第12話―閑―
典礼が必ずスーツを返すようにと念を押して警官に伝えて同じ顔の男が連行される後ろ姿を見送っているのを横目に、私は残る刀の大天那がどうなったのか誰かに訊こうと思い辺りを見渡した。棟の火災は鎮火し局員も警察もその後の対応に追われているようで誰もが慌ただしく動いている。騒ぎになっていない様子から焼失は免れたはずであるがやはり心配だ。ふと、少し離れた所で香取警部が現場指揮をしているのが目に入った。私は手を振って香取警部に声をかける。
「香取警部!」
その声に気が付いた香取警部はこちらを向くと、私がいることに少し驚いたようだった。そして視線を移して私の横にいる典礼を見る。すると彼はみるみるうちに目を吊り上げ、大股でずかずかと歩いてきたかと思うと、まだ気が付いていない典礼の後ろ姿に向かって思いっきり大声をあげた。
「氷瀬!」
「はいいいいいっ」
不意を突かれた典礼は文字通り飛び上がって振り返り、その人物が香取警部だと知ると大慌てで敬礼をした。
「か、香取警部っ。お疲れ様です……」
「重要参考人を危険に晒して寝ているとは何事だ」
「返す言葉もありません……」
「それになんだ、そのふざけた格好は。ここの局員に転職でもしたのか」
「違います」
その否定だけは即座に真顔で伝えた典礼を晴夏がとてもショックを受けた顔をして見る。そこへ意外な人物が声をかけてきた。
「史人さん、彼だって被害者なのですよ。もう少し言い方があるでしょう」
驚いた事に香取警部を名前で呼んだその人物は神木副局長だった。私達の後ろから現れた神木副局長は微笑みながら典礼を庇うように前に立ち香取警部を宥める。
「謙心か……部外者は黙っていろ」
こちらも名前で呼びながら眉を顰めて睨み付ける香取警部を物ともせず、神木副局長は静かに続けた。
「部外者ではありません。今は私がここの責任者です。彼が警察――それも貴方の部下だったとは知りませんでしたが、この敷地内に侵入者を許したことで彼も被害にあったのなら責任者として、お詫び申し上げます。今日は付属の病院で一晩安静にして過ごしてください。それと、佐々木さん。今回の敷地内での事件、保護を謳っておきながら危険にさらすなど大変申し訳ありませんでした。逃げたもう一人の犯人は今警察の方が行方を追っているそうです。より一層の警護をさせていただきたく思います」
そう言って私に頭を下げる神木副局長の姿は聖人そのものに見えた。よく通る心地よい高さの声は頭に入りやすく、この人が言うのだから許そうという気にもなるのが不思議だ。しかしそんな聖人のような神木副局長の言葉を聞いても眉一つ動かさない香取警部は、確認するようにゆっくりと口を開いた。
「謙心……お前は今、氷瀬が警察と知らなかったと言ったな……」
それを聞いた後ろにいる典礼の表情がみるみる青くなっていく。当然前にいる神木副局長は典礼の様子に気づかず、香取警部の言葉に素直に頷いた。
「はい。申請書にはきちんと身分が書いてありましたが、てっきり正門までの警護要員なのかと。彼のことは佐々木さんの使用人かと……大変失礼致しました。バッジをつけていなかったのでわか――」
「氷瀬!」
「はいいいいいっ」
バッジをしていない事がバレてしまった典礼は死にそうな顔で怒りの香取警部を前に神木副局長の後から必死に言い訳を始めた。
「あ、あのですね、その、警察だと知られると追い出されるような気がして……」
私の家を出る時にバッジを外していたので何か職務的な規則があるのかと思ったが全く関係なかった。
「身分証を気分でつけ外ししてどうする……」
「史人さん。落ち着いてください。少し休憩しましょう」
呆れたように首を振る香取警部に神木副局長が休憩を提案した。そうだな、と香取警部は懐から煙草を取り出して火を点ける――寸前に神木副局長がサッと取り上げた。怪訝な顔をする香取警部に神木副局長は笑顔で告げる。
「敷地内は禁煙ですよ」
「……」
「喫煙室までご案内します。それに先程の話ですが、確かに彼の言う通りもしあの時に警察の方だとわかっていたらその場でお引き取り願っていたでしょう。今は事情が変わりましたので彼もここにいて構いませんが、局員への今日の件以外の聴取は禁止させていただきます」
暗に桐恵の事は聞くな、と釘を刺され私と晴夏は互いに顔を見合わせて肩をすくめた。香取警部が私達に向き直り、そこのお二人には……と声をかける。
「今回の爆発や襲撃については改めて話を聞かせていただきますのでご了承願います。……氷瀬は二人と一緒に病院へ行って診察を受けてこい」
「わかりました」
見事なまでの敬礼を返し典礼はホッとした表情を見せた。神木副局長がいなかったら今頃まだ小言を言われていたに違いない。
「あの、――」
「さぁ、早く行きましょう」
一段落ついたところで、私は大天那がどうなったのか訊くために声をあげたが神木副局長に遮られてしまった。しかし神木副局長が何も言わないという事は大天那に被害はないということだろうか……。香取警部の背中を押して半ば無理矢理この場から連れ出す神木副局長を、典礼が驚いた顔で見ていた。彼からすれば厳しい上司がこうも簡単に他人に誘導されている様子はさぞ珍しく映ったのだろう。神木副局長は振り返って私達を見ると、徐に口角を上げて片目を瞑り流れるような仕草で親指を上げた。その様子を見るに、どうやら私達を――というより典礼を助けたつもりらしい。典礼は頭を下げていたが、私は大天那の所在を訊く事が出来なかったので腑に落ちない。それに晴夏とすれ違う時に神木副局長が何か言っていたようなのも気にかかる。
「……晴夏さん。香取警部と神木副局長はどういう関係なのですか」
頭を上げても立ち去っていく二人から視線を逸らさずに典礼が晴夏に訊ねた。
「あの二人は剣道の師弟だよ。以前、神木副局長が話してくれた事があったのだけれど、未紗の試合を見て剣道を習おうと決めて香取っていう強い武道家に弟子入りしたそうだ。だからもう神木副局長も剣道歴五年ぐらい経っているんじゃないかな。僕もその香取っていう人を見るのは今日が初めてだったけれど、まさか警察の人間だったなんてね。強いに決まっている。でも、てんの上司って事はあの人に体術とか習っているのだろう。神木副局長はある意味で兄弟子じゃないか」
「……なるほど。そうですね……」
「様子が変だぞ、てん。やはりどこか調子が悪いのか」
どこか上の空の典礼に晴夏が怪訝な顔をする。
「大丈夫です」
典礼と晴夏のやり取りを聞いてようやく私は典礼の今の格好を思い出した。
「てんちゃん。早く病院に行こう」
幸い怪我などはしていないようだが、一番の被害を受けているのは彼である。しかし典礼は特に気にする様子もなく言った。
「そうします。警部にも言われましたので、今日はここに泊まりますね」
「よし、そうと決まれば……晴夏」
これ以上負担をかけるのも可哀想だ。私が晴夏の名前を呼ぶと、彼は即座に意を汲んでとても楽しそうな笑顔を典礼に向けた。それを見た典礼が即座に警戒したところから、日頃から晴夏に振り回されているのがよくわかる。
「これが一番早い移動方法だ」
晴夏は、よいしょという掛け声と共に典礼を担ぎ上げた。
「うわ、ふざけている場合ですか。何が嬉しくてっ、晴夏さんに、俵担ぎ、されないとっ、いけない、んですかっ……」
「その台詞はもう聞いた。まったく、揃いも揃って人の顔の傍で暴れるなよ。眼鏡が割れる」
「大人しく担がれるといいよ、てんちゃん。意外と悪くない景色が見られるぞ」
「先輩。どうしてそんな悟ったような顔をしているんですか……俺は平気ですって」
典礼は、しばらくもがいていたが結局は諦めて大人しく担がれながら病院へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます