第16話―治外法権―

 綺麗な笑顔で笑い、優雅に頭を下げる桐恵を最後に映像が切れて元のテレビ番組に戻った。

「寝ている場合か! いやそれよりも! 大天那持ち出したの桐恵かよ! 返せ!」

「お、落ち着け未紗」

 ふざけるな、とテレビに掴みかかる私を晴夏が引き剥がす。

「大体どうして勝手に私が取引材料になるんだ。絶対に行かない……と言いたいけれど大天那を取り返しに行かないといけない。桐恵のやつ、絶対私に来させるためだけに刀を持ち出したな……確信犯め。――あれ、着信だ。誰だ……うわっ、仕事早すぎ」

 そう一人で口早に捲し立てたあと、私はコホンと咳ばらいをして端末の着信に出た。相手は国防省に異動した私の元上司にあたる人物、つまりは元協会の指令官であった。

「お久しぶりです指令。――はい、先程の放送は私も見ました。――いいえ、私はこの件に関しては全く。――はい。――はい。そうです。――今は管理局に。――えっ、本気ですか。桐恵が言った事は本当なのですか。――指令は嘘だと。――いえ、私は停止するかどうかについてはまだ判断しかねます。なので本人に会って直接……。――それとこれとは別で、あの、ちょっと待ってくだ……っ、あれ、もしもし……切られた」

 晴夏が端末を睨んでいる私を見ながら苦笑いで訊ねた。

「訊かなくても向こうが何言って来たのか丸わかりの会話だったけれど、一応聞くね。指令は何だって」

 私は溜め息をついて答えた。

「……お察し通り、取引に応じるようにとのことだ。あとで正式に取引に応じると回答を発表するらしい。でも桐恵の話が本当だとは認めていない雰囲気だった。それでもあの試薬というのはなんとしても取り戻したい代物だそうなのだけれど、かといっておいそれとサザナミを停止にも出来ないからむしろこの条件は好都合だそうだよ……私も会いたいだろうってそれとこれとは別問題だ」

「結構大掛かりになってしまったね。でも、桐恵ちゃんを見つけ出す手間も大天那を探す手間も省けたしむしろ良かったと思う事にしよう。指定場所に行けば会えるわけでしょ」

「そうだけれど……」

「あの……その指定場所ってどこなのですか」

 私と晴夏の会話に典礼が入り込む。香取警部も頷きながらこちらに視線を投げかけた。

「それがわからないと我々も人員を配置する事が出来ませんのでぜひ教えていただきたい。彼女が言っていた『すべての始まりの場所』とはどこにあるのですか」

「それは……」

「どこ」

「だろうな」

「しっかりしてください二人供……」

 互いに顔を見合わせた私と晴夏に典礼は溜め息をついて眉間を押さえた。

「まず何をもって始まりとするか、という定義からだな」

「生まれた病院じゃないの」

「始まりすぎでは」

 私の言葉を筆頭に典礼も交えて話し合いを始めてしまい、つい夢中になってしまった私達はすっかり香取警部の存在を忘れてしまっていた。彼の咳払いでようやく我に返り私達は気まずそうに警部の顔を見る。

「す、すみませんでした……」

「場所の特定に尽力していただけているのはよくわかりました……。しかし今日はもう休まれて明日にした方が良いのでは」

「そうですね。そうします」

 私の部屋がある局員寮まではここから少し距離がある。病院と寮は繋がっていないのでどうしても下に降りて外に出ていかなければならないのだが正直、私はどんな顔をして局員に会えばいいのかわからなかった。

「もうかなり日が暮れていたんだね。時間は――そろそろ食堂で夕食が出る時間か。未紗、夕食はどうする……てんは病院食だけれど」

「そ、そんな……」

「冗談だよ。病人ではないから外食の許可をとってあげるよ」

「私は――」

 ガッツポーズを決める典礼を横目で見ながら私は断りを申し出た。

「桐恵があんな事を言った後だから局の人達も戸惑っていると思うし、そんな中に取引条件の私がいたら気を使ってしまう。腫れもの扱いになるのは目に見えているから、食事は部屋に届けて欲しい」

「そうか。わかったよ」

 そう返事をすると晴夏は手配をしておくと言って腰を上げる。私達もそれに倣って病室を後にする事にした。受付に預けていた小桜丸を受け取り外へと向かう途中、刀はどこに置いておくのかと聞くと神木副局長に確認したけれど良い保存場所がないから、誰かしらが帯刀しているしかないという雑な答えが返ってきた。

「さすがにそれは。その刀は貴重品というか今、晴夏が持っていること自体が特殊な事例なんだぞ……。この際、帯刀するなら私が持っていても良いと思うのだけれど」

「駄目」

「この敷地内で公安委員会の許可を得ているのは刀の所有者である私と、局代表者の桐恵とその代理としての機能を持った神木副局長。あとは特務警察の二人……それ以外の誰かが帯刀するとなれば違反になる。今この場で香取警部に逮捕され――あれ、そういえば何故警部は何も言わないのですか。せめて厳重注意とかしても」

 香取警部に訊ねると彼は一瞬きょとんとしたが、合点がいったように私に説明をしてくれた。

「そうでした。佐々木さんはご存じないのですね。先程おっしゃったそれはあくまで平常時での話です。今この局は貴方の保護優先という緊急体制になっています。この管理局は特例として緊急時に限ってのみ、あらゆる法が無効・・になります。法外地権のようなものと考えてください。これはどのような手段を用いても絶対に貴方を守らなければならないという事から決められたものです。しかし逆を言えば、この敷地内ならば貴方を脅かすモノに対しても同じことが言えます。仮にここで貴方に危害を加えても相手は罪には問われません。法外地権と言いましたがどちらかと言うと、無法地帯の方が近いかもしれませんね。なので銃刀法なんて可愛いものですよ」

 そう聞いて思い返すと、そういえばあの偽典礼が『逮捕された』という言葉は聞いていない。あくまでも確保や拘束などという単語に留まっているのはそういうわけだったのか。

「なるほど。最も安全だけれど最も危険な場所でもあるわけですね」

 全ての局員が私に好意的であるとは思っていない。あまり考えたくはないが、これは気を抜いていると後ろから殴られかねない。

「あらゆる法が無効になるって事は、もしかして首輪を外しても――」

「倫理的に却下」

「そもそも外そうとしても出来ないですよね」

「首輪と法は無関係です」

 閃いたとばかりに声を上げると言い終わらない内に一斉に拒否された。

「……そういえばそれ証拠品ですよね」

 香取警部が小桜丸を指差した。言われてみれば、あのウサギはこれを盗んで使っていたのだから正当な証拠品になる。

「そういえば確かに」

「何故提出してくれなかったのですか」

「それは、特務警察の方でも刀については未紗の許可がないと持ち出す事が出来ないからです。未紗が許可するとは思えませんし現在は無法地帯なので証拠もなにもないでしょう。それに仮に立件できる状況だとしても、これは有益な証拠にはなりませんよ」

 晴夏が答えると香取警部は眉をひそめてどういうことですかと訊ねた。

「例えば凶器として検証しようにも誰も斬られていないので切り口での照合も出来ません。指紋の採取にしても指が一部出ている部分があったとはいえ、指紋がつきやすい鞘を捨てているところからみて可能性は低いと思います」

「しかし事件・・には出来なくても不安要素は取り除かねばなりません。手がかりが……」

「と、ここまでは建前です」

 香取警部の言葉を手で遮り晴夏は一瞬だけ言葉を溜め、周囲を見渡して声を潜めた。

「これはあくまでも独り言として聞いてください……。先程おっしゃった通り、この局は現在未紗の保護――つまり彼女を守る事を優先事項として機能しています。ウサギの正体が不明な以上、警戒を怠らないに越したことはありませんが、それにも限界があるのです。襲撃者が僕達よりも強い場合や最悪のケースとして東方と同じような人物が現れないとも限りません」

 晴夏は私と典礼にそっと目配せをして私達はこっそり頷いた。実際はあの偽典礼がそれに当てはまるのだが、それは伏せておく。

「とすると万が一の事態で未紗を守るのは未紗自身しかいない。正直な話、現状で純粋に戦闘行為が出来るのは未紗しかいません。その万が一のために武器となる刀は未紗のいるこの施設から持ち出すわけにはいきません。なので、大天那紛失という事態は実はかなり重大な事件だったのです。どういうわけか桐……波川さんが所持しているようですが、それも本来なら未紗の戦力を削ぐ行為なので少し不可解さが残りますね。とはいえ刀が未紗の傍にあればいいだけの話ですのでどうしてもというのであれば未紗の保護も同時にお願いする事になりますが」

 どうしますか、と言うと晴夏は小桜丸を香取警部に差し出す。香取警部は難しい顔をして唸った。どうしますかと言われても、では連れていきますとはいかないだろう。

「鑑識を明日呼びますので検証はさせてもらいます」

「わかりました」

「それから部屋をもう一つ用意していただく事は可能ですか。護衛として私もここに残ります」

「えっ」

「どうかしたのか、氷瀬」

「いいえ何も」

「わかりました。副局長に伝えておきます。部屋も空きがありますのでお好きな部屋をどうぞ。ではせっかくですから夕飯を一緒にどうですか」

「ありがとうございます。佐々木さんを送ってから向かいます」

 そんな話をしたあと、私は晴夏と典礼と別れ香取警部と一緒に部屋に向かった。

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