第1話『異形たちの庭』-その8

 ・世界背景 その4


 世界には目には見えない様々な因子が散らばっている。生命の意思と行動、物の定め、世の理が因子を型取り、その数多の因子の結合によって未来は生みだされる。形成された未来は天命や運命となって、確定された事象として現実となる。

 普通ならばそれを知覚することは不可能であるが、しかしそれを完全に知覚し、「未来を見通す力」として形を成させた生物がそれぞれの時代には一定数いる。それはあるいは虫に、あるいは動物に、そしてあるいは人にも。その果てに刀姫がこの力を身につけた。

 この「未来を見通す力」とはつまり、目に見えない因子を見ることができる能力であり、もちろんこの「未来を見る」という行動自体も因子となる。その非常に強力な因子による影響は計り知れず、それそのものが他の因子を押しのけて、未来を形作るものとなり得る。すなわち、未来を見るという行為は確定した予測未来となり、そしてそれは己が望む結果を生み出せることにもなる。

 世に名高い天シリーズの一体天眼はこれを行うことが出来る唯一の刀姫であった。しかし天眼の能力はそれだけではなく、むしろその能力の真髄は「世界を見通す力」にある。これは言わば、「現在」を見る能力であり、世界中のあらゆる物事の全てを観測することができる能力。天穹があらゆる距離から対象を捕捉し、干渉できるのもこれが起因する。さらにこれすらも因子となり得るとすれば、この能力がどういった類の力であるかは子どもでも分かる帰結が生まれる。天眼は「現在」と「未来」の全てを意のままに操ることが出来るのだ。

 これに対抗できるのは、同等に「未来を見通す力」のみ。より強く作用する因子が未来の形を作り出し、運命を勝ち取るほかない。しかし、本来であればそうだろうが、その力を持たずして、その力に抗う術を持つ者がいた。

 それがツルギ・クレミヤである。彼は「天眼」が定めた未来から逸脱できる存在として、正当なる力を持った者である。彼の「前に進む意思」はあらゆる運命や天命を超え、「天眼」の予測未来すらをも超える。その力をどのようにして得たのかは不明だったが、しかし確かにツルギは「天眼」に抗する力を持ち、ミコノはそれを見定め、フリードリヒもまたその力を察知した。

 どういう因果か、調律師となった兄のツルギは災厄の禍人となった妹のマコトへの解答となる存在であったのだ。まるで見えない手に導かれるように、血を分け、互いを想い合った兄妹は戦いの火蓋を切らせ、そして今もまたその幕は開かれようとしていた。



 ・もう一つの『異形たちの庭』


 ツルギはとある手紙、そしてその後に続く依頼を受け、フライタッグへの潜入を開始した。

 フライタッグの街は刀姫の存在を信仰する信者たちの街として、それなりに栄えていたはずだったが、その街には人影は少なく、ほとんどゴーストタウンのような状態だった。フライタッグは今現在は禁止されている刀姫開発の疑いをかけられており、そしてその影に潜むのは三人の敵性者たち。ツルギへの依頼は刀姫開発の潜入調査とこの三体のモノたちの撃退である。調査には開発の阻止が含まれてはいなかったが、それはおそらく、それは刀姫開発後の摘発によって刀姫もついでに頂いてしまおうという魂胆なのだろう。欲に塗れた領主からの依頼だが、それはともかく、中々に骨の折れる依頼であることは間違いない。何せこの件には「マコト」が関わっている。


 潜入開始から一日目。昼頃に辿り着いたフライタッグへと潜入したツルギは運良く、道行くローブを纏う人の姿を発見した。明らかに怪しい姿、そして危なげな足どりを見て、ツルギは迷うことなく追跡を始めた。ローブの男が入っていったのは、寂れた家屋、そしてその先にある地下の小部屋。そこにいたのは椅子に縛り付けられた女性と側に立つ男。傍に立つ男もまたつけた者と同じローブを纏っていた。このローブを着た者たちはこのおそらくはこの街に住む信者であろうとは分かった。では、この女性は?

 ツルギがその場を潜影を保ったまま静観すると、二人は女性の首に注射針を押し当てて何かを注入した。女性は暴れてそれに抗すると注射針は折れ、完遂は免れたようである。しかし、既に身体の内に入った液体は女性の身体を瞬時に蝕んだ。ほどなくして動かなくなった女性をそのままに男たちはその場から早々に立ち去っていった。その際には、別の手の者によって女性の身は回収されると、話をしていた。そちらも気になる所ではあったが、ツルギは去っていった二人を追うことにした。

 二人が次に向かったのは、他の建物と比べると割と新しめである聖堂。彼らと同じローブを着た者たち二十八名が一堂に会するそこで、計画の情報共有が行われた。

 彼らを見て、ツルギは情報よりも規模は小さいと感じた。フライタッグの人口は街の大きさに反して1万に満たない。街とされる場においては、その数は少ないがしかし、それが組織として一体化した時、規模は大きいと判断される。しかし彼らの計画はそうではない。この街に住まう人々の中でも、ごく少数の人々が形成している。

 では残りの者たちはどうしているのか。その答えは彼らの会話の中にあった。どうやら先ほどまでのことはこの街の各所で行われているらしく、今日で既に10人を行ったとこのことだった。

 彼らは計画のための材料とされているのだと、その時に初めて理解した。つまり彼らは、この街の状況を体良く利用しているのだ。外からの手が届きにくく、露呈もしにくい。人口密度の低さから人目にもつきにくい。

 苦虫を噛み潰し、やり切れなさをツルギが感じていると、集まった内の一人がこの計画について、疑問を呈した。すると、その意見を否定したのは、数人の者。彼らはここにいる信者たちの間でも上位の者たちであることは、会話から察せられた。しばらく間は議論という形で話し合いが為されていたが、しかしその内、疑問を口にした者は力ずくで取り押さえられ、数人に囲まれて奥へと連れていかれた。その後彼がどうなるのかは想像はできるが、それに構っている余裕はこちらにもない。ツルギは黙してその後を見守る。

 その後は先ほど議論を展開していた数人を残して、解散となった。聖堂から出て行く者たちを尻目にそのまま様子を観察し続けると、残った者たちはそこで何をするでもなく静止。時間が止まったかのように彼は呼吸だけをしてそこに止まった。明らかに異様な光景。これに対し、ツルギの脳にある事実が浮かび上がった。

 それは彼らは洗脳され、操り人形になっている、ということ。それをするための力は、この街に潜伏する刀姫サキュリスが持っている。彼女は「籠絡」の二つ名を持ち、そしてそれに見合った「洗脳能力」を持つ。事前に仕入れた情報から、その洗脳が完全なる心身の支配を持つことを鑑みるとこの状況にも合点がいく。ここから、刀姫サキュリスが刀姫開発の首謀者であることも察することが出来る。

 サキュリスがこの場に現れる可能性もあったので、それを待ったが、そこから進展はなく、しばらくの間静止した者たちは何事もなかったようにその場を後にした。


 潜入調査から二日目。あの後、縛り付けられたままの女性の元へと戻ってみると、彼女はそのままの状態で息を引き取っていた。別働隊が彼女を引き取るという段取りがあったはずなのに、だ。女性にそれ以上の外傷はなく、部屋にも特に変わった様子もない。死んだのはおそらく、注入された液体の作用であろうが、その行為が何を意味するのかは分からなかった。しかしブローディアによれば、この部屋の臭いが変わっているとのことだった。そこに残っていたのは香りの良いシャンプーの匂いだと言う。ともすれば、ここに何者かが現れたことは間違いない。

 この事実から、ツルギは次の行動を模索した。そこでまず開発施設を漁る線は一番初めに捨てた。その理由は簡単で、あまりにその数が膨大だったからである。この街は刀姫計画の一大拠点であったことから、研究施設は大小含めて百以上にも及ぶ。その一つ一つを巡るのは、現実的でない。ここに集められた学者の数からするに開発規模は二十名ほどであることは判明しているが、それだけを考慮して調べあげるのにも無理があると感じた。

 そこで考えたのが、信者の一人を捕獲し、尋問にかけて調べあげることである。昨日のことを考えると、この計画そのものに抵抗を感じている者もいるようなので、彼らの神経を撫でてやればすぐにでも話し始めるだろう。もしそうでなくても最悪の場合、幻術をかけて無理やり吐かせることもできる。

 かくしてツルギはこれを実行。捕らえたのは先日、地下で注射器を打っていた男。彼曰く、刀姫開発は進んでいるとのこと。そしてそれが刀姫サキュリスの指示であること、またその際には上長たちの様子がおかしいとも話した。しかし、彼の情報ではその中心地までは分からなかった。

 これまでのことを鑑みると彼の言う上長たちはサキュリスの「洗脳能力」を施されていることは間違いなかった。しかし、それ自体は既に分かっていることである。

 ツルギは自身の痕跡を残さないよう、男を躊躇いもなく殺害。その後に思案し、これについて、ある強行策を思いついた。それは敢えて、洗脳下にある信者を幻術によって捉えること。幻術による作用と洗脳による作用は同時には両立し得ず、ぶつかり合い、強い反応を及ぼすだろう、というのがツルギの見立てである。そしてそれは術者であるサキュリスにも伝わるはずである。

 ツルギ自身の幻術と彼女の洗脳により、その者の脳は完全に壊れるだろうが、その犠牲も覚悟の上である。

 ツルギは明日も行われるであろう集会に合わせて、これの作戦を立てた。


 潜入調査から三日目。ツルギは前日のことを思い返しつつ、目の前の者たちへと立ち返った。一日目に居た集団はその中から二人が減っていた。フード被っているため、詳細は分からないが、一人は昨日自分が殺した男でもう一人は計画に異を唱えた者だろう。

 しかし、彼らはあくまで淡々としていた。それは洗脳の効果でもあり、同時にそれぞれが抱える恐怖心からくる緊張によるものの顕著であろう。

 ツルギは前と同じく、解散後に残る者たちを待った。しかしどういうわけか、今日は解散後、その場に残る者は居なかった。これはおそらく、彼らが把握していない事態が発生したが故の行動である。ツルギの殺害がこれを引き起こしたのは言うまでもない。仕方なく、ツルギは洗脳されていると思われる一人に的を絞り、その行方を追った。

 その者が赴いたのはとある施設だった。街の詳細が載っている地図を確認するとそこはサーキースという企業の禍石の研究施設であった。正直、それは予想外の行動ではあった。洗脳されている者がそこに行くその理由は明確に絞られ、そしてその行動の所以は、そこに重要な何かがあることに相違ない。

 この状況は出来過ぎであった。この結果をマコトが予知できていないわけがない。わざわざ計画の内部を嗅ぎつけさせるわけがない。ならば、この状況は罠として考えていい。建物の奥へと消えていくのを前にして、ツルギは再び思案。しかし、それでも進むしかないと判断したツルギはその足取りを追うことにした。

 研究所の地下一階。そこで待ち構えていたのは、刀姫サキュリスだった。彼女はマコトの話により、既にツルギの存在を認知。信者がここへ訪れたのは自身をおびき寄せるためであることを示唆した。他の信者たちも続々と集まっているのを見ると、誰を選んでいても同じ結果となるよう仕組まれていたことも分かった。その際にツルギが刀姫開発のことを訊くと、躊躇いもなくそれを肯定する。それは余裕からくるものであることは言うまでもない。

 ツルギはサキュリスと対峙。そして異形たちの庭での第一幕が開戦した。

 サキュリスの能力、特性を熟知していたツルギの完璧な立ち回りにより、対サキュリス戦には危なげなく勝利。ブローディアの交渉もあり、サキュリスとの和解も成功したかに見えた。しかし。降り注ぐ閃光とともにサキュリスは爆散。悲鳴をあげる間も無く、死亡。その最期は実にあっけないものだった。彼女の死を悲しむブローディアのケアを考えていたツルギだったが、その後に連れてこられた信徒たちの異変に気づいた。戦いの間、上の階に避難していたこの者たちは呻き声を上げ出し、頭を抱え、そして直に彼らは身から発現した禍によってその全てが禍人へと転化した。

 ツルギは即座にそれに対応。一つ残らず、駆除したそれらは、どういうわけか抵抗の様子は見受けられなかった。それらは全員が停止し、その場から少しも動こうとしなかった。

 それを見て想起させられたのは、集会の日に静止した彼らの姿。それ自体はサキュリスの能力によるものと判明していたが、サキュリスの洗脳のような持続する刀姫の能力は、そのものが死ねば、自動的に解除されるはずである。それは能力の特性であり、そこに変更は加えられない。

 そうであれば、おそらくそのようになったのは彼らが二重に仕込みを施されていたからと考えられる。サキュリスの死とともに突如として、転化したのも、このためだろうと推察できる。敵性者の一つであるアリスト・モーガンは保存の力を有する。アリストがその力を使い、彼らの身に転化させるための禍を保存させていたと考えればこの結果も納得できる。

 しかしなぜ、それがサキュリスの死と同時に解除される仕組みになっていたのかは分からない。刀姫開発の計画があるのなら、人手は必要であるはずだった。またそれに加えて、転化した禍人たちが静止したのも気がかりである。災厄の禍人には禍人の行動を操作する力がありそれもまたアリストが組み込んだことは想像できたが、そうすることの意図が見えない。

 敵性者の一つを倒すことはできたものの、その奇怪な様はツルギの心中に嫌な予感を想起させた。


 潜入調査から四日目。昨日から今日まで調べてみると様々なことが判明した。

 まず、連れてこられたはずの研究員と科学者たちのこと。彼らを集めたのには理由があるはずだが、調べた結果、どうやら彼らを集めたことに理由はないようだった。昨日訪れた研究施設の更に深層にあった大量の忌肉と、残されていた資料により、それが判明した。そして禍石の研究所の各所にこれがあることも同じく判明。

 刀姫開発には知識人の存在や人の手が不可欠であるにも関わらず、この行為に及んだのは不可解だったが、しかし一方でツルギの思考にあることが閃いた。

 それは彼らの目的は刀姫開発ではなかった、ということ。刀姫開発という外観が作られてはいるが、しかしその内情を探ってみれば、そのイメージが一切湧かず、それを知るたびに生まれる違和感はそう結論付けるのに相応しかった。

 人手や知識を削ぎ、そこに残ったのは膨大な街の施設と大量の禍、変えられた禍人のみ。ではそこで行われるのは何か。

 その答えを導き出すのは難しいことではないが、人の思慮で考えるにはあまりに適さない結果がそこにはあった。

 しかし次に判明した事実から、その線はより濃厚になった。それはこの街に人々が居なくなったこと。

 手当たり次第に家を散策したが、その殆どの建物に人の姿はなく、完全にもぬけの殻。その要所では死体の数々が一箇所に集積されていた。

 ゴーストタウンと化した街。理解し難い物事の数々。依然として災厄の禍人たちの姿は捉えられず、次の動きも見えない。途方に暮れたツルギだったが、その夜に事は急激に動き出す。

 そして、物語は最悪の時を迎える。


 潜入調査から四日目も終わろうとしていたその深夜に事は起こった。

 空気が一新させるかのような超弩級の叫び声。一つの叫びが起こると、それは犬の遠吠えのように街中の各所でこだまする。センタナルの施設で休息を取っていたツルギは、それに飛び起きた。

 外に出て、高台へと昇ると街の四方には大型の禍人が四体。人型のものから四足型までのモノ。

 これだけの禍人が突如として現れた理由は、ツルギにもすぐに分かった。

 禍の気配を外部へと露出させないための重厚な専用施設の数々は彼らの存在を秘匿させるには、都合が良かった。つまり、これらは初めからいたのだ。この街のどこかに。そして、その登場はツルギの予想は正しかった証明でもある。

 それぞれの禍人は互いの存在を誇示するかのように吠え、そして互いを喰い合うように絡み合い、殺しあう。普通ならば有り得ない状況だった。禍人は破壊本能でのみ行動をする生物だが、お互いを攻撃し合うことはしない。それは本能以前から決められている遺伝子の決定によるものである。ならば、何が彼らを突き動かすのか。答えは明確である。彼らは災厄の禍人によって操られ、そして戦っているのだ。

 立ち竦みその光景を見つめていたツルギへと目掛けて突進してくるモノに気づいた。それは敵性者の一つ。アリスト・モーガンである。

 それを巧みに避け、対峙するツルギとアリスト。すでにこの計画の如何を察していたツルギはアリストへとそれを問いかけた。

 フライタッグで行われていたのは、刀姫開発ではなかった。真の目的は人々を効率よく禍人へと転化させ、そして禍人同士を食い合わせる「蠱毒」によって禍人を進化させること。外部からの接触を断ち、そして禍の瘴気や気配をシャットアウトできる施設が無数にあるフライタッグという街の特性を鑑みれば、それを秘密裏に行うのにこれほど適した場はない。

 そのため、サキュリスの洗脳能力を利用し、禍と禍人を同時に供給。そこから災厄の禍人特有の能力である「禍人の操作能力」によって、禍人の食い合わせを実行させる。完璧な作戦である。

 そして進化を欲するアリストは兎も角、サキュリスがこれに同意したのは、彼女が人を憎む刀姫であったからなのだろう。強い禍人を作り上げられれば、その脅威はこの街だけに留まらない。

 しかし、この作戦完遂させるためには本来相容れない、刀姫と災厄の禍人の二つをまとめ挙げられる存在が必要になる。利害関係が一致したとしても、それらが手を組むとは到底思えない。

 それを担ったのがマコト・クレミヤなのだろう。災厄の禍人の中でも上位の力を有し、刀姫の中でも最上位の力を有する刀姫を三体も所持する彼女にしか出来ない、まさにうってつけの配役である。

 ツルギの問いに対する答えは、彼の笑みによって解答された。

 遅かったのだ、何もかも。

 真横で禍人たちの激しい唸りが捲き上る中、対峙する両者。そして異形たちの庭の第二幕が上がった。

 アリストの能力の保存は凄まじい汎用性を持つ能力だった。彼の発する撃は保存され空間へと留まる。つまり、「攻撃を置いておく」ことができるため、その戦闘には彼の動きの一つ一つを見極め、記憶することが必須。また近くで争う禍人のことも頭に入れなければならない。劣勢に次ぐ劣勢。しかし、ツルギは幻術と閃光玉による合わせ技で辛勝。調律師としての大きな成長を感じながら、膝をついて仰向くアリストを見下ろした。

 この災厄の禍人は、現在自身が所属する組織のトップであるフリードリヒ公と所縁のあるモノであった。もちろん、だからといって見逃すという選択肢があるわけではなかったが、それでもかけてやる情くらいはある。最後の言葉を聞いてやろうとしたツルギが声をかけると、アリストへ目掛けて何かが降り立った。

 金色の髪に大きく切れ長の目。美形の顔に背丈はやや長身の女性。彼女をツルギは知っていた。彼女はイヴィリア・ミドラージュ。ツルギに手紙を宛てた者で、ツルギをこの地へと赴かせた者の一人である。資料に彼女の写真が載っていたので、それが彼女であることはすぐに分かった。

 彼女は怒りに満ちた声で、手に持っていた包丁をアリストへと振り下ろし、その心臓へと力強く突き立てた。

 アリストは抵抗もなく、死亡。アリストの身は血とは思えないほどの赤黒い流血に伴い、干からびた。

 件の幕は依頼者でもある彼女の手によって閉じられた。急な展開、唐突な幕切れに唖然としたツルギだったが、すぐに我に帰ってその背中に呼びかけると、それに応じてイヴィリアはこちらへと視線を向け、涙を流しながら一言「ごめんなさい」と言った。

 言うのとほぼ同時に彼女の身体は腹を中心に大きく膨れ上がった。それは憎悪によって生まれ、憎悪によって膨れ上がった感情の形。体内に内在する禍が、何らかの理由で放出されずにいることで発生する現象である。倍以上にも膨張する身体は程なくして、その形を維持できずに破裂。高鳴る炸裂音、イヴィリアの悲鳴。血肉と禍を辺りへと飛散させ、イヴィリアは絶命。バラバラになったその身体の肉片からは一体のモノが現れた。

 イヴィリアの身体から生まれ出でたのは小さな禍人だった。それは小さく蠢き、しかしやがて動かなくなった。


「ふむ、まあこんなものだろうか」

 ショックを受け、立ち尽くしたツルギの目の前に、軽い足取りでそれは現れた。

「……お前」

「久しぶりだな、兄様。随分とやつれているが、何かあったか?」

 それは今回の首謀者であるマコト・クレミヤ。彼女はツルギの脇を悠々と抜け、先ほどまで動いていた小さな禍人を拾い上げた。拾い上げたそれをマコトは軽く握りつぶし、擦り上げ、中から取り出したのはその禍人の核である禍石。それは禍人の身体に比して小さく、しかし水晶のように光り輝いていた。

「うん、思った通りの見事な出来だ。どうだ、グロリア。私の言った通りだろう」

「……そうですね、感服したします」

 歪んだ空間から突如として現れ、そう言ったのは天忌刀姫グロリア。異様に長い黒髪から覗く目が、それを繁々と眺めた。

「マコト」

「なんだ、兄様」

「お前、何をして……」

「刀姫を生み出すには、まず純粋な禍人が必要だろう。そのためにこれを利用させてもらった」

 彼女が話したのは結果の話。それを聞いて何もかもが彼女の思いのままであることを悟った。

 彼女の思惑には「禍人の進化」など毛頭ない。

 マコトの目的は「完璧な禍石を作ること」だった。それは状況を作り上げ、形を成した上でそれを利用するといった趣向のもの。サキュリスやアリストはおろか、誰もそれを予見することは出来ないであろう。それこそが彼女の狙いなのだ。

「刀姫を作るための禍石は、ただ強い禍人から採ればいいわけではないのだ、兄様。より強く、直向きに、純粋なるものではなくてはならない。つまりは、これのようにな」

「マコト!」

 耐えられなかった。それを聞くことにも、この結果へ辿ってしまったことも。

 ツルギは有無を言わずに二身一体を発動。ただし、それだけではない。これを相手取るならば、これだけでは足りないのだ。

 ツルギは続けて『刀姫覚醒』。これは刀姫の能力を飛躍的に増長させ、肥大化するもの。その扱いは難しく、状況に左右させられる上、細かな操作や意識が覚束ないなどのデメリットも生じる。二身一体をしながらこれを行うということは、自身の精神すらもこれに蝕まれることに他ならない。しかし、だからこそできる。刀姫の心身にこれを任せるには荷が重すぎるが、調律師と刀姫の二身に二分すれば、これを制することができる。

 とはいえ、現在の状況からすれば、ツルギの精神をもってしてもこれを使いこなすのは至難を極める。しかし、今のツルギにはこれに頼るしかない。これを見せられてなお、彼女を生かしておく選択肢は無い。

 ツルギの意識は闇へ、そしてその意識は激しく増殖した闇によって呑み込まれた。全身は漆黒の粒子に包まれ、やがてその形を成す。

 それは既存の腕を含め、六本の腕を持つ黒き化身の姿をした。身体はツルギのふた回りほども大きくなり、その顔に映るのは怒り形相。かつて、これを見たフリードリヒはそれを仏法を守る神「明王」と称した。

 ツルギは昂ぶる力と感情を吐き出すように咆哮。それはブローディアとツルギの声が重なった轟音。大気が震えさせ、辺りの騒音ごと劈いたそれをマコトは正面から見据える。

「……いいだろう、相手をしてやる」

 マコトは真っ向からそれに受け立ち、異形たちの庭の第三戦目が幕明けた。


 マコト・クレミヤは最強の調律師だと言われた。それは最強の一角とされる刀姫を従えているからだけではなく、むしろ彼女自身のスペックがそう言わしめている原因である。

 精神、思考能力、思考応用能力、反射神経、瞬発力、持久力など脳から筋力に至るまでの全てが並大抵ではなく、またそれに加えて戦闘センスやカリスマ性、鋭敏な五感、シックスセンスなど努力ではどうにもならない力も多数揃えている。彼女のように生まれながらにしてあらゆる能力が、明らかに他とはかけ離れた者を『超常人類』と称されるが、その中でも特出した彼女は紛うことなく、時代を代表する最強の人類と言える。災厄の禍人となってからその能力は一段階上昇されたものと言われるが、それが果たして本当であるかは定かではない。それは一段階で済むかが怪しい、という意味である。

 そう言われるのは、誰も彼女が本気で戦うところを見たことがないからである。全てを尽くして、何かを全うすることはなく、いつも自身の能力で全てが事足りてしまう。足りない部分は有り余る他の能力でカバーできてしまうし、そもそも調律師となり強力な刀姫を従えた時点で彼女の戦闘面に穴は一つたりともない。

 しかしあえて、彼女の欠点を言うのであれば、それは天眼刀姫の力を有していることだろう。世界の全てをその目にし、未来の全てを直視する彼女はその能力に頼りすぎるきらいがある。それ自体は彼女の完璧な能力をより完璧に再現するための能力であり、普通ならば、これが穴とはなり得ない。

 しかし、ツルギにはそれを抗う力を持っている。ツルギもそれを認知していた。自分にだけ出来ることがあり、自分にしか出来ないことがある。

 しかしただ一つ、ツルギには見えていないものがある。それは自身を突き動かす者、その力を点火させるファクターの存在である。今は既に死に絶えた彼女こそがそれであったことに気づいてはいなかった。

「「マコトおおおおおおおおおおおお!!!」」

 叫ぶツルギは猛攻。六本の腕から発せられる拳撃はマコトから反撃の目を刈り取り、着実に彼女を追い詰める。

「グロリア」

 マコトの呟きを得て、グロリアは周囲の禍を集め、全面へと展開。禍は壁となり、視界と攻撃を遮る。

「「遅い!」」

 しかし今のツルギにとってそんなものは、なんの障壁にもならない。今この場はツルギの独壇場である。

 ツルギは辺りの影を操作。自在に伸びる影を利用し、潜影。瞬時の間に壁の向こうのマコトへと詰め寄る。

「アトラ」

 しかし詰めた先で待ち構えるはアトラの弓。マコトの真横には幾重にも並ぶ矢がツルギを待ち構えていた。

「放て」

 放たれる数十もの矢。ツルギはそれに対し、「後影」を展開。もはやそれを「影」と称しても良いのか分からない物体がツルギの真下から伸び、そして周囲を、そしてマコトまでを飲み込んだ。目前に迫る矢、それを後影から発現する拳が恐ろしい速度で一つも残さず迎撃。

「「終わりだ、マコト!」」

 ツルギの足は止まらず、前へ。滅するべきそこへと的を絞る。漲る闘志と強い意志が彼女を完全に捉えた。

 ツルギはその時、勝利を確信した。

 しかし。

「殺すのか?私を」

 迫る強撃を前に、抵抗ではなく、マコトは声を発した。それはただの一言だった。しかしそれはマコトの言葉。ツルギの脳裏に焼き付いたかつての映像が強制的に蘇った。

「「あ───」」

 強烈なトラウマに抗う術はなく、ツルギの手は、マコトへと触れることさえ叶わずに目の前で急停止。脳に充満する過去の記憶が、それをすることを拒否させてしまった。

 何もかも忘れて戦えると思っていた。その覚悟はしていたはずだった。当然自分が歩んだ道の先でマコトを殺すことは分かっていたし、それが自身の役目だと熟知していた。

 しかし。

 どうしても届かない一歩。どうしようもなく、ツルギは自分の拳を見つめた。震えた手に力はなく、空虚さを纏った粒子は少しずつ溢れていく。

「弱いな。いつまで経っても変わらない弱いままだ。やはりあなたには不可能だったか」

 眼前にある拳になど目もくれず、マコトはツルギの顔を見て言った。

「どれほどの力を得ても、どれだけの後ろ盾を得ようとも、あなたは永劫そのままなのだろう。自分一人では完成できない、未完の大器」

 こうなるのも予測済みだったのか、マコトは目の前にある手を自身から逸らしてみせた。

「俺は……勝てないのか、お前には」

 ここに来て、ここまで来て、彼女のそれを越えることが出来なかった。いや、初めから全て、彼女の思い通りだったのだ。

「勝てるわけがなかろう」

 呆れたようにマコトは言った。その目にあるのは失望の色。つまらない命を眺めるかのような、冷たく尖った視線。

 刀姫覚醒の効力が失せていくのを感じ、ツルギは立ち止まる。

 暗くなっていく視界。激しい体力消耗ゆえの症状。ツルギの消沈に伴い、ブローディアも既に停止していた。

「そう、か…………」

「さようなら、兄様。もう二度と会うことはないだろう」

「……マコト」

 その名前を呼んでみた。しかし、それに答えるものはなく、やがてその気配も消え去った。

 途絶えた意識とともにツルギは倒れ、そしてフライタッグの街での戦いは幕を閉じた。



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