第9話―疑惑―

 迷路のような棟を脱出し、私達は事務管理棟と展示棟の間にある広場まで出てきていた。中央にある噴水を背に立ち止まり、右に行けば展示棟に左に行けば事務管理棟へと続く分かれ道で、晴夏と典礼がお互いに神妙な顔を向き合わせている。そんな二人を横目に、私は先程のサザナミが停止した刹那を思い出していた。あの時、反射的に飛び退いてしまう程の意識・・が私を襲った。私へ向けられた殺気。あれは――。


 誰の殺意・・・・だ。


 あの殺意を知ってしまった今、私は刀の事で頭がいっぱいだった。晴夏の言った言葉、白書の中身など気になる事は多いけれど、とてもそんな事を考えている場合ではない。なんだかとても胸騒ぎがする。そしてこういうときの予感というのは、往々にして当たるものだ。なんとしても大天那と小桜丸を返してもらわなければいけない、という強い思いが私の気を逸らせる。結果的に展示棟へ向かう事になって本当に良かったと思う。

 そして二人はと見るとお互いに顔を見合わせたまま拳を握り締め、勢いよく相手に向かって突き出した。

「……くっ」

「他愛もない」

 晴夏は鼻で笑いながら高々と拳を掲げ、典礼は指を二本出した手の形をとても悔しそうに睨みつけていた。

「もう一回です……晴夏さん」

 そんな典礼の声を無視して、晴夏はスペアキーを典礼に放り投げる。

「何回負ければ気が済むんだよ。ほら、大人しく返しに行ってこい」

 早く行けと手をヒラヒラと振る晴夏とスペアキーを忌々し気に見ながら、典礼は渋々と事務管理棟の方へ再び、走って行った。

「さて、これからどうする。……もちろん待つよな。あそこにベンチがある」

 私は再び典礼の背中を見送った後そう聞きながらも、晴夏の返事も聞かずに引っ張って座らせた。

「……意外と強引だね」

「このぐらいやらないと、話をしてくれないでしょ」

 晴夏の前に立ち、有無を言わせない態度で私が言うと、晴夏はわかったよ、と周りを確認した上で静かに口を開いた。

「聞きたいことはわかっている。あの時に言った、てんの事だろう。そこまで時間はないから手短に説明すると、僕がてんを信用出来ない点は三つ。一つ目の理由は、てんが単独で行動しているという事。桐恵ちゃんの件で捜査本部が設置されているのは間違いないと思う。万引きや空き巣と違ってこういう事件の場合は単独で行動すると危険だからね、基本的に二人以上で組むのが普通なはずだよ。でもてんは重要参考人であるはずの僕や未紗の所に一人で来ているだろう。という事は、既にてんの捜査は始まっているって事なんだよ。要は潜入捜査みたいな感じかな。桐恵ちゃんを見つけるなら僕達の傍にいた方が早いと考えたのだろうね」

「私達に探させて桐恵を捕まえる気なのか……」

「僕はそう考えている。恐らく最初は僕達から情報を聞き取る事だけが目的だったのかもしれないね。でも、未紗が捜査に加わりたいって言っただろう。警察からしてみれば鴨が葱を背負って来るようなものだし、断りはしないさ。それに、僕にしたって重要参考人って言われているけれど、たぶん未紗の共犯――容疑者の一人として監視がつけられていると思う。てんがその監視役でも不思議じゃない。僕達より先に、桐恵ちゃんを悪だと思っている警察に接触させるわけにはいかない。だからあまりてんに情報は流したくない。とはいえ、僕達に危害を加える気はないだろうからその点は心配しなくていいと思う。頃合いを見て監視を抜けよう」

「それは良いとして、それ程までに最初からてんを疑っていたのなら、どうして家に来たてんの前でプログラムの話をしたんだ。私に申請書を書かせたいなら局の意向を言うだけで良かっただろうし、てんが帰ったあとにでもすれば良かっただろう。むしろプログラムの件は知らせない方が良かった気がする」

 そう言うと晴夏は少し考える様に宙を見てから、言葉を切り出した。

「……それは僕なりの最後の確認というか、てんに対して少しの希望があったから。結果はどうみても、てんはあちら側の人間だね」

 晴夏はそう言うと、次に二つ目の理由はね、と続けた。

「僕と桐恵ちゃんとでプログラム管理室に入ったって話をしただろう。そして何故か、それが目撃されていたって、てんは言った」

「それが何かあるのか」

 確かに周りを確認したと晴夏は言っていたけれど、それでも全ての目を誤魔化す事は出来ないと思う。見たなら見たと証言もするはずだ。

「その話をする前に。未紗から見てここの局員をどう思う。警察に対して協力的に見えるかい」

「それは……」

 私は桐恵の事を尋ねた時の事を思い出した。警察と言っていないのにも拘らずあの対応なのであれば、実際の警察の聞き込みなどはかなり困難だったのではないだろうか。

「勘違いしないで欲しいんだけれど、決して皆、嘘をついたり隠したりしているわけではないんだ。それを踏まえて聞いて欲しい。すごく簡単に言うと、桐恵ちゃんは皆から見えていない・・・・・・

「……ごめん晴夏。簡単に言いすぎて全くわからない。桐恵はいつから幽霊だったの」

 一体こいつは何を言っているのだという顔が露骨に出ていたのだろう。晴夏は笑って訂正する。

「僕こそごめん。そうではなくて、認識されないって言った方がわかりやすかったかな」

「余計わからない」

 実はそういう陰湿なイジメがあった、とかそういう類の話なのか。両手を上げ降参すると、晴夏は私に説明すべく言葉を探して少し考え込む。晴夏は話が合うし頭の回転も速いので会話も楽しいのだけれど、たまにこういう風なズレが生じるというのが唯一の難点だろうか。

「例えば、だけれど……」

 晴夏は前置きをして私に訊ねた。

「未紗の家の玄関にあるウサギの置物の中で、右から六行目で上から四段目の位置にあるもの。あのウサギは何色か、覚えているかい」

「あぁ……右から五で上から四……青色だな。幸福の青い鳥ならぬ青い兎だって桐恵が研修旅行のお土産で買ってきた」

「覚えているんだ……」

 晴夏は驚いたという様に眉を上げる。若干引き気味に見えるが気のせいだろうか。自慢ではないがウサギグッズ愛好家として手元にあるウサギグッズの詳細は当然全て覚えている。好きなものに関する記憶力だけは良いのだ。

 質問を変えよう、と晴夏は話題を切り替えるべく手を振ると再び訊ねた。

「では、冷蔵庫に書いてあるメーカー名はどの位置にあるか。これならどう」

「冷蔵庫にメーカー名なんて書いてあるのか」

「あるよ。これは未紗の家に行ったときに確認済み」

 何でもないように晴夏が言うが、この男は人の家に来ておいて一体どこを見ているというのか。思い出せなくて頭を抱えていると、晴夏は時間切れだと言って正解を告げた。

「正解は扉の右下だよ。ほらね、毎日見ているはずなのに、見えていなかった・・・・・・・・。僕が行った時に未紗はキッチンへ紅茶を用意しに行ったけれど……認識していなかったでしょ」

 そう言われてようやく、メーカー名が書いてあったことを思い出した。

「そして言われて初めて認識する。見ているのに見えないっていうのは、事故などでもよく言われているね。相手が急に・・飛び出してきたって言う人、いるだろう。要は対象を意識していないという事」

 見えているはずが見えない現象――ふと、右眼に微かな痛みが走った様な気がした。

「ということは、桐恵に対して皆そういう現象が起きているというのか」

「桐恵ちゃんの場合は、冷蔵庫の例に近いね。有名人とはいえ当たり前にそこに在るからこそ、逆に皆の印象に残らない。……そうか、道ですれ違った人の顔を覚えていないのと同じ感覚と言えばいいのかな。風景に溶け込んでいるというか、そういう感じ。言いたい事のイメージは掴めたかい」

「まぁ、おおよそ」

 私が頷くと晴夏は良かった、と笑った。

「それに加えて今回の件は少し面倒くさい事になっていて、桐恵ちゃんが悪者っていうマイナスイメージがついている。皆の反応を見てわかったと思うけれど、それは受け入れ難い事実なわけだ。さらに言えばあの日、桐恵ちゃんは非番だった。非番の人間が局にいるのはここでは滅多にないから、まず桐恵ちゃんが局にいるなんて頭にない。ましてや実際は機密性の高い事情聴取の立ち合いなのだから、警察だってなるべくは連れてきたことを公にしたくないはずなんだけれどね。さて、ここでこれらを繋げてみよう。桐恵ちゃんがどこにいたか、皆は答えられると思うかい」

「そうだな……。聞かれれば思い出すんじゃないか、さっきの私みたいに。非番の人間がいれば目立ちそうだし」

 私は局員の気持ちを考えながら答える。

「でも相手は桐恵ちゃんを捕まえようとする警察だよ。仮に見かけたとしても、わざわざ不利になりそうな事を思い出す必要はない、つまりは意識しないと脳が判断してもおかしくないと思うんだ」

「そんな馬鹿な……」

 人は見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じるというが、これはありえる話なのだろうか。しかしあの異質ともいえる空気を目の当たりにした後ではそれもありえそうな気もしてしまう。

「それにね、話の内容が内容だし桐恵ちゃんの方も結構気を使って僕の所まで来たんだよ。それなのに、情報が警察に流れているってことは……」

「まさか、桐恵は……警察に尾行されていた」

「その可能性は高い。そして三つ目の理由。これはほぼ確定と言っていい。てんは、あの白書の内容を読んでいる」

「なんだと」

 一度私は晴夏を止めた。情報処理に頭が追いついていない。典礼があの白書を読んでいたというのは……。

「一体、何を根拠に」

 驚いて聞き返す私に対して、晴夏が根拠は三つだ、と指を三本立てて言った。

「未紗の家でプログラムの話をした時、何かてんに対して違和感がなかったかい」

「違和感……」

 私はその時の会話を必死に思い出す。確か晴夏の勧誘とセクハラまがいの発言、そしてプログラムの話……。

「あっ……」

「判ったかい」

 晴夏は口の端を少し上げて意味あり気に私を見る。

「プログラムの話をしても驚いてなかった。あと、警察に提出するようにも言われていない」

「そう、それが一つ目。二つ目は、回数制限のあるファイルが開けなかった事。こういう制限付きのファイルって、見る人が非常に限られるから作った本人以外の閲覧は二~三回までって条件にしている事が多いんだ。それが開けなかったって事は誰かが僕達が後に見たって事になる。そして最後の一つは僕の仮説に対して、てんは議会に通らない・・・・・・・って言った事。この三つは桐恵ちゃんをつけていた警察がてんだったという事なら筋が通る」

「ということは、あの白書の内容って……」

「そう、僕があの時言ったのは本当。少し鎌を掛けてみたんだ。国防白書っていうのは未紗の殺意と戦闘データを使って兵士を作る事を目的とした国家防衛対策強化の提言だよ。一度だけしか見てないから詳しい内容はわからないけれど、サザナミシステムを応用して未紗のデータを他人の脳へ刷り込んで、それを記憶として肉体に覚えさせるらしい」

 それを聞いて私はあの日の典礼の言葉を思い出した。行動の上書きとは仮説ではなくこの計画に基づいていたのだ。典礼は私が関与しているかどうかを確かめる為に話を振ったに違いない。殺意のない世界で殺意を持つ兵士を作るという、サザナミの存在を真っ向から覆す――桐恵の造った世界を根本から否定するその計画。そんなものにまさかサザナミが使われてさらに私を起因にしていたとは……。私は唐突に足元が崩れ去ったかのような深い絶望に襲われた。

「あり得ない……」

 ようやく搾り出した言葉に晴夏が頷いた。

「それが正しい反応だよねぇ。本来なら仮説だとしても、そんな事は出来ないって否定するはずだよ。でも、てんは違った。もちろん、こんなのが議会に通るわけがないと僕だって思う。けれどそれは中身を読んだ人間しか判断出来ないだろう」

「それが出来る前提で話が進んでいるという事は……可能というわけだな」

 私は確認するように問いかけたが、晴夏は眉を上げて逆に私に訊ねた。

「何か思い当たる事はないかい」

「……っ、人質事件の東方真希か」

 声を上げる私を見て、晴夏は悲しそうに微笑んだ。

「そう、彼女があの白書の内容を証明してしまった」

「……いやでも、鍵のかかった部屋って、カードキーを持たないてんちゃん一人では入れないはずでは。仮に運良く入れたとしても、どうしててんはファイルを開く事が出来たんだ。もしかして桐恵と見た後、ファイルに鍵をつけなかったのか」

 当然ともいえるその疑問に、晴夏は気まずそうな顔をして頬を掻く。

「……厳密に言えば、カードキーがなくても入る方法はあるんだ。現に桐恵ちゃんはその方法で休日にあの部屋に入ったわけだし。それにもちろんファイルに鍵はつけたよ。でも、てんが相手ならもっと真面目にやるべきだった」

「管理局のセキュリティが本当に心配になってきた。大丈夫なのかそれで……。もしかして晴夏がてんちゃんを引き抜きたい理由はそれか」

「そう。あんなのが管轄外にいたら困るだろう。せめて目の届く範囲に居てもらいたい」

 そう顔を顰める晴夏を見て私はなるほど、と笑った。

 そう言えばそうと件の典礼の帰りがやや遅すぎはしないだろうか。そう思って晴夏に声をかけようとしたその時、ドン、という音と共に微かな地響きが起こった。音がした方を見ると空に黒煙が立ち昇っている。

「展示棟の方だ……行こう。てんも後から来るだろう」

 晴夏は慌てて立ち上がり駆けだそうとしたが、私の存在を思い出し動きを止めた。

「走れるか、未紗」

 自然に差し伸べられた晴夏の手をつい反射的に取ってしまったが、生憎不慣れなヒールで走るのは難しい。私の行動を制限する為に選ばれた靴なのでこの状況はある意味で正しいと言えるものの、いざとなると恨めしい以外の何ものでもない。

「ごめん晴夏。このヒールで走るのは難しいかも……いっそ脱いでしまった方が良いかな」

「それだと足を怪我するでしょ。だから、こうすれば解決――」

 よいしょ、という掛け声と共に晴夏がそのまま私を担ぎ上げた。

「うわ、ふざけている場合か。何が嬉しくてっ、お前に、俵担ぎ、されないとっ、いけない、んだっ……」

「こら。あまり動くな。落ち……痛っ、足が目にっ、眼鏡、眼鏡割れるっ」

 身を捩り逃れようとするも身長差もあり力では敵わない。晴夏はそんなこちらの文句をものともせずに私を担ぎ直すと小走りで展示棟の方へと向かった。大人一人抱えて軽く走れるとは。縦に長いだけかと思いきや、見かけによらず体力はあるようだ。通り過ぎていく局員が驚いて私達を見る。私は気恥ずかしくなり渋々担がれているという風に仏頂面で目の前から遠ざかっていく景色を眺めていた。

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