはおそらく、そのことに対して不安を感じているから。考察からすれば、自分の足場が酷く不安定なところにあるようなものだ。
しかし、それは同時に諦めるにはまだ早いことをも指す。
「俺一人では無理でも、ブローディアと俺にはまだ可能性が残されている。そういうことですよね」
「そういうことだ」
ツルギの真っ直ぐな瞳に、フリードリヒも強く頷いた。
自分のすることは結局変わらない。ブローディアとともに戦い、そして強くなること。それならば、今更何を臆することもない。
ツルギがそれについて、一つの答えを見つけ出したその時。部屋のドアをノックする音が辺りに響く。
「入っていいぞ」
フリードリヒがそれに応えると、入ってきたのは先ほど注文を受けた使用人。彼女はお盆を片手に一礼した。
「お飲み物、お持ちいたしました。フリードリヒ公はおかわり要りますでしょうか?」
「ちょうど欲しいと思っていたところだ」
頭を下げるツルギに、コーヒーを差し出し、そしてフリードリヒのカップにもコーヒー注ぐ。使用人はその一通りを終えると、不動の姿勢でフリードリヒへと問いかけた。
「それから、先ほどミコノ様がミクロンの町に到着したとのことです。こちらにお通ししてもよろしいでしょうか」
フリードリヒはそれ聴いて、眉を上げた。
「ほう、あいつにしては早いじゃないか。よし、通せ。いや、寄り道させずに連れてこい」
「畏まりました」
使用人はまた一礼。そして、来た道をそのまま通り部屋から出て行った。
「良いタイミングだな」
「そ、そうですね」
彼女が来たということは、つまりそういうことなのだろう。
少しだけ鬱々とした気分で、フリードリヒの言葉に同意した。
ミコノ・ジングウ。
彼女はツルギが武の道へ進むきっかけとなった人だ。ツルギは今も、そのことに感謝しているし、彼女の在り方、その心情、信念、能力を尊敬している。しかも彼女は、弟子を自称する自分など一切歯牙にかけないほどの武人である。
それ故、ミコノは現在もツルギと同じくフリードリヒ公の元に所属を置いているが、それ以外にも様々な機関で活躍する。その中でもよりメジャーで、権威を示す機関が『天武介』である。彼女の名を轟かすに至ったその機関はテンカク直属の組織であり、世界を股にかける戦闘のスペシャリストが所属するといったもの。公的な機関であるが故に、本来であれば『天武介』の所属と並行して他の機関に所属することは許されないが、しかとてミコノ・ジングウという武人は他とは異なる特別な存在。みすみす、彼女という人材を逃す手は残されていない。現に彼女は組織最上位クラス「武帝」に選抜され、さらにはその二番手である第二介として君臨している。
だからこそ、彼女は許される。どのような在り方であっても、その存在を否定することはできない。
「呼ばれてきてみれば、ツルギもいたのか。ということは、なんだ?今回は『セブンスターズ』の集まりでもあるのか?」
部屋に入るなり、そう言ったのは黒く、身にピッタリとした甲冑を纏う美しい顔立ちの麗人。長く、黒い髪を揺らしながら現れたのは、ミコノ・ジングウ。傍らに一人のメイドを侍らせながらの登場だが、しかし、その事に触れる者は今やいない。
「メールにそう書いただろう」
「そうか、すまない。本文は読まぬ主義でな」
「いや、件名にも書いただろ」
「そうか、では件名すら読んでいなかったのだろうな」
口を開けて笑うミコノにフリードリヒはゲンナリとした。ツルギは彼女の登場とともに椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。
「頭など下げるな、ツルギ。久しぶりだ、顔をよく見せろ」
「お久しぶりです、ミコノさん」
顔を上げるとミコノは吐息がかかるほどに顔を寄せて、目を見合わせた。
「うん。あまり変わらんな、お前は。しかし、ミコノさんは止めろ。敬語も使うな。久しぶりとはいえ、途端に他人行儀では私も傷つくぞ」
「……え、ええ。すみません」
「すみません?」
「…………すまん」
「よし」
満足そうに頷いて、ミコノは身を引いた。いや、いつの間にやらツルギの影から半身を出していたブローディアによって引き剥がされた。
「近いって」
珍しく、彼女が全身を出さずに控えめな拒否反応を示した。それには理由があることを、ツルギは知っている。
「お、ブローディアも久しぶりだな」
そう言ったミコノに反応し、ブローディアは逃込むように影の中へと潜ろうとした。しかし。
「逃げるな。お前もよく顔を見せろ」
ミコノはまるで恥ずかしげな姪っ子を諭すかのように語りかけ、ブローディアの服を掴んで影から引っ張り出した。あまりの力に、ブローディアは成すすべもなく、その手によって全身を曝け出される。
「やめて!触らないで!私にもツルギにも近づかないで!」
それに対し、ブローディアは嫌々三拍子の悲鳴を上げたが、ミコノはどこ吹く風。ブローディアの頬に頬を擦り合わせた。
「相も変わらず、可愛らしい。ツルギ、調律師交代はいつでも良いからな」
「ちょっと!ふざけた事言わないで!ていうかどこ触ってるのよ!」
必死の抵抗も、しかしミコノには効き目はなく、成人男性の力を軽く凌駕する筋力も赤子同然。抵抗することなく、接触を受け入れざる負えない。
ブローディアはミコノのことが酷く苦手であった。それはこの状況こそが理由。バイセクシャルということはないらしいが、ミコノは可愛い女性を好み、接触を求める性質がある。
人嫌いのブローディアとは最悪の相性。しかし、彼女の過度な接触を好むのは、よほど助平な男くらいなもの。大体の人は風変わりな態度に引いてしまう。
いつの間にか、ミコノから大きく距離を取っていたメイドも、「お連れしましたので、私はこれで」と礼してと持ち場へと戻っていってしまった。
「む?フラれたか」
「お前は強引すぎるのだ。俺のようにもっと紳士にならなければ、誰も付いてきてくれんよ」
「しんし〜?糞食らえだ、そんなもん。結局、ペニスを異性の陰部に差し込みたいだけだろ」
吐き捨てるように言い、ようやくブローディアから手を離すと、それに伴いブローディアは影へと一目散に戻っていった。
「ツルギも見てないでなんとかしなさいよ!この変態は手に負えないわ!」
羨ましい、と眺めていたツルギはそう言われてようやく我に帰った。上気した面持ちを誤魔化すように喉を鳴らして、その場を繕う。
「とにかく、一旦座ろう。何か飲み物は──」
「要らん。話は手短に頼む。疲れたし眠い」
何という傍若ぶりだろうか。
招かれた客であるとは言え、これは良くない。
ツルギは横目でフリードリヒを見ると、彼はまた難しそうに腕を組み、悩み、そして開き直るかのように言った。
「では、ツルギの練度を見てやって欲しい。身体が鈍っているそうだ」
「……ほう」
それを聞くや否や、彼女は背筋が凍るような瞳でツルギを見据えた。
こうなるのは何となく察していた。フリードリヒがそれを言うまでもなく、おそらくミコノはそのつもりであっただろう。
何せここは特設のトレーニングルーム。それをするにはうってつけの場所だ。
「よし分かった。ツルギ、構えろ」
ミコノは言葉通りの二つ返事で承諾。疲れているんじゃなかったのか、というツッコミもつゆ知らずに、やる気満々で部屋の中央へ。
「武帝」第二介ミコノ・ジングウ直々に稽古を付けてもらえるのは、大変喜ばしい事であるし、名誉な事であるはずなのに。ツルギはどこか釈然とすることは出来なかった。
「よし、ここまでにしておこうか」
「は、はひ……ありがとうございました」
ミコノの言葉に従い、ツルギは短刀を鞘へと納めて向かい合って一礼。
ミコノが踵を返すのと同時に、ツルギはその場で身を横たわらせた。
久しぶりであったためか、かつての激しすぎる鍛錬の記憶を呼び起こしながらの手合わせは、自身の想像を超えたものだった。
殺意にも似た彼女の気迫、実戦を思わせるほどの剣圧。今回は特に防戦を強いられたが、彼女が故意に見せる隙に応えることが出来なければ、怒声で叱りつけられた。
ここに来て更に力の差を見せつけられる形となり、ツルギも心が折れそうになりながら、彼女の取り組みに付いて行く。
まさしく、それは地獄のような鍛錬である。当初、模擬刀でないことから、互いに怪我をしないようにと心がけたツルギだったが、しかし最後はもはや叩き斬る勢いで挑んだ。彼女に付いていこうとすると、そうせざる負えなかった。
結果は見事な惨敗。死力を尽くしてもなお、自身の刃は彼女の甲冑を傷つけることは叶わず、逆に薄皮を削がれ、切られる始末。しかしそれでも血が流れていないのは、明らかな力量の差があったが所以。遠慮などしていた自分がどれほど馬鹿で、見識が浅かったかは、もはや思い返すまでもない。彼女が敵で、ここが戦場であったならば、自分はとうの昔に死んでいただろう。
「なんだ、もうへばったか」
全身汗まみれのツルギに対し、程よく汗ばむほどのミコノは振り返って言う。
汗をかいてはいるが、髪が頬にへばりつくこともなく、その姿はいたって軽やか。散歩にでも行ってきたかのような風貌である。
先ほどは諦めらめる必要もないと、自身を奮い立たせた。しかし今の現状からすると、それがどれだけ無謀な決心なのかは馬鹿な自分でも分かる。
折れそうな心が軋みながら左右に揺さぶられているようなその感覚は、初めてなものではないとしても、慣れてしまえるようなものでもない。
本当に、強くなれるのだろうか。いつかはミコノのように、自分はなれるのだろうか。
そんなことを考えながら、天井を見上げる。
行動するしかないのは分かっている。あらゆる苦境、様々な苦難を超え、その先でようやく手にするしかないことも分かっている。
「立て、ここで寝るな」
「……はい」
相変わらず厳しい口調でミコノにそう言われ、ツルギは強張る筋肉を緩めながら、立ち上がり、大きく深呼吸。全身を包む疲労の波を落ち着かせ、回復に努める。
彼女には、いやフリードリヒ公も。強い者にはそれを妥協することは決してない。あくまでも突き詰めて行く。どこまでも、高く、遠く。
強くなりたいのなら、その精神性も見習わなければならない。だからこそ、些細な言葉であってもそれは貴重なものだ。
ツルギはゆっくりとフリードリヒのいる方向へと歩き出す。ミコノもフリードリヒもそれ以上は何も言わずに、それを待った。
「どうだ、ツルギは」
「うん、かなり鈍っていた。長いこと眠っていたにせよ、ここまで鈍らせることもなかろう。なあ、ツルギ」
「……申し訳ない」
「まあ、それは良い。ダメなら正せば良いだけのことだ」
席についたミコノはそう言って、ツルギの飲んでいたコーヒーの残りを飲みきった。
「いるなら、持ってこさせるが?」
「いや、いい。充分だ。……そんなことより、先ほどの取組みで一つ、気になったことがある」
ミコノがそう切り出したので、フリードリヒは少し真面目な顔をした。
「……ほう」
同様にツルギもその言葉に歩きながらに緊張。その言葉を待つ。
「……お前、その左手の指輪はなんだ?まさかとは思うが、結婚したなどとは言うまいな」
その予想外の指摘に、ツルギは立ち止まり絶句。次の言葉が見つからなかった。
「…………」
「ツルギ、何とか言え」
「いや、これは──」
「ツルギ、立ち止まるな。早くこっちへ来い。……アイリの機嫌が悪かったのは、こういうことだったか」
急かすミコノに次いで、顔を手で覆ったフリードリヒも手招きでツルギを呼びつける。
これから何が起きるのか、一切の検討もつかないほど、ただならぬ彼らの雰囲気にツルギは目を白黒させた。
「これはブローディアが──!」
「いいから早くこちらに来い」
ミコノはツルギの言い訳を聴くことなく、一喝。
顔を青くするツルギを二人の双眸が舐めるように見つめた。
時刻は正午0時。
今度は二人から嬲るような質問攻めにあった。しかし、何とか彼らの説得には成功。この時、功を奏したのは、フリードリヒが居たことだろう。彼はツルギの言葉に耳を傾け、そして最終的に間を取り持つように計ってくれたのだ。
「ツルギ、そういう事は早く言うべきだ。疑いをかけられてからでは遅いことも世の中にはあるのだ」
「……はい」
自失しそうな精神を繋ぎとめつつ、ツルギは焦燥した顔で返事すると、フリードリヒはなんだか悲しそうにそれを見た。
「……だがまあ、そういうことであれば仕方ない。なあ、ミコノ」
「よくない。外せ、ツルギ」
しかしミコノはフリードリヒの懐柔を物ともせず、床に正座したツルギを見下ろして言った。
「いや、だから外せなくて……」
「なら叩き斬れ」
ミコノの即答にフリードリヒはため息をついた。こうなれば、相手が誰であろうと彼女から引く事はない。相手が相手ならば、延々と押し問答を繰り返すだろう。
どうして彼女がこうまでするのか、ツルギには分からなかった。彼女は自分に好意を持っているから、という線は間違いなくないのであろうが、しかしそれ以外に思いつくものもない。
「何故そんなに必死なのだろう、とか思っているか?」
下を向き、ただただ嵐が止むのを待つツルギに、鋭い洞察力を持ってミコノは迎撃。
そのあまりに的を射た発言に、思わず肩を震わせた。
「いや……えー……」
「隠すな」
言葉に迷うツルギだったが、ミコノに言われて正直に「はい、思いました」と頷かざるを得なかった。
それを見たミコノはまずは盛大にため息。そしてツルギの頭をひっ捕まえて、こう言った。
「お前、散々女の子を誑かしておいてよくもそんな事を言えたな。恥を知れよ、クズ」
言ってはいないし、誑かしてもいない。
その反論は勿論声には出さず、胸にしまった。今この場における絶対者はミコノであり、その意向から外れてはならない。フリードリヒすらも、それには何も言わずに本を読み始めた。触らぬが吉ということなのだろう。
「セリスは知っているのか」
「言ってません」
言うわけがない。こんな下らないことを話されたところで、彼女に何ら得がない。
「ターニャには?」
「言ってません」
彼女の言うターニャとは現テンカクのこと。当然、そんな雑談じみたことをわざわざ言うわけがない。
「ならマーリャンには?エマには?」
「言ってません」
言うわけないだろ!と叫び出したいのを堪えて答えると、そこでフリードリヒが口を出した。
「アイリも知らなかった」
ようやく開いた彼の口から発せられたのは、ミコノの意見に追従させた言葉であった。あなたはどっちの味方なんだよ、という文句も胸の内へ。
ミコノも呆れ果てたようで、もう一度長いため息を吐いた。
「いいか、ツルギ。女性というのは、そういった事柄に敏感なんだ。お前は冗談のつもりだろうが、しかし彼女たちは違う。お前はその子たちのことを考えたことがあるか」
「……」
腑に落ちないことは山ほどあるが、しかし少しだけ、彼女たちのことを考えてみた。
彼女たちがどのような反応を示すのか。セリスはきっと笑うだろう。テンカクは微妙で曖昧な反応をするだろうし、マーリャンはきっと冗談交じりに囃し立ててくるだろう。エマなんかは全く興味を示さないのだろうと思った。
だが、実際は多分違うのだろう。それはアイリーンがそうであったし、ミコノもまた予想とはかけ離れた反応を示した。
彼女たちは刀姫を御せない未熟さに腹を立ててるのではない。それはツルギにも分かった。
だがしかし、そうであったとしても。
「それならブローディアに言って欲しいよな……」
ツルギが溢すように言うと、ミコノは目を剥いた。
「まだ言うか──」
「いえ、ブローディアに言った方が早いですよ」
ツルギの言葉を肯定し、助け舟を渡したのは意外なモノ。彼女は忽然と姿を現し、そして3人の前に立った。
「お兄さん、お久しぶりです」
ニコリと笑い、そう言ったのは銀の長い髪の少女。彼女は、フリードリヒ公と契約せし最強の一角である刀姫、『奇蹟』の名を持つフーリアであった。
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