第1話『異形たちの庭』-その9
・イヴィリアの過去 その4
目が覚めてから、ボヤけた頭がその輪郭を成すまでに一時間ほど要した。私は何をしていたのだろうか。今何をしているのだろうか。頭にあるのは砂嵐の映像だけ。そこで何を思い、何があったのか。ここに至るまでの前後の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
もしかしたら、今までのことは全て夢だったのか。そんなことを思い、身体をベッドから起こして、周りを見渡す。ここが自分の家であることもそこでようやく気づいた。
もしかしたら、父が帰ってきたのだろうか。父がいつのまにか椅子で寝てしまっていた自分をベッドへ寝かしつけたのでは、とイヴィリアは思った。淡い期待を錯覚したイヴィリアは急いで部屋から出て、居間へと向かった。
「目が覚めたか」
そう言ったのは、居間の中央にある椅子に座っていた女の子。フードでその顔は良く見えなかったが、歳は自分とそう変わらないくらいであるとは分かった。
彼女は机の上で何かを眺めていた。それはイヴィリアのアルバム。ミドラージュ家の写真をファイリングしたものだった。
「あなたは……?」
父と私だけの家。そこに誰かが居るはずはなかった。いや、彼女は私を連れ出しに来たのか。あの日と同じく、私は。
そう思い、イヴィリアは安堵した。お父さんと同じところに行ける。そう直感した。
「私はマコトだ。聞いたことはないか?私の名を」
マコト──?
その名を聞いて始めに思い浮かべるのは、かつて調律師として活躍し、後に災厄の禍人となったあの少女を思い出す。テレビ向こう側では良く聞く名前だったが、しかし、生の肉声では聞き及ばない名前である。
「私もまだまだメジャーになりきれていないということか?これは」
イヴィリアの微妙な反応に肩透かしを食らったようで、マコトは困った様子のままフードを脱いで見せた。フードによって隠れていたのは異形の証である二本の角。
「災厄の禍人のマコトだ。……いやこの場合は偽名を使った方が良いかな?私のことはナナシと読んでくれてもいい。ともあれ、こんにちはイヴィリア」
彼女は年相応の笑顔を見せて言った。
・イヴィリア家にて
四日目、朝。
すっかり休んでしまったツルギはイヴィリアの家の前で立ち尽くした。罪悪感からその家を避け、散々悩んだが結局、彼女へと伝えることにした。カインを殺してしまったこと、そして、これからこの街は終末を迎えることを。
結局、約束は果たせなかった。彼女の望む「解決」という道は今はすでにない。
元々、ツルギが請け負ったのは潜入調査と災厄の禍人たちと刀姫の討伐のみで、この件の解決は当初はなかったものだが、それだけに気は重い。
彼女はどんな顔をするだろうか。怒るのだろうか、泣くのだろうか、それともそのどちらでもなく、ただ放心するのだろうか、自分を憎むだろうか。その答えは分からない。それも当然で彼女と過ごしたのは、数時間にも満たない。その内容も高が知れているし、彼女の事など何も話せなかったし、ほとんど何も知らない。知っているのは書類上のことのみ。彼女はこれまでどんな経験をし、どんなことをして来たのか。趣味も将来の夢も好きな食べ物すら知らないのだ。それで彼女の知った気になるのもおかしな話であろう。
それを知りたいとは思った。しかし彼女はそれを聞いてなお、自分とまともに話をしてくれるだろうか。以前と変わらず、穏やかな笑みを見せてくれるだろうか。
「そんなわけないか」
独り言を呟き、そこで息を吐き出す。
今はアリストとマコトにのみ集中しなければならない。それが自身がフライタッグへ来た理由であり、主たる目的である。彼女のそれは副物的なもの。それを優先することはあってはならないことだ。
とはいえ、彼女を逃がしてやりたい一存がそれを邪魔するわけではない。なのでこうして赴き、話そうと考えた。それで彼女との縁は切れる。「約束は果たせなかった。申し訳ないけど退路を示すから逃げてくれ」と言って仕舞えば、それで終わりだ。
──本当にそうだろうか。自分の成すべきは災厄の禍人を討伐することだけか。考えれば考えるほどに分からなくなる。この街で出来ること、その最善は尽くしたはず。だというのに、この気の重さはなんだろうか。
「……ツルギ?」
「いや、行こう」
心配そうなブローディアの声に我に帰ったツルギは、かぶりを振ってそのドアノブに手をかけると、扉が開いた。
それはあくまで自然としたごく普通の入り方である。事実、ツルギ自身もその行動を意識していなかった。だが、そこに不自然さを感じた。
不自然の理由は知れている。鍵が開いていることだ。
「……!」
すぐさま異変を察知したツルギは飛び入るように中へ。すぐそこの居間には誰もいない。であれば、自室か。
ただの杞憂で終わればいい。そうであって欲しい。
ツルギは奥へと進み、イヴィリアの自室へと駆け込んだ。
「イヴィリア!」
その目に映るのは、まさかの人物だった。
そこに居たのはベッドで膝枕されたイヴィリア。そして彼女を膝枕しているのは、件の中心である異形の一つ。それは動じた様子もなく、部屋に現れたツルギを見た。
「あなたが絡むとどうしても上手くいかないな、兄様よ」
入るや否やそう語りかけたのは、黒髪の少女。漆黒の瞳、透き通るように白く細やかな肌とそれの形を留める細い輪郭。額には天眼との契約の証を顕す文様を、そして首には天忌の文様、右腕には天穹の文様を顕わす。
変わらない姿、変わらない声、変わらない話し口調。災厄の禍人の特徴である二本角とそのモノの特色である不老の能力。そして彼女はあの日と変わらず、ツルギを悠々と眺めた。
それは敵性者が一人。災厄の禍人、マコト・クレミヤそのモノだった。
「……ここで何をしている」
心臓が強く跳ね返るのを抑え、息を吸い込み、そして腰の短刀に手を伸ばしつつ冷静に言った。今の状況は予想外の展開。それは好機でもあり、苦境でもある。
カーテンを閉め切った部屋は暗く影に満ちた狭い空間。そこは幻影刀姫たるブローディアの独壇場である。ここであれば、切り札たるアレも容易に使用可能。ここであれば、その場で彼女を倒すことも視野に入れられる。
だがしかし、イヴィリアがいる。彼女は静かな寝息を立ててマコトの膝枕で眠っていた。この状況がどういった経緯があったのか、彼女たちがどういう関係なのかは分からない。だからこそ、ツルギは迷った。
「久々の再会だというのに、つれないな」
マコトはさして気にした風もなく言った。ただの戯れでしかないその言葉にさえ、ツルギの胸にはかつての罪悪感が目を覚ました。彼女の言動は大小に関わらず、周囲に影響を及ぼす。それがマコトだ。
「ここで何をしているかを訊いている」
「友人の家に私が居ることがそんなに不思議か?」
マコトは繰り返された問いにあっけらかんとして言った。
「……友人?」
「ああ、友人だ」
「……」
ツルギの目つきがいよいよ変わる。
それは動揺から不審へ移りゆき、やがて怒りに変わった。
「共謀していた、ということか」
「なら、どうする?」
せせら笑ったマコトはイヴィリアの髪をそっと撫でた。明け透けな挑発。彼女の真意も見えていた。
「戯言かも分からない言葉に翻弄されるほど、俺は馬鹿ではない」
ツルギはより堅実な思考を選択し、それを言葉にした。すると、マコトは貯めていたものを吐き出すように吹き出し、静かに笑った。
「ではなんだ。この状況をどう説明するんだ、兄様」
マコトは侮蔑を含ませて言った。
ツルギの選択は「保留」である。彼女を信じたい一心はありつつも、しかし彼女が共謀していた事実は充分にあり得る。その可能性に対する保留。そうしなければ、イヴィリアを巻き込んでの戦闘を避けられず、しかしどうしても、それだけは避けたかった。
敵を守る行為はブローディアとの契約の意に反する意思。ブローディアとの契約は「自分のために戦い、守ること」。これに背くことは出来ない。それは理屈ではなく、理である。契約を破ればそれは破棄され、自身もまた呪いに侵される。ブローディアは今も見守っている。契約を果たす自分を、期待しているのだ。
しかし契約を遵守した結果、イヴィリアはどうなる。彼女は寄る辺なき弱者だ。頼りの父も今はもういない。彼女は助けなしに生き抜くことは不可能。今でさえ、死の淵に立っているのだ。
マコトの狙いはイヴィリアと自身の因果を断ち切ること。彼女はおそらく、ブローディアとの契約を知っており、それを理由にイヴィリアとの切り離しを図っている。そしてそれがマコトの望む未来へと繋がる。
「それは俺自身の判断で決めることだ」
疑心を翻すためにツルギはなおも抵抗したが、マコトはそれを一蹴した。
「あなたが敵でないと思いたいだけではないか?それは甘えだろう、兄様。天下の調律師様がそれでは、示しが付かん。あなたの功を望み、支援した者たちへの手向けは必要であろうが」
それはそうだろう。自分を支えてくれたセリス、育ててくれたミコノ、支援してくれるフリードリヒ、そして信じて力を貸してくれるブローディアへの恩。これに応えるのは必然でなければならない。それこそが自分のための戦いとなろう。
心に絡みつくマコトの言葉に、ツルギは心底から同意せざるを得なかった。
「イヴィリアとの約束など、守ることもあるまい。これは私と共謀する敵だ。その証拠に約束したことも私は知っている。あなたはイヴィリアにこの件を解決すると約束したのだろう?」
その通りだ。彼女と約束したことも、敵であれば守ってやる筋合いはない。それは何も契約の如何に関わらず、そうであると思う。敵は敵だ。
そしてそれをマコトが知っていることは彼女たちの関係を裏付けるものとなろう。理由はどうあれ、嘘をつき、謀ったのだ。イヴィリアは。
「なら、どうする?兄様は今何をすべきなのだ」
立て続けに言ったのは畳み掛けるための一言。
俺のすべきこと──。
自分が今すべきことはこの件に関する災厄の禍人を倒すことだ。
けれどそれ以前から、自分のすべきことよりも優先すること、優先したいことが他にあった。
・ツルギの過去、そして今へ
最初はミコノの誘いに乗ろうとは微塵も思っていなかった。どうせ無駄だろうと思ったし、マコトの面影もちらついた。しかし結局は、ミコノの強引な勧誘と過激な行動にツルギは遂に折れた。折らざる負えなかった。
すると、学業以外の全ての時間を彼女の指導に付き合わされた。そこからは今までの自分がどれほど甘い世界で生きてきたのかを思い知る日々で、毎日を必死に繰り返すだけの日々になった。辛いこともあった、泣きたくなるくらい情けなくなる日も沢山あった。しかし周囲の声も目も気にならないくらいそれに打ち込んだ。それは多分、過酷な鞭と甘美な飴を使い分けるミコノのお陰。ツルギはそれに必死に食らいつき、メキメキと武を上達させた。それに呼応するかのように腐りきった精神も死んだ目をした顔つきも、細く自堕落な体も変化。精悍な顔つきと無駄の無い四肢、淀みのない精神を身につけたツルギはそこで新しい世界を見た。褪せた景色は色づき、ぼやけた周囲は鮮明に。この世の全てが輝いて見えた。ツルギは変わり、それに伴って周囲の見る目も一変した。
学園を卒業し、全寮制の士官学校へと入学した後も、快進撃は止まらなかった。一回生における、武術大会を優勝。その後、とある事柄からツルギの武の才覚は開花。一回生にして、学園の二番手にまで躍り出た。そしてある日、両親から手紙が届いた。内容はツルギの功績を讃えるもので、「春休みには帰ってきなさい」と最後に綴られていた。それを受けたツルギは自分は生まれ変わったのだと思った。これからは武の道で華々しく生きていくのだとも思った。
しかしツルギはその時、とある者の糸がプツリと切れたことには気づいていなかった。気づけるはずもなかった。ツルギの眼中にその者の姿はなかった。
帰省したツルギを出迎えたのは、大広間に集められた親族たちの死体。両親のものも含むそれを前にマコトは笑み、そして涙を流した。
正気の沙汰でない情景にツルギは唖然とした。マコトがやったのかと訊くと「そうだ」と泣きながらに言い、なぜこんな事をしたのかを問うと「あなたの為だ」と泣きながら答えた。
その言葉の意味が全く分からなかった。いや分からないというよりも、そもそもそれを理解するための思考が完全に停止していた。目の前の光景をただ、整理することしか出来なかった。彼女が殺した理由も、彼女が泣いていた理由もその時は何も気づけなかった。
ツルギはそこから先を覚えていない。あまりのショックで気絶してしまったのだ。目を覚ました先はクレミヤ家お抱えの病院。そこで憲兵や様々な組織の構成員に当時の事情聴取されたが、自分にも何がなにやら分からなかった。まともに話せずにいたツルギが逆に訊くと、マコトはクレミヤ家の虐殺を決行した日から、人々の前から姿を消したという。また当時はクレミヤ家は親族間の集まりがあったらしく、クレミヤ家はツルギとマコトを残して分家、宗家共に全員死亡したことを聞かされた。なぜこの奇行に走ったかは不明で、老若男女問わずの殺人であったとも不可解。とにかく何か手がかりが欲しかったのか、こちらの心情も御構い無しに語られた。しかしそれを聞いてもなお、彼女のそれにツルギが出せるものは何もなかった。
それからしばらくの間、鳴りを潜めたマコトだったが、じきに天穹刀姫の能力による超長距離からのテロ活動を始めた。天穹の奇襲性を完璧に対策することは出来ず、彼女の放つ矢は次々とその者の心臓を捉え、そして次々と犠牲者が増え積もり、遂にはその行為はルーラーの一人にまで届いた。
しかし度重なる捜索を行うもマコトの所在は掴めず、その身を捉えることは叶わなかった。その代わりに、半ば強制的に退院させられたツルギがその矢面に立たされ、様々な者たちの度重なるバッシングを受けることとなった。
世界的犯罪に対する制裁の的になったツルギだったが、それを止め、守ったのはルーラーの一人、フリードリヒ=バルバロスだった。世界中のルーラーたちから多大な信用を持つ彼の立ち回りのお陰で、ツルギは士官学校へと戻ることができ、以前と同じ日常へと帰ることができた。
その後は本当に酷いものだった。精神的に相当参っていたツルギに追い打ちをかけるが如く、学友や教師たちからは忌み嫌われ、いじめられるようになった。無視は当たり前のように行われ、教科書や被服は直すたびに破られ、捨てられた。その時の決まり文句はいつも「そいつに関わるとマコトに殺されるぞ」だった。笑いながら冗談めかしてそう言った彼らに、仕返す気力もなかった。幸いにも直接的な暴行が無かったのは、おそらくはその冗句が現実離れしたものではないからなのだろう。
そして現に、その時のツルギを覆っていたのは彼らへの憎悪などではなく、マコトへの恐怖だった。彼女は自身を道具のように扱った者たちを憎んでいたのだと思った。だからこそ、クレミヤ家を殺し、そして自分を扱った者たち全てを次々と殺している。そして彼らの中に自分も含まれているのだろうと、感じとった。
自分が今、殺されないのは、より一層苦しみを与えるため。マコトを無下に扱った自身は彼女が復讐を終えたその最期に殺される。今は苦しみを与えるための過程である。その疑心からツルギは強い恐怖に苛まれた。彼女が次々と天穹によって人々を射抜く情報に、次は自分だと震え、眠れない日々が続いた。
止められないマコトの凶行とともに時は流れた。学業も戦業も手につかないツルギを、それでも支えてくれた者たちがいた。それは以前から仲良くしていた学友であるセリス、クロイツ、アルベールヴィルの3人とツルギに指導を施していたミコノ。結局は一年の留年をしたツルギだったが、彼らの助けによって、少しずつ調子を取り戻し、彼らの手を借りて前に進み、なんとか士官学校を卒業できた。
特大の不安要素であったマコトの復讐はその中でも続いたが、しかし自分の番はいつまで経っても来なかった。そして、それに対する心労も時が経つにつれて、いつしか消えていった。
ツルギは卒業後、とあるツテで対マコト特務機関OMOへと所属した。その胸にあるのは、逆上した怒りや憎しみではなく、彼女が何故それに至ったのかを知りたい探究心。それだけの余裕がその時には出来ていた。
特務機関OMOに所属してからは今まで知り得なかった彼女の特性、素性、経歴を知った。兄妹であっても知らなかったその数々はツルギを驚かせた。格差による認識の差がこれを生んだのは他ならないが、それでもツルギは兄としてそれが恥ずかしかった。中でも一番にツルギを驚かせたのは、彼女が精神病に侵されていたこと。彼女は持ち前の成長スピードの高さから、あまりに余ってそれらをカバーしたが、日を追うごとにそれは露呈していったという。そのことを知った時、彼女が見せた虐殺時の笑みと涙を思い出した。泣き笑いということもあるが、その時の表情はそれには似つかわしくないものだった。それを聞き、それが悲しみの顕著であることに気づき、それからツルギは散々苦悩した。彼女に出来ることはないのか、今更考えた。それでも最後は、彼女を説得するしかないだろうと思った。自身の命をかけてでも。
その後にこの思慮がどれほど楽観的なものであるかが分かった。既に彼女はツルギや特務機関の思惑を大きく外れた位置にいることに誰も気づいていなかった。彼女は既に転化の一歩手前まで行っていたのだ。
ツルギが特務機関に所属してから約2年後。長年の苦労の末、遂にマコトの所在を割り出した。衛星、航空、人員の全てを使ってようやく割り出したその位置は、ルーラーの一人、オインツ=リスタルテが住まう住居だった。
さらなる調べの元、オインツとマコトの関係性を割り出すと、とある情報を入手。それはかつて、オインツとマコトが愛人関係にあったことだった。ルーラーのリスタルテと言えば、その中でも一際多大な財力を有する家系。その党首であるオインツは現在八十六歳、関係を辿るとマコトは十二歳、オインツは八十二歳という年齢差でこの関係が続いていたことが判明。ここから、マコトはクレミヤの財力を維持するためその役目を担わされたものと推察された。
さらにこれについては、ここで話は終わらなかった。とある告発により、マコトは様々なルーラーたちの間で身売りされていたことも同じく判明したのだ。それを話したのは同じくルーラーの一人であったマルコフ・クシャーレ。彼もまた、かつてマコトとの関係を持ったことを自身の保身のために話した。
ツルギはまた初めて知った事実に驚くしかなかった。闇を孕む大人たちの欲望の世界。少女の身に余る過酷な実情。忽然と姿を現した者たちの存在に、ツルギは強い怒りを感じた。彼女を食い物にしたルーラーたちへの怒り、彼女を利用したクレミヤへの怒り。しかし、何よりも腹立たしかったのはそんな事もつゆ知らず彼女の甘えを払いのけ、邪険にした自分だった。何も知らなかったからなど、理由にもならない。それは彼女の「サイン」であったのだ。自身の存在は辛く苦しい世界で、唯一の救いだったのだ。それを思い、胸に張り裂けそうだった。強く強く握った拳。その拠り所はなく、ただ握るしかできなかった。
マルコフが告発をしたその数日後に、事態は急転直下に動き出す。特務機関が用意した部屋で天穹によって、射抜かれ、死亡していたのだ。
あまりにもタイムリーなこの事実は、マコトが天眼によってそれを見た証明であり、そして既に特務機関の存在とその所在を知っていたことへの裏付けである。特務機関は慌てて次の行動に移した。彼らが乗り出したのは調律師マコトの討伐。特務機関の間でも特出した精鋭たちが集められ、作戦は即座に決行された。とはいえ、彼女は既に次の隠れ蓑へと移動しているとは誰もが思った。それでも動き出さないわけにも行かず、辿り着いたオインツ邸。オインツの敷地を守るガードマンはこちらの突入に対し、対抗。しかし特務機関の精鋭たちに敵うはずもなく、容赦なく殺害。全てを破壊しながら進む彼らは遂に、彼女がいるものと思われる最深の寝室へと到着した。
時刻は午前四時。暗く明かりのない部屋にあったのは、マコトが全裸のオインツを縊り殺す光景。死に絶えたオインツの遺体を投げ捨て、ツルギたちの前に立つ彼女は狼狽えることもなく、悠々とそれを見据えた。その眼にあるのは涙。あの日と同じく、彼女は泣き、笑った。それを皮切りに交戦。切られた幕は、程なくして終幕を迎えた。
特務機関の部隊は壊滅した。彼女を前にあらゆる場面を想定し、対マコトのために磨き上げられたコンビネーションは容易に崩壊。歴戦の強者も、比類なき武芸者も、子供を相手するかのように殺された。ただ、ツルギを除いて。
広い屋敷にはツルギとマコトの二人だけが残された。ツルギは圧倒的な差を前に身体的にも精神的にも酷く憔悴した。しかし武によって勝てずとも、今この場で死んでも、彼女へできることはある。
ツルギは前に進んだ。マコトはそれを拒むでもなく、受け入れるわけでもなく、ただ見ていた。幼げない子どもを見守るように。
「久しぶりだな、兄様」
幼少の頃から変わらない彼女の口調は、緊張した空気を劈き、当時を彷彿とさせる。話したマコトは先ほどまで張り付かせていた笑みはなく、神妙な顔つきをした。
「ああ……」
ツルギは掠れた声で精一杯の返事をした。話す事でさえも、辛かった。先ほどのマコトとの戦いで負った傷も大きかった。痛む身体はそれでも、根をあげなかった。
「本当に勝てると、思っていたのか?」
「……思っていたさ。かつての俺は。彼らだって」
そう言ってツルギは横たわる仲間たちを見た。
誰もが思い、そう願っていた。だが現実は非情。そしてそれが現実である。
マコトはツルギの言葉を鼻で笑った。
「勝てるわけがないだろう。兄様。私は誰だ?最強の調律師だ。人も、禍人も、私には勝てない」
「そうだな……」
ツルギはマコトの弁に同意した。それは多分、自分だけではないのだろう。凄惨な死を遂げた仲間たちの安らかな死に顔をみればそれは分かった。皆、勝てないことを悟り、そして死んでいったのだ。
いざ彼女を前にすると、勝てるビジョンはまったく見えなかった。勇む心も、戦意も。ここに来て、彼女を見て、全てが失われた。自分に至ってはもっと前から思い知っていた。彼女が生まれ、兄になった時からずっと。勝てるはずもないことを。
それでも今こうして目の前に立っていられるのは、そこにマコトが居るから。ツルギの本懐は戦うためではなく、彼女と話すこと。そのためにここまで来た。
「お前にはこの先、一生敵わないだろう。だが、それはもういいんだ。……勝てなくてもいい」
ツルギが言うと、マコトはそれに眉を顰めた。
「マコト、お前は苦しかったか?」
ツルギは聞きたかったことを訊いてみた。不器用な物言いだったが、それ以上の言葉を並べたてられなかった。
「…………ああ」
マコトは長い間を置いて、切り出された問いに短く答えた。それはそうだよな、とツルギは笑った。辛くないわけがないのだ。辛くないと言われてもそれを信じられるほど馬鹿ではない。
「もし、俺がお前を受け入れられてたら、何か変わったか」
「兄様、過去の話などに意味はない」
「……」
ぴしゃりと言ったマコトだが、ツルギは何も言わずに答えを待った。すると長い沈黙の後にマコトは仕方なく口を開いた。
「何も変わらないだろうな」
「そうか」
「ああ、そうだ」
大仰に頷くマコト。確信に満ちているが故の仕草。元々、自分が彼女に出来ることはなかったのではないかとすら思わせるものだった。しかしそれは違う。自分でさえ、出来ることはあったはずなのだ。
「最後のあの日、お前は俺のためにクレミヤを壊したと言ったよな。あれはどういう事だったんだ」
「……」
マコトはツルギの次の問いかけに黙った。それはどんな事にも正面から受け応える彼女らしからぬ対応だった。
「あれはただの失言だ。許せよ、兄様」
きまりが悪そうな表情でマコトはそう語ったが、それが嘘であると見抜く事は簡単だった。完璧であるはずの彼女の意外な一面に、思わずツルギは吹き出した。
「嘘だろ、それ」
「……語る気は無い。その意思表示と捉えてもらえれば良い」
そっぽを向いたマコトの横顔は少し紅潮していた。それを見てツルギはまた笑った。
「俺も色々調べたんだ。お前がそれに至った理由も、一応は自分の中で完結した。話してもいいか」
「……」
マコトはまたも沈黙。だが、ツルギはそのまま続けた。
クレミヤ家はマコトの存在により、莫大な財産を築き上げた。しかし、その先行きは不安なもので、いつまでこれを維持できるかは分からなかった。その理由は彼女の精神病が歳を取るにつれて、悪化したからだった。クレミヤ家はこれについて、とある研究の果てに対策を打ち出した。
それはマコトが最も信頼を寄せるツルギを刀姫化し、第四の刀姫として契約させることだった。彼が刀姫となって常に彼女の側に居れれば、その症状も解決すると踏んでいた。
男は刀姫となり得ない問題は天忌の呪いと綿密な性転換手術により、すでに解決できる見通しが立っていた。ツルギが武人として、身体的な強さと精神面の成長が成されたのも都合が良かった。
ツルギへと当てられた手紙にはこういった背景があった。これを知った時はクレミヤ家の狂気じみた執念に畏怖したが、己の懐を温めるためにその小さな身体を売りだしたことを考えれば、特にそれ以上の感情は芽生えなかった。死んで当然のクズだったとでも言えよう。
それはともかく、画してツルギの刀姫化計画に乗り出したクレミヤ家だったが、予想外だったのは、マコトの凶行だった。未来を見通す彼女だが、彼女はクレミヤ家の言いなり。それを知っても何かをするだけの行動力があるとは思ってもいなかった。しかし、マコトはそれをした。未来を見て、最優となる道を探り当て実行した。
それをするだけにどれだけの勇気を要したかは、ツルギには知る由もない。しかしマコトはたった一人それを成し遂げ、残る不安分子の一つ一つを潰す作業に入った。オインツの愛玩となり、その元を隠れ蓑にして自身の計画を成し終えた。
これは今まで集めた情報をまとめ、推察した憶測でしかない。マコトは目を伏せて、否定も肯定もせずに黙ってそれを聞いていたが、話し終えると、彼女は涙を溜めた目をツルギに向けた。
「……さすがは兄様。そこまで辿り着いていたか」
「最強の調律師の兄、だからな一応」
自虐ではなく、心からの敬意の一言だった。彼女は紛れもなく最強であり、最高の調律師。そして世界でただ一人の愛すべき妹だ。
「ここまで来るのに時間がかかり過ぎた。すまない、マコト」
「……いや、良い。こうして最後に兄様と分かり合えただけで良いのだ。私は幸せだ」
マコトはゆっくりと近寄り、ツルギの胸へと頭を埋めた。全身でツルギを抱きしめ、それを噛みしめるように強く目を瞑った。満身創痍のツルギはそれには応えられず、ただ立ち尽くした。しかし、それで充分だった。
「お前の帰る場所は用意してある。今度は俺がお前を守る。弱くてもお前だけは必ず……。だからマコト、もう……休め」
今ようやく、ツルギはマコトを向き合うことができた。彼女の計画はすでに既成している。これで彼女の凶行は終わる。
この後のことはフリードリヒ公に任せてあり、彼女の心身を守ってもらう手筈は整っている。彼女は生き続け、今までの罪を償う。その先で好きな男性と結ばれるのも良いだろう。彼女が選んだ相手ならばそれに手を貸してくれるだろう。それで本当に終わるのだ。この因縁は終わる。終わるはずだった。
「…………兄様、それは出来ない」
マコトはそう言うと、ツルギから距離を取った。その時、彼女の手を掴んでいたら結果はどうなっていたのか。それは誰にも分からない。ありもしない、空想の話。
「マコト……?」
不意にマコトへと手を伸ばした。遅かった。遅すぎたのだ。
「私はもう、人ではない。だから、もう戻れないんだ」
「何を言って……?」
その時、ツルギの真横から何かが飛び出した。勢いよく飛び出したそれは一瞬の間にマコトへと近づき、目にも留まらぬ速度で刀を抜いた。赤く燃えるような長髪と赤黒い甲冑を身に纏った細くしなやかな四肢。高貴さすら感じさせられるその出で立ちを、見間違うはずもない。その影はミコノ・ジングウその人だった。
刹那の一閃はマコトには届かなかった。ミコノが繰り出した刃は彼女の天忌刀姫によって止められていた。
「こいつは殺しても?」
「駄目だ」
迸る殺気を止められた天忌は刀を打ち返した。ミコノはそれにより後退したが、この程度で引き下がるほどやわではない。反撃に転じようとしたミコノはしかし、いつのまにか目前にあった漆黒の剣によって動きを止めた。更に前へと前進していれば、確実にそれは刺さっていたであろう。危機的な状況だったが、しかしミコノ視線はその切っ先ではなく、マコトの姿を見据えていた。
「微だにもせんとは、恐れ入った。兄様を見定めた才能は認めざるを得ないな。私に刃を向けた無作法も許す」
尊大に言ったマコトは、また歪んだ笑みを見せた。
「ミコノ……?」
息が上手くできない苦しさを感じながら呟くと、ミコノは目前の剣を打ち払い後退。ツルギの身を守るかのように、その前へと立った。
「動くな、お前の傷は深い」
瞬時に傷の深さを見極めたミコノの眼力は凄まじいが、今はそれどころではない。何かを言おうとしたツルギだったが、それも肩を叩かれて静止させられた。
「ツルギ、言いにくくはあるが……もうここまでだ」
そう言ったのはいつの間にか隣にいたのは、短い金色の髪、屈強さが際立つ体躯の良い男。フリードリヒ公である。
「なぜ、ここに……」
「匿名で連絡があったのでな。暇だから来てみた」
こんな状況でさえ、彼はそう言って笑ってみせた。
なぜ、ここに彼らが居るのか。気になるところではあるがしかし、今はそれを言及するよりもマコトが気がかりであった。
「兄様」
呼びつけられたツルギはマコトを見た。何を言ったらいいのか、分からない。ただ、乞うように見つめるしかなかった。
「今まで、ずっと抑えてきた。だがもう、これ以上は……不可能だ。だから────」
マコトは言って自身の身を抱えて悶え出した。震える肩、苦心に満ちた表情。何が起こるのか、なぜ彼女が拒んだのか分からない。しかしその姿がどうしても我慢ならなかった。
「マコト!」
思わず叫んで前に出ようとするも、それを二人が遮った。どうにもならないことを悟らせるように彼らはツルギの顔を横目で見る。
「どいてくれ、マコトが!」
「無理だ」
「は?」
「もう、遅いんだ」
ミコノの言っている意味がまるで理解出来なかった。
「すまない、すまない兄様……でも私は……どうか私を……」
譫言を呟きながら、マコトは力の放出を始めた。その小さな身体からは謎のオーラが噴き出す。
「マコト──」
言いかけたツルギへと笑いかけたマコト。それが彼女の、人としての最後の意思表示だった。
突如としてマコトを中心として巻き起こる突風、屋敷全体を揺るがす力の波。マコトは叫び、そして殻を破るようにその表層がひび割れ、弾けた。ガラス玉でも割れたかのような甲高い音が辺りに響き渡る。
彼女から吹き出るオーラは漆黒の瘴気へと変わり、苦しげな表情は一変して、醜悪な笑みへ。甲高い笑い声が、辺りに響く。
それが彼女が災厄の禍人へと転化した瞬間であった。
強い風と揺れに煽られたツルギだったが、ミコノとフリードリヒはそれを受けながらもただ漫然としてそれを見守った。
「フリードリヒ公、私とあなたが組んだらアレに勝てるか?」
「それは難しいだろうな。少なくとも俺たちは死ぬ。そしてツルギは助けられん」
「そうか」
悠然とした会話は短く終えられ、それと同時に風と揺れはピタリとその動きを止めた。熱を浴びるかのように、その全身が赤黒い瘴気に包まれたマコトの額には二本の角。それは異形の印、世界の敵である証明。
そして間もなく、敵意も殺意もない、無機質な双眸が目の前の三人を見渡した。
「さて、私は用が済んだ。ここから立ち去ろうと思うのだが、お前たちはどうする?ここでやり合うか?」
声も口調も以前とは変わらない。だが、その言葉は酷く冷たく、酷く澄んだもの。以前とは全く異なるものだった。
「いや、辞めておこう。俺は今死ぬわけにはいかん」
「右に同じく」
フリードリヒに続き、ミコノが言うとマコトは頷き、残るツルギを見た。
「兄様はどうする。少し骨だが相手をしてやろうか?」
「マコト……?」
「なんだ?」
先ほどまでの事が嘘かのような振る舞いだった。終わろうとしていたはずだったのに、それは未だその気配はない。
「どうして」
「ツルギ、アレはもう先ほどまでのマコトではない。分からないか?」
「ふざけるな……!マコトはまだ──」
ミコノの言うことを理解していた。転化によって彼女が変わったことも、すでに彼女が手から離れたことも。しかし、認められなかった。どうしても、その現実を受け入れられなかった。
しかしツルギのその主張は、マコト本人が遮った。
「兄様、もういいのだ。私に構う必要はない」
「そんなわけないだろ!」
ツルギは強引に二人を押しのけて前に出た。今ここで諦めたら、後には戻れなくなる気がした。酷く痛む身体も、壊れそうな精神も今はどうでも良い。
それを見ていたマコトは呆れたように嘆息した。
「はっきり言わなければ分からないか?なら、言おう。兄様、もう全てが遅いのだ。兄様が私の過去を知るのも、それを理解し、寄り添おうとするのも、私の助けになりたいという一心さえ、全てがもう遅い。あなたと分かり合うことはできない。その日は来ない。私は別のモノへと転化したのだ。安寧も、平和も、私にはもはや不要だ」
冷たく突き放す言葉にツルギは寒気さえ覚えた。そう感じた理由は簡単で、自身が彼女に突き放されたことがなかったからだ。いつだって彼女はツルギの傍に寄り、ツルギを想い、ツルギのために行動した。
だからこそ、その言葉はツルギの心底にある想いを揺さぶり、その決意を軽くへし折った。
「マコト……」
「私はもう行く。ではな、兄様」
マコトは拳で壁を破壊し、その穴からその場を後にした。あっさりとした幕切れ、最悪の顛末。彼女はもう二度と戻らない。それが彼女の意思だった。全ては徒労に終わり、理想が崩れたそこが、精神の限界だった。叫んでも、泣き喚いても仕方ないのに、ツルギにはそうするしかなかった。後悔などしても遅いのに、そうするしかなかった。
それはなぜか。
それは自分があまりにも無力だったからだ。
マコトが転化してから数ヶ月後。フリードリヒの支援もあり、生き長らえたツルギだったが、その様は燃え尽きたように無気力であった。生きる活力が無くなったツルギは傭兵として、異形と戦う日々に明け暮れた。それを選んだ理由は死に場所を求めていたからだったが、しかし一方で、死ぬ意思すらも湧かなかった。だから死ぬべくして死ぬその時を待った。死ぬために戦い、生き残るために戦う矛盾の日々。幾度となく死線を越える日々。
そしてツルギはその先で今一度、転機が訪れた。それは幻影の名を持つ刀姫の討伐作戦の最中。対刀姫用に作られた彼女は自身が身に置く組織に謀反を起こし、脱走。その尻拭いのために、狩り出された。
無論、その作戦に参加した時には調律師になる可能性など微塵も感じてはいなかった。いつもと変わらない毎日が続くのだと思っていた。
しかしその出会いは運命となって目の前に立ち塞がった。殺し合うだけの関係であったのに、彼女が涙するのを見るたびに胸が張り裂けそうだった。守ろうと必死になっているのを見て、どうしても彼女という敵が愛おしく感じてしまった。放って置けなくなってしまった。そうして、対刀姫の兵器でありながら刀姫を想うブローディアの気持ちに駆られて、ツルギは調律師として戦う決意をした。逆境の中に生きるブローディアとともに、自身もまたもう一度マコトと向き合うことを決め、生き続けることを誓った。弱くてどうしようもない自身の力をブローディアが補い、脆くて壊れやすい彼女の精神を自身が支える。
そしてツルギは、調律師となり気づいたことがあった。それは今までの培ってきた力と刀姫の力が、大切なものを守るために活用できることだった。マコトだけではない。この世界には守るべきもの、守りたいものが沢山あった。
今でも自身を苦しめる過去は変えられない。この身に重くのしかかる事実は覆せない。しかし自分には未来がある。明るくなる保証などない。好転する確証もない。
しかしそれをすべて諦められるのか。
助けてくれる仲間がいて、守りたいと想う人がいて、例えばその彼らが殺されようとした時、その様子を傍観できるか。悲しむ彼らの顔を見て仕方がなかったと後悔をすることなく諦められるのか。否。それは無理だ。
どんな苦汁を飲んでもいい。死んだ方がマシなくらい傷つけられても構わない。自分の気持ちを裏切られても、自分の好意を利用して謀られようとも。
開かれた視界の先でもう一つ、ツルギは決めたことがある。
それは────。
「ツルギ、あんたの決意はそんなものなの?」
ブローディアの声にツルギは我に帰った。
自分の決意。自分のすべきこと。プロだとか、調律師だとか、仕事だとか、意地やプライドや立場なんかよりも、もっと優先すべきものがツルギにはあった。
彼女の言の強さは比類なきもの。心はそれに嘘をつくことは出来ない。しかし、それ以前からずっと心に決めていたことがある。そこはツルギの絶対の領域。精神を蝕まれようとも、強き言葉によって捻じ曲げられてもその芯は決して折れず、霞んでもなお、再起する。
助けたいと思ったのなら、助ける。あの時出来なかったことをする。それは二度と自分が後悔しないための意思であり、調律師となり力を得た日から抱えてきた意志。
忘れかけていたものは今再び、思い出された。そうさせたのはブローディアで、それを芽生えさせたのもまたブローディアだ。
「ありがとう」
ツルギは小さく呟いた。
いつまで経っても不甲斐ない自分。調律師として彼女を補わなければならないのに、しかし精神的な成長は止まったままで、今でも自分だけで真っ直ぐ歩くことはできない。しかし、それでも良いのだろう。なぜなら、それでも彼女が常に傍に居てくれるから。こんな自分を今でも、信じてくれるのだから。
ツルギは深く息を吸い、それを吐き出してから言った。
「俺のすべきことはもう決まっている。イヴィリアを守り、そしてお前を打ち破る」
ツルギはそう言って、ブローディアに渡されたスイッチに手をかけた。
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