第2話『黄金の城』-その1
世界最強は誰なのか。
様々なコミュニティの間で、その話題はよく話される。個人の武力が幅を利かせる時代であるので、その話題自体は有益なもの。ツルギ自身も武の道で生きる者として、興味はあるし、意欲的にそれについて話すことは出来る。
しかし大抵場合、ある時点をもってその内容は粗末なものになる。いや、粗末というよりかは、それそのものが有益であったとしても不毛なのだ。
今もまさに、ツルギの座席の後方で、その話題に華を咲かせる一団がいた。声の数からして人数は4人。声は若い印象を受けるが、口調や内容からして、武人としてそれなりに知識を持つ者たちであるようだった。
その内の一人が「今一番強いのは誰だと思う?」などと話題を持ち上げると、周りの者たちは自身の知識をひけらかす様に話し始めた。それは世間話から、やがて議論へと移り変わり、そして各々が持つ価値観や客観的な情報の元、様々な机上の空論を展開していく。
まずその話題が出た際、一番初めに名が挙がったのは、マコト・クレミヤ。どこで誰が話し始めても、当然のごとくそうなる。しかしそうなるのも無理からぬことで、彼女の与える影響、能力を総合的に勘案すると、当たり前の帰結。ツルギ自身も彼女の名前を最初に持ち出すだろう。
その点について、異論を挟める者は居ない。よってその話は終わるものかと思われたが、その会話の主催者は、ここからが本番と言わんばかりに、既に前提としてあるかのごとく、「マコトは抜きで」と言った。
最強は誰なのか、を話す上で「マコト抜きの話」となることもまた、当然である。でなければ、会話にすらならない。
こうした前置きを経て、話はようやく本題へ。世界最強は誰なのか。
有意義なのはここまでだった。マコトこそが最強であることを再確認するまでが、その話の味噌であった。
そう言ってしまえるほどに、話は一挙にして泥沼化した。「武帝第一介」ゼスロス、「最果ての超常」ヴァイス、「豪傑の災厄」ノルザ、「超異常」レイドッグ、「超源刀姫」を有する『原初の調律師』、そして『原初の調律師』と対になる存在『原初のモノ』。
現在、そして過去を問わず、世界に名を轟かす名手、使い手の名前を次々と挙げ、しかし、あーでもないこーでもないと弁を戦わせる。
ツルギが不毛な議論だと思ったのは結局のところ、その答えは誰も知り得ない、というのが結論であるからだ。状況や心境などを一律化してもなお、あずかり知らぬこと。それは未来や現在を見通すマコトでさえも、明確には出来ないであろう。
そんな中、今まであまり議論に口を挟まなかった一人がポツリと「フリードリヒ・バルバロス」の名前を挙げた。
フリードリヒ・バルバロス。彼もまた調律師としては最高峰の使い手である。今まで挙がってきた名前と遜色はない。
しかし、彼がその名を挙げたのにはそれとは別に理由があった。その理由とは彼が持つ武力の総量が起因した。
フリードリヒは調律師である以前に、ルーラーの一人である。その権力は言うまでもないが、さらに彼の元には武力を持つ者が集う。
それは力の象徴ともいえるカリスマ性やその意思に賛同した者であり、そして今もその勢力は拡大している。マコトが悪のカリスマというのであれば、フリードリヒは武勇のカリスマとでも呼ぶべきあろう。ツルギもまた、彼自身によって命を助けられ彼の意向に賛同する一人であり、彼の持つ組織にも所属している。
故に多少なりとも内部的な情報を持つツルギとしては、フリードリヒこそが最強だと言われれば、納得もいく。彼の力は他にはない、唯一のものだ。
落とし所としては、真っ当な意見だとツルギは思ったが、彼らの争点はあくまで個人的なものに限られる、とのことで更に議論は続けられた。そこからはもう、聞くに耐えない激論だったので、ツルギは耳を傾けるのをやめ、今度は傍らで景色を眺めるブローディアへと視線を向けた。
人がいる所では珍しく、彼女はその姿を影から出し、そして鼻歌など歌いながら窓へと視線を向けていた。
彼女が上機嫌であることは見るにつけて分かった。鼻歌など歌っているのは、本当に機嫌がよい証拠である。
窓の外に何かあるのかと思い、そっと覗き込んでみると、外の景色は特に何があるわけでもなかった。空は快晴。青々とした空の下には、のどかな田舎風景。これもまた風情のある情景ではあるが、しかしそれが彼女の機嫌を良くさせているかと言われれば、多分そういった事実はないのだろう。
現に、彼女の視線の先にあるのは風景などではなかった。彼女が見つめるのは、左薬指に着けていた指輪である。
「……」
その指輪はブローディアの要望を答えたが故の物。何が欲しいのかを聞いたツルギに、ブローディアは「指輪が欲しい」と答えた。
刀姫といえど、やはり女の子。オシャレの一つもしたいだろう。
ツルギは突起物などがない物に限定した上で、それに快諾。カタログ通販で選び、後日届いたのは、何の変哲も無い細かな模様のある二対の指輪だった。ツルギにはその魅力は分からないが、ブローディアはその現物を見て大層喜んだ。
ペアリングを購入したのも不可解であるが、しかしこうして喜んでくれているのだから、水を差す気にもなれず、彼女の感情に合わせてツルギも嬉しがった。
それ自体には何の問題はない。なかったのだ。指輪が届いてからその次の日。その日が問題であった。
朝起きたツルギは寝惚けながら歯磨きをしていると、鏡に映る自身の左手にあるものが着けられていたのに気がついた。それは昨日届いたもう一つの指輪。ブローディアが寝ている間に、着けたのだということはすぐに分かった。そこでようやく、ペアリングを購入した訳も分かった。そのつもりで買ったのだろう。
ツルギが外そうとするも、しかしその指輪は見えない何かに縛られているかのようにピッタリとはまっており、それをするには困難を極めた。
ツルギは影の中で眠り続けるブローディアを呼びつけ、事情を聞くと、彼女は「別にいいじゃない」とか「イヤなの?」などと言ってそっぽを向いた。
さらに調べてみれば、それは結婚指輪として売られていた物で、光に照らすと指輪を形作る粒子がキラキラと光るのだとか。それを見てツルギは頭を抱えたい気持ちに駆られた。光る指輪など着ければ、それこそ自分はここにいます、とでも行っているようなものである。先日のフライタッグの件などのことを考えれば、そのようなものを着けるのは愚の骨頂。それだけで身に危険を晒すようなものだ。
ツルギはそう言って怒ると、ブローディアは粒子が光るだけであるので、反射するわけではない。また粒子の光が届く範囲も調査済み。光は1mには及ばず、それ自体は何の問題もない、と主張して譲らなかった。
そういう問題ではないことを話すが、彼女は悪びれるどころか逆ギレ。そのままなし崩し的に今に至ってしまっている。
ツルギは自分の指に着いている指輪を見る。
これを見て、フリードリヒ公は何を言うのだろうか。あり得ないと怒るのだろうか、それとも呆れるのだろうか。
何にしても良い反応は示さないだろう、というのがツルギの予想である。彼は大雑把で、器量の大きな男ではあるが、武に関することだけには半端はない男である。
ツルギはため息をつき、とりあえず寝ることにした。フリードリヒ公の領域、その本拠地であるミクロンまではまだ先。どうせ考えても解決は出来ないのだ。
時刻は夕方。列車は数時間の旅を終えて、終点に辿り着いた。
ツルギは重くなった腰を上げて、降車。西口の駐車場を目指して、活発な人々の波をすり抜けながら、仕切りに辺りを見渡す。
乗っていた列車の終点は、目指すミクロンまでの乗り継ぎ場。そこはフリードリヒ公の領域であり、人々が跋扈する経済の一大拠点アーヴァロンである。フリードリヒ公の直接の領地とするミクロンまでは、ここから更に車での移動を要する。つまりここは世界有数の都市でありながら、ベッドタウンとしての機能を持つ場所でもあった。
ここは人々が目指し、集まる場所である。年々人口は増え、それと共に街の開発は進んでいく。そのことについて、とやかく言うつもりはないのだが、だからといって駅内を複雑にする意味があるのか、とは常々思った。間違えて進もうものならば、途端にこの駅は迷宮と化す。初めてこの駅を訪れ、駅を出るのに2時間をも要した時はひどく狼狽したものだ。
現在、ここを訪れるのは5回目。当然、その道筋も記憶にはあるが、構内の店も来るたびに変わり行くので、既視感といった自動的な脳作用には頼れない。だからこそ掲示板に頼らざる負えず、各所で立ち止まらざる負えないのだ。
苦節の末、ようやく改札にまで辿り着いたツルギは駅口を確認。「中央西口」という表記を見て、安堵しつつも改札を抜けると、そこは見覚えがない場所であった。
「……あれ?」
辺りを見渡すも、駐車場らしきものはない。
そこは噴水のある広場で人々が待ち合わせたり、休憩に活用される憩い場であった。
「ブローディア、ここはどこだ」
「ここは『中央西口』よ」
「中央……?」
思わずそのフレーズを反芻した。『中央』ということはつまり……?
「どういうことだ、ブローディア。俺には分からない」
「私にも分からないわよ。でも、『中央』ということは別の西口もあるんじゃない?」
「……もしかして幻術か?」
呆れたようにブローディアが言うので、苦し紛れにそう言ってみると、更に呆れた声が返ってきた。
「いや、違うでしょ。それだったら私は分かるわ」
「………………それもそうだな」
長き沈黙の後、ツルギもその意見に賛成した。ため息をつき、来た道を戻る。駅員を呼び止め、西口の駐車場のことを聞くと、彼は駅の構造を丁寧に解説。駐車場へと出る西口はおそらくは南西口だろう、と話した。また駐車場へと入るには、駅内を伝っていくのが近道であると付け加えた。
「またこの魔境に入らなきゃならないのか……?」
「……いや、魔境って」
駅員はツルギの言葉に思わずツッコミ。一通りの経路を示すと、別の利用者よってに呼ばれてその対応へと向かっていってしまった。
「参ったな」
ツルギはとりあえず、言われた通りに進んでみた。すると、それからは人の数は徐々に減っていくので、意外にも、今度は立ち止まることもなく、スムーズにそこに辿り着けた。
「南西口。ここね」
「ああ、ようやくだな」
外に出てみると、バスやタクシー、自家用車が並ぶ場所へと出た。間違いなく、ここが待ち合わせ場所である西口であろう。詳しくはどこの出口とは覚えていなかったが、しかし、そこは既視感のある場所である。
「ていうかさ。駅のどこの出口で待ち合わせたのか、とかはちゃんと覚えておきなさいよ」
「……すまん」
「あと、分からなければ最初から駅員に確認を取りなさい。何となくでやろうとするの、悪い癖よ」
「……すまん」
自分では頑張ったつもりだったが、ブローディアからの容赦ないダメ出しに、返す言葉もない。たしかに、一人で完結しようとする癖が自分にはあり、それによって手間取ったことは事実。よって、その言葉は正論でしかない。
「いやまあ、いいけどね。どうせ私はあんたの影から見てるだけだし。それで、迎えはどこにいるのよ」
「向こうから声をかけると書いてあったが……」
辺りを見渡すと、一際目立つ車を発見。それは車体が他よりもふた周りほど長い自家用車で、黒を基調とした見るからに高級な車であった。
その脇に立つのは、背が高くスラリとした長い足、凛々しい出で立ちのスーツ姿の女性。中性的な面持ちの、その顔には見覚えがあった。
「……あの女」
「あの人が迎えに来てくれたのか」
「ちょっと待ちなさい」
ツルギがそちらへと駆け出そうとすると、ブローディアが引き留めた。
「どうした?」
「時間見なさい」
そう言われて、ポケットから懐中時計を取り出し確認すると、待ち合わせしていた時間からは15分以上も過ぎていた。
多分、それは思っていた以上に駅構内から出るのが遅くなってしまったからなのだろう。
「あんたって、結構要領悪いよね」
「……」
「とにかく。言い訳、考えときなさいよ」
「……そうだな」
暫し思案。しかし、何か言い訳になりそうな要素をツルギには持ち合わせていなかった。
彼女の名はアイリーン・バルバロス。フリードリヒ公により、養子として迎えられ、そしてその教育をされてきた武人の一人である。
その教育のせいか、元々の性格が故なのか、彼女は礼節、所作など全てにおいて完璧を貫く女性で、ズボラで要領の悪い自分なんかとは正反対の人間だった。
故に、彼女には数え切れないほどに注意を受け、そして矯正されてきた。
それは学生であった頃の話。マコトがクレミヤ家の虐殺を経て、テロ活動を始め、そしてツルギが世界中の的になっていた時こと。一時的にフリードリヒの本拠地ミクロンで匿われていたツルギは、三ヶ月ほどそこに滞在し、世話をされていた。世界中、どこを探してもないような安息の地であったそこは、しかし、当時のツルギには気休めとはならなかった。
誰もがツルギを避けていた。それは見るからに憔悴した顔つきを見て、そうせざるを得なかったのか。それともマコトの兄であるから、そうしたのか。今では分からないが、とにかく、ツルギはミクロンでもやはり一人きりだった。相談に乗ってくれるような知り合いも、当然そこにはいなかったし、気軽に話せるような人もいない。しかし。
唯一、アイリーンだけは近寄りがたいツルギの雰囲気を一蹴し、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。厳しく躾けられた。優しく諭された。それは「彼女なりの優しさ」といったような、甘いものではない。それは「生きている限り道は続く」という彼女のエールだった。
その時は、そのことに気がつかなかった。それに応えることは、結局のところ出来ずにいた。しかし、それは今の自分を作った一つのファクターであると、今では思う。彼女との出会いはかけがえのないものである。
それからも彼女は自分がミクロンを訪れるたびに、何かと口を出す。今も昔も変わらない。まるで初めからいたかのような姉のような存在だ。
だがそれ故に、今この状況は芳しくない。「時間厳守」などは何度言われたことか分からない。今顔を合わせれば、何を言われることか、想像するに難くはない。
だが、やはり何を言い繕ったところで、注意や小言は言われるのだろう。
陰鬱とする心境の中、ある声が、真後ろからかけられた。
「ツルギ、何をしているの」
「いや、もう少し待ってくれ。心の準備がいる」
「心の準備……?今、必要ありますか?それは」
言われてハッとした。ブローディアの声かと思ったそれは完全に別もの。
声も口調も全然違うではないか、などと思っている内に、彼女はツルギの目の前へ。そして、ツルギの顔を覗き込んでいた。
その声、その姿、その顔は紛れもなく、アイリーンである。荒など一切ない、綺麗な顔立ちにツルギは思わず唾を飲んだ。
「お久しぶりです、アイリさん」
「そうね。久しぶり、かしら」
「……」
「……やはり、どこか悪いの?随分と顔が青いけど」
アイリーンはそう言ってツルギの頬にそっと手を触れた。
「ちょっと!」
ブローディアは叫び、影から飛び出してその手を払った。
二人の間に割って入った彼女はアイリーンを睨め付ける。
「ツルギに触れるな、下郎が」
殺意をビンビンに尖らせたブローディアに対し、アイリーンは払いのけた手を捕まえ、ニコリと笑った。
「ブローディアは久しぶりですよね?お見舞いに行っても顔を出さなかったから」
「……」
「お見舞い?」
「知らない」
ツルギが問うとブローディアは即座に言った。誤魔化しかたにも色々あるが、ブローディアのそれは明らかな嘘を証左するものだった。
いや、そこはともかくとして、アイリーンがお見舞いに来ていたことは初耳だった。
「……お見舞いに来てくれていたんですね」
「ええ。ついでに、ではあるけど」
「ちょっと、離してよ」
抵抗するブローディアを他所に、アイリーンはそれを肯定した。
「すみません、分かっていれば手紙でも書いたのですが……」
「それは良いです。あなたの武功、戦果、そこに至るまでの諸々は聞いています。……本当によく戦いましたね」
「ありがとうございます。勿体ない言葉です」
控えめにそう言うと、アイリーンは穏やかに笑った。
「もう身体は大丈夫なのね」
「はい、おかげさまで。まだ鈍りは取れませんが」
なんだか妙な空気が流れてしまった。それはこんなに心配されていたなど、つゆ知らなかったからだ。
ツルギはブローディアを横目で睨むと、悔しそうに睨み返してきた。
今この場で叱ってやりたいくらいだが、アイリーンの手前、そうしているわけにもいかない。
「ブローディアには、こちらから言っておきます。今度からそのようなことがないようにと」
身を正してそう言うと、彼女はそれに応じて頷いた。
「分かりました。せっかく生きてまた会えたのですから、小言は今はなし、にしましょうか」
「……時間にも遅れてすみませんでした」
「よろしい。では、行きましょう」
言うと同時に掴んでいた手を離すと、ブローディアは一目散に影の中へと戻っていき、
「覚えときなさいよ!」
そして悪役のような遠吠えした。
「お前がな!」
ツルギは思わずそれに言い返した。
画して。
ツルギは勧められて後部座席へ、アイリーンは運転席に乗り込む。
「一人で来たのですか?」
「一番に会いたかったからね」
少し驚いてそう聞いてみると、アイリーンは恥ずかしげもなく一言。車を走らせる。
「……恐縮です」
「ところで」
頬をかき照れ臭そうにしたツルギに、アイリーンは間髪入れずにそう声かけた。
ここは逃げ場のない走行中の車内。二人きりの密室。どこか浮かれていたツルギは、この時忘れかけていた要素が一つある。
初めに事情を話しておくべきだったのだろう。そう思わざる負えない。そう後悔せざる負えない。
ツルギの浮かれ模様は、次の一言によって見事に凍りついた。
「その指輪は何?」
1時間ほどの道中、ツルギを待ち受けていたのは、アイリーンの質問攻めであった。「綺麗な指輪だけど、それはどんな指輪なの?」だとか、「拒否はしていても、結局付けたままだものね」だとか。とにかく彼女は様々な切り口からそれを言及。またその間、ブローディアは一言も喋ることはなく、全ての質問をそれに受け答え続けるはめになった。
最後の方はもはや、彼女の説教を聞くような形になっていたが、その間に車はミクロンの正門に到着。そこを通るより先にツルギは、迎えに来てくれたことに礼を言って退散。逃げるように下車したツルギにアイリーンは何かを言いかけていたが、構わずにその場を後にした。
『武公の町』と呼ばれる町、ミクロン。そこは農業を主産業とする人口3000人ほどの小さな町である。
衛兵に挨拶をし、身分証を提示すると、快くその町へと入れてくれた。
実に5回目の来訪だが、目の前にあるのは、昔から変わらない田畑が広がる光景。それを見て、実家に帰ってきたかのような安心感を覚えた。
時刻は既に夜。
灯りも人気もない道を進んでいくと、人々の暮らす居住エリアへと景色は移りゆく。
小規模な町とはいえ、しかしルーラーの住まう町であることもあり、そこは活気に満ちていた。夕食時でもあるからして、居酒屋などの飲食店からは人々の話し声と笑い声が入り乱れ、店仕舞いをしようとするおばさんは道端の女性と揚々と話し込む。
ここの人々はどのような時も、活き活きとしている。かつては、自分とは違う人種なのだと思い込んむほどに、眩しく写った彼らの姿も、今ではそれが当たり前で、そうでなくてはならないとさえ思える。
それは自分が変わった結果なのだろう。
道行くツルギに気づき、手を振る少女、話しかける青年、お菓子をくれる老婆。ここに自分を知らない者は居ない。ここはツルギの居場所だ。
ツルギは町人たちと触れ合いながら、惜しみつつも別れを繰り返し、フリードリヒ公の住居へと目指して町の奥へ。
そして辿り着いたそこは堅牢な壁によって阻まれた城。煉瓦造りの壁は微塵の綻びもなく、そこもまた昔と変わらず健在。様々な城と比べると低い作りになっており、見た目だけは質素なその城だが、しかし他所にはない圧倒的な存在感を示す。
それはよく手入れの行き届いている城だから、といった視覚的な作用がそうさせているのではない。
夜は静寂に包まれる城は、日が伸び始める早朝には彼の元に所属する武人たちが訓練を始める。それがまるで動き出す小さな歯車かのように、それに伴い町は活動を始める。農業を営む農夫たちが、町を活性化する店主たちが、家庭を守る主婦たちが、子供たちでさえも。
この町は美しいほどに一つだ。人の集合の洗練された形がこれなのだろうと、ツルギはそれを見て感じた。それをもたらすのは、フリードリヒ公の城。この城は名実ともに、この町の中心である。
だからこそ、これほどまでに異質さを感じるのだろう。町の空気を形作り、人々をつき動かすほどの熱量がある建物など、ツルギはここ以外には知らない。
絢爛さはない。しかし、俗的でもない。
とにかくミクロンという町は、全てにおいてバランスが良い。そしてそれはフリードリヒ公の主義により為されている。
この町の全ては、自分には到底似つかないものだと思う。本来ならば、この城どころか、町にすら入る資格などないのだろうとも思う。
立ち尽くし、城を眺めるツルギに気づいた一人の衛兵が声かけた。
「ツルギさん、どうかなされましたか?」
「いつ来てもここは変わらないなと思って」
「勿論です。そのようにしていますから。フリードリヒ公がお待ちしておりますので、どうぞ中へ」
その一言に、衛兵は笑みをこぼしながら言い、やや遠慮気味なツルギを入ることを促した。
「……ああ、ありがとう」
とはいえ、いつまでもこうしていると迷惑になるので、ツルギはその勧めに従って中へ。
城壁の中は、生え揃った芝生と噴水が美しい庭園と、日々の激しい鍛錬により硬い地面が露わになった無骨な訓練場とが両立された中庭。さらに城内に入ると、身なりを正したメイド、執事たちがお出迎え。作法は機械的ではあるが、その対応はむしろ人間的。使用人として最高峰の人材もここには揃っている。
ツルギの顔を見ると彼らは自然な笑みを浮かべ、その内の一人のメイドがツルギの手荷物を預かり部屋へと案内。
3階にあるいつも使っている部屋を割り当てられ、ツルギも以前と変わらない配置の部屋にホッとした。
そこで荷物などを置いた後すぐに、フリードリヒ公の元へ案内されるものと思われたが、それはなく、疲れているだろうからと次に風呂を勧められた。彼らに絶対の信頼を置くツルギは、それがフリードリヒ公がそうさせるように言いつけてあるのだと分かった。
なのでそこに遠慮はせず、彼らの勧めを甘んじて受け入れた。その後もマッサージ、食事、食後のひと時を勧められ、それを堪能。その流れるような様は、まるでベルトコンベアーに積まれた荷物のようであるとさえ感じた。
その間、ツルギは風呂も食事も参加しなかったブローディアのことを完全に忘れてしまっていた。それは居心地の良さと昔のことを思い出していたが所以。いつのまにか絆され、そして感傷に浸ってしまっていたのだ。
彼女の存在を再認識したのは、全てのおもてなしを終え、フリードリヒ公と会う直前のこと。フリードリヒ公は現在、トレーニングルームでツルギを待っているとのことだったので、そこへと向かうその道中で、ツルギはブローディアの存在をようやく思い出した。
案内をしてもらっていた使用人に断った上で、立ち止まったツルギが話しかけると、現れたブローディアは顔を真っ赤にして怒り狂っていた。
「あんた、私のこと忘れてたでしょ!」
「……いや?」
ツルギがそんなことはないと飄々として首を振ったが、ブローディアは「絶対嘘!」と声を上げた。
「というか、自分から出てきたらいいだろ。一々、俺が呼ぶ必要あるか?」
完全にリラックスした面持ちのツルギにブローディアは怒り心頭。子供のように地団駄をして言った。
「それじゃあ私が浮かれているみたいじゃない!イヤよ、そんなの!」
呼ばれてから嫌々ながらも奉仕されてやる、というのが彼女の目論見だったのだろう。だからこそ、彼女は出てこようとはしなかった。使用人たちは、ブローディアが他人に構われるのを嫌うのも周知済みだったので、それについては触れられずにいた。
しかし彼女の分の寝食の場はちゃんと用意されていたし、ブローディア自身もそれは分かっていたはずだった。推し量ることのできないほどの気遣いに対し、なんと度し難いクズであろうか。
そのことに少しだけ腹も立ったが、それよりも気になることがあった。
「そんな怒り狂ってるのは見られていいのか」
特にこちらを注目する素振りはないが、目の前に使用人には当然、その声は届いている。結局本性を曝け出してしまっている彼女に、ツルギは冷静に指摘した。
「うるさい!ツルギなんかもう知らないから!もう何もしてやらない!」
そう言って影の中へと戻っていったブローディア。
「フリードリヒ公にはちゃんと挨拶しろよ。それはシャレにならないからな」
ツルギはその背中に言いつけたが、当然それには応じないだろう。
ため息を零しながら、前方で立ち止まっていた使用人へ声をかけると、彼女は先ほどまでのことに関して「気づかずに申し訳ありません」と一言。「こちらこそ、すみません」と互いに頭を下げ、そして案内を再開。
いつもに増してワガママ放題な彼女にも困ったが、少なくとも今はフリードリヒ公に会うのに身を正しておいた方が利口であろう。
一息つき、そしてツルギは指輪のことを考えておくことにした。
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