第1話『異形たちの庭』-その12

 ・イヴィリア家跡地にて


「さて、では私たちは続きをしよう。イヴィリア、お前の権利と義務を忘れてはいないな?」

 マコトは遠ざかっていくツルギを見送ってから言った。見送る表情はどこか憂げ、しかしこちらを見た際には既にその色はなく、真っ直ぐ、そして強く見据えた。

「……契約、ですよね?」

「ああ、そうだ。私とお前が交わした契約だ。既にお前と私の身にはそれが記されている。もはや、破棄するとは言うまい」

 マコトはイヴィリアへと足元の忌肉を蹴り落とした。

 イヴィリアは転がり落ち、目の前で止まったソレを思わずまじまじと見てしまった。

 ソレはとても水々しい肉の塊だった。艶めかしく脈動する血管、リズムを刻んで伸縮を繰り返すそれはまさしく心臓そのもの。齧り付きたい欲求さえ生まれそうな、見事な、圧巻のモノ。

 イヴィリアはつんのめりになってその場に胃液を吐いた。気持ち悪いからではなく、それがあまりにもグロテスクであったから。少女の目に映るソレは紛うことなき、「生」そのものだった。

「見るのは初めてだったか」

「……」

 笑うマコトにイヴィリアは声を失った。

 自身の選択が急に恐ろしくなった。この思いがあればどんなことでもできると、そう考えていた自分がどれほどバカだったのかを思い知った。ツルギが話し、苦々しい表情を浮かべていた意味がそこでようやく分かった。

 なんて世間知らず。本当にバカだった。

 そんなことを思い、後悔し、しかしイヴィリアは現実へと立ち還らずには居られなかった。

 目の前に、彼女がいるから。

「さあ、イヴィリア。やれ。お前の父はそいつのせいで死んだんだ」

 横に来たマコトは漆黒の小刀をイヴィリアへと手渡した。

 遂に、ここまで来てしまった。

 イヴィリアは心底震えた。

 本当に恐ろしい時、その局面で人は泣くとことも、喚くこともできないのかと、今さらながら知った。そして彼女の前に立った時、その言葉に、促す姿勢に、抗う術がないことを知った。恐怖も後悔も、全てがもう、遅いのだ。

「……はい」

 イヴィリアはその小刀を手にし、そして目の前の肉塊をもう一度見た。



 ・イヴィリアの過去、そして現在へ


「お父さんは、もう……?」

「泣くな、泣いてどうにかなるものでもないだろう。今更」

 唐突現れた少女、マコトはこの街の現状とそしてこれまで経緯を話した。眉唾物ではあるが、しかしどういうわけか、彼女の言葉はそれだけで信憑性が感じられた。

 涙を溜めたイヴィリアはそう言われて、それを止めようとした。しかし、どうしても溢れ落ちてしまった。どうしようもない現実を受け止められず、しかしそれを否定することは叶わず、イヴィリアはその場で崩れ落ちた。

 歯を食いしばっても、目元に力を入れても、どうしても涙は止まらず、その内、イヴィリアは声をあげて泣いた。

 マコトはそれを見て、諌めるでも、毒づくでもなく、ただそれを見下ろした。色の抜け落ちた眼で、その見窄らしい姿を眺め続けた。

 それからしばらくして。

 泣き疲れたイヴィリアが辺りを見回すと、いつの間にか外は夕焼け空が広がっていた。どれほど泣けば気がすむのだろうと、自分でさえ思った。それほどに、途方もなく、泣き崩れていた。

 しかし、自分には、もう泣くだけしか出来ない。私にはもう──。

「気が済んだか」

 しばらく放心していたイヴィリアに声をかけてきたのは、先ほどまでそこにいたはずのマコトだった。彼女は腰掛けていた椅子から立ち上がり、イヴィリアへと近寄る。

「……私を、殺すんですか」

「?」

 イヴィリアは願望でもあるそれを口にしたが、マコトは少しの間だけ明後日の方向を見て、それから声を発した。

「結果的にはそうなるだろうな」

 惚けたように言うマコトに、イヴィリアは心底イラついた。

「なら早く殺してください。もう、私には。私にはどうすることも出来ません。だから、早く殺してください」

 言ってから、イヴィリアはその時を待ち望むように俯き、瞳を閉じた。

 死ぬのは苦しいのだろうか。彼女は果たして、苦しまずに死なせてくれるだろうか。いや、そうであったとしても、例え苦しみながら死ぬことになっても、死ねるのならなんでも良い。出来るだけ早く、死にたい。お父さんに、お母さんに、会いたい。

 そんなことを考えながら、待った。しかし、マコトはそれを翻した。

「お前に出来ることはまだある」

「……何を言っているんですか」

 イヴィリアの苛立ちは頂点に達し、それを隠そうともせずに嫌悪の表情を向けた。

「私に出来ることってなんですか?私には何も、何もありません!それとも、なんですか?子どもでも産ませますか?どこかに売ってお金儲けでもしますか?別に何でも良いですよ、ちゃんと死なせてくれるなら、どんなことでもします。言ってください。私に何が出来るんですか?」

「お前には復讐ができる」

 言われて、イヴィリアは呆然とした。何を言っているのだと、そう思わずにはいられなかった。

「……復讐って。一体誰に、どうやって。私、自慢ではないですけど体力はありませんよ。同年代の子が相手でも、返り討ちに遭います。それで、どうするのですか。こんな私に」

「復讐の相手は、お前の父を死に至らしめた張本人。そして、その手引きは私がしてやろう」

 マコトは淡々と答えた。激高するイヴィリアをよそに、その剥き出しの感情に冷水でもかけるかのように、冷たく言った。

「あなたが、手引きを……?あなたが直接殺せばいいじゃないですか」

 イヴィリアはそれを跳ね除けようと躍起になったが、それでもマコトは変わらず即座に答えた。

「それでは意味がない」

 その言葉を聞いて、ようやく彼女は何かを持ちかけようとしているのだと気づいた。私にそうさせようとする意味があるのだと、分かった。

「……私に何をさせようと言うんですか」

 イヴィリアはそれに観念したように言った。しかしそれ自体はイヴィリアにとって有益となる事柄である。もし、父を殺した犯人を殺せるのであれば、勿論そうしてやりたい。

 イヴィリアの言葉を聞き、ようやくマコトは顔を綻ばせた。その時の表情は今でも忘れられない。口を弧に描き、しかし目は決して笑うことのない、そんな邪悪な笑みを、マコトは見せた。

「先ほど、お前は『産ませるのか』を聴いてきたな。その通り、お前には禍石を産んでもらう。それはもう、とびきりのヤツをな」

 禍石。それは聴いたことがイヴィリアにもあった。しかしそれ故に、彼女が何を言っているのかが分からなかった。

 禍石とは、禍人などから抽出されるものである。では、彼女は私を禍人へと転化させるのが目的なのだろうか。

「詳しい内容は避けるよ。だが、お前は仇敵に復讐し、そして最後には確実に死ぬことができる。私のこの手を取ればな」

 訝しむイヴィリアを見てか、マコトは付け加えるように言い、そして手を差し出した。

 その手を取っていいのか、イヴィリアには不安であった。彼女の言っていることは、イヴィリアにとって何のデメリットもない。そして、彼女が言っていることは、おそらく本当に実現することができるだろうとも感じた。だが、そのせいもあり、彼女の言っていることが美味い話すぎるとも思えた。そしてそれが唯一、心に引っかかった。

「憎くはないか」

「……」

 マコトは迷うイヴィリアに放つように言う。

 憎いに決まっている。父を殺したモノも、こんな世界さえもが憎い。イヴィリアの中にある小さくなった憎悪が一挙にして膨大する。

「苦しいのだろう?」

「……苦しいです」

 今度は釣られるように答えた。

「逢いたくはないか、父に」

「逢いたいです」

「許せないだろう。ただ平穏を欲していたのに、訳もわからず奪われ、こんなことにしたモノが」

「許せません」

「一矢報いたいとは思わないか。お前の大切なものを奪った奴らに」

「報いたい」

「なら、この手を取れ。叶えてやろう。お前の思うままを」

 イヴィリアはもう一度、その手を見た。

 自分なんかよりも小さいその手は、何故だか、血が塗られているように見えた。幾重にも、何層にもなったそれは、触れて仕舞えば、途端に呑み込まれてしまいそうな、強い魔力を秘めていた。

 それは今のイヴィリアにとって、何よりも求めていたものだった。

 力だ。あらゆるもの全てを破壊し、蹂躙する、圧倒する力。弱者も強者もなぎ倒し、立ちはだかる壁を容易に飛び越える、そんな力。

 私もその力によって、その最期を迎えるのだろう。しかしそれでも良いと思った。いやむしろ、そうであるべきだと思った。

 迷いは消え、イヴィリアは無意識の内に、その手を取った。


 そして、それから。

 イヴィリアはマコトに連れ出され、ある所へと転々とした。

 向かったのは、ただの家屋。しかし、その空間には禍が充満し、さらに一体死体が置かれていた。

 初めはそれに対し、強い拒否反応を起こした。しかしマコト曰く、彼らもまた件の計画を進める者であることを告げられると、それだけでどうでも良くなった。こんな奴らは死んで当然だとさえ、思った。

 そしてそこで行われたのは、禍を自身の身へ取り込む作業。やはり、禍人にされるのではと思ったが、しかしそれを取り込んでも身体には何の変調をきたす事はなく、至って正常。どこもかしこも、悪くなる兆しもなかった。

 そしてマコトからは毎日、身体を入念に洗うようにも指示された。父が連れていかれてからまともにシャワーなど浴びていなかったイヴィリアは、少しだけ面倒にも思えたが、しかし、死に向かうための禊と言われて仕方なく、それに従った。

 その際には、身体にある変化が起こっているのに気づいた。それは禍を取り込んだ身体が成長していること。身長は高くなり、貧相な身体はみるみる内に女性的になっていった。それは少しだけ怖かった。まるで自分の身体ではないような、妙な気持ちにもなった。

 その日々の中、しばらくして。

 マコトの指示でツルギ・クレミヤへと手紙を書かされることになった。

 他人を巻き込んでしまうことを躊躇ったイヴィリアだが、マコトはその可能性を否定した。その理由は、この手紙を受け取っても彼がここに来ることはない、とのこと。では何故、こんな手紙を出す必要があるのかを問うと、それが件の重要なファクターになるからだと言った。

 それについては理解しがたいが、しかし彼女には考えがあり、そしてその行為には意味があるものなのだろうと思い、手紙を書いた。

 綴ったのは、現在の状況。内容は何でも良いと言っていたので、感情のない、機械的で形式的なものを羅列した。こんなもので良いのだろうか、と少しだけ心配になったイヴィリアは、ただの気まぐれで最後に「助けてください」と書いてみた。

 それはあくまで手紙に信憑性を持たせるのを意図したもので、そのことに深くは考えてはいなかった。今更助けて欲しいなどとは思っていない。

 書いた手紙を封筒に入れ、イヴィリアはマコトに渡すと、それを受け取り、何も言わずに家を出て行った。

 それから、彼女はそれからここに来ることはなかった。

 当然、そのことに強い不安を感じた。もしかしたら騙されただけなのかと思うと、夜は眠れなかった。

 そんな憂いに満ち始めた頃、とある人物が家を訪れた。それは何もない空間から突如として現れ、そして自身へと紙を見せた。それは自身の書いた手紙。彼は、ここに来るはずのない人。ツルギ・クレミヤ。彼はあのマコト・クレミヤの血の繋がった兄。彼は名乗り、そして笑顔を見せて言った。「助けに来たよ」と。

 イヴィリアはその顔を見て、後悔の念よりも先に強い安堵を覚えた。マコトが見せることのなかった不器用な笑みが、当時の父の姿を彷彿とさせた。そうしてようやく、自身が本当に求めていたものが分かった。何よりも欲していたのは、復讐の怨嗟ではなく、安寧だ。優しい笑顔、身を包む温もり。

 どうしても止めきれない涙がまたも溢れ、肌を求めるように、しがみつき、そしてまた散々泣いた。

 思ったよりも冷たかった身体は、それでもイヴィリアの芯を温めた。


 だから、彼に本当の事を言うのが怖かった。マコトと契約したことも、共謀して彼を裏切ってしまったことも。誰かが遠ざかっていってしまうのが嫌だった。それが自業自得であったとしても、耐えられなかった。

 今こうなっているのは自分せいだ。

 ブローディアが言っていたことを思い出す。「助けを求めたなら、それに見合うことをしなさい」と、彼女は言った。彼の、ツルギの行動に見合うこと。それは一体なんだろうか。

 震える手が、小刀の切っ先を揺らす。

 これを突き刺せば、終わる。苦しかったことも、辛かったことも、寂しさからも解放されるのだろう。そして、また父と母に会える。それは自身が求むる最高の未来。

 思えば、ここに来てからは泣いてばかりだ。ほんの一瞬、この手にある物突き刺してしまえば、それは終わる。

 だけど。

 ツルギのことを思い出す。

 彼の話はマコトから聞いていたし、何より彼は様々な意味で高名である。故にマコトのことは勿論、彼のことも以前から知っていた。今から6年前、彼は世間の強い風に当てられた人物。マーセナリシティにいた時も、同級生たちは、先生も、彼のことを話題に出した。忌むべき災厄の禍人、その肉親として。

 それが今ではこうして、調律師として、闘い続ける。世界を守るためか、もしくは他の目的を持つのか。自分には分からない。分かるはずもない。

 彼はどのような人生を送ってきたのだろうか。

 彼はどんなことを思い、どんなことを見てきたのだろうか。

 きっと彼には壮絶な過去があっただろう。それでも彼は生き、そして今、私のことを本気で守ろうとしてくれている。自身の罪を曝け出し、私と本気で向き合おうとしてくれた。

 じゃあ、私は──。

「イヴィリア」

 止まったイヴィリアの手に、マコトはそっと手を重ねた。冷たくて、軽薄な手を思わず見入った。

「どうした、怖いか?」

 彼女は笑い、そして促すようにイヴィリアの顔と手を見る。

「……怖くはありません」

「そうか、なら」

「でも、私は死にたくなくなってしまいました」

 自分でも怖くなるくらい、滑らかな口調でそう言った。だけど、それは本心。生きてみようと、思った。父も母もいないこの世界で、ツルギのいるこの世界で、様々な人たちが生き抜くこの世界を生き、そして知りたいと思った。

 ツルギは「もう遅いんだ」と言った。ならば、せめてワガママになろうと思った。彼の助けたい意思に乗っかってしまおうと、それがきっと彼の行動に見合うものなのだと。自分でも都合良いと感じながら、しかしそう思い立った。

 マコトは怒っているだろうか。そんなことを思い、無言の彼女を横目で見た。

 そこにあるのは、無表情の顔だった。それは怒りによるものではなく、虚を突かれた者の顔。予想だにしない展開に思わず面を作るの忘れた者の顔である。

 マコトはじっと、イヴィリアの顔を見つめた。心底を覗くようなその眼は、それだけで心臓が締め付けられるようだった。

 殺される。そう確信したイヴィリアは手を振りほどき、そして小刀を投げ捨てて、マコトから距離をとった。

「……ごめんなさい、マコトさん。私、生きます」

 飛び退くイヴィリアを見て、マコトはようやく言葉を発する。

「伝播、したのか」

 一人で呟くマコトは、やれやれといった風に息を吐き、そしてイヴィリアを見た。

「本当に、最高だよ。兄様。あなたはやはり、私の敬愛すべき兄だ」

「……?」

 自身を見て言ってはいるが、しかしそれは自分に問いかけられたものではない。それは分かった。

 その表情は今まで見たことのないほどに穏やかな笑みを浮かべていた。彼女は悔しがるわけでも、怒るわけでもなく、潤む瞳で感嘆した。その心情にあるものが、まるで分からなかった。彼女が何を求め、何を弄し、何を想うのか。

「イヴィリア」

「……はい」

 マコトはイヴィリアを呼びつけ、一歩、また一歩と踏み出す。

「生きたいと思うのは一向に構わない。だが、私たちは契約したのだ」

「……」

 あとさずりしようとしたが、身体は言うことをきかず、その場で硬直。近づいてくるマコトから、逃げられない。

「私はお前に義務を履行した。お前にこの命を引き渡した。しかしお前は権利を行使することなく、そして破棄した。口約束なら、それも致し方ないと諦めもつくがしかし、これは違う。はいそうですか、では終わらない」

 話すマコトは笑い、歩く足を止め、イヴィリアの目の前で立ち止まった。そして宣告。

「破棄はできない、お前と私の身体には既に契約の証がある。では、どうするか──無論。お前にも義務は履行してもらう」

 言い終えると同時に、イヴィリアの身に急な息苦しさが襲う。過呼吸のような、思い通りにならない呼吸。声を出しながら、全身で吸って吐くのがやっと。瞬時に冷や汗が滲み、心臓が不規則な挙動を繰り返す。

「今ならまだ、遅くはない。どうせ死ぬのなら、あれを殺してはどうだ?」

「……しません」

 拾い上げたナイフを差し出すマコトの進言を苦しげに、しかしそれを迷わず拒否。例え、今この苦しみから解放されるとしても、絶対に辞めない。生きる努力を。彼の気持ちを無駄になどしたくない。

「……ならば、何をするでもなく、死ね」

 清々しく言ったマコトは、にこやかに笑う。

 怖い、苦しい、辛い。だけど、きっと。彼は。

 歪んでいく視界。その最中、その先。ずっとずっと先。

 そこに彼はいた。

 彼は今も、奔走してくれていた。

 私を守るためだけに。

 彼は闘ってくれている。

 瞳に映るその姿がたまらなく嬉しくて、イヴィリアは幸福のまま、朦朧とした意識はやがて絶たれた。



 ・最後の戦い


 思い返せば、先の戦いから謎があった。

 それはなぜ、彼女はアリストを守るような立ち回りを図ったのか。彼女には本来、彼を守る義理などはないはずである。しかしそうではなく、彼女はアリストを守った。自身の身に危機が迫るその時まで。

 二体の間に、何かしかの関係があるようにも思えたが、それもアリストが忌肉となったことで否定された。

 アリストという災厄の禍人でさえ、彼女の手の内にあったこと。そして彼の命が鍵を握っているのであろうこと。

 そこまでを整理すれば、これが彼女独自の計画がそうさせていたと考えることは容易い。

 そして次にイヴィリアの状況。彼女は父が死んだことを告げられた。それはイヴィリア自身の立場を揺るがすためのもの。殊更に不安を煽ることで救いではなく、滅亡へと道を指し示すやり口だったのであろう。そうして、イヴィリアは手紙を書いた。マコトの指示で書かされたというのも、今更疑う余地もない。

 そうした背景から浮かび上がるのは、イヴィリアとマコトの契約関係。その裏付けはイヴィリアが真相を話せなくなっていることが裏付けた。

 おそらく、マコトはアリストの命をイヴィリアへと差し出す契約をしたのだろう。そしてイヴィリアもまた、その代償を負うことになる。その代償が何なのかは分からない。しかし、そこはどうでも良い。

 ここまでが分かれば、その先で自分がしなくてはならないことは鮮明になる。

 しなくてはならないのは、ただ一つ。イヴィリアを守る方法はただ一つ。

 彼女たちの契約を第三者である自分が壊することだ。

 そのための力は既に持っている。


 その視線の先には倒れ伏すイヴィリアとそれを眺めるマコト、そして無傷の忌肉。

 ツルギは迷わず、速攻。対象は忌肉。

「むっ」

 背後から恐ろしい速度で詰め寄るツルギをマコトはすぐさま察知。そして当然ごとく、マコトは目前迫ったツルギの前に立ち塞がり、ツルギの短刀を小刀によって阻んだ。

「どこを狙っているのだ、兄様。私はこっちだ」

「お前には用はない、どけ」

「……どけぬな。あなたが悟ったというのなら、尚更な」

 ツルギの刃を打ち返し、距離をとったマコトは叫んだ。

「グロリア!」

 叫ぶと同じく、マコトから漆黒の瘴気が微量吹き出す。それは彼女が二身一体により、グロリアの力を取り込んだことによる作用。続けてマコトは刀姫覚醒を紐解く。それにより、マコトの角は黒色へと変化。そして、眼球も、肌色も塗りつぶされていくように黒く染まりゆく。更には臀部より漆黒の尾をも現出。牙、爪は以前よりも鋭く肥大。全身は黒く、そしてその相貌は強い存在感を示す黄眼。

 その姿はまさしく、絵に描いたの如き「竜人」。しかしその特性は竜人というよりも、「禍の化身」である。

 力をふんだんに利用した荒業も、細を駆使した精密な技巧をも再現させる、禍の全てを支配し、操作する特異にして無二の刀姫。その覚醒時には、禍という物質本来の特性を上昇させ、強化する。ブローディアの影拳の猛攻を防げたのも、これが由来。彼女は圧倒的な破壊能力を更に圧倒する防御能力で防ぎきったのだ。

 脅威的かつ超強力。

 まさしく最強の一体と言って差し支えのない性能である。

「「一分だ」」

 グロリアのものと重なった声。マコトは言うとともに人差し指を伸ばした。

「「それがイヴィリアを救うタイムリミット、そこを過ぎればもう手遅れとなろう」」

「充分だ」

 ツルギは短く言って直進。振るう練技は曲線。

 そのスローモーションの世界では、マコトが相手だとしてもやはり遅い。しかしそれでも、彼女には一瞬たりとも隙はなかった。自身の技能を、刀姫の能力を最大限に引き出し、ものともせずに迎え打つ。

 彼女は防戦に徹した。故に一方的ではあるように見えて、追い詰められているのはこちら側である。

 散る火花、相する二つの影は交わることなく、常に一定。押せど引けども一向に変わらぬ戦況。忌肉を中心とした戦乱に、土埃が舞い、金切り音がこだまする。

 じきに十秒。

 ツルギは焦ることもなく、入念に手探る。彼女の見せる隙を、間を。今、彼女を超えることは到底不可能。こちらの刀姫覚醒をも防ぐ、刀姫覚醒をしたのであれば、それは明白な事実。故に糸口は彼女のそれに付け入る他ない。残る閃光弾も、拳銃ももはや不要。小細工や搦め手はこの場において、それはむしろ自身の首をも締めかねない。だからこそ、自身の手でのみ、これを突破する必要がある。

 二十秒が経過。

 雑破になりつつあった技を修正。しかし片時も攻撃の手を休めることはない。ラッキーパンチはないことは知れている。しかしこちらもまた隙を見せることがあれば、一挙にして状況はひっくり返る。彼女自身の手にもその圧が感じられた。マコトもまた、隙を伺っている。

 ならば遊びもまた不要。攻撃あるのみ。

「「なぜ、そこまでする必要がある」」

 脳へ直接問いかけるような、抑揚のない声が不意に語りかけてきた。

 なぜ、ここまでするのか。その問いに明確な答えはない。もし敢えていうのであれば、これはマコトへの懺悔だ。

 この身体はマコトのために張ってやるべきだったもの。その身の力は、マコトのために使うべきだったもの。

 それがしたくても出来ない。だからこうしているのだろうと思った。

 その虚しさからか、次第に肩の力が、腕の力が、抜けていく。芯を蝕む精神がそうさせた。

「「もう限界であろう」」

 そうだ。

 もう身体に余分なエネルギーは残されていない。出涸らしを絞った貧困な活力しか、発露できない。

 身体に積もりに積もった疲労が大挙。倒れてしまいたい欲求にさえ駆られる。

「「身体中が痛かろう」」

 痛いさ。

 限界を超えた筋肉が、骨が。その度に軋み、悲鳴をあげる。

 熱を持った身体は思い出したかのように痛みが増幅。叫びだしたいほどの鈍痛が全身へと行き渡る。

 それでも。

 ツルギは決して止まらない。出涸らしのエネルギーを、軋み続ける肉を、骨を、最大限にまでフル活用。そのスピードは減ることはなく、むしろより増していく。その技は衰えることはなく、より洗練されていく。エネルギーは満ち、力も、精神も、五感も、ツルギの全ては研ぎ澄まされていく。

「「兄様、このままでは死ぬぞ。あなたの身体がもたない」」

「──」

 マコトの言葉はもはや届いていなかった。

 四十秒。

 全身が見えない手に導かれるように動く。やがて視界は途切れ、嗅覚、触覚、聴覚も消え失せ、口に広がる血の味さえも感じなくなった。しかし身体の全てを、骨の髄までを活動。感覚のない世界でつき動くツルギの刃は、それまでを記憶したように正確に打つ。

「「兄様──」」

 ブローディアの限界も近い。それは分かった。その時には二身一体は自然に解除されるだろう。そうなれば終わり。身体は完全に動かなくなる。

 五十秒。

 以前、拮抗。ツルギが止まらないようにマコトもまた動きを止めない。それはまるで悪夢のよう。永遠に続く戦いの螺旋を描くかのように二対は攻防を続ける。しかし、この世に永遠はない。

 人類が衰退したように、世界随一の調律師が転化したように、蝕む過去を乗り越えた時のように。

 やがて終わりを始め、そして新たな世界が明けゆく。

 五十五秒。

 ブローディアの活動が停止。そこでツルギはピタリと動きを止めた。

 意識は既にない。心臓は徐々に鼓動を弱めたが、血流は未だ激しく脈打つ。身体は、まだ動く。脳も、まだ活動を完全に止めてはいない。

 ツルギは短刀を鞘へと納めて構える。何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。その世界で。ツルギは闇雲を切り裂くように、抜刀。忌肉へはおろか、マコトにさえ届かない位置。

 最後に仕掛けるだろうと予期していたマコトは、最大の防壁を辺りに張り巡らした。影拳すらも防ぎきる強固なる禍の防壁。

 空を切る短刀。その軌跡では目に見えないあるものを切り裂いた。

「「!?」」

 目には見えない斬撃。それはマコトを、防壁をも切ることなく、背後にある忌肉を薄く切り裂いた。鮮血が舞い、型枠に押しとどめられていた肉はその切り口からだらしなく、溢れる。それとともにアリストの忌肉は死亡。

 そして、一分が経過した。


「「兄様……」」

 ついに勝利を確信したマコトは、最後に起きた出来事を瞠目した。切らせた息を整えることを忘れて、思わず息を飲む。額から滲む汗。それは今まで感じたことのない、悪寒によるもの。

「マコト」

 動揺するマコトに声をかけたのは、落ち着きのある声。先ほどまで活動を止めていた、マコトの持つ最後の刀姫、イルミナだった。

「「イルミナ……?見ていたのか」」

「しかと、目に焼き付けた」

「「兄様は、成ったのか」」

 珍しく急いた様子のマコトに、イルミナはふと笑った。

「ただの一瞬だけ。だが確実に」

 その言葉はにわかには信じがたかった。しかしそこでようやく我に返り、グロリアの刀姫覚醒を解除。そしてグロリアとの二身一体も解く。身体にあるのは、心地よい程度の疲労感。しかし、心臓の音は並外れており、その鼓動をつぶさに感じるほどに大きくなっていた。

 そして既に活動を止め、倒れ伏したツルギを見る。

「兄様は特異点へ覚醒したのか」

「……ああ」

「…………そうか」

 困った様子でイルミナが言うと、呆然としたまま額の汗を掌で拭い去り、そして深く息をついた。今の今まで生きた心地がしなかったマコトはそれを聞いて、ようやく心拍は減少。落ち着きを取り戻していく。

「二回も運命を超えただけでなく、まさか覚醒までするとは思わなかった。さすがの私もこれは鳥肌ものだ」

「同感だ。私は死んだのかとさえ思った」

 乾いた笑いを零しながら、そこで暮れていく夕焼けに気づいた。先ほどまで登っていた太陽は、いつの間にか落ちようとしていた。ものの数分であったはずの攻防。しかし、それがツルギの覚醒による作用であることは簡単に想像できた。

「時間も急速に変化したか?」

「そのようだ。じきに救護隊がここに着く」

「そうか」

 そこには驚かず、もう一度マコトは息をつく。疲れた様子だが、しかしどこか満足げに笑う。

「本当に強くなった。お前の兄は」

 感慨深そうに言うイルミナに、マコトはこれまでを思い出しながら、頷いた。

「ああ、今回は私たちの負けだ」

 背筋をぐっと伸ばし、力を込めて発散。全身の気を抜き、四肢に異常がないことを確かめる。

「グロリアも疲れたろう。ゆっくりと休め」

「お気遣い、痛み入ります」

 グロリアは厳かに言い、そして続けて言った。

「イルミナお姉様には、あとでご報告したいことがございます。ですので、お疲れのところ申し訳ございませんが後ほどお付き合いください」

「?」

「ええ~!なんでなんでなんで!今なんだか気持ちよく終わるところだったじゃん!忘れてるところじゃん!」

 何のことか分からないイルミナだったが、その後、アトラが叫びをあげるのをみて、何事かを察した。

「そうだな、では後ほど聴こうか。今はここから離れることが先決だ」

「……彼らは、如何いたしますか?」

「放っておいていい。じきに駆けつける者たちが手当てする」

 グロリアは倒れる二人を指して言うと、それに答えたのはイルミナであった。その答えにグロリアはなおも問いを重ねた。

「イヴィリアを見逃す、ということですか」

 その問いはイヴィリアも生かしておくのか、という趣旨である。ツルギは別として、彼女を生かしておく意味は本来ならばない。

「すでに本来の目的は達成した。殺す理由がない。異論があるか」

 それについてはマコトが答えた。圧殺させるかのような重い心境の乗った言葉に、グロリアは即座に答えた。

「有りません。あなたの選択であるのなら」

「うん。では行こうか」

 マコトは去る間際に、もう一度ツルギを見た。身動き一つ取らないその姿に、少しだけ名残惜しいような感情を秘めつつ、淡く笑いかけ、声に出さずに口を動かす。誰にも気取られぬよう、静かに。



 ・庭の終焉


 マコトがフライタッグを後にしたそのすぐに、報せを受けた救護隊がフライタッグへと到着した。そこで彼らが目にしたのは、この世の終わりかのような惨状であった。

 街に飛び散る無数の遺体、街の各所に集積された数々の遺体、地下施設には夥しい数の忌肉たち。中心地には大型の禍人の死体も転がっており、そしてそこより東側では、瀕死のツルギ・クレミヤと少女を発見。彼らについてはすぐさま、救護隊の延命措置が執り行われ、そのまま彼らの身は近隣の街へと移送された。

 その当初はその他にも生存者がいるものと思われ、捜索を続けたがその期待は大きく裏切られた。

 フライタッグの街での生存者は2名のみ。その他は既に死んでいるか、転化によって人としての形はなかった。外に逃れた者もその記録はなく、所属員全員の死亡確認を取れたことから、全滅したものと推察された。

 また件の計画の実行者たる三体の異形たちの姿も、そこにはなかった。

 籠絡の刀姫サキュリスは四散し、死亡。

 進化を求める災厄の禍人アリストは、忌肉へと転化、その後に切り傷の損傷により死亡。

 唯一生き残ったと思われる混沌を求める災厄の禍人マコトは逃亡。その行方は分からなくなっている。


 その後日、意識を取り戻し回復したイヴィリアへの事情聴取と調査から、そこで行われたことの全容が見えてきた。

 それによれば、この街で行われていたのは刀姫開発ではなく、アリストを発起とする禍人の「進化計画」であるとのことだった。

 考えてみれば、交流を断つその街は禍人を作り上げるための生贄も、作り上げたモノたちを秘密裏に隠しておける施設は万全にあることから、これをするには十分たる街であった。また、人々の精神を操作するサキュリスも居たこともあり、その計画には信憑性があまり余って付与された。

 この供述を元に、事実の展開はなされ、件の概要とその顛末は固められた。その後、このことが発表されると世は大きく激震。それはこの事件の凄惨性を物語るものだが、しかしそれよりも、マコトは未だどこかで生きていることがより大きな反響を呼んだ。

 これを阻止した調律師、ツルギ・クレミヤの容体は一先ずは安定。しかし、度重なる疲労からか目を覚ます気配はなく、一ヶ月が経つ。ツルギの保有する刀姫ブローディアもその鳴りを潜め、続報はないまま、フライタッグの事件は終結。いつの間にやら、世間の関心は次の事件へと向けられていった。



 第1話『異形たちの庭』 完

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