第14話―佐々木家―
「僕は――」
晴夏は言葉を探すように視線を彷徨わせると、小さい声で何かを呟いた。
「僕は……きり……に……け……」
「全然聞こえない。もっと大きい声で」
「……っ、僕は桐恵ちゃんに会いたいだけだよ!」
「は?」
「晴夏さんそれは――」
「いや、違うんだてん。そういう意味ではなくて。頼むから未紗も落ち着いてくれ……」
立ち上がり両手を振って弁解する晴夏は、きちんと説明するからと私達を諫めた。
「正直これを話すのは気が進まないのだけれど……。僕が未紗に協力するのは、一緒にいれば桐恵ちゃんに会えるから。僕は桐恵ちゃんがどうしてこんな事をしたのか純粋に興味がある。それにあの国防白書の件だって本当なのか知りたい。つまりこの事件の行く末を見たいだけで、てんみたいに真っ当な理由があるわけではないんだよね」
「それって」
「つまり」
私と典礼は互いに顔を見合わせて言った。
「野次馬」
「有り体に言えばそういう部類に入るね……。でも僕は桐恵ちゃんに会った所謂、重要参考人だろう。全くの野次馬ではないと思うのだけれど、どうかな」
恐ろしく真面目な顔で同意を求めて来る晴夏に私は一つ確認をする。
「桐恵の起こした事件とは関係ないんだな」
「うん」
私は深いため息をついた。あれだけ意味深な事を言っておきながら興味本位で立ち回っていたとは。
「しかし晴夏さんがただの無能だったとはいえ、重要参考人であるということは事実です。このまま一緒に行動してもらえると助かります」
「……以前から思っていたけれど、てんちゃんって何かと晴夏に厳しいよね」
「そうだぞ。もっと僕を敬いたまえ……。ということで、ここで一つ僕が無能ではなく有能であるという事を証明しよう。情報提供だ。とはいえ良い話ではないのだけれどね。今しがた神木副局長に呼ばれた時の話なのだけれど……未紗、落ち着いて訊いて欲しい。大天那が行方不明になっている。現在も捜索中だそうだ」
「なんだそれ……大天那がないって」
「爆発現場に刀の痕跡はなかったから焼失はしていない。つまり犯人が持ち出した時点で展示ケースには小桜丸しかなかったんだ」
そういう晴夏の説明も今の私の頭の中には殆ど内容が入って来ない。大天那が消えたという事実のみが私の脳内を支配していた。
「小桜丸が左手用の刀って言っていたけれど、それはつまり大天那は右手用の刀って事だよね。本来なら刀って両刃で利き手はあまり関係ないと思うのだけれど何か違うのかい」
「それは私達の刀が少し特殊で包丁のように研ぐ方向が片側だけだからなんだ」
私は晴夏の言葉に気を取り直して簡単に刀と佐々木家について説明をする事にした。
「佐々木家にある伝統の一つに守り刀というものがあるのだけれど、これは生まれた時に一族の証として贈られて私達はその刀と共に剣舞の修行をする。私にとってそれが誕生花の名前がついた大天那だった。でも守り刀の規則によって大天那は右片刃で鍛えられていたから、左利きだった私には扱いが難しい。というのも、佐々木家の道場は剣舞だけじゃなくて居合術も兼ねて教えていたからね。そこで両親は私の五歳の誕生日に左片刃の守り刀を贈ってくれた。それが私にしか扱えないと謳われた刀、小桜丸だよ。ちなみにその名前は研いだ刃に桜の花がたくさん映っていたからだそうだ――なかなか雅な話だろう。それで居合術だけならそのままで良かったのだけれど、公の場での剣舞は刀を右手で持つ事が決まりとなっていたから右手でも剣舞が出来るように特訓をして、結果両手で刀が扱えるようになったんだ。
開戦の兆しが見え始めていた頃、剣舞の名家である佐々木家はお家騒動の真っ只中にあってね。佐々木流派の頭目は当代の佐々木家当主が引退する際に門弟の実力者の中から襲名者を指名する。私が当時の当主であった祖父から指名された時、両親はとても喜んだけれど、流派では異端な二刀流でもあった私の七代目襲名について当代の頭目やその周囲から反対の声多くて、またよくある話だが身内の依怙贔屓という陰口も聞こえていた。
そこで頭目派と当主派との軋轢を解消すべく次期当主だった母が提案したのが私や襲名候補だった門弟を国家プロジェクトのオーバーパーセプションに参加させ実力を測るというものだった。元々真剣を扱えるからという理由で政府から佐々木家に要請があり、身内で参加の是非について揉めていたそうだから解決にも丁度いいと思ったのだろう。成績次第では指名を変更するという条件で頭目もこれを承諾した。しかしいざ始まると、最初こそ多少の妨害はあったものの頭目の秘蔵っ子も私の友人達も結局はみんな離脱してしまったので残った私が開戦から一年後、大手を振って七代目を襲名。その後、サザナミが試行されるにあたり私は七代目頭目の任を解されたのだけれど、聞いた話によると八代目はおらず当代当主である母が前頭目の六代目を特例で指名したそうだ。
つまり大天那を失うという事は一族の証を失くしたという事であり、先代とはいえ流派の頭目でもあったのだからこのままでは面目が立たない。絶対に見つけないと困る」
そう話し終えると、典礼が感心したように言った。
「そうだったのですね。刀に左右があるのは教えてもらっていましたが、先輩が協会に入った理由は初めて聞きました」
「あまりそういう事は話さないからね。知っているのは桐恵ぐらいだよ」
「それを聞いてしまうと……やはり大天那を探す事を優先したくなるね」
さてどうしたものか、と三人で頭を悩ませていた時再び病室の扉が音を立て鳴った。また神木副局長かと晴夏が扉を開けると、そこには香取警部が難しい顔で立っていた。そして一礼して部屋に入り私達に警察手帳を見せる。
「失礼する。氷瀬、特に異常がないようだが念のため一晩泊まっていけ。そして佐々木さんと三岡さんのお二人には少々話をお伺いしたい。よろしいですかな」
「えぇ構いませんよ」
「どうぞ」
そう言うと香取警部は私達がここに来た経緯から襲撃までの出来事について事細かに訊ねてきた。私達も答えられる範囲で正確に答えていく。もちろんここ来た理由であるデータの事や桐恵の日記などは伏せた。
「なるほど」
香取警部は丁寧に手帳に書きこみ、一枚ページを捲る。
「では次、氷瀬」
「俺ですか」
急な指名に、気を抜いていたらしい典礼は間の抜けた声をあげた。
「鍵を返しに行ってから目が覚めるまでの事、まだ聞いてないからな」
香取警部の言葉に典礼は思い出そうと考え込む。
「……そうは言っても俺もよくわかりません。誰かに呼び止められたような気もしますが、気がついたら殴られていたという状況で……」
「氷瀬、お前もしかして」
香取警部は残っていた椅子を引き出して座りながら言葉を続けた。
「見た奴らが《特務警察》だから黙っているのか」
「……っ」
典礼の目が静かに見開かれ、その手は強くシーツを握りしめる。言葉は発せずとも肯定であると態度が示していた。
「一般人なら黙っていても構わないが……氷瀬、お前は特務とはいえ警察で公務員だ。例外的に申告義務ってのがあるんだよ。それぐらい知っているはずだが」
「……見間違いかもしれません」
「それはない」
典礼が呟いた言葉を香取警部は即座に否定し、私達もそれに頷く。
「ど、どうしてですか」
「それは――氷瀬の記録力が誰よりも信用できるからだ」
自分への圧倒的な支持を訝しんだ典礼へ、香取警部は完全記憶能力という言葉を使わず答えてみせた。典礼自身、自分を標準だと思っているのならこのままでいた方が良いだろう。
「わかりました……覚えている範囲でお話します。鍵を返した後、男性に声をかけられました。氷瀬巡査部長と俺を呼んだので特務の人間で間違いないと思います。我々は局所属なので局員にも知っている人がいるかもしれませんが、その可能性は低いかと。ここには警察は俺だけだと思っていたのでかなり驚いて振り返りました。まず目に入ったのは所属バッジです。緑だったので東方の捜査会議にいたかもしれません。そして声の反対側からもう一人の男性に羽交い締めにされました。抜け出そうとする間もなくスタンガンか何かであっという間に気絶。そして、晴夏さんに発見されたという流れです」
「でも、顔は見ただろう」
「はい。廊下の陰でしたけれど俺、夜目は利く方なのでなんとか」
「ではあとで緑バッジの名簿を渡すから教えてくれ」
「わかりました」
典礼の供述を私も晴夏も黙って聞いていた。特務警察にもウサギの息のかかった人間がいるとなると最早どこにも安全な場所はないのではないか。辛うじてこの局が建前上安全なだけという気もする。
「どうして、てんは黙っていたんだ。それに警部さんがわかったのは何故です」
晴夏が質問すると、香取警部が何の気もなしに答えた。
「勘ですよ。大方、氷瀬が黙るのなら身内絡みだろうという話なだけです。情に厚いというか優しすぎるのですよ、こいつは」
「だって、俺の勘違いでもし間違っていたら申し訳ないでしょう。だから後から自分で確かめようと思っていました」
そんなやりとりを聞いているうちに、そういえば訊きたい事があったと思い出した私はついでにと質問してみた。
「香取警部、大天那が行方不明だと聞いたのですが。詳しく教えてくれませんか」
「どうしてそれを」
「神木副局長が晴夏に教えてくれました」
「謙心の野郎……」
心の声が呻き声となり漏れていたのはそっと聞き流す。香取警部は所持者に伝える責任もあるので簡単に説明します、とかいつまんで話してくれた。
曰く、大天那がいつからなくなっていたのかは不明であるという。監視カメラの映像は全て差し替えられていたものだそうだ。爆薬は窓の付近に一つ。部屋に火炎性の液体が撒かれていたので爆発の際に引火した。用意が念入りにしてあった事から初めから爆破騒ぎに乗じた刀の盗難を目的としたものではないかと警察はみているという。
「大天那……」
「小桜丸を持って出てきたあのウサギはどうなっていますか。目撃情報などありましたか」
最早手掛かりはあのウサギしかない。しかし、晴夏の質問に対しても香取警部は首を振る。
「いいえ残念ながら。森の中で着ぐるみは見つけましたがそれまでです。あの時は皆、展示棟の火災にかかりっきりでしたから。それから、拘束した氷瀬に変装していた男は現在警察署で取り調べを受けています。彼が言うには匿名で依頼されたので依頼主については知らないそうです」
「結局のところ手掛かりなしか……」
またもや一同で悩んでいたところに、一人の警官が駆け込んできた。
「し、失礼しますっ、香取警部……テレビを早く見てください!」
必死の形相に気圧され急いで病室内にあるテレビを点けると、そこには行方が分からないと言われていた桐恵が微笑んだ顔で映っていた。胸像だけで背景は真っ白い壁しかないため、場所はわからない。
「桐恵……」
「どこからの放送か至急捜査員をまわして調べろ。波川桐恵を見つけ次第拘束、抵抗する場合は俺の権限で麻酔銃の使用を許可する」
香取警部が駆け込んできた警官に対し即指示を出すと警官は敬礼し足早に退出した。私は画面の向こうの桐恵をじっと見つめる。切れ長の瞳と通った鼻筋、紅い唇に亜麻色の長い髪。疲れているような様子もなく、凛とした佇まいはいつもと変わらない波川桐恵本人である。最後に見た時と変わって、スーツではなくどこか修道服を思わせるデザインの――。
「あの服……」
どこから調達したのかはさておき、桐恵が着ていたのは日本治安維持中立協会の制服だった。何を言うのか皆が固唾を飲む中、桐恵は胸に手を当てて一つ深呼吸をするとゆっくりと口を開く。その声は相変わらず美しく画面越しでも鮮明に私の頭に響いた。
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