第13話―典礼の疑惑―
敷地内には、局員の緊急時にも即座に対応できるように病院が併設されている。現在も元協会員のカウンセリングや治療が行われており、戦争の爪痕の大きさを痛感させた。
典礼の診察の旨を伝えると話は既に通っていたようですぐに案内された。受付に刀を預け、待つこと数十分。診断結果によると気絶の原因は軽い脳震盪、多少の疲労が認められるだけで身体に異常はないようだ。最上階の個室を用意されたのでとりあえずそこに集まり、改めて今回の襲撃事件の話を始める。典礼は入院服に着替えてベッドの上に胡坐をかき、晴夏は見舞い用の椅子に腰かけ、私は窓辺に寄りかかりながら立つ。閉められたカーテンの隙間から外を覗くと先程までの喧騒が嘘かと思える程に静かな空が広がっており、事務管理棟の屋根の向こうに見える噴水がなければ時間が止まっているとさえ錯覚しそうだった。
「さて、未紗はあのウサギの正体に心当たりとかあるのかい」
晴夏が話を進める。
「ある……かもしれない」
「どうして疑問形なの」
晴夏の質問に私は少し考えて答えた。
「……現状で私を誘拐する可能性があるのは反サザナミ派だけれど、今そこには桐恵がいる。そして殺気はなかったけれどあの犯人は間違いなく私を殺す気だった」
「殺気がないのに、どうしてそう思ったんだい」
「直感のようなものだ……おそらく、相手の声色や気迫でそう感じたのだと思う」
曖昧な答えにしかならないがそう思ったのだから仕方がない。それを聞いた典礼が頷いた。
「なるほど。東方の件と同じという事ですね。殺意はないけれど殺すことが出来る人間。早く捕まえないと大変なことになります」
「でも、もしそれが本当だとしたら指示したのは桐恵ちゃんではないね。桐恵ちゃんが未紗を殺すとは考えにくい」
「そうですね。そうなると、次に可能性があるのは……先輩に怨みを持つ人、でしょうか。俺が言うのもなんですが――該当者、多すぎませんか」
「我が家の反当主派、試合で負けた国の選手達、それから……試合で亡くなった協会員の遺族もありえる。あとは反サザナミ派だけれどそれは先程言った通り除外」
指折り数えると種類こそ少ないが人数が多い。知らないところで反感だって買っているだろう。私はそれ以上考える事を放棄した。
「でも、その中だけなら結構絞れるけれどね……。あの刀の構え方からして一般人ではなく、多少なり剣術の心得がある人物だと思う。とすると、佐々木家の人間かあるいは試合の選手、もしくは私が教官時代の教え子ぐらいだろう。そして最も重要な点は、刀を持っていた手だ」
二人を見ると、一人は考え込みもう一人はどういう事だろうという顔をして私を見返した。
「……ウサギが持っていた刀はどちらだったのですか」
考え込んでいた方の典礼が顔を上げて訊ねた。
「小桜丸」
そう返すと典礼は、わかりましたと手を上げる。私は彼を指名した。
「答えをどうぞ典礼君」
「あのウサギは小桜丸を右手で持っていました。ということは、先輩に個人的な恨みを持つ人物の中で、少なくとも元選手の先輩の班にいた人物は除外されます。何故なら、俺達は小桜丸が
「正解」
一応の拍手などしてみせると、典礼は満更でもない表情を浮かべた。
「日本刀に右と左があるの」
驚いて声を上げた晴夏に答えようとしたその時、病室の扉がノックされ開いた隙間から神木副局長が顔を出した。そのままそっと会釈すると典礼に声をかける。
「こんにちは。氷瀬さん、具合はどうでしょうか」
「……ありがとうございます。ゆっくり休めば大丈夫だそうです」
意外な人物に緊張したのか典礼の表情は硬い。しかし神木副局長はそんな典礼に向かって優しく微笑んだ後、少し良いですかと言って晴夏を手招きし部屋の外へと連れ出した。
「何か急な用でもできたのかな」
「どうでしょうか……。あの、先輩。今日はここに泊まるつもりでしたよね」
「保護施設だそうだからね。警護を強化してくれると言っていたから、先程のような事件は起こらないと思いたいけれど……突然どうした。書類の申請が必要なら書くけれど」
笑いながらそう返すと典礼は少しだけ言い淀んで視線を泳がせたあと、私に視線を合わせると真面目な顔で言った。
「この施設は危険です。重要参考人として保護しますので警察に行きましょう」
「どうして警察に。任意同行は拒否する」
「茶化さないでください」
軽口を叩いた私を嗜め、それに――と言葉を切った典礼は声を潜めた。
「俺は晴夏さんを信用していません」
「それはどういう意味だ」
お前も怪しいだろうと言いたいのを堪えて私はその理由を訊く。
「不明プログラムの件を言いに来たのは晴夏さんですが、そのプログラムの鍵を解除したのも晴夏さんです。晴夏さんがプログラムを作ったという可能性も否定できません」
「自作自演か。でもそれにしてはあのエラー対処の慌て様は本当のように見えたけれどな。あれが演技だったらもう誰も信用できなくなると思う。事件の前に未紗と話をしていたし、現時点で一番情報を持っているのは晴夏だから疑うのもわかるけれど、もし仮にてんちゃんの言う通りだとしたらこの施設に来た事自体が罠に――」
そこまで言ってふと一つの可能性に思い当たった。ウサギの件も局の構造に詳しい晴夏があらかじめ手引きをしていたのなら容易になるのではないか……とするとこの現状、とても危険なのでは、と嫌な推測が胸を占め始めようとしたその時、勢いよく病室の扉が開かれた。
「はい。そこまで」
「――っ」
二人で勢いよく顔を向けると、そこには驚くほど冷たい瞳を眼鏡越しに湛えた晴夏の姿があった。しかしその表情は束の間、呆れ顔に変わる。やれやれと頭を振り、晴夏はこちらの気まずさを気にも留めず真っ直ぐに歩いて元の椅子に座った。一番聞きたいけれど聞きたくない質問を私は口にする。
「晴夏、一体いつから……」
「僕が怪しいって話ぐらいから。対象が近くにいる場合の陰口は歓迎されたものじゃないね。それにしても未紗は相手に流され過ぎ」
「ごめん」
言い分はもっともなので、私は素直に謝る。そんな晴夏の言葉に典礼が即座に反論した。その目は鋭く警戒している事をもう隠す気はないようだ。
「どういう意味ですか。貴方が信用できないのは事実でしょう」
「そういう典礼も信用できると思っているの」
名前で呼ぶ晴夏の容赦ない返しに典礼は一瞬言葉を詰まらせた。
「っ……よくわかりました」
感情を抑えた声で典礼が絞り出すように呟く。
「ここではっきりさせましょう。どちらが佐々木先輩の味方なのか」
「構わないよ。でもどちらかが敵だった場合を考えると部屋の中にいるのは危険だと思うけれど……でも僕ではないから良いか。では言い出したてんの事から聞こうか。てん、白書の中身をいつ見たのか答えてくれ」
「な、にを言っているのですか」
あまりにも直球な質問に驚愕した典礼は目を丸くする。私もまさかそれを最初に訊くとは思わず晴夏の顔をまじまじと見つめた。
「ロックの制限回数や今まで発言からそう思っているけれど、違うのかい。答えにくいのなら六月三日――てんが最後に桐恵ちゃんと話をした後何をしていたのか、でも良いよ」
「それはまるで俺が事情聴取の後、波川先生を尾行してファイルを見たと言っているように聞こえますね」
「察しが良くて助かるよ」
にこやかな笑顔で受け答えをしている二人だが、まるで薄氷の上を歩いているような空気で私としては気が気ではない。殴り合いにはならないだろうけれど何が起きても良いように一応の心構えはしておこうと思う。
「そうですか」
そう言うと典礼は何か考えるように俯いたが、しばらくして顔を上げると小さく溜め息をつき諦めたような表情を浮かべた。
「気がつかれないと思ったのですが……そちらの考察能力の方が優れていたわけですね」
「ということは――」
「はい。俺は白書の中身を知っています」
お前もかと口にしかけたが私は平静を装い努めて冷静に典礼の話を聞くことにした。典礼の言い分はこうだ。
桐恵を尾行したのは、あんなに出掛けたがらなかったのに急に用事が出来たという事を疑問に思ったから。それにサザナミ関係で異常事態があった場合、システムエラーの他で真っ先に疑われるのは根幹である佐々木未紗かシステムを統括する波川桐恵である。事情聴取の立ち合いは正式なものであったが、不審な行動をしないか監視する必要もあった。桐恵は聴取の後すぐにプログラム管理室に向かったという。典礼は桐恵が入室する時に使ったパスワードを覚え桐恵が出てくるのを待った。数分もしない内に慌てた様子の桐恵が部屋を出てきたが恐らくこの時に不明ファイルを発見したと思われる。そして晴夏を連れてきたあと二人はしばらく何かをしていたようなので、気になった典礼は二人が退出した後に桐恵のパスワードで入室し鍵を解除して白書を見た。その内容について話を聞こうと桐恵を探したが見つからず後日爆破事件が起きた。
「というわけです」
「尾行しろよ」
至極真っ当な感想を晴夏が述べた。今となっては結果論にすぎないが、もしも典礼がそのまま桐恵を尾行し続けていたら事態はもっと変わっていたかもしれない。私は典礼の話の中で一つ気になった言葉があったので確認の為に訊ねる。
「桐恵は休暇だったからカードを使えなかった。でも部屋にはパスワードを使って入れている。これはどういう事なんだ、晴夏」
「それね……」
晴夏は少し目を逸らすと一気に話し始めた。
「休みの人のカードが使えないと言ったのは本当なのだけれど、忘れ物をした時とか急用が出来た時に困るからという事で、実は各自休日用のパスワードが発行されているんだ。それを知られると誰でも入れてしまうからメモに残すことなどは禁止されている。かといって簡単なパスワードじゃなくて文字数も長いし規則性のない文字の羅列になっているのだけれど……てんの前ではヒトは無力だね。先に言っておくけれど、僕が管理室で休日用パスワードを使わなかったのは、てんに覚えられたら困るからだよ」
「俺は晴夏さんがあの部屋でどうしてパスワードを使わないのか気になっていました。でもそれを言ったら尾行していた事がバレてしまうので黙っていたのですが、そういう事だったのですね。俺、どれだけ危険視されているんですか……」
肩を落として落胆する典礼。しかしその強靭な記憶力で現にこうして内部まで入る事が可能な点から、スパイとしての能力も十分に潜在しているといえる。晴夏に対策されても仕方がない。
「白書の中身については誰かに話をしたのか。例えば香取警部とか」
私の質問に典礼は首を横に振る。
「いいえ、誰にも。とても話せる内容ではないですし」
「そう。なら良かった」
「……さて。では気を取り直して。次は晴夏さんの番ですが、消去法的にもう聞かなくてもいいような気もしますね」
「待って短絡的すぎる。僕も未紗の味方だってば」
「では俺の疑問点に答えてくれますか」
「どうぞ」
晴夏は手を振って続きを促した。
「最初に、晴夏さんの話の信憑性についてなのですが」
「それ。ここで言うの」
根本的な部分を突かれて晴夏は信じられないというような視線を典礼へ向けた。典礼は構わずに話を進める。
「ファイルの存在は確認できてはいますが、見つけたのが波川先生であるということや行われた会話などは晴夏さんの証言しかありません。それに誰が作ったのかもまだわからないですよね。セキュリティからして外部の人間がこれを作って入れるという事は難しいでしょうし、内部の人間でも波川先生が開けられないような鍵をかけるという事は……技術がないとそれも難しいでしょう」
「それはまるで僕がそのファイルを作ったと言っているように聞こえるけれど」
「察しが良くて助かります。故に現状で晴夏さんの話を信用出来るかといえば――」
そう言葉を切る典礼を晴夏は呆れたような目で見ていた。晴夏からすれば自身は味方だと宣言しているわけなので、今の話も右から左へ流すものでしかないのだろう。
「言いたい事はよくわかった。そこまで信用していないのに今まで一緒にいたのは僕の監視のためか」
「それもありますが一番の目的は……そうですね、この際なのでお話します。俺の任務は佐々木先輩の
「監視ではなくて護衛なのか」
「はい」
驚く私を見て答えた典礼の笑顔はとても眩しく、そういえば彼はこういう風に笑うのだったと思い出した。
「先輩への事情聴取のあと、香取警部から個別に護衛の任務を任されました。表向きは捜査から外された事になっている極秘任務なので本当は言ってはいけないのですけれど、身の潔白を証明する為ですので仕方がないですよね」
仕方がないと言いつつも、典礼は肩の荷が下りたようなスッキリとした表情をしていた。
「そのわりには未紗を危険な目に合わせていたけれど」
対して晴夏の表情は硬く声も冷たい。その言葉には典礼の表情も真面目になり頭を下げる。
「それは完全に俺の落ち度です。すみません。もっと警戒すべきでした」
「なるほど。だからあの時、あんなに香取警部に怒られていたのか」
「その通りです」
典礼は苦笑いで真相を明かした。
「疑いをかけていた僕を未紗と二人にする機会が多かったのは何故だい」
晴夏が話を聞きながら何やら考えていたかと思うと不意に口を開く。その当然ともいえる質問にも典礼は当たり前という口調で答えた。
「それはですね。晴夏さんが先輩に危害を加える事を目的としてないとわかったからです」
「……どうだろうね。これから未紗を殺すかもしれないよ」
「それはないでしょう。やるならもっと早くやっていたはずです。晴夏さんは先輩を利用して何かをしようとしていて、その目的を達成するまでは先輩を守ると考えました。どこか間違っていますか」
「…………」
「沈黙を答えと受け取りますよ」
「晴夏……お前は一体何者だ」
私は再び管理室の時と同じ質問をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます