第1話 『異形たちの庭』-その6

 ・禍石研究所にて


「……ディア」

 頭痛が落ち着いてきたツルギは小さくなったその背中にそっと語りかけた。

「……」

 ブローディアは肉片と成り果てたサキュリスの跡を見つめたまま何も言わずに立ち尽くす。

 初めて、分かり合えると思った。ようやく、彼女を縛り付ける鎖が綻ぶのだと、そう思った。

 しかしそれは一瞬の間に、全てが無駄に終わった。

「ツルギが体を張ってくれたのに……。私は、何もできなかった」

 今にも泣き出しそうな声で言った。

「……」

「やっと、やっと……ほかの刀姫と分かり合えるって安心してた」

「ああ……」

「ごめん……ごめんなさい。私……」

 心の拠り所を失い、言い募るブローディア。

「……サキュリスはもういない。でも、俺がいる。また一から始めよう」

「……ごめんなさい……ごめんなさい」

 堪えきれず、声を殺して泣くブローディアの背中をツルギは抱きしめた。

 刀姫サキュリスを死に至らしめたその閃光の正体をツルギは知っていた。それは災厄の禍人であるマコトの持つ天穹の刀姫アトラの力。二つ名の通り、その能力は矢を放つ力。放たれた矢には様々な特性を持たせることができ、その特性に従って矢は軌道を描き、力を発する。

 今回使われたのはおそらくは「対象にのみ、着弾する」特性であろう、とツルギは予測。その証拠に閃光の弓は天井を破壊することなく、地下へと入り、そして音を立てることなく、サキュリスに当たった。

 この能力の恐ろしさは予測することが不可能な点である。天穹で放つ矢は時間を指定することも出来るからだ。故に二十四時間いつ如何なる場でもそれが飛んでくる可能性を秘めており、それを予見することは杞憂にも等しい。しかし、それが起こりうるものであることは間違いなく、ツルギはそれをある程度までは頭に入れておくべきであった。

 つまりはこの失態は自分の責任である。

 マコトが『天眼』により未来を見て、敗北したサキュリスを「口封じ」する可能性は、結果論ではあるが、十分に起こりうるのだ。

 泣きじゃくるブローディアを抱えて、床に腰を落ち着けたツルギは脱力。身に染みた自身の無力さに、闘気は失せ、力が入らない。

 サキュリスは重要な手がかりを持っていた筈だった。ブローディアは苦節の果てに、分かり合える同胞ができた筈だった。

 それらは今、手から零れ落ちた。

 ブローディアがその責任を押し付けてくれたら、どんなに楽だろうか。そう思わずには居られなかった。

 強い喪失感。失ったものはそれに応じて大きいもの。しかし、いつまでもこうしては居られない。まだ、終わっちゃいない。

 ツルギは叫び出したい思いを噛み締め、強く拳を握った。


 ブローディアを落ち着かせた後、散策を再開。

 戦いによって荒れ果てた広間。そこにあったノートパソコンを拾い上げると、節々が割れ、破損していたが、完全なる破壊は免れていた。出来るだけ注意を逸らしていたことが功を奏したのだろう。

 ツルギはパソコンを操作し、画面上に映っていたものがカメラの映像であることを特定。またそのアプリ名から監視カメラのものであることも判明する。ここまで分かれば、もはや用済みてある。すでに映像の如何は分かっていた。

 監視カメラが映し出していた煙の正体。これはおらく禍の瘴気。これの裏付けは瘴気から覗かせた「肉塊」が起因する。

 この肉塊は士官学校の頃より教わってきた最重要駆除対象であり、嫌というほどその特徴や特性を学ばされたもの。それは『忌肉』と呼ばれる禍の浸透から転化した際の形とされる「モノ」の一種。

 これは恐らく、サキュリスによるもの。サキュリスは自身の洗脳能力をもって、人々と契約をし、そして忌肉を作り上げた。それは忌肉を作る方法としては、一番理にかなっている。

 調律師となれるのは刀姫によって選ばれ、契約を果たした者のみであるが、しかし選ばれずとも、刀姫と契約をすることは可能。つまり刀姫に選ばれないままに契約を結び、意図的な失敗により、忌肉へと転化させることができる。

 この忌肉となったその者に意思はなく、身動きが取れないまま、ただ禍を吐き出すだけのモノとなる。また忌肉となっても死んでいるわけではなく、その心臓はその後も動き続け、その者の寿命まで生き続ける。

 身の毛のよだつ結末だが、一説によると、この忌肉となった者は覚めない眠りについている状態なのだという。側から見れば惨たらしいものと思われるが、世に絶望した者にとっては天国のようなもの、と言うのは学者となった知人の弁である。

 しかしそこに幸不幸があろうが、それは禍を吐き出し続ける害悪そのもの。すべからく駆除するべきものである。

 そしてこの「カメラに映し出された忌肉」はおそらく、ここにある。ブローディアの警戒心を呼び起こしたのもこれが原因であろう。

「ディア、分かるか?」

「……ええ、気配はこの階にある」

 ブローディアに言われ、明かりがついたままの部屋を眺めたが、それらしいものは見当たらなかった。が、それについてもおおよその見当はついた。

「隠し通路か……」

 ツルギが呟くとそれに応じてブローディアも口を開いた。

「サキュリスも使っていたのかしら」

「おそらくな」

 製造した忌肉を保管しておくために隠し通路を利用。それは外敵から守る手段としては真っ当な手段である。

「なら、サキュリスは私たちが来た時と同じ階段から現れたし、階段を調べたらいいんじゃない」

 ブローディアの見解は、サキュリスがここに居たことを前提とするもの。ツルギが来るのを見越した上で、隠し通路から現れたという算段である。ツルギは思慮の後に問う。

「……やつが上から下ってきた可能性もあるが?」

 それに対し、ツルギは言った。

 それはあくまで予測に対する予測の話だが、ブローディアはその意見をしっかりと跳ね除けた。

「私たちが居る所に彼女が丁度よく来たってこと?……それは無いと思う。サキュリスは私たちがここにいることを知っていたような口ぶりだったわ」

 そう言われて少し前のことを思い出す。確かに彼女は自分たちがここに居ることに何の驚きもしていなかった。それは前もって知っていたことを暗示する。

「なるほどな。だが、マコトに示唆された可能性もある」

「彼女は私たちを見てようやく会えたと言っていたから、その可能性も少ないと思う。それってつまり、彼女も私たちを探してたってことでしょう」

「……そうだな。そうなると残る線は……待ち伏せか」

 ブローディアはツルギの言葉に頷く。

「彼女は潜入した者のこと以前に調律師たるツルギのことを知っていた。そうなると、ここに辿り着くことを予期して待ち構えることの方が効率はいいわ」

 この広大な街で探し回ることの不毛さを実感していたツルギはその推察に同意できた。

「まあ、どういうわけか。私たちが潜入した情報だけは渡していたようだけど……」

 ブローディアが心残りを呟く。

「……それが奴にとって好ましい軌跡を作るってことだろう。とにかく、ディアの意見で行くとしよう」

 ツルギは言って下ってきた階段、その踊り場へと戻る。ブローディアの察知を頼りにそこを調べると、隠し扉を発見。押してみると、何の変哲も無い壁が、音もなく開いた。

「ディアの言った通りだな」

「……そうね。行きましょうか」

 少し分かりやすくおだててみたが、彼女はあくまで冷静だった。気を取り直したように見えて、まだサキュリスの死を引きずっているのだろう。

「ああ」

 ツルギはそれには触れず、応えて奥へと進んだ。


 扉の奥は細長い通路。その先へ進んでいくと更にもう一つの扉へと辿り着いた。

「ツルギ、この先よ」

「……ああ」

 その奥から漏れ出る禍々しい気はツルギにも感じられた。人ですら感じられるほどに、大きな隠気。これを感じ続ければ、人の精神など病んでしまう。

 元々は禍石を扱う施設であるだけに、必要以上に堅牢な壁も、それを防ぐためと考えれば合点もいく。

 ツルギは扉をそっと開け、中へと入るとそれを出迎えたのは、ガラス越しのケースの中で積み重なる数十もの忌肉たち。

 それは絶えず脈動と禍の放出を続け、ケースの中は異常な濃度を誇る禍が形成されていた。

「……!」

 その濃密な瘴気から溢れ出る陰気に、ツルギは思わず息を止めた。

 それは人が扱える許容量を遥かに超えたもの。これだけのものを一体、どうしようというのか。それを考えるだけで頭が痛い。

「ツルギ、無理はしないで」

 ブローディアは影から出てきて、それからツルギの視界を遮るように立った。しかし、あまりに強烈な光景に流石のブローディアも顔色が悪くなっていた。

「分かっている。だが、これは……」

 軽い吐き気と目眩に襲われたツルギは手で視界を覆いつつ、考える。

 これはおそらく、サキュリスによる凶行であろう。

 彼女は言葉巧みに人々を契約に陥れ、故意にそれを失敗させて忌肉へと転化させた。もしくはその能力によって彼らを陥れたのかもしれない。しかしどちらにせよ、刀姫を崇拝する街に、人々を籠絡する刀姫。この場においてこれほどの適役は他にいない。

 モニターから忌肉が見えた時点で予見はしていた。してはいたが、その惨状はあまりに惨たらしいもの。おそらく、当の本人でさえ、その光景を間近にすることは躊躇われたのだろう。それゆえのモニターだ。

 生物の尊厳を踏みにじる行為に他ならない。

 生前に見せた醜悪な笑みを思い出す。彼女は負けを認めていた。もしかしたら、心を入れ替えたかもしれない。

 しかし、この結果を生み出した事実は拭えない。

 ツルギは両目を瞑り、語りかける。

「ディア……」

 忌肉となれば、それはもう助けられない命。だが、しかし彼らには払うべき敬意がある。

「彼らを終わらせるぞ」

「……うん」

 ブローディアは目を伏せて、それに従う。

 ツルギは再び二身一体を発動。幻影の力を経たツルギはその両目を開き、意思なき忌肉たちへと出力を引き上げた『幻術』をかける。

 抗する力が無いとはいえ、多くの意識に幻術をかけることは容易ではない。じっくりと時間をかけつつ、各脳波たちへと信号を伝達。

 それは寿命を告げる信号。忌肉たちの脳は寿命を錯誤し、次々とその命を半ば強制的に終了させていく。

 残らず消えた命を感じてから、幻術と二身一体を同時に解除。ツルギは反動によって流血した目を抑えながら、息も絶え絶えに膝を落とす。

「ツルギ……!」

 ブローディアは肩を抱いて血を拭き取ってやると、開かれたその目に感情が入り乱れる様子を感じ取った。

「……何か見えたの?」

 そこに映るのは悲しみと怒りとが混濁する葛藤。

 ツルギは静かに言った。

「あの中に……カインがいたかもしれない」

 ツルギの一言にブローディアは絶句した。

 幻術は外部から脳へと直接手を加える力である。故に図らずしてその深層意識を見てしまうことはあり、その出力を上げることによってそれはより鮮明になる。

 ツルギはその作用によって、忌肉の中にある数々の意識を見た。そして、その中に一つだけ、微笑むイヴィリアを映し出すモノがいた。

 どうあれ生かしておくことは出来ない。しかし、彼を殺した事実を唐突に押し付けられたツルギは困惑した。

「……」

 本当にそれがカインであるかは分からない。確かめる術が無い。しかし、脳裏にこびりついた映像が頭から離れない。

 イヴィリアの穏やかな笑み、そしてそれが闇へと沈み込んでいく映像。

「……流石にまいったな」

 これがマコトの思惑通りか、そうでないのかは分からない。しかしどうあってもこの件、タダでは進めないらしい。

 息を整えながら肩を竦めたツルギは虚空に呟いた。



 ・ツルギの過去2


 マコトが調律師として大成してから、父と母は自分に見向きもしなかった。

 彼らは四六時中の全てをマコトのために費やし、マコトと両親はほとんど家に帰ってくることはなくなった。そして残るツルギは使用人たちへと押し付けられた。

 当の使用人たちはクレミヤの長男として、一応は扱ってくれた。しかし、その目にあるのは哀れみか侮蔑。表面上の形だけは取り繕われたが、その心情は透けて見えていた。その極め付けは彼らの陰口。外に出れば幾度となく聞かされたものだが、自宅にまで及ぶとさすがに堪えた。

 その息苦しさに負けたツルギは、いつからか家出を繰り返すようになった。使用人たちは学校から家に戻らないツルギを捜索し、その身柄を確保する。

 それは心配からではなく、仕事の一環である。

 ツルギの非行はその内、毎日続くようになった。すると使用人たちはそれを見越して、予め学校に張り付くようになった。彼らの身からすれば、わざわざ仕事を増やすツルギの行いに腹が立ちもしたのだろう。抵抗するツルギに力で押さえつける者やあからさまに面倒くさそうに接してくる者もいた。

 自身の鬱憤は溜まっていくばかりだった。誰にも必要とされず、相手にされない毎日。

 ツルギのそれはやがて、周りの者たちへと向けられた。元々、出来損ないの兄と陰口を言われてきたツルギにとっては格好の敵だらけ。それからは喧嘩に明け暮れる毎日が続いた。その相手は同級生や先輩、教師、果てには使用人へまで。やがては気に食わないと思うと全てに対して反抗するようになった。

 周りはそれを見て批難した。時には激しいリンチによって、全身を痛めることもあった。それでもツルギの意思は止まることはなく、前へ前へと進んだ。

 乾くことはない渇望。そしていつしか、自身が本来望んでいたことは既に忘れ去られ、手段は目的へと変わっていった。

 そんな日々の中でツルギの面持ちも変わりつつあった頃、とある人物との出会いがツルギを一変させた。

 その人物は学園一の有名人、ミコノ・ジングウ。彼女もまた一流宗家の出自だったが、何もかもが半端なツルギとは異なり、容姿端麗、才色兼備の令嬢。また彼女は武に秀でており、将来は武芸者として活躍が期待される一人でもあった。

 ミコノとの接触のきっかけは、とある事件が発端となる。その事件とは課外学習中の禍人たちとの遭遇、である。ほんの十数体の禍人だが、安全区域とされる場所で突発的に発生したこともあり、瞬く間に混乱が広がった。

 その最中で、襲われていた同級生を発見し、ツルギが身を呈してそれ庇った時のこと。

 それは正義の心などではなく、自棄になったが故の行動であった。

 どうしようもない人生につまらない命。ならばせめて派手に散らせようと、考えていた。父や母は悲しむだろうか。マコトはどう思うだろうか。そんなことを思いながらツルギは死を覚悟した。

 しかしツルギの思惑は外れた。ミコノがそれを阻止したのだ。

 ミコノが放った剣は禍人の身体を縦に分断。当然、絶命。その後安否を確認し、すぐさま別の禍人へと急行。

 先ほどまでの覚悟は何事もなかったように消え失せ、残されたツルギは呆然とそれを見送ることしかできなかった。

 それがツルギと彼女とのファーストコンタクトだった。武によって名を挙げる妹と自身の差を目前と見せつけられたようで、ツルギにとっては最悪の出会いであったのは言うまでもない。

 その後、周辺を仕切る有力者直属の武芸者たちが駆けつけ、無事禍人の脅威は退けられた。

 怪我人はいたが、それも命に関わることはなく、死者は0人。この功績はミコノのおかげであろう。

 救護隊と憲兵の助力もあり、現場の混乱は直ちにまとめられ、収束。

 当然、課外学習は中止となり、現場の状況を語る者、怪我をした学生たちを除き、皆が家へと帰宅を命じられた。その際には家族が迎えに来て、生還を共に喜びあっていた。

 それを尻目にツルギは一人、帰路へ。ツルギには迎えにくる者はいなかった。期待などしていないし、薄情などとは言うつもりもない。淡々と憲兵と教師の指示を仰ぎ、それに従うのみ。

 誰にも気づかれないまま、強い喪失感と劣等感を感じながらツルギは帰路へとついた。

 そしてその翌日。ツルギのクラスへミコノが押し入ってきた。それに生徒たちが集まり、感謝の言葉を述べるも、ミコノはそれらを押しのけてツルギの前に立った。

 望んでもいない再会。

 上目で睨みつけるツルギにミコノは力強く言った。

「お前には才能がある。武芸者になれ、ツルギ・クレミヤ」

 その時の一言はツルギにとってのトラウマであり、同時に転機でもあった。



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