第10話―襲撃―


 展示棟周辺の人だかりの近くに来てようやく私は地面に降ろされた。近くの局員から晴夏が即座に情報を集め始める。聞くところによると、警察や消防車は自動通報システムにより既にこちらに向かっているらしい。私は周囲を見渡し典礼の姿を探したがこの人の多さでは見つけることが出来なかった。連絡もないし、まだこちらには来ていないのだろうか……騒ぎには気がついているはずだから、あの広場に私達がいなければこちらに来るだろう。今はそれを待つしかない。

 火の手はと見ると刀が納められている二階から黒煙が上がっていた。上手く防災装置が働いていなければ焼失の可能性もある。そう考えただけで体の芯が冷たく凍り付いた。佐々木家の証である大天那と己の存在証明ともいえる小桜丸。あれは私が〈佐々木未紗〉でいる為に必要なものだ。大天那と小桜丸の二振りは絶対に失うわけにはいかない。

「晴夏。ここの防災装置は、万全なんだろうな」

 大天那と小桜丸は大丈夫かと私は晴夏に詰め寄った。晴夏は困った顔で私を見ながら肩をすくめる。

「まだ詳しくはわからないけれど、最初の爆発が二階だったみたいだね。衝撃で壊れてなければケースの防護装置も作動しているはずだけれど……でもこの様子では確かめようがないよ」

「そんな……。私、ちょっと見てくる」

「落ち着けって」

 居ても立っても居られなくなり咄嗟に飛び出そうとする私を晴夏が慌てて引き留めたが、とても落ち着いている場合ではない。

「話をしている暇も惜し――」

「僕に考えがある」

 畳み掛けるように言葉を遮って晴夏が続けた。

「まず大前提として、燃えている建物に入るのは自殺行為だ。だけれどこの規模の火災なら消火服みたいな耐火素材の服を着て建物内の構造に詳しい人が入ればまだ少しは可能性があるかもしれない。でも僕は未紗がその条件を満たしているとはとても思えない。ここまではわかるね」

 私は無言で頷いた。しかしその条件を満たす人物がいるとも思えないのも事実だ。どうするつもりなのかと思う私の表情を読んだように晴夏が不敵に笑う。

「でもここにその条件を満たせる人がいる――僕だ」

「確かに建物に詳しいのはわかるけれどその格好は燃えると思う……まさか白衣が耐火素材とでも」

 私は訝し気に白衣を見つめた。どうみても普通のよくある白衣にしか見えない。

「いいや、この白衣は一般的なやつだよ。でも僕は一般的ではない服を一つ持っている」

 笑って言う晴夏に、それは何かと考える間もなく私は直ぐに思い当たる。

「……あのウサギ、そんな性能もついていたのか」

「未紗が着替えている間に調べたんだよ。てんにも聞いたし間違いないと思う」

「そ、そうなんだ……」

 高性能すぎて用途がわからなくなってきた。

「とにかく、僕がその着ぐるみを着て刀を持ってくるよ。だから慌てずに待っていて」

「待っていてと言われても……ここからだと晴夏の部屋まで遠すぎる。時間がないんだ」

「大丈夫、この敷地は庭も同然。ここからだと通路を戻るより局員用の外周に出て行った方が早いんだ。それに管理棟のエレベーターだってこちら側にもある。局内にいる人間に持ち出してもらって途中で合流することにするよ」

「……あぁ、わかった。気をつけて」

 自体は一刻を争う。そう言われてしまっては、今はもう晴夏に頼るしかない。私は祈るように晴夏を送り出しその背中を見送った。

 合流しやすいように別の場所に移動した方が良いかもしれない、と思い辺りを見回していると私を呼ぶ聞き覚えのある声が人混みから聞こえてくる。

「佐々木さん! どうしてここに……!」

 声のした方を見ると、神木副局長が驚いた顔をして人混みを掻き分けながらこちらに走ってくるのが見えた。そして私の所に着いたかと思いきや私の腕を引っ張って人混みから連れ出す。

「こんな所にいては危険です。早く離れてください!」

 こちらです、と群衆から離れた所へ移動し、神木副局長はくるりと振り返ると矢継ぎ早に質問をくり出した。

「怪我はありませんか。どうしてあんな所にいたのですか。逃げないと駄目でしょう。それよりどうして一人なのですか。あのお連れの方や晴夏くんはどこです」

「わ、わかりましたから。とりあえず腕を放してください」

 真剣に訊ねて来るのは責任者としての責務なのかもしれないが、その瞳に狂気じみたものを感じ少々面食らってしまう。しかしこれもサザナミシステムの核とも言える私に何かあっては世界の危機に繋がる可能性も否定できないので致し方ない反応なのかもしれない。私の言葉で腕を掴んだままという事に気がついた神木副局長は慌てて手を離した。

「す、すみません」

「いえ。あの、三岡さん達はですね――」

 二人がどこにいるかを話そうとした時、神木副局長は真剣な表情で辺りを見回していたかと思うと、誰か見つけたのか安心した顔で手を振って私が来た道を指差す。その先にはスーツを着た人物――典礼らしき人物が走ってきているのが小さく見えた。

「あぁ良かった。ほら見てください、向こうからお連れの方……のりあき、さんでしたか、彼が来ましたよ。佐々木さん、詳しいお話はまた後で伺います。良いですか、ここから絶対に動かないでくださいね。もうすぐ警察や消防の方が来るはずです。それまで彼と一緒にいてください。では私はこれで」

 早口で捲し立てながらそう言うと、こちらの返事を待たずに神木副局長は良い笑顔で現場の方へと急いで戻っていった。典礼はと見ると疲れからか途中から走るのを止めて歩き始めていたのだが、私の視線に気がつくと慌ててまた走り出した。今日の彼は常に走っている印象しかない。

 一本道なので向こうの姿が見えていても意外と距離があるので典礼が辿り着くまで少し待つ。私は改めて辺りを見回してみた。正門から入って左側のエリアにあたるこの場所は、管理棟を境にして通路も森で囲まれている。管理棟までの右側のエリアが芝生なのに対して展示棟が森の奥にあるのは神社で言うところの所謂『鎮守の森』のような意味合いを持っているそうだ。勿論、刀は神体ではないので祀られているという概念はないが、こうすることで刀の返却を求める私の一族を多少は鎮めていると聞く。しかしそんな背景を抜きにしても、森の中は空気が澄んでいてとても気分が良い……とこんな状況でなければ思っていただろう。普段は建物の中にいるので今のうちに自然を感じておくのも悪くない。私は静かに深呼吸をして気を引き締めた。

「……お疲れ。てんちゃん」

 ようやく戻って来た典礼に労いの言葉をかける。目の前の彼は膝に手をつき肩で息をしながら何とか呼吸を整えようと必死な様子が見て取れた。

「大丈夫か」

 さすがに少し心配になって典礼の肩に手をかけると、典礼はその手を掴み勢いよく顔を上げ何事か呟いた。息を切らしているせいで上手く聞き取れず私はもう一度訊ねる。

「落ち着いて、てんちゃん。どうしたんだ」

「ここか……早く、逃げ……しょう……っ、晴夏さ……全、部……」

 息が切れて掠れた声で懸命に伝える典礼の断片的な言葉からとても嫌な予想が頭をよぎった。そんな、まさか……。

「嘘だろ、典あ――、っ!」

「――っ!」

 その瞬間、首の後ろに僅かに鋭い敵意を感じ咄嗟に振り返るよりも速く驚いた表情のままの典礼が反射的に私を横に突き飛ばした。

「……っ、てんちゃん!」

 尻もちをついた痛さも忘れて前を見上げると、そこには片手で典礼の首を掴み持ち上げている、抜き身の刀を持った水色のウサギ・・・・・・が立っていた。

「晴、夏……」

 目の前の光景がにわかに信じられない。今の私は名前を呼ぶ事が精一杯だった。捕らえられた典礼は手を解こうと抵抗しているが彼はビクともせず静かに首を絞めていく。

「ぐっ……がは……っ」

 このままでは典礼が死んでしまう・・・・・・……その事に違和感を覚えるよりも先に私は動いていた。彼の狙いは私だ。だとしたらこの場から離脱すれば少なくとも典礼から手を離すはず。全力疾走は出来ないがこの靴でも慣れれば走れないわけではない。しかし彼に背を向け立ち上がろうとしたその時、後ろから思い切り何かがぶつかり押し潰された。その物体が呻き声を上げ咳き込んだ事で、物体の正体が典礼だと知る。晴夏が典礼を私に投げて寄越したのだ。

「……このクソ眼鏡」

 今の衝撃で幾分か精神的ショックから解放され、徐々に腹立たしい気分になる。あれは私の刀だ。何故あいつが我が物顔をして持っている。取り返さなくては。しかし怒り任せに典礼を押し除けて立ち上がり、反撃に出ようとした私を起き上がった典礼が腕を引いて留めた。声が出ないのか黙って首を振ると装備していた特殊警棒を取り出して構え、晴夏を牽制する。

 両者の間に緊迫した空気が広がる中、私は鍔と柄の色から持ち出された刀がどちらなのかを判別した。どうやら今彼が手に持っているのは小桜丸のようだ。大天那はどうしたのだろうか、何故抜き身なのか、鞘はどうしたのかなど様々な疑問が頭をよぎったが、何より気がかりなのはあの持ち方で警棒相手に振り回されては刃こぼれしそうで怖いという事だった。しかし今のうちにここから離れる事が、自分に出来る最善であると判断し森へと逃げる事だけに集中する。

「てんちゃん」

 私が声をかけると典礼が振り返りそっと頷く。無理はしないでくれ、と言い残して私はその場から離れた。一度だけ振り返るとウサギと典礼が牽制し合いながらもまだこちらを見ている。私は足を急がせ森へと向かった。

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